胸の奥の棚 亀山駅今昔話

石宮鏡太郎

亀山駅今昔語

 名古屋なごやから亀山かめやまへ帰る電車で、隣に座った人はずいぶんと酔っていた。

 もう終電に近いので夜もずいぶんとけている。窓の外には町明かりが闇に浮かぶ星のようだ。

 今にも寝そうな隣の人は、私が大丈夫ですかと声をかけるとたちまちただずまいをただして、いやあ飲みぎるのは良くないねと笑った。今夜は自身の定年退職による送別会があったそうで、普段よりも多く飲んだそうだ。口調ははっきりしているが濃くきざまれたしわが印象的で、歳は六十ということになるだろうか。それで、これからは再雇用でもう一度働くのだという。

 まだ定年なんて遠い未来の話で現実味がなく、よく働きますねと相槌あいづちを打つ私に彼は言った。

「わたしは西の出身でね。愛知県には就職のために出てきたんですよ。集団就職って知ってますか、昔はそれが普通でしたから。今からじゃ考えられないくらい酷い扱いをされてきましたよ。ええ、人なんていくら捨ててもいくらでも居ましたからね。それでも負けるもんかってね、がむしゃらにやってるうちにこの歳ですよ。いやこんな話は若い人にはつまらないかな。そうそう、若いときは名古屋の市内に居たんですけど今は弥富やとみに住んでまして。弥富、知ってますか」

「知っていますよ。昔働いていた場所が近かったので」

 私が土地の話に興味を持ったなと思ったようで、隣の彼は私の住む場所について訪ねた。隠すことでもないので亀山だと教えると、彼は懐かしいと破顔はがんした。

「大きかったなあ亀山駅。今はずいぶんと小さくなったそうですが。昔、電車の窓から眺めたときはね、ああ大きいなあと思ったものですよ。そのときがちょうど、さっき言いました集団就職のために田舎から出てきたときでね。みんな疲れて寝てまして、そんなとき途中で停車していたのが亀山駅です。こんな大きな駅があるんだと思ったものでした。若かりし頃の思い出ですよ、ほんと懐かしい」

 亀山市の市役所周辺は東海道五十三次に出てくる四十六番目の宿場であり、宿場町として栄えていた。しかし明治になって鉄道が普及し始めた頃に亀山駅ができたことから鉄道の町として栄えるようになったそうで、当時の駅の大きさを知る人はこぞって大きかったと言う。もっとも、小さな亀山駅しか知らない世代にはおとぎ話と変わらない話題でもある。

「今の亀山も観てみるのはどうですか。きっと色々変わってますよ」

「今ですか。うぅーん」

 うんうんと少し考え込んで、彼は困ったようにはにかんだ。

「やめておきますよ。いやなにこの歳になるとね、良かった思い出ばかり大事にしちゃってね。胸の奥にある思い出のコレクションにほこりとかかけたくなくってね。自分でもう一度しっかり見ても、ああこんなもんだったのかと落胆したくなくって、もう二度と見なくなってしまう。胸の奥の棚にかぎをかけてしまうんだね」

 歳を取るのは嫌ですねえと笑うけれど、私には彼の心が見た目ほど老いてはいないように思えた。これからもまだ色々な場所へ行けるだろうし、胸の奥の棚にかけた鍵というのも外したっていいんじゃないかと思う。

「また機会があれば亀山に寄ってくださいよ。昔は知りませんが。今は関町せきちょう合併がっぺいした関係で関宿せきじゅくも亀山ですし、旧東海道でウォーキングをしてる人も結構いますからね」

「うん、ありがとう」

 お礼で話が途切れて少し沈黙があった後、いつの間にか隣からは寝息が漏れていた。弥富駅に着いたところで起こして別れ、一人で窓の外を眺めていると町の明かりはやがて少なくなりのどかな風景に変わる。窓から眺める夜は過去の景色とどう違うのだろうか。それとも同じなのだろうか。ただ、変わらないことはあると思えた。一人の年寄りが若かった頃も、今も、町の明かりを風景にして電車は走っている。明るい日差しの下を、夜の闇の中を。


 その年の秋、私は亀山駅のもよおものである亀山”駅”サイティングミニ祭りのために亀山駅へ来ていた。

 駅前のロータリーでは特設ステージが組まれて誰かが歌っている。観客席はどこからか持ってこられたパイプ椅子で、秋にしては暖かな日差しに座ったままうとうとと眠る人もいる。歌手にはご愁傷様しゅうしょうさまだが、のどかで平和な一日がそこにある。

 駅内部では車両展示があり、県外から来たと思われる大量の親子連れが古い列車に入って喜んでいる。ロータリーにある商店では戦後の写真や国鉄時代の写真の展示があり、その中にはいつか聞いた言葉である『大きかった亀山駅』の写真もある。駅舎から周囲に広がる線路だらけの風景は合算すると一キロ以上にもなり職員は数百人いたという。現在の駅員数人の手狭な姿とは似ても似つかない。なるほど今の姿を見てがっかりしたくない気持ちも分かる気がした。

 ただ、今も昔を懐かしんでは写真を展示する人もいるように、思い出というものは胸にしまっておくにはいささか大きすぎるものなのだ。あの日の夜、隣に座った彼の胸の奥から思い出が転がり出てきたとき、きっとまたこの場所を覗いて欲しいと願ってやまない。

 そのとき私たちは十年来の友人のように話すに違いない。今と昔の亀山の話を。

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