第3話令嬢エリザベスの、こじらせ人生

 エリザベス・マギニスは、一族――否、貴族令嬢としても、大変な変わり者の娘である。


 マギニス家の者達は自然豊かな環境の中で育ち、当り前のように牧場を愛するようになる。

 牛や馬の世話などは朝飯前。

 立派な田舎屋敷カントリーハウス を所有している歴史ある名家であったが、陽に焼けた健康的な肌を持ち、貴族らしかならぬ恰好で働くことを当たり前とする一面もあった。


 一方で、エリザベスは牧場仕事には一切の興味を持たず、屋敷の書斎ライブラリ に引きこもって曾祖叔母そうそしょくぼ が集めた書物を読み漁る日々を過ごしていた。


 エリザベスの曾祖叔母、マリアンナは才色兼備で、珍しい女性の文官だった。

 十年間軍属の文官として国に貢献し、三十になった翌年に大貴族へと嫁いでいった。


 マリアンナは一族の自慢でもあった。

 父親が絵本代わりに枕元で語ってくれた、マリアンナの話は両手では数え切れないほど。


 エリザベスはしだいに、屋敷にあるマリアンナの肖像画を眺めながら、彼女のような文官になりたいと考えるようになる。

 だがしかし、父親は娘に平凡な人生を歩んで欲しいと、文官への道を反対した。

 当時の彼女は七歳。子どもの軽い夢語りだと思っていたのだ。

 しかしながら、娘の決意を軽く受け流す父ではなかった。

 幼いエリザベスに、頭を下げて乞う。

 大きくなったら、牧場の仕事を助けてほしいと。

 その願いを、エリザベスは受け入れた――斜め上の方向に。


 その後も、エリザベスが牧場の手伝いをすることはなかった。

 部屋で小難しい本ばかり読んでいる。

 八歳になれば、父親に頼み込んで家庭教師をつけてもらうことになった。

 そんな中で、良からぬ噂も流れてくる。

 小麦色の肌に、濃い金髪という家族の中で、白磁のような肌と、絹のような金髪を持つエリザベスのことを、拾われっ子と陰で呼ぶ者がいたのだ。

 直接本人の耳に入るも、まったく気にしていない。

 そんなことよりも、大事なことをやっていたからだった。

 それは、寄宿学校の入学試験。

 寄宿学校は貴族の子息が通う場所である。当然ながら、女性の入学など許されるわけがない。

 エリザベスは学園長に小論文を送りつけ、試験を受ける資格を手にしたあと、主席合格を果たしたのだ。


 当然ながら、話を聞いた父親は仰天。

 試験前に許可証にサインをしたものの、娘が合格をすると思っていなかったのだ。


 父親はエリザベスを止めた。

 男ばかりの学園で、上手くやっていけるはずがないと。

 だが、エリザベスの願いを聞いて、考えを改めることになる。


 彼女は経営学を学び、牧場の手助けをしたいと主張したのだ。


 エリザベスの細腕では、牧場仕事などできないだろうと考えていた父親は、深い感銘を受けた。それならば、と彼女の進学を許してしまう。


 母親はただ一人、生粋のご令嬢のように育った娘を心配し、学園生活を送る中で、男装などをしたほうがいいのではと勧めた。

 けれど、エリザベスは頷かない。

 学校が指定した、女生徒用の制服に袖を通し、数年間を過ごす。

 綺麗な娘だから男子生徒が放っておかないのではという、両親の心配は杞憂に終わった。

 エリザベスは大変気が強く、負けず嫌い。

 異性がつけ入る隙というものを、まったく見せなかったのだ。


 そんな学生生活も長くは続かなかった。

 飛び級をして、十六歳で成績優秀という評価と共に卒業する。

 ちょうど社交界デビューの年でもあったが、美しく育ったエリザベスを、両親は王都の夜会へ送りだすことはなかった。

 なぜならば、婚約者が決まっていたからだ。


 アントニー・コルケット

 マギニス家と取引をする大商人の次男で、年は二十一歳。

 性格は温厚で、大人しい青年であった。


 結婚をした暁には、エリザベスとアントニーにチーズ工房のすべてを任せようと父は考えていた。

 エリザベスも、父親より信用を得て、任されたと思い、使命感に燃える。

 けれど、問題が生じてしまった。


 アントニーとエリザベスは、結婚前であったが経営方針の話し合いを繰り返していた。

 その中で、どうしようもない価値観の違いが生じてしまったのだ。


 本来のやり方で堅実な経営を行いたいアントニーと、新しいやり方で改革を目指したいエリザベス。

 どちらも引かなかった。


 結局、婚約は破談となる。

 申し出はアントニー側からだった。


 男性側から婚約破棄されたエリザベスは、田舎町の社交場での話題を独占してしまう。

 当然ながら、手が付けられない女だという悪評である。

 父親は一生懸命結婚相手を探したが、気が強く、折れることを知らないエリザベスを妻にと、思う猛者はどこにもいなかったのだ。


 このままではいけないと思ったエリザベスの父は、娘を花嫁修業にだすことを決意する。

 王都に住む、三つ年下の妹の元に預けることに決めたのだ。


 それは、エリザベスにとって面白くない事態だったが、自らの行いのせいで、家族までも後ろ指をさされる事態になっていることは、よく理解していた。

 【人の噂も七十五日】という異国の言葉もある。

 そう思って、渋々と花嫁修業という名の行儀見習いをするために、王都の叔母を訪ねることになった。


 父親の妹――叔母セリーヌ・ブライトンは大変厳しい人だった。

 まず、外出を禁じた。それから、学歴を語ることも。

 勉強だけに身を捧げてきたエリザベスは、貴族としての振る舞いや決まりごとの壁に直面し、悪戦苦闘をすることになる。


 王都の郊外に屋敷を構えるブライトン伯爵家に嫁いだセリーヌは、エリザベスを侍女として従え、少しでも生意気な態度を取れば、迷わず頬を打つ。


 嫌になったら実家に帰ればいいという、セリーヌの挑発とも言える言葉に、エリザベスが従うことは一度もなかった。

 彼女はどうしようもないほどに、負けず嫌いだったのだ。


 大変な毎日だった。

 叔母に打たれた頬を冷やす夜も、少なくなかった。

 けれど、悪いことだけではなかったのだ。

 エリザベスに、はじめての友達ができた。

 コルネットという、同じく行儀見習いで働いていた、男爵家の令嬢である。

 おっとりとしたコルネットと、気が強いエリザベスは、不思議と気が合ったのだった。


 それから二年、めげることなく働き続けた。


 使用人という身分でありながら、誰よりも気位が高いエリザベスを密かに気に入ったセリーヌは、常に傍に置いていた。


 二年間の行儀見習いの結果、エリザベスはどこにだしても恥ずかしくない、貴族令嬢になったのだ。

 多少、気の強さも矯正できたが、残念なことに根は変わらない。

 今も深い緑色の目は、曲がらない強い意志の光を放っていた。

 お見合いをして、良い結婚相手が見つかればいいと、姪である娘をセリーヌは心配する。

 けれど、この二年でエリザベスは実に美しい娘に育った。放っておかれるわけがないと確信していた。


 しだいに、姪に田舎暮らしは合わないだろうと思い、セリーヌは兄の許可を得て、結婚相手を探すようになった。


 だがしかし、そんな中で、不幸な出来事が起こる。

 エリザベスの故郷が嵐に襲われ、大変な被害をだしたというのだ。

 彼女は即座に、家族の元へと帰ることを決意する。

 そのことを周囲は止めたが、牧場は現在猫の手でも借りたい事態である。

 名残惜しいと思いつつも、笑顔で見送ることに決めた。


 最後に、二年間一生懸命頑張ったエリザベスに、セリーヌはご褒美を与える。

 それは、流行りのドレスと、王都の街を散策してもいいという許可だった。

 一度も外出を許されず、二年間買い物は出入りの商人から済ませていたエリザベスは、叔母からの贈り物に驚くことになった。


 戸惑いつつも、もらったドレスに身を包み、コルネットと付添人を引き連れ、街で買い物を楽しんだ。


 流行りのアクセサリーを見て、喫茶店でお茶を楽しみ、賑やかな商店街を散策する。


 コルネットと付添人とは、お昼前に馬車乗り場で別れた。

 このまま帰れば、永遠に王都に足を踏み入れることもないだろうと、エリザベスは思う。


 最後に、王立の図書館を一目見たいと思った。

 近くを通りかかった騎士に所在を聞く。

 親切な騎士はそこまで送っていこうかと提案をしたが、エリザベスはすげなく断る。

 自分の足で、図書館がある場所まで向かうことができる自信があったのだ。


 この時、自らの選択が間違いだったとは、知る由もなく――

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