第18話エリザベスの危機は続く

 夕食も公爵と共にすることになり、気まずい時間を過ごすことになる。

 身代わりのエリザベスに合わせた料理の皿を見て、公爵は目敏く指摘した。


「どうした、いつもは呆れるほど食べているだろう?」


 鋭い観察力に、エリザベスは胃の辺りがぞわりと震える。

 適当に、減量をしていてと誤魔化した。


 料理を乗せた手押し車を、給仕が押してやってくる。会話は、ここで中断した。


 前菜アントレはホタテのクレソンソース和え、トマトとチーズのマリネ。

 美しい色どりの料理であったが、見た目も味も楽しむ余裕などなく。

 食前の祈りを終えて食べ始めたが、緊張からかすべて食べきることができなかった。

 次に運ばれてきたアスパラガスのポタージュ。苦労して飲み干す。

 メインはポワソンヴィヤンドの二種類。


 魚は淡泊な白身魚で、柑橘類のあっさりとしたソースでエリザベスは難なく食べきることができた。

 けれど、肉料理はうさぎのもも肉にこってりとしたワインソースが添えられた物。

 見ただけでお腹いっぱいになる。

 公爵は食欲旺盛なようで、肉料理にナイフを入れて切り分けると、迷いなく口に運んで行く。

 そして、夢にでそうな言葉を述べた。


「――血の味がしないな」


 公爵の発言を聞いたエリザベスは、兔の首を撥ね、後ろ足を掴んで滴る血を豪快に啜る姿を想像し、ビクリと肩を揺らす。

 執事が、料理の感想に言葉を返した。


「旦那様、そちらの兔は家畜でございます」

「野兎の時季はまだか」

「あと一ヶ月はかかるかと」


 冬は野禽ジビエの血までも美味しくなる。

「冬兔の血をリエしたソースは最高だよ」――エリベスの父親もそんな話をしていたなと、幼い頃の記憶を蘇らせていた。

 公爵は、獣の生き血を啜りたいわけではなかったのだ。

 その姿があまりにも似合っていたために、恐怖を覚えただけで。


時季シーズンになれば、シルヴェスターに野兎狩りを命じておけ。あれは狩りの才能はある」

「承知いたしました。それで旦那様、次にお帰りになるのはいつくらいで?」

「外交は部下に押し付けた。そろそろゆっくり過ごそうと思っていてな」

「左様でございましたか」


 手にしていたナイフとフォークを落としそうになり、エリザベスはハッとなる。


 ――公爵が、ずっと屋敷に滞在するですって!?


 頭の中が真っ白になった。

 それから、どんな料理がでてきたか、記憶に残っていない。

 公爵の発言は、衝撃的な話だった。


 ◇◇◇


 深夜。

 時刻は日付が変わるような時間帯であった。

 寝間着姿のエリザベスは、窓の外を睨みつけている。

 屋敷へ入ってきた馬車を確認するや否や、上衣ガウン を着込み、扉の前に立って耳を澄ませる。


 遠くから話し声が聞こえた。

 途中、その声も聞こえなくなり、カツカツと早足で歩く音だけが迫ってくる。


 タイミングを計り、扉を開く。

 すると、エリザベスの部屋の前に、驚いた顔をしたシルヴェスターがいた。

 エリザベスは怒りの形相でタイを掴み、中へと引き入れる。


「え~っと、エリザベス、どうしたのかな?」

「しらばっくれないでいただけますか?」

「あ~、もしかして、父上のこと?」

「ええ、そうです」


 目線で長椅子に座るように示す。シルヴェスターは素直に従った。

 エリザベスも向かい合った位置に腰を下ろし、腕を組んで睨みつける。


「それで、どうなさいますの?」

「どうもこうも、予定通りだけど」

「はあ!?」


 シルヴェスターは父親のいる状態でも、エリザベスに身代わりを続け、また、本物のエリザベスが見つかっても見つからなくても半年後に修道院送りにすると、しれっとした表情で話す。


「今は婚約パーティ諸々で公爵家に注目が集まっている。修道院送りはできないよ」

「そもそも、エリザベス・オブライエン探しはどうなっていますの?」

「探偵に探らせているけれど、有力な情報は見つかっていない」


 シルヴェスターは父親の帰宅にまったく動揺をしていないようだった。

 その態度も、エリザベスは気に食わない。

 これ以上話すのも無駄だと思い、本題へと移る。


「公爵様がいる状態で身代わりなんて、無理ですわ」

「大丈夫だよ。父はほとんどリズと関わっていない。違いなんてわかるわけないさ」


 公爵が夕飯時、食事量について気付いたことを言えば、シルヴェスターも目を見張る。


「……なるほど」

「身代わりを続けることの危うさを、ご理解いただけまして?」

「そうだね」


 勘のいい公爵を騙し続けるのは無謀だと、エリザベスは言う。


「それに、使用人も気の毒ですわ。主人に内緒の秘密を共有させるなんて」

「エリザベスは優しいんだね」

「勘違いをなさらないでくださいませ。わたくしは、事実を述べているだけでしてよ」

「そうかな?」


 話が逸れたので、元に戻す。

 エリザベスの要求は今すぐ身代わり役を辞めること。

 妹の家出は正直に話をするように、勧める。


「それは難しい」

「わたくしも、身代わりを続けることは難しいですわ」

「だったら、支援金を増やそう」

「結構ですわ」

「頼むよ」

「お断りいたします」


 エリザベスは深い溜息を吐き、話にならないと立ち上がる。

 カーテンを広げれば、月が雲の隙間から顔を覗かせていた。

 満月なのか、眩い光を放っている。


 エリザベスはシルヴェスターに背を向けたまま、話しかける。


「あなたは、いったい何をなさりたいの?」

「もしかして、噂話・・を聞いたのかい?」


 エリザベスは返事もせずに、黙って月を見上げていた。


 さまざまな情報を整理するが、どうしてもわからない点が壁となる。

 一つ目は、何故、シルヴェスターが爵位を継がないのかということ。

 推測は口にしたくなかった。


「エリザベスが可愛らしくお願いをしてくれたら、教えてあげるよ」


 話にならない。エリザベスはそう思って振り返る。

 すると、いつもとは違う目付きをしたシルヴェスターと目が合った。


「今日はもう、休みましょう」

「噂の真相を、聞かなくても?」


 立ち上がってゆっくりと近づくシルヴェスター。

 エリザベスはぞわりと肌が粟立ち、一歩、後退したが、背後は窓である。


 視線を逸らすことはできない。逃げることも。

 できることは――


「こないで!」

「なぜ?」


 力を込めて拒絶の言葉を口にする。

 近付いて欲しくない理由は、シルヴェスターに恐怖を覚えたから、ということは言いたくない。

 彼女はどこまでも負けず嫌いであった。


 睨み上げても、まったく効果がない。

 それどころか、一気に距離を詰められ、腕を掴まれて近くへと引き寄せられてしまった。


「な、何をするの、このド変態!!」


 慌てて胸を押し戻そうとするが、力が強くビクともしない。抱きしめられる形となり、必死に抵抗するが力では叶わなかった。


「文官の癖に……!」


 この馬鹿力! と軽蔑の籠った声色で罵倒する。

 シルヴェスターは笑うどころか、意外な事実を話し始める。


「元々私は文官ではなくてね、数年前までコンラッド殿下の近衛兵をしていたんだ」

「なんですって!?」


 文武両道が公爵の教育方針だったと、エリザベスの耳元で語った。


「でも、どうして軍隊なんかに……」


 軍人になるのは、貴族の次男以下の子息がほとんどだ。命を懸けることもあるので、替えの効かない跡取りがする仕事ではない。


 シルヴェスターの体つきが、妙に鍛え上げられていたものであるわけをようやく理解することになった。


「そんなことよりも、放してくださらない?」


 依然として、シルヴェスターはエリザベスを抱きしめたままであった。

 押しても引いても動くことができないので、苛立ちが募る。


「悪いのはエリザベスだよ。こんな夜更けに、寝間着姿ででてくるなんて」

「上衣を着ているので、完璧な寝間着姿ではございません!」

「エリザベスは、そういう詰めが甘いところが、すっごく可愛いよね」

「なっ……! あなた、働き過ぎて、頭がおかしくなりましたの?」


 辛辣な言葉にも、ふっと笑うばかりで効果は欠片もなかった。


「信じられませんわ。嫌がらせか何か知りませんけれど、実の妹と同じ顔をした人間を抱きしめるなんて!! 一度、お顔を洗って出直してきたらいかが!?」


 その罵倒には反応を示す。

 エリザベスをゆっくりと離し、向かい合う形となった。

 そして、笑顔を浮かべながら言った。


「――リズと私は、本当の兄妹ではないんだよ」


 思いがけない暴露に、エリザベスは顔を強張らせた。

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