すれ違う人々。

今回はちょっと真面目なトーンの話で恐縮です。

昔、三島由紀夫が、自分の日記に

「ビロウな話で恐縮だが」と書いたような感じで恐縮です。


クソ真面目ではないですけど。

ちょっと、あーそーかー、と気づいたので。

ていうか、ちょっと、いいことに気づいちゃった的な。

そんないいことでもないんですけど、

自分的には、ああそうかー、そうなんだーと気づいてしまったというか。

日々気づきますよね。

特に秋口はやばい、気付く気付く。

心がmellowになってるのかしらんw


そんな秋口のある日、ていうか3日前なんですけど、

仕事の準備などしながら、明日誰と仕事で会うんだっけ?

なんて思ったわけです。

aとbとcとd、eか。ふーん。

あ、俺の今日会う人って、昨日と同じかw

a,b,c,deて、そうだよな、今の仕事って、このメンツだもん、

ああ、そうかそうか、

え、ちょっと待てよ。これって、一昨日も同じだし、

たぶん一週間前も同じだぞ、考えてみれば、

俺ここんとこずーーっと同じ人に会いに会社行ってるじゃん!

って思ってしまった訳です。

でも、あたりまえなんですよね、これ。

結構、毎日同じ人に会ってますよね、特殊な仕事じゃない限り、

いわゆる普通の勤め人って。

だって基本、移動や、転職とかしない限り、会社の人って同じだし、

同じじゃなきゃ結構困るし、得意先とか取引先とかの担当者も同じだし、

同じじゃなきゃ面倒臭いし、基本なんかローテーションで、

たまにローテーションの一部が変わり、歓送迎会とかあるけど、

同じ人に会う日々、それが勤め人じゃないですか?

でも、なんで、そんなに、うわっーー、俺毎日同じ人会ってるーー

世界せまーい的な病み方しないんだろうって思ったわけですよ。

たぶん、他の誰か違う人々に会ってることで、そんな感じが癒されてるんじゃないか?

それは誰?

それって、毎日すれ違ってる人なんじゃないか?

駅とか、道路とか、ビルとか、公衆トイレとか、店とか、店のトイレとか、、トイレ多い、

でも、そういうことなんじゃないかと。

日々実は、同じ人と会うローテーションの中に生きているのに、

なぜか疲弊せずに生きていられるのは、

日々そういう無名の知らない人にすれ違っているからじゃないかと、

そういう演出効果というか、

効果効能が「すれ違う人々」にはあるのじゃないか?と。

だから、もしかしたら、寂しさに敏感な人ほど、都会に惹かれるのでは?

都会はすれ違う人々履いて捨てるほどいるし、飽きないし、

例えば田舎だったら、きつい。

同じ人と会うローテーションの中で

「すれ違う人々」の数が圧倒的に少ない。

すれ違うの車だったりするし、

モール行くとか?店も同じだったりするし・・。

毎日車で職場行って、得意先行って、

ローテーションがものすごく色濃く自分に立ち浮かんでくる・・これってきついなぁ・・。

僕は割と、地方都市とか、片田舎とか、

周辺都市とか好きなんですけど(出身そうだし)、

もしかして、意外とそういうところで事件的なものが多いのは、

そういうこともあるのではないか、と。

もっと田舎ですれ違うシステム作れば、

そういうの結構なくなるんじゃないかと、

安易かなぁ、

でも、

成人して、仕事を持って、

いわゆる自分の人生のローテーションが決まってきた感じの時に、

実は、自分と同じようにローテを生きている、

名も知らぬ他人とすれ違うことで、

お互い結構癒されてるんじゃないかなあ、と思ったわけです

・・・そうやってみると、朝のラッシュもなんか楽しい・・

いや、混んでる電車は苦手でいつも見送りますけど、

それで遅刻しますけど、

そして怒られますけど・・・でも、すれ違う、すれ違うの中に共感とか、

あったかさとか、そういうものもあるんだなぁ・・と思ったわけです

・・秋ですからね、色々思うわけなんです

・・まぁ今年の秋、すぐ行っちゃいそうですけど、

とりあえず、そういうことを思ったしだいであります。

ちょっとそんな感じ!(一茂流)と思うんですよ!!

じゃあ!股!!

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吉祥話し。 KISSHO @kissho

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