第4話時期公爵、シルヴェスター・オブライエン

 国立図書館は世界最大級の蔵書量を誇る。その数は五十万冊以上とも言われていた。

 館内は天井、本棚、机と、すべて白で統一されており、その美しさも有名である。

 エリザベスは王都の図書館に、子どもの頃から憧れていたのだ。

 当然ながら、中に入って読書をする時間などない。

 白亜の建物を一目見るだけでいいと思っていた。

 道順を聞いた騎士の説明だと、市場を通らないとたどり着けない。歩いていけないほど遠くはなかったが、人で混雑している場所に行けばドレスに皺ができるのだ。

 どうしようかと考える。けれど、逡巡も一瞬のうちであった。

 エリザベスはスカートを優雅に翻し、市場のほうへと進んで行った。


 踵の高い靴が足先を苦しめる。

 ドレスだって軽い物ではない。

 スカートにボリュームを出す、何層にも重なるパニエは歩行を困難にしてくれるのだ。


 エリザベスの志の中に、何かを諦めるという言葉はない。

 よって、歯を食いしばりながらも、彼女は国立図書館を目指していた。


 やっとのことで市場まで辿り着く。

 強い太陽の下、歩き回っていたからか、子どもの頃の記憶が蘇ってしまった。

 額の汗を鬱陶しく思い、ハンカチで拭う。


 幼いころから書斎ライブラリ の本が友達だったエリザベスにとって、太陽の光は天敵であった。

 父親は良かれと思って、引きこもってばかりの娘の手を引いて外に連れ出そうとした。幾度となく、「子どもは太陽の下で遊ぶのが一番だ」と言っていたが、実際日中に活動してみて、とんでもないことだと思う。

 強い陽の光は肌を焼き、汗だらけとなる。

 エリザベスはそれらを心底嫌がった。

 そんな彼女に、父は太陽の下で駆けまわって遊ぶことの楽しさを知らないだけだと言う。

 そんな時、いつも助けてくれたのは、一番上の兄アークであった。


 ――父上、リズが嫌がっていますよ。まったく、脳みそまで筋肉なんですか?


 アークも他の家族同様に小麦色の肌を持ち、誰よりも牧場を愛していたが、それを他人に押し付けることはしなかった。

 それどころか、本を読み、勉強ばかりしていた妹のことを凄いと認め、応援していた。

 寄宿学校の試験を受ける許可をもらう時も、兄から父親への口添えがなかったら叶わなかっただろう。


 今度は自分が兄を助ける番だと、エリザベスは考えていたのだ。


 王立図書館を一目見れば、満足する。王都に心残りはない。

 けれど、その前に困難の壁が立ち憚る。

 市場のセールの時間が始まってしまったのだ。

 そうとは知らないエリザベスは、押し寄せる人並みに瞠目する。

 なんとか抜け出そうとしても、自由が利かない。

 やっとのことで人混みから抜け出したものの、セリーヌからもらったドレスは皺だらけ、綺麗に結った髪も乱れていた。

 はあと、怒りを含んだ溜息を吐く。

 行き場のない感情は、向ける場所がなかった。

 時計はお昼過ぎ。

 そろそろ帰らないと、騒ぎとなってしまう。

 エリザベスは帰宅をしようと、迷わず踵を返した。

 憧れの国立図書館は目の前だったが、時間通りに帰宅をすることを優先させたのだ。

 これは諦めではなく、大人としての礼儀だと思いながら。


 セールが終わった商店街は、あっという間に閑散とする。

 いったいどういうことだと、不機嫌になるエリザベス。


 早く帰ってお風呂に入って、今日買ったチョコレートを食べながら過ごそう。

 そんなことを考えている折に、背後より呼び止められる。


「リズ!」


 家族しか呼ぶはずのない愛称が聞こえ、エリザベスは振り返る。

 すると、ずんずんと接近してくる男に、腕を取られた。

 その人物は驚くほど整った顔立ちをしている。

 毛先に癖のある金色の髪に、翡翠のような切れ長の目、すっと通った鼻筋に、薄い唇。

 エリザベスの顔を見て、酷く安堵をしたような表情を浮かべていた。


 時計塔の鐘が鳴り、ハッと我に返る。

 一瞬でも人の顔に見とれてしまった自らを、エリザベスは恥じた。

 そして、一刻も早く帰宅をするために、目の前の人違い男にも制裁を下す。


 手っ取り早く、相手の頬を思いっきり叩(はた)いた。

 見目麗しい男の目が、驚きで見開かれる。

 そして、出てきた言葉が、「どうして……?」の一言だった。

 そんなの、エリザベスだって聞きたいと思う。

 たたみかけるように、人違いである旨を強く主張した。


 これで終了かと思いきや、相手は引かなかった。

 舌の根も乾かぬ内に問いかける。「君はリズ、エリザベスだろう?」と。

 一瞬、寄宿学校時代の知り合いかと記憶を掘り起こした。

 が、このような派手な容姿を持つ男の知り合いはいない。

 それに、十は年上に見えた。

 学園内のどこかですれ違っていることも、あり得ないと考える。


 自分の知らない相手に名前を知られるなど、恐怖でしかない。

 一応、自分はエリザベスであるが、相手の男のことは知らないと、はっきり告げた。

 そんな彼女に対し、男は記憶喪失ではないのかと指摘した。

 エリザベスはありふれた名前である。それと愛称が一致したというだけで人違いをした上に、記憶喪失扱いなどと失礼にもほどがあると、静かに憤る。

 けれど、相手は諦めていなかった。


 ――この人は何をおっしゃっていますの?


 侮蔑を込めた視線を向けながら思う。

 この時、互いに同じ言葉を脳内に浮かべていたとは、知る由もなく。


 時間が勿体ないと踵を返そうとしたその時――相手の男は驚きの行動にでる。

 この場から去ろうとしていたエリザベスの体を掬うかのように持ち上げ、横抱き――通称お姫様抱っこにしたのだ。 


 見目麗しい男は人さらいだった。

 エリザベスは必死に抵抗するも、びくともしない。

 すらりと背が高く、細身に見えていたが、鍛えているのか体は硬く、締まっていた。

 人さらいだ、助けてと叫んでも、周囲の者達は誰も動かない。

 男の「妹なんです」という言い訳を信じ、国民を守る立場である騎士すらも苦笑いで見送るばかりであった。

 途中、馬車に押し詰められたが、車内で抵抗する元気など、残っていなかった。

 牧場仕事を手伝っていれば、この場で男を殴り倒す力があっただろうかと考える。

 男は窓の外を眺め、エリザベスをいない者のように扱う。

 妹に勘違いされているのはわかったが、家族を見間違えるだろうかと疑問に思った。

 そうこうしているうちに、目的地へとたどり着く。

 エリザベスにとっては、来たくもない場所であったが。


 馬車から降り、目の前に広がる広大な庭と、立派な邸宅を見て驚くことになった。

 エリザベスの実家よりも規模が大きかったからだ。

 王都の裏通りにある娼館ではなくて安堵したが、まだ安心はできない。

 もしもの時は、隠し持っているナイフでどうにかしようと、作戦を立てていく。

 幸い、彼女は人体の急所について、よく知っていたのだ。


 再び対峙することになるかと思いきや、男は執事に何かを命じていなくなる。

 エリザベスは執事から、衣裳部屋に案内された。


 部屋で待ち構えていたのは、数名の侍女。

 執事はパーティに間に合うよう、身支度を始めて欲しいと言っていなくなる。


 エリザベスはジロリと、目の前の侍女達を睨みつけた。

 そして、怯えた様子を見せる侍女達に話しかける。自分は、この家のエリザベスではない、と。


 ◇◇◇


 こんなことがありえるのかと、エリザベスは瞠目することになった。

 数か月前、お見合い用にと書かれたエリザベス・オブライアンの姿絵と、エリザベスは瓜二つだったのだ。

 名前も、顔も、身長も、年齢すらも同じだということは、あり得るのかと、いまだ信じがたい気持ちでいる。


 勘違いをするのも仕方がないだろうとも思った。


 幸いなことに、侍女達には別人であると証明できた。

 一つ目は、つむじの向きが逆だったということ。

 二つ目は、胸の大きさ。


 母親や他の姉妹は胸の育ちがよかったが、何故かエリザベスだけ、慎ましい胸の大きさだったのだ。

 姉妹は「エリザベスの胸の栄養は、すべて頭に行ってしまったのよ。気にすることないわ」と励ましてくれる。

 まったくもって余計な気遣いであった。


 一方で、本物のエリザベスは豊満な胸の持ち主だったらしい。

 服が合わないという点で、別人であることが確定したのだ。


 さらに驚いたことは、ここが大貴族、オブライアン公爵家だということ。

 エリザベスを無理矢理ここまで連れてきた美貌の男は、次期公爵ということになる。

 妹がいなくなって焦っていた表情などを思い出し、ざまあみろと思った。

 本物の妹は、きっと遠くへ行ってしまい、二度と戻らないだろう。

 そう思えば、エリザベスの心も僅かに晴れる。


 このまま帰りたかったけれど、取り囲む使用人達が許してくれなかった。

 侍女達がエリザベスを別人だと説明するのと引き換えに、次期公爵――シルヴェスターを待つ。


 文句を言うだけ言って帰ろうと思っていたエリザベスに、まさかの事態が降りかかってくることをこの時の彼女は夢にも思っていなかった。

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