第20話停滞
公爵との重苦しい晩餐を終え、ふらつきながら私室へと戻る。
針で刺して痛む指先に耐えながら風呂に入り、そのあとは寝室へ直行。まだ早い時間であったが、明日のことも考えて眠ることにした。
翌朝、紅茶を運んできた侍女より、本日の予定を通達される。
「若様より執事を通じて伝言がございました。手先のお怪我が完治されるまで、仕事は休むようにと」
怪我をした状態で給仕をするのはよくないと、エリザベスも思っていたのだ。
朝一で聞くつもりであったが、先を越されて悔しい気分となる。
これは使用人の情報通達が速かっただけだったが、どうしてか苛ついてしまったのだ。
「……ええ、わかりましたわ」
素直に返事はしたものの、顔が怒りで猛烈に染まっていた。
侍女は「ヒッ!」という悲鳴を、口からでる寸前で呑み込む。
いつも通り完璧な身支度をして、食堂へと向かった。
本日、公爵は仕事で不在。
しばらくすると、シルヴェスターがやってくる。
「おはよう、エリザベス」
「おはようございます、|お兄様(・・・)」
お兄様とは呼んでいたものの、たっぷりと他人行儀のような声色で挨拶を返すエリザベス。
シルヴェスターはそんなことなど気にも留めず、手先の怪我について質問をする。
「昨日は、裁縫を頑張っていたようだね」
「ええ」
何を縫っていたのかと聞かれたが、単なる暇潰しだと答えておいた。
「読書が趣味の君が、裁縫で暇潰し、ね」
シルヴェスターのこういう勘の鋭いところが本当に嫌いだと、エリザベスは思う。
それから、互いに無言で食事をし、別れることになった。
突然降りかかってきた休日は、読書をして過ごす。
お昼過ぎには宝石商がやってきた。
シルヴェスターが手配をしていたようである。
客間には、恰幅の良い商人が待ち構えていた。
執事は「お好みの品がございましたら、お好きなだけご所望ください」と商人が喜びそうな言葉で薦める。
テーブルの上に並べられた宝飾品は、シャンデリアの光を受けてキラキラと輝いていた。
けれど、エリザベスはそれを見て、憂鬱な表情を浮かべる。
執事に唆されるがまま手にしても、最終的に自分の物にはならないし、それらを着けていく場所には行きたくないと考えていたからだ。
扇を広げ、侍女を呼びよせる。口元を隠しながら耳打ちをした。
「あなた達のセンスで選んでちょうだい」
侍女は頭(こうべ)を下げる。
それを確認すれば、エリザベスは商人に向かって「ごきげんよう」と言い、貴婦人のお辞儀をして、客間をでた。
部屋に戻れば、読書を再開したのだった。
◇◇◇
翌日。
変わらない朝。食堂にて、シルヴェスターと挨拶を交わす。
「エリザベス、おはよう」
「おはようございます、|お兄様(・・・)」
そのまま席につくと思いきや、エリザベスの元へと近づき、怪我の状態を見せるように言う。
手のひらを広げて見せた。
包帯はもう巻いていない。跡もほとんど目立っていなかった。ところが――
「今日も休んだ方がいいね」
その言葉に反講せず、頷いた。
それとなく、出勤は許されないだろうと予想はできていたのだ。
そんな日々が五日も続く。
今日は何をしよう。そう思っていたら、一通の手紙が届けられる。オーレリアからだった。
内容は怪我をしたと聞いたので、お見舞いにきてもいいか、というものであった。
断る理由もないので、「きていただけると嬉しいです」という内容の手紙を認め、オーレリアの家に直接届けるよう、侍女に命じた。
午後になれば、オーレリアが訪問してきた。
エリザベスを見るなり、深く安堵したような顔を見せる。
「ああ、よかったわ」
「よかった?」
「ええ、また、シルヴェスター様におしおきをされていないか、ずっと心配で」
「……大丈夫ですわ」
六日も休んでいたので、オーレリアはエリザベスがシルヴェスターに軟禁されているのではと疑っていたのだ。
そんなことはないと首を横に振る。
それから二人はなんてことのない会話を、お茶とお菓子を味わいながら楽しむ。
「そういえば、オーレリア様、裁縫は得意?」
「ええ、まあ、人並みには」
「でしたら、刺繍をおしえていただけないかしら?」
「別にいいけれど」
エリザベスは棚の中から裁縫道具を取りだす。
「こちらが前に縫った刺繍で」
「きゃあ!」
差し出されたハンカチを見て、オーレリアは悲鳴をあげる。
エリザベスは血まみれのハンカチを手にしていたのだ。
「な、なんなの、それ!」
「作りかけの刺繍ハンカチですが」
「なんで血まみれなの?」
「針で手を刺してしまい」
「も、もしかして、怪我って――」
「針を指先に刺し過ぎた物ですわ」
「あ、ありえないわ!」
血まみれのハンカチなんて恐ろし過ぎる、早く捨ててと言っても、エリザベスは気にするなと言うばかりだった。
刺繍が途中でどうしても曲がるから、悪いところがないか見るように差しだしても、オーレリアの視線は宙を彷徨うだけだった。
仕方がないので、ハンカチは箱の中に仕舞い込む。
「では、今度血の付着していない刺繍を持って行きますので、助言をしていただけますか?」
「いいけれど……どうして今更刺繍を習おうと思ったの?」
「それは――」
刺繍が上手くなって、シルヴェスターを見返すことが目的である。
そんなことなど言えるわけがないので、花嫁衣装を作る時の刺繍入れの練習だと言っておいた。
公爵家の花嫁は、仕上げ段階でドレスに花の刺繍を入れる伝統文化があったのだ。
オーレリアはそれで納得をしてくれた。
◇◇◇
オーレリアが帰宅をしたあと、夕方にもう一人訪問者が現われた。
前髪はきっちりと整え、パリっとした服を纏い、礼儀正しい男――ユーイン・エインスワース。
彼も、エリザベスが長期期間休んでいると知り、お見舞いにやってきたのだ。
「怪我をしたと聞きましたが」
「ええ、もう治っているの」
「そうですか。だったらよかったです」
そう言いながら、お見舞いの薔薇の花束を手渡す。
「まあ、冬薔薇(ふゆそうび)なんて、初めて見ました」
「北風にも負けず、凛と咲き誇るそうです」
「そう……」
エリザベスは花束を受け取り、香りを楽しんでから侍女に生けるように手渡した。
「ありがとう」
「いえ、あなたにお似合いな気がしたので」
「そう、だといいけれど」
いつになく弱気な態度を見せているエリザベスを、ユーインは心配そうに眺めていた。
「何か、あったのですか?」
「……別に、何も」
大変な事件はあった。けれど、どれもユーインに言えないことばかりである。
「本当ですか? いつもより元気がないようにお見受けしますが――。よろしければ、相談に乗りますよ」
「いえ、本当に、なんでもありませんの」
自分は性悪で自分勝手な公爵令嬢。
役柄を思い浮かべ、しっかり演じなければと考えていたが、今日はどうにも調子がでない。
「どうにもできない悩みでも、話をするだけで楽にもなれますし、私ができることであれば――」
ユーインの気遣いが、エリザベスの心に沁み入る。
身代わりという立場でなかったら、優しさに甘えていただろうと思う。
けれど、彼が心配しているのは公爵令嬢のエリザベスなのだ。
気遣いや優しさをそのまま受け取るわけにはいかない。
そう思って、ありえない提案を口にした。
「――でしたら、わたくしと駆け落ちしてくださらない?」
その一言に、目を見開くユーイン。
エリザベスは、貴族社会の付き合いなどまっぴら。ここからでていって自由に暮らしたいと語る。
「田舎で牧場経営でもしませんこと?」
「あなたは、何を言っているのでしょうか?」
嘘には本当を混ぜれば、嘘がバレにくくなる。
エリザベスは、最後だけ本心を口にした。
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