第3話 呪いの始まりは

カウンターに陣取ったおりつと寧々は、二人と入れ替わるように店を出た磯崎の後ろ姿を見送っていた。

ちょっと待っててねと奥へと消えた美濃部はまだ戻ってきていない。


「今の人は?」


イノシシが背広を着たような磯崎の姿におりつは興味を惹かれたのかもしれない。


「磯崎さんといって咲耶市の警察官、生活安全対策第六係の担当をしているんですよ」


「げ、警察の人かよ」


「それにですね、この前私達がやったアルバイト。あの管轄・・・仕事の手配や報酬の支給をしているのが磯崎さんなんです。」


「ふーん、つまりは元締めってやつか」


「はは、元締めはよかったね」


振り返ると、いつ戻ったのか二人の後ろに美濃部が立っている。


「自己紹介が未だだったよね。僕は美濃部葉介。見ての通りのバーテンで、さっきの磯崎さんから回してもらった仕事の斡旋をしている。あ、あとこれね。ご苦労様でした。」


にこりと笑った美濃部の口元にエクボができる。

日焼けもしていないし、体つきも逞しいとは言えなかったが、メガネの奥の曇りのない薄茶の瞳が意志の強さを物語っていた。

何歳なんだろうと興味を抱いたおりつだったが、すぐにその対象は手渡された封筒へ移ったようだ。

だが、頭を下げた寧々に気付くと、慌てて彼女に倣っておりつも頭を下げた。


「ありがとうございますっ!」


「そんなに頭を下げられると却って悪い気がしちゃうな。ええと、こちらは?」


「私の友人のおりつさんです。」


寧々から友人と言われたのは初めてだったが、不思議と悪い気はしない。


「おりつ君か。また何かお願いするかもしれないけど、その時はよろしくね」


こちらこそ、と言いながらおりつは改めて頭を下げる。

いそいそと封筒をカバンにしまい込み、おりつは生まれて初めて入ったバーが珍しいのか、尻尾を揺らしながら辺りをきょろきょろと見まわす。

琥珀のような淡い光に照らされた店内、その壁には、どこの大陸の古い地図、外国の新聞記事の切り抜き、いかにもというような古文書、そういった類の物ばかりが掛けられている。

見てもよく分からないおりつがワクワクするのだから、その手の好事家達にはたまらない品ばかりに違いない。

多くの者が惹かれるであろう秘密の洞窟のような魅力がここにはあった。

それにしても、と高い天井に吊られ、回っているシーリングファンを見つめたままおりつが口を開く。


「生活安全だっけか・・・長ったらしい名前だよな。万引きでも捕まえてるのか?」


「もし見かけたら捕まえるだろうね。でも磯崎さんの第六係が主に取り締るのは」


「呪いの儀式を行う者、その儀式を幇助するような行為や、品物を扱う者、悪質な噂を流す者、そういった不埒な輩です。」


美濃部に代わり、得意げな調子で答える寧々。


「なるほどな、でも、それならこの前みたいなのは本来、磯崎さんだっけ、あの人の仕事じゃないのか?あたし達はふつーの女子高生なんだぜ?」


「普通の高校生だからいいんです。そもそも第六係が設立されたのは三年前のあの事件がきっかけなんです。」


寧々の言う三年前のあの事件におりつは心当たりがあった。

2010年の秋、とある宗教団体が近隣の住民達から立ち退き運動をされ、それに対し、腹いせなのか、抗議のためだったのかは定かではないが、教団総出で大掛かりな呪術的な儀式を行った。

その様子は面白おかしくマスコミに取り上げられ、ワイドショーは日夜その事ばかりを放送し、番組に出演した専門家の多くは、単なるデモンストレーションですね。と口を揃え、各々が自分なりの解釈を仰々しく説明していた。

中学生だったおりつは、見たい番組があったのに両親がテレビにかじりついていたおかげで、見るともなしに画面を見ていた覚えがある。

儀式が始まってから一週間が経ち、番組側も、見る側もその話題に飽き始めた時、それは起きた。

八日目の朝、住民グループのリーダーが自宅の軒先で首を吊っているのが発見されたのだ。

どうやらそれは無理心中だったようで、詳しくは放送されなかったが室内の家族は悲惨な状態だったらしい。

再び活気づいたマスコミは、教団はもちろんの事、運動をしていた住民達をも好奇の目で取り囲んだ。

その最中、教団脇に建っていた四階建てのアパートの屋上から住民グループの何人かが飛び降りを図る。報道陣がカメラを回している、まさにその時を狙ったかのように。

ぐしゃっと何かが鈍く潰れる音が続き、暫しの静寂の後、悲鳴を上げ逃げ惑う者、怒号を上げる者、そこはまさに地獄絵図と化していた。

すぐに画面はスタジオに切り替わったが、その数分はテレビの前の者に、日本そのものに暗い記憶を植え付ける事になってしまったのだ。

その後、テレビで宗教団体の名前はおろか、事件そのものが放送されなくなり、次第に人々の話題からも消えていった。

興味があったおりつは、何日か新聞を隅々まで眺めたが、宗教団体が解散した。とだけ書かれた小さな記事を見つけただけだった。

寧々から三年前の事件と聞き、当時の事を思い出したおりつだったが、今の今まですっかり忘れていた事に若干驚いていた。


「あれだろ、宗教団体がやった儀式のやつ。今まで忘れていたけど、結局あの後どうなったんだ?」


「私も詳しくは知らないのですが、事を重く見た国が警察を介入させ、団体を解散し、儀式に使われていた建物も取壊したみたいですね。美濃部さんは何か知ってます?」


グラスを拭いていた美濃部が手を止める。


「いや、僕も知っているのは寧々君と同じくらいかな。ただね、当時あの事件を見知って、多くの人達は、怖いとか、関わりたくないと思ったと思う。でも、中には呪いってのは実在する、そう考えた人達も少なからずいたんだ。真相の如何に因らずにね。

そういった人達が、呪術的な道具を相手に送り付けたらどうだろう?送られた相手は、呪い=あの事件と連想する。つまりはそこで呪いの基本は成就してしまうんだ。だからこそ、法律は改正され、それを取締る組織が出来たんだ。

まぁでも察するに、それらの対象になる相手の多くは政治家や役人だからね。自分たちの身の可愛さ故の改正だったんだろうね。」


つい最近どこかで聞いたような話だったが、おりつは合点がいき、一人頷いた。

だが、釈然としない事はまだあった。出されたコーラを飲みながらおりつはその疑問を口にする。


「でもさ、なんでまた高校生のバイトに?」


「はは、やっぱり不思議だよね。その組織、生活安全対策第六係はね、体のいい左遷先だったんだ。

あ、これ磯崎さんには内緒だよ。そもそも警察は呪いだとかは真面目に取り組まない。

目に見えないものよりも、目に見えるものを追ったほうが楽だし、元々そっちに手一杯だからね。圧倒的に人手が足りないんだ」


「全く嘆かわしい事ですね。でも、そのおかげで私達の出番があるのだから、考えてみると複雑な気持ちになりますね」


寧々はくるくるとストローを弄びながら、美濃部が用意してくれたチョコを一粒口に入れる。


「もちろんアルバイトを使っている事は公にはされないけどね。ただ僕が考えるに、高校生のネットワークっていうのは、君たちが思っている以上に広いんだ。例えば、友達の友達が隣の学校なんだけど、その子のお父さんがね・・・って話、よく聞くだろう?もちろん話の信憑性は分からない。だけど、寧々君の分析力や直感、そして寧々君が信頼するおりつ君、君たちなら話の真相は掴みやすいと思う。」


「つまりは私達は、学校でその手の話があったら美濃部さんに報告して、美濃部さんの方でも仕事があったら私達に回す。言うなれば持ちつ持たれつの関係なんです。」


いつの間に寧々から信頼されたのは分からなかったが、おおよその事をおりつは理解した。

そして、今するべき話をおりつは知っている。


「うちの弟が見たんだけどさ、知ってる?赤い服の女の話。」


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