第25話食事会にて

「――エリザベス!」


 シルヴェスターに大きな声で名前を呼ばれ、ハッと我に返るエリザベス。

 気が付けば手を握られ、心配そうに顔を覗き込まれていた。

 慌てて掴まれていた手を振り払う。

 すると、シルヴェスターはホッとしたように呟いた。


「良かった。いつものエリザベスに戻った」

「はあ?」


 どういう意味かと聞こうとしていたが、ユーインがいつの間にかいなくなっていることに気付く。

 シルヴェスターがいつ戻ってきたかも曖昧だった。

 考えごとをしていたので、周囲が見えていなかったのだ。


「そんなことよりも、あの人、ユーイン・エインスワースに正体がバレそうになって――」

「そう。案外早かったね」


 エリザベスが今まで深刻に悩んでいたことを、さらりと受け流すシルヴェスター。

 絶対絶命の危機に、なんてことを言っているのかと、信じられない気持ちになる。


「状況を理解していますの?」

「大丈夫だよ、エリザベス。ユーインは公爵家の身内だ。真実を知っても、悪評に繋がることは口外はできない」


 仮に身代わりをバラすと言われても、エインスワース家など、簡単に潰すことは可能。身代わりが露見しても、伯爵家の存続を天秤にかければ、この問題に口出しできなくなる。だから、安心するようにと説き伏せられた。


「あなた、最悪ですわ。随分と前から思っていましたが」

「そうだね。否定はしないよ」


 エリザベス渾身の侮蔑も、シルヴェスターには効かない。しれっとしながら、受け答えをしている。


「そもそも、あなたは何を考えていらっしゃるのかしら? 最終的な目的はなんですの?」

「公爵家の名誉を守ること、かな」

「ではなぜ、妹――エリザベスを長い間野放しにしていましたの?」

「それは……」


 公爵家の名誉を守りたいならば、エリザベスの夜遊びから止めさせるべきだった。そう強く指摘すれば、シルヴェスターは不愉快極まりないような表情となる。普段は絶対に見せないであろう、余裕のない顔つきだった。


 エリザベスは思ったことを、そのまま口にする。


「あなたは、エリザベス・オブライエンがお嫌い?」


 質問をした刹那、シルヴェスターと視線が交わる。

 虚を突かれ、見て取れるくらいに動揺していた。


 シルヴェスターは血の繋がらない妹、エリザベスを嫌っている。

 これは、間違いない事実であった。


「エリザベスと、何かありましたの?」

「それは……言えない」

「そう」


 エリザベスも深く追求しなかった。興味はあったが、公爵家の事情に深く踏み込めば、逃れられない沼に嵌ってしまうように感じて、話を聞くのを止めたのだ。


「エリザベス、それはそうと、今晩、三人で夕食を食べることになったよ」

「なんですって?」

「だから、今日は先に帰って、身支度をしてくるといい」


 いったい、どういう話の流れでそういうことになったのか。

 エリザベスは顔を顰め、眉間を押さえる。


「身代わりの件に関しては、上手く誤魔化そうと思っている」

「そんなの、可能ですの?」

「得意だからね、そういうことは」


 エリザベスは確かに、と内心で思う。

 まだ文句は言い足りなかったが、コンラッド王子が戻ってきたので、会話は中断されることになった。


 ◇◇◇


 夜――とある会員制の料理茶店にて、三人の若者が優雅に食事をしていた。

 一人はとても美しいご令嬢。金の髪をハーフアップにしており、耳元には真珠の飾りが輝く。ドレスは詰襟で、袖のない意匠(デザイン)。体の線に沿った形で、細身の令嬢によく似合っていた。


 もう一人は華やかな容貌をした、金髪翠目の男性。年頃は三十前。前髪はきっちりと後ろに撫でつけており、紳士の見本のような品のある雰囲気であった。


 最後の一人は茶色の髪の長身の、二十歳を過ぎたくらいの青年。他の二人に比べて地味であったが、銀縁眼鏡の向こうにある青い目はとても美しく、顔も十分過ぎるほどに整っている。加えて、真面目で誠実そうな印象があった。


 個室にて食事をする麗しい三人組に、給仕は緊張しながら配膳をしていた。

 まるで絵画のような光景に、何度も目を瞬かせて夢か現実か、確認をすることになった。


 デザートまで失敗することなくきっちりと配膳し、食後の紅茶が運ぶ。

 以降、呼びだしがあるまで部屋には立ち入らないように言われた。


 ◇◇◇


 給仕がでて行った部屋で、三者三様の顔付きとなっていた。

 エリザベスは眉間に皺を寄せ、険しい表情をしている。

 シルヴェスターは朗らかに微笑み、ユーインは無表情でいた。


 最初に口を開いたのは――


「さて、ユーイン、お待ちかねの時間だ。質問をどうぞ」

「……そうですね」


 まず、最大の謎である、エリザベスの自由な振る舞いの噂について聞いてきた。


「あれは、嘘ですよね?」

「いや、本当だよ。君も見ただろう? リズの恋人を」

「それはまあ、確かに」


 ユーインはエリザベスの恋人、ブレイク伯爵に文句を言われ、また、食事をしているところに押しかけられたことがある。それは、揺るぎない証拠であった。


「ですが、信じられません。彼女は聡明で、賢い人です。とても、男遊びをするようには――」

「私は、婚約パーティの前にリズにお説教をしてね。それでこの通り、良い子になったんだよ」

「それも嘘ですね」


 ユーインははっきりと言い切った。

 シルヴェスターは肩を竦め、困ったなとぼやくように言っていた。


「もう一つ思ったのは、彼女が公爵令嬢エリザベス・オブライエンではないということです。噂が嘘だったことよりも、ありえない話でありますが」

「リズが偽物だって? それは面白い推理だ」


 空想の世界ではあるまいしと、ユーインの言葉を軽く受け流すシルヴェスター。

 ごくごく自然に目の前で繰り広げられる腹芸に、エリザベスはある意味凄いと思っていた。


 ユーインの尋問は続く。


「ですが、思い返せば、以前見たエリザベス嬢の様子とは大きく違っている気がするのです」

「リズを、どこかでみたのかい?」

「はい。あれは、どこの社交場だったか……確か、二年前くらいだったかと」


 エリザベスはだらりとした姿勢で男の膝にもたれかかり、頬を紅潮させ、周囲の者達を誘惑するような目付きをしていたと話す。


「今まで記憶があやふやだったのですが、今朝の件をきっかけに思い出すことができました。あの時のエリザベス嬢と、今ここにいるエリザベスは別人のように思えます」

「見間違いでは?」

「まあ、その可能性もあります。あまりにも、過去と現在では、雰囲気が違い過ぎるので」

「だろうね」


 シルヴェスターは余裕たっぷりな様子で問いかける。聞きたいことは以上かと。


「まだ、先ほどの質問に対して、納得をしていません」

「そうか。残念だよ、ユーイン」

「何を……?」


 今まで笑みを絶やさなかったシルヴェスターが、急に真面目な顔つきになる。

 そして、驚くべきことを言い放ったのだ。


「妹との結婚は諦めてもらおうか」

「それは――!」


 なぜだという問いかけに、シルヴェスターは答える。


「君は、リズのことを気に入らないようだし、リズも、ユーインのことは口うるさいから、結婚をしたくないと言っているんだ。私は反対したのだけどね」


 話し合いをして、ユーインがエリザベスに不満を持つようであれば、婚約は解消しようという話になっていたと告げる。


「簡単に、婚約をなかったことにすることなんて、できるわけが――」

「幸い、ユーインの実家はうちとは親戚関係にある。なんとか、穏便にことを済ませるから、心配はいらない。それにね、リズは本当に困った子でね」


 続く、驚愕の事実。それは、エリザベスに好きな人ができたというのだ。

 ユーインは信じられず「本当ですか?」と問いかける。


「ええ、本当ですわ」


 エリザベスはユーインの目を見て、はっきりと言い切った。


「残念なことに、人はね、簡単には変わらないんだよ。この通り、私の妹は自由奔放だ。修道院にでも入れて、監視を付けなければいけないかもしれない」

「なっ……!」


 ユーインの追及の視線を浴びる前に、エリザベスは顔を伏せた。

 嘘を吐いていることに、胸を痛める。

 人を騙すということは、ひどく辛い気持ちになるのだ。お金のためだからと言って、簡単に引き受けていいものではない。


 もう二度と、このようなことはあってはならないと、エリザベスは胸に刻む。


 シルヴェスターは、「あとはこちらで話し合うから」と言って席を立つ。


「さあリズ、帰ろう」

「……ええ、お兄様」


 シルヴェスターが踵を返した瞬間に、エリザベスはユーインに向かってドレスの裾を摘まみ、軽く膝を折ってこうべを垂れる。

 もう二度と会えないかもしれないと思い、淑女の礼を丁寧にしたのだ。


「リズ」

「はい」


 名前を呼ばれ、早足でシルヴェスターの隣に並ぶ。

 腰に腕を回され、引き寄せられた。

 エリザベスはシルヴェスターの手の甲の肉を、「何をするんだ!」というメッセージを込めて渾身の力で抓る。

 だが、ダメージはなかったようで、顔色一つ変えていなかった。


「あなたのそういうところ、大嫌いですわ」


 シルヴェスターだけに聞こえるような声で囁けば――


「私はエリザベスのそういうところ、大好きだよ」


 そんな言葉が返ってきて、脱力することになった。

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