第2話二人のエリザベス

 シルヴェスターは仕事を切り上げ、信じがたい気持ちでエリザベスの待つ部屋へと急ぐ。

 普段は絶対に近づかない妹の衣装部屋へと、足を踏み入れる。


「――ごきげんよう、人さらいの御方」


 エリザベスは一人掛けの椅子に座り、腕を組んでシルヴェスターを待ち構えていた。そして、棘のある言葉で出迎える。

 その姿を見て、戸惑いを覚えた。

 何故ならば、別人だと言われても、妹エリザベスにしか見えないからだ。


 婚約パーティのための身支度は当然ながら整っていない。

 連れて来た時と同じ、若草色のドレスを纏っていた。

 その姿は全体的に、洗練されていて、王都育ちのご令嬢といったところだ。

 こんなにもエリザベスに似ていたら、社交界でも噂になっていたはずなのに、今までそんな話を聞いたこともなかった。

 おかしな話だと思う。

 シルヴェスターは改めて、侍女に問いかけた。


「彼女は、本当にリズ……妹ではないと?」

「え、ええ、そのように、おっしゃっておりまして」


 もう一度、姿を確認する。ジロリと、睨みつけられた。


「確かに、リズはあのような目を私に向けない。……家族に興味がないからね」


 ならば、記憶喪失なのでは? という疑惑が一番に思い浮かぶ。

 だがそれも、世話役の侍女が否定した。


「エリザベスお嬢様と、こちらのお嬢様は、決定的に違う部分がございました」

「ん?」

「えっと……」


 エリザベスの顔色を窺うように一瞥していたが、ぴしゃりと、高圧的な一言を述べる。


「言うのは一つだけになさい。最初に見つけた方を」

「あ、はい、申し訳ありません、そ、そのように」


 すっかり怯えきっている様子の侍女は、シルヴェスターに説明をする。彼女がエリザベスであり、エリザベスではない理由を。


「こちらのお嬢様は、つむじの向きがエリザベスお嬢様とは逆になっております」

「それは、本当か」

「はい。毎日、エリザベスお嬢様の御髪を整えていたので、間違いありません」

「そんな……」


 こんなことがあるのかと、いまだ信じられない気持ちでいるシルヴェスター。

 もう一度、エリザベスの姿を見る。

 吊り上がった緑色の瞳は強い光彩を放ちながら、シルヴェスターの姿を捉えていた。

 そこで、やっと確信する。

 彼女は妹、エリザベスではないと。

 彼の妹は猫のような娘だった。気まぐれで、自由。貴族と言う しがらみを軽々と飛び越えていく、奔放な娘。

 一方、目の前のエリザベスは虎を思わせるような、したたか かさを感じた。

 やっとのことで、別人だと判断する。


 シルヴェスターはすぐさま自らの行いを反省し、謝罪をした。


「謝って済むような問題ですの?」

「いや、それは――」

「なんて、あなたとこのように話をしている時間も、無駄ですわ」


 エリザベスは冷ややかな視線をシルヴェスターに向けながら、立ち上がる。


「あの、君、家名は――」

「名乗るほどの者ではございません」


 つれない態度であったが、なんとか頼み込んで出身と家名を聞きだすことに成功した。


「マギニス家の、ご令嬢……」


 エリザベスの家名は聞いたことがあった。

 東部にある、広大な牧場を持つ一族である。

 さらに、記憶を掘り起こす。

 何代か前に、後妻としてマギニス家の女性が嫁いできたような、きていないような。

 どうにも曖昧な情報だった。


「もしかしたら、私達は、遠い親戚かもしれない」


 そうだとすれば、二人のエリザベスが似ているわけが説明できる。

 だが、目の前のエリザベスは興味がなかったようで、振られた話題を無視。早くここから出て行こうと、話をたたみかける。


「お話は以上かしら? わたくし、忙しいの」


 立ち上がってドレスの皺を伸ばしつつ、シルヴェスターに問いかける。

 返事や反応はないので、彼女はこれで終わりだと、決めつけた。


「それでは、ごきげんよう。二度と会うことはないでしょうから、永遠にさようなら」


 つかつかと、早足で扉へと向かうエリザベス。

 そんな彼女の腕を、シルヴェスターは掴んで引き止めた。


「なんですの?」


 心底軽蔑しているような、強い視線を向ける。

 けれど、シルヴェスターは家のため、再び頭を下げることになった。


「お願いがあるんだが――」

「お断りをいたします」


 まだ詳細を言っていないのにもかかわらず、すがすがしいほどに即答だった。

 エリザベスは力いっぱい腕を引き、掴まれた手を振り払う。


「離しなさい、この人さらい!」

「本当にすまないと思っている。あと、少しだけ話を」

「話すことは何もなくってよ」

「取引をしよう。悪い話ではないはずだ」


 シルヴェスターはごくごく冷静な口ぶりで、話を始める。


「君の実家――マギニス家は今、困った状況になっているだろう? もしも、こちらの願いをかなえてくれるのであれば、公爵家が支援をしようではないか」


 シルヴェスターの言葉に、ハッと息を呑むエリザベス。

 彼女の家は、困った状況に追い込まれていた。


 それは三カ月前に起こった嵐が原因だった。

 激しい雨と風は三日三晩続き、牧場に甚大な被害をもたらす。

 家畜の餌となる牧草は雨に濡れ、ほとんどが使えない状態となり、風の影響で飼育舎などが崩壊し、逃げ出した羊や牛などは数え切れない。

 周辺の森の木々も土砂で折れ、その一部は牧場にも流れ込んできた。

 その勢いは、従業員の休憩小屋をまるのまま呑み込んでしまうほど。

 被害をあげればキリがなかった。

 現在、復旧のメドは立っておらず、負債ばかりが積み重なっていく状況であった。


「どうだろうか? 復興とまでは言わないが、それに近い形になるまで支援をしよう」


 シルヴェスターの問いかけを聞き、我に返るエリザベス。

 彼女にとって、実家を救済する夢のような話であったが――


「簡単に言ってくれますわ」


 そう言って、戦いを挑むかのような目でシルヴェスターを睨みつけた。

 牧場の復興までには気が遠くなるほどの時間と、莫大なお金がかかる。

 手を貸すなど、酔狂の他ない。エリザベスははっきりと言い放った。


「そもそも、願いとはなんですの?」

「駆け落ちをして出て行った妹の身代わりを、して欲しい」

「……」


 エリザベスはそれとなく願いは想像できていたのか、そこまで驚いた素振りを見せなかった。

 依然として、親の仇を見るような目でシルヴェスターの姿を捉えている。


「レントン、小切手の用意を」

「かしこまりました」


 レントンと呼ばれた執事はすぐさまペンとインク、小切手の準備をする。

 シルヴェスターはその場でさらさらと、とりあえず必要であろう金額を書き綴った。


「前金だ。これだけあれば、復興も進むだろう」

「!?」


 それは、身代わりの報酬としてはありえない金額だった。


「これは、何故――?」

「マギニス家の牧場のバターは絶品だからね。この先味わえなくなるのは惜しい」

「はあ!?」


 たかが、公爵令嬢エリザベスの身代わり役をするには高すぎる報酬。

 マギニス家特製のバターはさまざまな地域にファンがいるほど有名だ。

 しかし、シルヴェスター自身も好きだからという理由だけで、あれだけの金額を出すのは怪しい。

 裏があるのではと、エリザベスは指摘をする。


「裏と言うか、これ以上我が家の悪評を広げないためというか」

「本物のエリザベスの、使用人との、駆け落ちが公爵家の汚点になると?」

「そうだね。ちなみに、これからご実家に帰るつもりだった?」

「ええ――」


 現状、エリザベスが家に帰っても、できることは多くない。

 支援の手を求めるのも、対策を考えるのも、当主である父親の仕事だった。

 兄や姉と結婚した義兄も数人いる。わざわざ出る幕など、欠片もない。


「今帰って、君にできることと言えば、金持ちと結婚するくらいだろうね。けれど、すぐに相手が見つかるだろうか?」


 エリザベスは誰もが振り返るような美しい娘である。

 けれど、だからと言って、落ち目となった貴族の娘を妻として迎え入れようとする酔狂な成金はいないだろうと、シルヴェスターは指摘した。


「そういうわけだろうから、私との取引は、君にも大きな旨味がある。どうだろうか?」


 にっこりと微笑むシルヴェスター。

 一方のエリザベスは、苦虫を食い潰したような、渋面を浮かべていた。

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