金沢ひがし茶屋街外れの町家

沢田和早

私の中の町家

 私は学生時代、北陸の小京都金沢で下宿生活を送っていた。見知らぬ街で初めての一人暮らし。その住処として選んだのは、ひがし茶屋街の外れにある古ぼけた三階建ての町家だった。


 正確には下宿ではなく間借りである。一般の民家にある部屋を借りてそこに住まわせてもらうのだ。一階は大家である老夫婦の住まい。二階には三部屋あって二人の学生が住み、三階は二部屋あって一人の学生が住んでいた。


 私は空いている二階の部屋に住むことになった。安かったのだ。家賃は月五千円。五枚の畳が一列になって横に並んでいる広い廊下のような間取り。天井からぶら下がっているのは裸電球。南側にひとつだけある窓を開ければ、隣家の壁が手の届くほど間近に迫っている。安さも納得の部屋である。


 各部屋には電気のメーターが付いていて、毎月自分で数値を読み取って計算し家賃と共に払う。基本料金は不要なのでかなり安く済ませられる。

 二階には共同の台所があり、硬貨を入れると数十分だけ使えるガスコンロが備わっていた。しかしこのコンロで料理をする学生はほとんどいなかった。せいぜいカップ麺の湯を沸かす程度である。


 トイレ、洗濯機は共同で一階にある。風呂はないので近くの銭湯へ行く。

 部屋の戸は引き戸で掛金が付いている。ここに自分で用意した南京錠を掛けて外出するのだが、ドライバー一本あれば一分もかからずねじを外して開けられるのであまり意味はない。


 困るのは家の鍵を持たされていないことだ。大家が玄関の戸に鍵を掛けて寝てしまうと入れなくなるのである。そんな時は外で叫んで大家か、あるいは部屋にいる学生に開けてもらわなくてはならない。しかしそんな行動に出る学生は皆無だった。遅くなれば友人のアパートにでも転がり込んで帰って来なかったからだ。


 夢と希望に溢れた私の一人暮らしが始まった。しかし日が経つにつれ、安い部屋を選択した自分の愚かさを嫌というほど思い知らされた。


 春、真正面にある宇多須神社の桜が散って、窓の外に干した洗濯物に貼り付くのはまだカワイイものだった。

 夏、風がほとんど入らない部屋は、座っているだけで汗が噴き出る暑さだった。枕元に水の入ったヤカンを置き、団扇で顔をあおぎながら汗だらけになって眠るしかなかった。


 ようやく暑さが和らいだと思ったら、秋は駆け足で通り過ぎ、雪が降り続く長い冬がやって来る。部屋の窓はサッシではなく木枠。雪の日に強い風が吹くと、細かい雪が部屋の中に吹き込んでくる。唯一の暖房器具であるコタツに体を埋めながら、ひたすら寒さを我慢するしかなかった。


 そんな辛い冬にも楽しみはあった。銭湯へ行くことだ。それは当時の私の数少ない道楽のひとつだった。ひがし茶屋街にある東湯に私はほぼ毎晩通っていた。

 

 紅殻格子が美しい二階建ての町家が整然と並ぶ通り。そこを歩いていると、時折、三味線の音や芸妓の笑い声が聞こえてくる。私の妄想を掻き立てるにはそれらのさざめきだけで十分だった。

 貧乏学生には決して入り込めない世界。これほど身近にありながら果てしなく縁遠い空間。他愛もない幻想を抱きながら茶屋街を抜けた私は、再び見すぼらしい自分の部屋に戻り、同時に自分の現実へ戻るのである。


 こうして私の学生生活は過ぎていき、やがて終わりを告げることになった。この土地を去る日、私は改めて町家を見上げた。ひがし茶屋街の町家に比べればあまりにも貧相な姿。そろそろ建物としての使命を終えてもいいんじゃないのかい、そう言って私は町家と別れた。


 * * *


 そのニュースを知ったのはネットの情報サイトだった。今年の十月、あるタレントが金沢にカフェをオープンさせたのだ。その写真を見て驚いた。カフェを開いた建物は私が学生時代を過ごした町家だったからである。


 写真の中の町家はもう全く別の建物だった。玄関前にあった錆だらけの鉄柵や、外壁を覆っていた金属の波板は取り除かれ、渋く暗めの紅殻色に統一されている。ひがし茶屋街の町家と遜色ない姿に変わっていた。


 建物内部の様子も同様だった。二階の部屋の仕切りは取り除かれ、広い座敷になっている。裸電球の下、コタツに足を突っ込んで古本屋で手に入れた本を読んでいた私の空間は、明るい照明と趣味の良い調度品を備えた、小洒落た料亭のような空間へと変貌していた。

 そしてそれはまさに、ひがし茶屋街を歩いていた私が妄想した空間そのものだった。最も縁遠いと思っていた空間が、かつて私の最も身近にあった空間に、今、存在しているのである。時の流れの不思議さを感じずにはいられなかった。


 私の住んだ町家は終わらなかった。下宿屋としての役目は、このカフェが始まる前には終わっていただろう。しかし建物としての役目は終わってはいなかった。

 私が生まれるずっと以前から、そして恐らくは私が世を去った後もずっと、様々な役目を人から与えられ、姿を変え、名を変え、持ち主を変え、この町家は残り続けるに違いない。たとえ形がなくなったとしても、そこを訪れた人々の中に残り続けるのだ。

 私の目には今も尚、古ぼけて暑くて寒い、見すぼらしい姿の町家が見えている。それは現実の町家とは関係なく、私の中にある私だけの町家なのだ。

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