第21話牧場への思い
「あなたは嘘を吐いていますね」
ユーインはきっぱりと言う。
エリザベスは驚きもせず、ただただ相手の青い双眸を見つめていた。
「正直、何が本当で、何が嘘なのか、はっきりとわかるわけではないのですが、一つだけ、あなたが言った貴族社会はまっぴら、自由に暮らしたいというのは、思ってもいないことでしょう」
ユーインの言葉は正しい。ゆえに、何も返すことはできず、力のこもった双眸を相手に向けることしかできなかった。
「きっと、誰かに弱音を吐いたり、助けを求めたりすることが苦手なのでしょうね。死ぬほど頑固とも言いますか」
「……」
ぐうの音もだせない状況まで追い込まれる。
現在のエリザベスは、身代わり事情を誰にも話せないし、この状況から脱出することもできない。どうしようもない場所に身を置いていた。
仮に、ユーインが駆け落ちをすると手を取ってくれても、「冗談ですわ」と言って掴まれた手を振り払っていただろう。
要は、相手から距離を置くための、虚言であったのだ。
気まずい沈黙に支配される客間。
ユーインは眼鏡をブリッジを押し上げ、はあと溜息を吐く。
「私はまだ、あなたから信用してもらえる状態ではないのでしょうね。どうすれば、甘えてくれるのか――」
ユーイン・エインスワースと言う男は堅く真面目な性格で、理屈詰めなところもある。
けれど、言っていることはすべて筋が通っているし、相手の腹を探るような回りくどい物言いはしない。
シルヴェスターより、何十倍、何百倍も信用に値する人物だとエリザベスは思っている。
けれどそれは、田舎貴族で牧場の娘であるエリザベス・マギニスの評価だ。
奔放な性格である公爵令嬢エリザベス・オブライエンは、きっとユーインのような男は苦手だろうと、推測している。
決まりの悪い表情で顔を背けるエリザベスに、ユーインは溜息を吐くと、呆れを含んだ声色で話しかけた。
「わかりました。先ほどのご提案に対しての回答を行いましょう。申し訳ないのですが、駆け落ちは――できません」
婚約者と仕事、どちらが大事かと聞かれたら後者だと答えるだろうと話すユーイン。それはこの先も変わらないと宣言する。
「以前、あなたがブレイク卿に語っていた、貴族としての在り方に私は大変心を打たれたので、この考えはご理解いただけると思っています」
公爵令嬢エリザベスの元恋人、ブレイク伯爵に啖呵を切った言葉――
『わたくしは、身に纏うドレスが、育った環境が、学んだ教養が、何に活用すべきか、理解をしております。決して、あなたの奥様になるために、与えられたものではありません』
それをユーインは覚えていたので、先ほどの「貴族社会の付き合いはまっぴら。自由になりたい」と言った言葉を嘘だと判断したと話す。
「牧場に行きたいのであれば、新婚旅行先の一つとして考えておきます。有名どころでは、貴族のマギニス家の経営する牧場は、素晴らしい品質の乳製品を作っていますが――」
ふいに、ユーインの口から実家の話題がでてきて、胸が大きな鼓動を打つ。
牧場の製品を褒められ、嬉しくもなった。
「あなたは、そんなに牧場がお好きなのですか?」
「……なぜ?」
「一瞬だけ、表情が柔らかくなったので。見間違いの可能性もありますが」
「ええ、見間違いですわ」
動揺に気付かれぬよう、いつもよりキツい口調になってしまった。なのに、ユーインは微笑みながら、「いつものあなたに戻りましたね」と言う。
「マギニス家の牧場と言えば、先日の大嵐で被害を被っていると聞きました。災害事業再建法の支援を受けていればいいのですが」
「災害再建法ってなんですの?」
「数日前に決まった新たな法律です。最近嵐などが頻発していて、工場や牧場、農場などが大きな被害を受けて、流通にも影響がでているものですから、陛下が急遽施行すると判断された法案になります」
「そんなものが……」
「マギニス牧場の乳製品は国内でも数多く流通しているので、支援対象内だと思いますよ」
それを受けていれば、復興も早いだろうとユーインは話す。ただ、支援を受けるには事業主からの申請が必要だとも。
「エリザベス嬢、マギニス牧場の製品に何か思い入れが?」
「ええ……」
「でしたら、一刻も早く復興すればいいですね」
エルザベスは複雑な表情でコクリと頷いた。
運ばれてきた紅茶を飲み、しばし静かな時間を過ごす。
ティーカップに注がれているのは、ジンジャーティ。ポットに乾燥させた生姜のスライスが入っており、蜂蜜を垂らして飲む。
爽やかな風味と、ピリッとした刺激的な後味が特徴である。
飲んでいるうちに体がポカポカと温かくなり、寒い日にはうってつけの一杯だった。
茶菓子はドライフルーツを入れて焼いたティーケーキ。
どっしりみっちりの甘ったるいそれは、スパイスの効いた紅茶とよく合う。
男性には甘すぎるであろうケーキを、平然と口にするユーイン。
エリザベスはぼんやりと眺めている。
ユーインの一挙一動は洗練されているもので、とても優雅だった。
手掴みでケーキを食べ、紅茶を一気飲みする父親とは大違いだとも思う。
実家に帰れば、ここで体験した暮らしとはほど遠い生活が待っているのだ。
せめてひと時だけでも、優雅な毎日を堪能しなくてはと考える。
そうでもしないと、問題渦巻く公爵家ではとてもやっていけないと思っていた。
「そういえば――」
エリザベスの鋭い視線に気付いたユーインが、上着のポケットからハンカチを取りだしながらお礼を述べる。
「このハンカチ、ありがとうございました」
差しだされたハンカチを見て、ぎょっとするエリザベス。
白いハンカチに刺されたユーイン・エインスワース文字は、素晴らしく歪んで不格好な物だったのだ。
「こういうのをしていただいたことは、初めてだったので嬉し――」
「返してくださる!?」
「はい?」
「間違えて、失敗作を送ってしまいましたの!」
作った当時は上手く縫えたと思い込んでいたが、実際には酷い物であった。
あまりにも一生懸命で、刺繍の歪みに気付かなかったのだろうと、その時の思考を推測する。
「でしたら、成功したハンカチと交換で」
「!?」
成功したハンカチ――そんな物など、この世界には存在しない。
エリザベスはユーインの隙を確認するや否や、手からハンカチを引き抜く。
「――な、何を!」
「よ~く見たら、気に食わない点がありますので、新しく縫い直します」
「いえ、いいですよ。よく縫えていますし」
「そんなことありません」
「縫い直す時間がもったいないですよ。それに、重要なのは刺繍の美しさではなく、気持ちですから」
「……」
そこまで言われたら、強情を押し通すわけにもいかない。
エリザベスは渋々と、ユーインにハンカチを返した。
「ありがとうございます。大切にしますので」
朗らかな笑顔を見せるユーインを前に、ツンと顔を逸らすエリザベスであった。
◇◇◇
夜、エリザベスは兄に手紙を書く。
ユーインが教えてくれた法案の手続きをするようにという内容と、元気に暮らしている旨を伝えるものだった。
上手い具合に支援を受け、復興の見通しが立てば、金持ちの家に身売りをするように嫁がなくて済むのではと、うっすらぼんやりと考える。
貴族女性としての役割はきっちりと理解しているつもりであったが、平民の商家に嫁いでも、学んだことは生かされずに普通の妻としての振る舞いを望まれることは目に見えていたのだ。
叶うならば、マギニス家に婿を迎え、牧場の経営に携わりたいと思っていたし、父親もそれを認めてくれた。
どうか、牧場が元の姿を取り戻すように――そんな願いを託し、手紙に封をする。
同時に、これからの公爵家のことも考えた。
数ヶ月後、本物のエリザベスの駆け落ちが明らかとなり、修道院送りが決定される。
爵位は凍結となるのか、ユーインに継承されるのか。
どちらにせよ、屋敷の内外が荒れることは目に見えていた。
どうか、自分とは関係のない場所で揉めてくれと、エリザベスは思う。
ツキリとこめかみに痛みを感じ、指先で押さえる。
いつまでたっても、悩みは尽きそうになかった。
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