第7話 二人と一匹の演奏会

源太が赤い服の女を見てから五日目、図書館でのやり取りから二日が過ぎた八月十日、おりつと寧々の二人は、観音寺家へ向け懸命にペダルをこいでいた。

あれから地元生まれの歴史の教師にも話を聞いてみると、観音寺家は歴史が古く、家の痛みも少ないため、その一部は一般に公開されているらしい。

教師が小学生の時には、閼伽流山への遠足のついでに、麓にある観音寺家にも立ち寄っていたが、赤い白無垢や、それに近い物を見た記憶はないという。

だが寧々は確信していた。白無垢はその家のどこかにあり、噂話の元凶もまたそこにあるに違いないと。


「それにしても、どうもパッとしないよな」


「どうしました?久しぶりに雲一つなくて良い天気だと思いますけど。あ、あっちの山の上にある雲は見ない事にしてくださいね」


「確かに天気は良いけどさ、むしろ良すぎるくらいだけど、パッとしないのはこれだよこれ」


足を動かしながらおりつが指をさしたのは、自分たちの乗り物である自転車だった。

二人の自転車には本格的な変速機はついておらず、俗にママチャリと言われるもので、寧々の自転車は薄いピンク色で、買ってから日が浅いのか傷一つ見当たらない。

一方、おりつの自転車は色褪せ始めた黒で、そこかしこに擦り傷があり、カゴもへこみだらけだった。


「これさ、兄ちゃんと姉ちゃんのお下がりなんだぜ?あたしはマウンテンバイクとか、もっとこうカッコいいのに乗りたいんだよな。

今日も出がけに、いい加減新しいの買ってくれってお袋に言ったらさ、そこからいきなり20分のお説教タイムだよ」


それを聞いた寧々は、おりつが待ち合わせの時間に若干遅れた上に、どこか浮かない顔をしていたのに合点がいった。

今の今まで、その原因が源太の事だと思っていただけに、寧々はおかしく、思わず笑いが漏れそうになるほどだった。


「私は歴史があっていいと思いますよ。だって、お兄さんからお姉さん、そしておりつさん、三代に渡り使われ続けているんでしょう?

そしてきっと、いずれ弟さんも乗る事になるんでしょうし。それまで大切に乗ってあげてくださいね」


寧々の指摘に、それもそうだなぁと、急に自分の乗っている自転車が愛おしくなったのか、おりつは片手でハンドルを握りながら、ひしゃげていたカゴの形を

整えてやっている。

その光景に、寧々はまたしても笑いをこらえるはめになり、思わず顔を背けると、大きな柿の木の下にひっそりと建つ一軒の雑貨屋が目にとまった。


「おりつさん、あそこで一休みしませんか?冷たい物でもおごっちゃいますよ」


「おお・・・」


瞳を丸くしたおりつの視線は、寧々を通り越し、既に軒先に置かれている四面をガラスに覆われた冷蔵ショーケースに注がれている。

その中にはラムネやコーラが立ち並び、どれもきんきんに冷えているに違いない。




木陰に腰を下ろし、二人は手にした飲み物をそれぞれに飲み始める。

冷え切った瓶から結露によりできた雫が腕に伝わり落ち、それがなんとも心地いい。


「おそのさんが聞き取ってくれた噂が書かれたノート、昨日の晩に読み返してみたんですが、その中で気が付いた事があるんです」


ミミズがのたくったような字で綴られているそれだが、一時間も眺めているとさすがに目が慣れたのか、寧々は辛うじて読めるようになっていたのだ。


「あたしが見た時は、目撃場所の他は気になる所はなかったけどな」


ラムネ瓶の中に入っているビー玉と格闘していたおりつは、手を止め寧々を見つめている。


「一つは、何故源太さんの元にだけ赤い服の女がやって来たのか。それ以前にも見た人が何人もいるのにも関わらずに、です」


「単に源太の運が悪いからだけじゃないかあ?あいつって変なとこで当たりを引くタイプなんだよな」


おりつは立ち上がり、名残惜しそうに空になった瓶を返却にいく。

寧々は未だ飲み切っていないようで、両手で瓶を包み込んだまま、おりつが戻ってくるのを待っていた。


「あのビー玉、どうにかして取ってやりたいんだけど、瓶を割りでもしないと取れないんだよな。・・・それで、運が悪い以外に理由があるのか?」


寧々はコーラを一口飲むと、炭酸がきつかったのか顔を少しだけしかめる。


「おりつさんの言う、運が悪いというのも関係していると思うんです。要は、赤い服の女を見た。のではなく、赤い服の女に見られた。からではないでしょうか?相手と何か通ずるもの、相性のようなものがあって、源太さんはそれが合いやすかったのかもしれません。

証拠と言っても推測にしかなりませんが、どの記述を見ても、見たというだけで、見られたとか、面と向かってとか、そういった事が書かれてないんです」


「でもさ、それなら一週間以内に死ぬって話が出てくるのはおかしくないか?寧々さんの言う通りだったら、源太が初めて候補になったって事になるんだぜ?」


「恐らくそれは、卵が先か、鶏が先かの問題になってくると思うんです」


「卵と鶏・・・?」


それまで思うに任せて揺れていた尻尾は止まり、おりつは首をかしげ、話の先を促す。


「実際に赤い服の女が現れてから初めて噂話が広まったのか、何らかの理由で噂話が広がりだし、それに付随して赤い服の女が現れるようになったのか、そのどちらかという事ですね」


「どっちにしても源太のとこに来てるんだから、同じ事のような気はするけどな」


「結果としては、おりつさんの言うように同じです。ですが例えば、七月下旬に誰かが今と同じ内容の噂を流したとします。その場合、一週間以上は経っているのですから、実際に被害に遭ったという話があってもおかしくありません。

逆に、これから向かう先、観音寺家の周辺で誰かが赤い服の女を目撃したという話をしたとします」


「・・・後は分かったぜ。その目撃話が広まるにつれて、尾ひれ背びれ、それどころかクチバシまでついたって事だろ?」


得意げに答えたおりつに、寧々は静かに頷く。

頭の上に広がる柿の木の枝にセミがとまり、ミンミンと夏らしくも暑苦しい音を奏で始めている。


「そして、そのあとは噂話と赤い服の女が交互に作用していったんだと思うんです。

ある人が噂話を聞き、それをまた誰かに話し、その話の後に赤い服の女が現れる。赤い服の女が現れ、目撃した話が噂となり、また広がる。

一週間以内云々はその過程でおまけとして付き、その結果が・・・源太さんの首の爪痕となったという事ですね」


源太の首の爪痕と聞き、おりつは顔に暗い影を落としたが、それを振り払うように言う。


「つまりだ、最初は、赤い服の女を見たってシンプルな話だったって事だろ?」


「その可能性は高いですね。それに根源に凶悪性がない分、対処もしやすくなるでしょうね」


「それは有難いな。嫌だぜ?例の観音寺さんちの戸を開けた瞬間、赤い服を着た女が鎌を振り回して襲ってくる、なんてのは」


冗談のつもりで言ったおりつだったが、その光景を想像してしまったのか、二人の間に暫くの沈黙が訪れる。やかましく鳴いていた頭上の蝉はどこかへ飛んで行ったようで、聞こえてくるのは、風によって揺れる枝葉のざわめきだけだった。

ところで、と先に口を開いたのはおりつだった。


「その怪しいっていう赤い白無垢、それが実際に合ったとして、どうするんだ?まさか盗んで山で燃やすってわけにもいかないだろう?」


「まずは・・・観音寺家の方に事情を話すしかないでしょうね」


「お堅そうな家だし、子供二人の話に耳を貸してくれるとは思えないけどな」


その問いには答えずに、寧々は静かに腰を上げる。


「そろそろ行きましょうか。あ、残りもので恐縮ですが、良かったら飲みますか?」


寧々は三分の一ほど残ったコーラをおりつに差し出して見せた。

少しの間おりつは迷った様子だったが、残してももったいないから、と、それを受け取り、一気に喉に流し込む。

その瞬間、予想以上の炭酸の刺激が喉に襲い掛ったのだろう、おりつは悶絶しながら喉をさすり始めた。

寧々は思わぬ出来事に目を見張る。


「私、コーラを一気飲みする人って初めて見ましたよ」


その間もおりつは喉をさすり続け、目には涙も浮かべている。

やっと峠を越え、落ち着きを取り戻したおりつが寧々と顔を合わせると、二人の顔に同時に笑みが浮び、笑い声と代わった。

そしてそれは、再び鳴き始めた蝉の声との協奏曲となり、暫くの間その演奏会は続くのであった。

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