第19話誓いの儀式
「それは……いったい……?」
月灯りを受けて、シルヴェスターの双眸が怪しく輝く。
顔が整っているだけに、妙な迫力があった。
「私は父上の前妻の連れ子でね、公爵家の血は流れていない」
「――!?」
「実子ではないから、公爵にはなれないんだよ」
その推測はエリザベスも思いついていた。けれど、一番ありえないことだと決めつけていたのだ。
足元がグラグラと揺れるような錯覚に陥る。
シルヴェスターの真なる目的は公爵位なのか。
だとすれば、爵位を継ぐために妹を家から追いだしたのでは? そんな邪推が頭を過り――
「エリザベス!」
体を支えられて我に返る。
いつの間にか、血の気が引いて貧血を起こしていたのだ。
「すまない。いろいろ一気に話し過ぎて」
「は、離して」
ドンと、強く胸を押した。
今度はエリザベスの弱い力でも押し返すことができた。
自ら離れて行ったようにも思えるが、真相は謎のまま。
エリザベスはキッと、シルヴェスターを睨みつけながら問う。
「一つだけ、答えていただけますか?」
「ああ、いいよ」
「あなたが、妹、エリザベスを、追いだすように唆しましたの?」
翡翠の目が僅かに揺れる。だが、シルヴェスターは首を横に振って否定した。
「そうだとしたら、あの日、リズをわざわざ街まで探しに行っていないよ」
「……それも、そうですわね」
爵位を継げるのは直系男系男子のみであるが、特別な例外もあるのだ。自らが公爵になるための計画ならば、恐ろし過ぎる。
エリザベス・オブライエンは使用人の男と駆け落ちをした。それが真実であれ、嘘であれ、エリザベスは一刻も早く、公爵家から縁を切りたいと思った。
「エリザベス、頼むから、もう少しだけ、ここにいてくれないか?」
「……」
「君のことは、必ず守るから」
信じられない。
そう口にしようとした刹那、シルヴェスターは驚きの行動にでる。
姫君に忠誠を誓う騎士のようにエリザベスの前で片膝を突き、
「エリザベス・マギニス嬢、どうか、哀れな私に情けを――」
冗談でここまでできる男はいない。本気で困り、エリザベスに助けを乞うているのだと考える。
どうするべきか、判断に迷った。
なぜ、今ここで決めなければならぬのかと、奥歯を噛みしめる。
仮に、公爵に身代わりをしていることがバレたら、実家にも悪影響を及ぼしてしまうことは目に見えていた。
娘の監督不行届きで、どれだけの処罰を受けるのか、前例がないので想像もできない。
けれどどうしてか、口が、足が、動かなかったのだ。
自尊心が高いであろう男の、哀れな姿に同情をしたのか、呆れて物も言えない状態なのか、自分のことなのにわからないままでいた。
じっと、金色の髪にある旋毛(つむじ)を見下ろすこと数十秒。
エリザベスは僅かに冷静さを取り戻し、地面に伏すシルヴェスターに声をかける。
それは、身代わりを引き受ける条件だった。
「――でしたら、わたくしの靴に、口付けをしていただけるかしら?」
ハッと、エリザベスを見上げるシルヴェスター。
その目は明らかに、動揺の色に染まっていた。
「もしもそれができるのならば、身代わりをして差し上げてもよろしくってよ?」
これはエリザベスの本心ではない。
靴にキスをしたくらいでは、身代わりという危ない橋など渡れるわけがないと思っていた。
これは、シルヴェスターを怒らせるための作戦である。
「わたくし、待つのは大嫌いなの。早くお決めになってくださいな」
生意気な口ぶりとは裏腹に、早く怒ってここから去ってくれと願う。
状況に耐えきれなくなり、ぎゅっと目を閉じて、時間が経過していくのを待つ。
すると――足先に何かが触れる感覚が伝わる。
瞼を開けば、シルヴェスターが地面に這いつくばり、靴に口付けをしていたのだ。
エリザベスは叫びそうになった口元を覆い、息を整える。
同時に、シルヴェスターは顔を上げ、訊ねてきた。
「これで満足かな、姫君?」
シルヴェスターはエリザベスの条件を呑み、靴にキスをした。
もう、あとには戻れなくなったことを咄嗟に悟る。
エリザベスは、身代わりを続けるしかなくなったのだ。
わなわなと震え、咄嗟にでてきた言葉は――
「でて行って、ここから。早く……!」
シルヴェスターは顔色を変えることなく、「仰せのとおりに」と言って優雅な礼をすると、部屋からでて行った。
立ち続けることができずに、すとんとその場に座り込む。
今しがた、悪魔と契約をしてしまったのではないか。
そう思い、エリザベスは青ざめる。
言葉でシルヴェスターに勝てるわけがないのに、どうしてあの場で挑むような提案をしてしまったのか。経験の浅さを、人生で初めて恥じ入る。
自分はまだ小娘であったと、痛感する結果となった。
◇◇◇
朝。
仕事が休みなので、きっちりと身支度をして食堂へと向かった。
今日も一番乗りかと思いきや――
「――おはよう。今日は早いな」
「……おはようございます、お父様」
公爵と鉢合わせて思いだす。
本当のエリザベスは寝起きが悪く、朝食の時間に食堂にくることはなかったということを。
ここでも適当に、早起きは減量にいいと聞いたからと答え、その場しのぎをした。
数分後、シルヴェスターがやってくる。
昨日のことなど一切引きずっておらず、爽やかな笑顔で挨拶をしていた。
その顔を見ているうちに、怒りがフツフツと湧いてくる。
朝食の場では、ぐっと我慢をした。
食事中は一言も話さずに、気まずい時間のまま過ぎていった。
最後に、一礼して部屋をでようとすれば、公爵より声をかけられる。
「エリザベス」
「なんでしょうか、お父様」
話の内容は宮殿で召使いをしているエリザベスへ、しっかり勤め上げるようにという、なんてことのないものであった。
もちろんですと返事をして、食堂からでていく。
私室に辿り着けば、がっくりと倒れるように長椅子に腰かけた。
侍女が傍に寄り、心配してくれる。
「エリザベスお嬢様、大丈夫でしょうか?」
「ええ、平気」
爽やかな朝だったのに、腹黒なシルヴェスターと、狡猾な公爵に囲まれ、心休まる時がなかった。
こめかみを押さえ、はあと憂鬱な息を吐く。
今日は休みだけれど、やることがあった。
それは、ユーインに頼まれていたハンカチの刺繍。
侍女に裁縫道具を持ってくるように命じた。
セリーヌの侍女をしていた時、いくら頑張っても努力が結ばなかったのが手芸であった。
一向に上達しないので、「死ぬほど才能がないのね」と呆れられたことは一度や二度ではない。
最終的には裁縫仕事を頼まれなくなったのだ。
そんなわけで、エリザベスが針と糸を握るのは久々である。
白いハンカチに縫い付けるのはどの色がいいか考える。
真剣に悩み、結局ユーインの目の色と同じ青に決めた。
苦労をして針の穴に糸を通して、ハンカチを掴む。
布の縁取りに合わせて針を入れたが――
「痛ッ!」
布に突き刺した針を、いきなり自分の指先に刺してしまった。
ぷつりと、赤い血の球が指先に浮かぶ。
奥歯を噛みしめ、だから嫌なんだと心の中で文句を呟いていた。
地道にちまちまと縫っていたが、途中であることに気付く。
「……いつの間にか、ハンカチが血まみれですわ」
目が合った侍女は苦笑していた。
新しいハンカチ頼むと、すぐにでてきた。買い置きがあったらしい。
今度は細心の注意を払いながら、ひと針ひと針刺していく。
ユーイン・エインスワースの刺繍が完成したのは夕方だった。
昼食も私室で取ったので、一日中引きこもって製作していたということになる。
手先は包帯だらけとなっていた。
ハンカチに血が付着していないか確認し、用意していた手紙を添えてユーインに送るように命じる。
やっと終えたと達成感に浸っていれば、執事より声がかかる。夕食の時間だと。
公爵と二人きりでの晩餐と聞き、がっくりとうな垂れるエリザベスであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます