第3話
「はぁ、ん……つめたい……」
愛撫の合間にダリアが漏らした微かな声に、ジャノメは滑らかな胸元に這わせていた舌を離した。
不意に、同じ言葉を口にされた記憶が蘇る。それは確か、初めて肌を合わせた女だった。
仕事に必要な情報を聞き出すために近付いたその相手は、今のように柔肌を舌先でなぞっていたジャノメに囁いた。
熱い唇と、冷たい銀の感触が最高。
舌を這わせる動きに合わせて、蛇のように踊る編み込んだ黒髪。
その先端に括られた純銀のロザリオに火照る肌が支配されていく感覚が好きだと言っていた彼女は、ジャノメと交わった翌日に死体になっていた。
今の今まで忘れていたその顔が、ダリアと重なる。
どんな男であろうと客として対価を支払わないと寝ない、というのを信条にしているダリアが、ジャノメに対しては一度も報酬を要求していない。
その意味を知りながらも、ジャノメはそのことを口にすることはなかった。
誰かと心を通わせることは殺し屋にとっては破滅であり、そして守るものを得るということは弱くなるということ。
この仕事に手を染めた日から、ジャノメはそう思ってきた。
仕事仲間を庇って殺された者。
恋人を人質に取られ、抵抗も出来ずに処刑された者。
妻子と等しい重さの命を奪うという罪深さに苛まれ、殺し屋を廃業した者。
それらを目にするたびに、ジャノメはただひたすらに心を凍てつかせて腕を磨いた。
情に流されず常に孤独である彼は、何者にも止められず、あらゆる危険を顧みないその姿勢は殺し屋としての技術を恐るべき早さで習得していった。
そうしてジャノメは、異例の若さで名の知れた殺し屋となったのだった。
……そろそろ、潮時かもしれないな。
長い指でダリアの蜜を掬い取りながら、ジャノメは考える。
溜まった欲望を吐き出すだけなら正直、金で体を開く女の方が余程都合がいい。
だったら、手心を加えるつもりのない男がいつまでも繋ぎ止めるような真似をするのは、ダリアにとってもジャノメにとっても何のメリットもないことに思えた。
ダリアを抱くのは、これが最後だ……。
「……ジャノメ?」
羽根を広げた蝶のように、淫らに脚を開いてダリアは誘う。
「早く……、欲しいの……」
精一杯の艶を込めたその声に呼応するように、ジャノメはそっと彼女の唇に蓋をする。
そのまま赤いマニキュアが導く蜜口へと、隆起した自身を突き立てた。
二時間後。
乱れた衣服を何事もなかったかのようにしっかりと整えたジャノメは、最後に深い闇を思わせる漆黒のロングコートに袖を通した。
「風呂は入りたきゃ好きにしろ、けど使う時は玄関の鍵は閉めとけよ。それから……なるべく早く帰れ」
裸のままソファーに膝を抱いて座るダリアは、母親に置いていかれる幼い少女のように寂しさをたたえていたが、ジャノメはあえて素知らぬ顔を通した。
「ねえ、ジャノメ」
消え入りそうな声で、彼女はジャノメを呼んだ。
「何だよ」
「こんなこと、いつまで続けるの?もうあの孤児院だって十分持ち直したじゃない。その分を除いても、あなた相当稼いでいるでしょ?だったら……そろそろ足を洗ってもいいと思う」
抗議するようにも、縋るようにも聞こえる、言葉。
あるいは、ダリアはジャノメがいつかこの仕事を離れる日まで待つ覚悟をしているようにも思えた。
……もしもそうだとしたら、希望を残してはいけない。
長く溜め息をつき、トランクを手にしたジャノメは何の感情も映さない眼差しで彼女を見つめ返した。
そして殊更に冷たく棘のある声を選び出す。
「……悪ぃな。オレはこの仕事を辞めるつもりはねえ。だから……お前もオレなんか見切りつけて、ちゃんと大金積んで抱いてくれる男んとこに戻れよ」
「……っ!!」
「……じゃあな」
振り返らずにそう告げて、ジャノメは静かに扉を閉めた。もしも聞き分けなくダリアがまた家に来るようなら、今度は強引にでも追い返すつもりだった。
これが、彼女とジャノメが交わした最後の会話だった。
それを彼が思い知るのは、数時間後のことになる。
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