第26話追い詰められるエリザベス

 それから数日。

 毎日のようにユーインから手紙が届いていたが、読まずに机の中へしまっていた。

 正体を怪しまれている以上形はどうであれ、接触は避けるべきだというのがシルヴェスターと話し合った結論である。

 家にも何度かきていたようだが、エリザベスは帰らせるようにと、使用人に命じていた。


 職場はもう一人女中を増やし、移動をする時は常に二人で行動している。


「ああ、でも、本当に夢みたいです!」


 増やした女中は、厨房でよく話しをしていたチェルシーであった。

 エリザベスが彼女を指名したのである。


 チェルシー・リンメル。

 十四歳。実家は絨毯商で、極めて裕福な家庭で育つ。三ヶ月前に行儀見習いとして宮殿にあがってきた。


 公爵家とも付き合いのある商家だったので、案外すんなりと許可がでたのだ。

 明るいチェルシーのおかげで、職場は幾分か明るくなる。

 偽りだらけの生活の中で、いつしか彼女はエリザベスの清涼剤となっていた。


 ――それからさらに半月後。


 ユーインはエリザベスへの接触をすっかり諦めていたようだった。

 内心ホッとしていたものの、どこか寂しい気持ちにもなる。

 複雑な感情は押し隠し、今日も仕事にでかける。


 アフタヌーンティーの時間、エリザベスはチェルシーを伴って厨房に向かう。

 途中、前方よりユーインが歩いてきた。

 二人は通路の端に避け、通り過ぎるのを待つ。


 エリザベスの存在に気付いたユーインは歩みを止める。

 じっと、熱い視線を向けていた。

 エリザベスは低い声で、用件を問う。


「――何か、ご用でしょうか?」

「あの、ゆっくり、お話をしたいのですが」

「わたくし、忙しいので」


 会釈をして、その場から去る。チェルシーもお辞儀をして、小走りであとを追った。


 厨房にて、お茶を蒸す時間、チェルシーはエリザベスに話しかける。


「さっきの文官さん、ユーイン・エインスワースさんですよ」

「彼が、何か?」

「女中や侍女さん達の間で、難攻不落の要塞男と呼ばれているんです」


 どんな美人が声をかけても誘いに応じず、社交場にはめったに顔をださない真面目で清廉潔白な男。若手の文官の中でも期待の出世頭で、結婚相手に持ってこいだが、実家は公爵家の分家とあって、見合いすらまったく応じない。


「ユーインはわたくしの婚約者ですの」

「あ、そういえば、婚約したって話、聞いていました!」

「ええ。今、喧嘩をしていて」

「そうだったのですね。でも、意見を言い合えるのはいいことですよ。納得するまで話し合って、互いを理解していくんです」


 最初から上手くいく人間関係なんてない。これは両親の受け売りだと、チェルシーは話す。


「本当に、その通りですわ」

「はい!」


 喧嘩をして、意見をぶつけ合い、結果、互いを理解する。

 それは、エリザベスが本物のエリザベス・オブライエンであった場合だ。

 エリザベス・マギニスという個人は、ユーインと互いに向き合い、真剣に人となりを理解してもらう場所に立ってすらいないのだ。


 今しがた、縋るような目を向けられ、エリザベスの胸はざわついた。

 ユーインはエリザベスを諦めていたわけではないように見えたのだ。

 それは気のせいであると、自らに言い聞かせる。


 完成した紅茶とお菓子を、憂鬱な気分で運ぶことになった。


 ◇◇◇


 夕刻。退勤時間となり、チェルシーと共に馬車乗り場へ向かう。


「今日も楽しかったです!」

「それは結構なことですわ」


 無邪気なチェルシーを微笑ましく思うエリザベス。


「――あ!」

「どうかなさって?」

「お菓子用の鞄を休憩室に忘れてしまいました。取りに行きますので、先に帰っていてください」


 チェルシーは毎日家から菓子職人お手製のお菓子が入った鞄を持ってきているのだ。

 それがないと、困ると言う。


「では、また明日!」

「ええ……」


 緩やかな風のように走り去るチェルシー。エリザベスは仕方がないかと思いつつ、早足で馬車乗り場まで急ぐ。

 けれど――


 曲がり角で突然腕を掴まれ、部屋に引き込まれる。

 ガチャリと施錠する音が聞えて、ゾッとする。

 ここまで数秒。

 驚くほど手際が良かった。


「よかったです。やっと、一人になってくれて」


 振り返った男は、ユーインであった。


「あなた……!」

「ゆっくりと、お話ししたいと思っていました。手荒な真似をして、申し訳ありません」


 いまだ、エリザベスは連れ去られた際の動揺が収まっておらず、胸は嫌な感じにドキドキしていた。

 どうしてこのような行動にでたのかも、理解できずにいる。

 なんとか、言葉を振り絞って話しかけた。


「お話することなんて、ございませんわ。お兄様から、わたくしの近況もお聞きになっているでしょう?」

「ええ、そうですね」


 エリザベスは毎夜、父親や使用人の目を掻い潜って屋敷を飛びだし、男と密会している。

 昼間は職場で見張っているが、夜はどうにもならない。まったく言うことも聞かないので、こうなったら修道院送りにするしかない、と。それが、シルヴェスターの話すエリザベスの自由奔放な最近の暮らしと将来についてであった。


「あなたとこうしている時間も惜しいですわ。わたくしはこれから――」

「読書でしょうか?」

「!?」


 今から男に会いに行く。そう言おうとしたのに、本来の、屋敷に引きこもって本を読むという予定を言い当てられてしまったのだ。


「どうして……そう、思いますの?」

「少々、調べさせていただきました。昨日の昼、あなたの家の使用人が、書店に本を買いに行っています。届け先の名義は、すべてあなただったようです」


 ユーインは探偵が調べた情報だと、悪びれもなく話す。


「地域経済の本に経済系の論文が書かれた本、ミクロ経済学のノウハウに、金融論。随分と専門的な本ばかり、好まれるのですね」


 侍女に頼んでいた本がすべてバレていた。

 探偵が調べ上げたのは、それだけではないだろうと察する。

 話を聞きながら、エリザベスは一歩、一歩と後退していく。

 シルヴェスター抜きで、この場を切り抜けることは困難であると、すでに気付いていた。

 どうするべきか考えているうちに、どんどん壁際へと逃げていたのだ。


「夜も、まったくでかけていないようですね。好意を寄せているらしき男性に、手紙の一通もだしていない」


 以前エリザベスが通っていた。ふしだらな貴族の社交場も調べ上げたが、出入りしているという情報は掴めなかった。それどころか、最後にみたのは数か月前で、以降は噂話すら流れていないと言う。


「シルヴェスターが言っていたことは、すべて嘘だったのです」


 エリザベスは足を一歩引いたが、背後は壁でコツンと音が鳴るばかりであった。

 もう逃げ場はないとわかり、さっと顔色を青くする。

 ユーインはカツカツと靴の音を鳴らしながら接近する。


「あなたも、共犯者だったというわけですね。いったいなぜ、このようなことを?」

「それは――」


 これ以上嘘は吐きたくない。

 けれど、すべてをここで話すわけにもいかなかった。


「最後の質問です。事情を話してください」


 ふるふると首を横に振るエリザベス。

 普段より気の強い女性であったが、今回のことを十八歳の娘一人が抱えるには、無理があった。

 さすがに、嘘を吐いている中で、虚勢は張れない。


「わかりました。もういいです」


 呆れたような声色での一言。

 これで追及は終わりかと、俯いていた顔を上げたが、目の前にいたのは、珍しく怒りの感情を浮かべているユーインの姿であった。


 エリザベスは慄き、顔を俯かせた。


「エリザベス」

「!」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


「何も怖がる必要はありません。私が、あなたを助けます」


 その言葉を受け入れることはできないと、首を横に振った。

 ユーインの瞳が揺れる。


「そうですか。それが、あなたの答えですか」


 沈んでいるように見える青い目と視線が交われば、最後の鉄槌が落とされる。


「――あなたは、エリザベス・オブライエンではありませんね?」

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