第4話 ねえ

9月23日(火) 晴れ

 今日は、鈴白公園まで行きました。入口の坂で自転車をこいでいても、だいぶ涼しいです。今日も人は見つけられませんでした。

 でも、面白いものを手に入れました。腕時計です。ガラスの部分も割れていません。針もまだ動いていて、日付が分かります。ぼくはすぐに日記の日付を書く時、今日が何日かをよく忘れます。これはとても便利です。

 明日、探検の時に使ってみようと思います。日がくれる前に、基地に戻れるのは良いことです。


 9月24日(水) くもり

 今日は、自分の近所をしっかり調べました。もしかしたら、ここは安全だと思った人たちが戻ってきているかもしれない。こういう調査は、決まった回数やるべきです。

 でも、ぼくは人の家の中までは調べません。いつ戻って来るか分からないということは、今は何をしてもだれもいないから怒られなくても、いたら怒られることだからです。ぼくは、みんながいつか絶対戻って来ることを信じています。だから、不法しんにゅうはしません。

 

 9月25日(木) くもり

 今日は、学校まで行きました。放課後にみんなと遊ぶ時に使う自転車を、朝からこいで行ってみるというのは面白いです。

 でも、誰もいないなら眠たい朝も楽しい放課後も同じようにつまらないです。久しぶりに行ったので、ブランコにだけ乗ってきました。全然楽しくないです。いつもなら、こいでる時にゆう君やヨシが背中を押してきて僕が怒るけど、今日なら笑って許してあげられそうでした。でも、許してあげる人がいないなら意味がないです。

 早く、みんなと遊べるようになりたいです。



「――よし」

 伸びをするのは、別にそれが気持ちいいからじゃない。なんとなく、うーんってやると「終わり!」って、区切りがつくような気がするからだ。

 それにしても、危ないところだった。日記は毎日書かなくては意味のないものなのに、いつの間にか三日分も溜めてしまっていた。確かに昨日は部屋の片づけで忙しかったし、一昨日は掃除機なんかかけてみたら案外疲れてそのままソファーで寝てしまった。小学校の中では最上級生でも、夜はまだまだ短い。だからこそ限りある大切な時間だ。分かってはいるけど……。お母さんがいないから、やりたいことをやる前に色々言われてやりたくなくなってしまうことはないけれど、やりたいことを0からやろうとするとどうしてもとてつもないエネルギーを費やしてしまう。

 でも、今日の僕は偉い。昨日と一昨日の僕の分の日記もまとめて書いたんだから。これで明日から、一日ずつだけ書けばいい毎日が戻って来る。

 偉い僕は、一日ごとに紙を分けて書かれた日記を綺麗に四つに折り、机の下に潜り込む。

 体育座りで全身を押し込み、椅子を扉にして敢えて周りを暗くする。理科の実験だかで使った豆電球を取っておいて本当に良かった。油性ペンでオレンジや緑、紫や赤に塗って点ければ、僕の基地はいつだってクリスマスのように賑やかで愉快で何より温かくなる。

――気がするだけなんだけどね。

たてがみに負けじと全身がフカフカのライオンのぬいぐるみは、妹の加奈のものだ。だが、怒って泣き出す加奈がいない以上は部屋の中はわんぎゃん煩くなることはない。僕はこのライオンに「上官」と名付け、机の中の一番上の棚に置いている。隣にある緑の豆電球が上官を怪しく照らし、何だか偉そうにはなっている。

「じょーかん!」

 狭い中なので背筋を伸ばすことはできないが、せめて敬礼の指先は精いっぱいに真っすぐにする。

「報告です!本日も人っ子一人たりとも見当たりませんでした!」

 しかし、豆電球の映る上官の目は冷たいままだ。

「ああ、申し訳ございません。わたくし、任務を三日分も怠ってしまいました。どうも一人ではやれることも回しきれないといいますか……いえ、報告書はきちんと三日分、提出しておきますね」

 上官の視線から逃げるように、僕は下の棚の赤いポストの貯金箱に日記を入れようと身体をひねる。日頃の敬礼の成果でピンと伸びきった人差し指と中指から、報告書をポストの口にこぼれ落としていった。

「はい、これで全部!報告も以上であります。ではわたくし、業務の方に戻らせて――」

 パチ……と弱弱しい音がして、電球が消えた。刹那、上官の目に走っていた緑色の光は、黒光りするガラスの目に埋もれていく。それは冷たさを通し越した生気の無さで、僕の無邪気さは呆気なくしゅんと萎んだ。

 ため息一つ。でも、もう一息。

 気を取り直して顔を上げ、また精いっぱい敬礼をする。

「大変失礼いたしました!報告の手順を間違えました。2〇××年9月8日、どこかの研究所から何かのウイルスのサンプルが漏出、それから、えっと……空気感染?によって被害拡大、現在、その被害が確認されているここ天尾町含め研究所から半径5キロ圏内は未だ閉鎖状態にあります!主な感染者の症状は、けーれん、せいしんふあんていによるげんどうふいっち、けんぼーしょー、かどなたいじんきょうふしょう、またはその逆などが事件当日早々発見されておりますが、それ以降新たな症状は今日も確認されてません。せーふは発症の傾向がある者を地域内に隔離、現在、密閉空間を作れる医療体制が整ったエリアから順に発症者を収容していますが、数が足りてません!救護班はまだ天尾町までは行き渡っていないため、わたくしは今日も待機の身であります!」

 うむ、と上官の目が頷いた、気がした。僕はそれを確認して、ようやく本当に一息つく。

 言わずともほぼ日常に溶け込みつつあることだから分かるはずなのに、起源から説明し始める下っ端というのはよくアニメで観る光景だ。しかし実際、どうやらそれは部下が説明したがるからではなく、上の人がそうさせたがるためにそうなるらしい。本当に面倒だし、何より変わらない毎日を淡々と報告していると空しくなってくる。でも、これなら新入りがこの場を覗いてこっそり見ていたとしても、全てを理解してくれるし、それが新入りでなくてどこか遠くから初めて様子を見ている人でも通じる。何処の誰だかは分からないけど、もしかしたらそんな1から10まで報告する几帳面な僕を見て警戒心を解いて、仲良くなろうと出てきてくれるかもしれない。だから僕も、上官の命令には今のところ従っている。

 机の下から這い出て、また伸びをする。やること、終わり。

 やることが終わったら寝るしかない。勿体ないけど、もう日付が変わってしまう。これ以上の夜更かしは明日の探検に支障が出てしまう。本当はテレビを見ながらゆっくりソファの上でとろけるように寝るのが好きだけど、今日ばかりは仕方がない。

 お母さんだったら言いそうなこと通り、ちゃんとパジャマを着てちゃんとベッドの上で、目覚まし時計以外何も置かないで横になる。

 おやすみ、なんて言う相手すらいないけど、これもお母さんが口酸っぱく言ってたことだ。寝る前は、おやすみなさい。

「……おやすみ」

 受け取る相手のいない声は、無駄に部屋を広くする。それ以上のことは考えずに、僕は強制的に瞼を閉じた。


 

シャワシャワと、セミの声がうるさい。でも、これだけ木のある公園ならセミも鳴き甲斐があるのは分かる気がする。

 人影が、遠くに見えた時には嬉しかった。自分よりずっと背の高い男の人だった。何でもいい、話がしたい。向こうだって、自分以外の人がいることが分かったら喜んでくれる。でもついでにビックリさせてやりたくて、後ろからこっそり近づいた。

 あと5歩、4歩、3、2、1――。

 わっ!ってやっていいのは友達だけだ。だから、ねえ!って大きな声をかけてみた。案の定ビックリした顔が見えた。もうそれだけで嬉しくって、楽しくなっちゃって、こんにちわも言わずに走り寄った。

 なのに、次の瞬間男の人が消えた。わあって驚いたまま、ひゅって居なくなってしまった。

 あれ?何処行っちゃったの?ねえ。

 声をかけても返事はない。ふと、近くのベンチに目をやると、腕がにゅっと手すりから伸びていた。誰かが捨てたマネキンか何かだろうか。でも、手首から覗く腕時計は綺麗なままだった。

 家の中で食べるものが足りなくなったら、スーパーやコンビニから食料を貰っている。勿論、お金は誰もいないレジに置いてから出ている。でも腕時計は、いくら自分のお小遣いをレジの上に積み上げても貰えない。今目の前にあるのは、捨てられたマネキンにくっ付いて捨てられたものだ。ならば勿体ない。

 手首から腕時計を外し、自分に付ける。少し大きな黒い革製の腕時計は、自分を少し大人にする気がする、何なら、背だってさっきの男の人にちょっと近づいたかもしれない。

 シャワシャワ鳴き続けるセミのリズムに歩を合わせながら、ご機嫌でその場を去った。



 ご近所付き合いは大切だ。そう言っていたのはお母さんだけじゃなくてご近所さんもだったはずだ。なのに、皆挨拶もせずに家の中に入ってしまう。

 仕方がないので、人に会えるまで自転車をとばすしかない。

 ねえねえ、ねえ

 時折人影がちらりと瞬いて、声をかけてみる。しかし影はすぐに引っ込んでしまう。

 誰かに会いたい。顔を合わせてお話ししたい。

 夏の日差しを容赦なく浴びせられ、額に汗の玉が転がる。それは暑さか、それとも焦りか。分かるわけもなく自転車を漕いだ。

 引っ込む人影を、ひたすら巡って、漕いで、漕いで――。

 一瞬耳を掠める蝉の声が繰り返され、ウワンウワン頭の音だけが響いていた。



 学校は、学ぶ場所。遊ぶ場所。友達と仲良くする場所。

 だが、相手がいなくてはどれも何も意味がない。学校は、学校ではなくなっていた。

 寂しさに任せて、そこにあったブランコを漕いでいた。力いっぱい、強がって、ぐんぐんぐんぐん高く早く。

 あまりに集中しすぎて、人が自分の前に立っていることに気づくのは大分遅くなってしまった。

 思わずあっと声が漏れ出た。慌てて息をひゅっと吸い込み、驚いている自分をなかったことのように繕う。

 遠くなったり、近くなったりするその子は、自分と同じくらいの少年だった。手を前に構えて、あちらも自分をじっと見つめている。

 さては、出会い頭にひとつ自分のブランコを捕まえて悪戯する気だな?

 途端に嬉しくなって、ようしと更にブランコを目一杯漕ぐ。

 させないよ!ねえ!

 そして少年に飛びつくくらいの勢いで、ブランコを助走に使ってぴょんと飛び降りた。

 一瞬鈍い音がミシッと足から伝わってきた。だが、そんなことはどうでもいい。

 ――また、消えてしまった。

 さっきまでどしっと構えていた少年が、またひゅっと居なくなってしまった。 

 なんで?ねえ。

 僕と遊びたいんじゃないの? 

 どうして皆消えてしまうの?ねえ、ねえってば。

 ねえ、ねえ、ねえねえ、ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ――。



9月26日 よる

 本当は日記というものは、一日の最後に書くものです。でも、とても怖い夢を見たような気がして、起きてしまいました。

 残念ながら、内容は覚えていません。でも、こんなに汗をびっしりかいていたら、いい夢ではなかったことは確かだと思います。夢は、今まで見たり聞いたりしてきたことを寝ている最中頭の中で整理しているときに見るものらしいです。だから、僕の夢は僕が見たり聞いたりしたことで出来ているはずです。毎日、楽しく過ごしているはずなのに、どうしてこんなに悲しいのでしょうか。

 ……もう、嫌です。僕しかいない、この世界が嫌です。

 相手をしたり、してくれたりするのは僕の中の無邪気な部分だけです。僕は普段は彼のことが嫌いです。彼が普段の僕を僕として支配すると、何だか何をやっても嬉しくなっちゃって、気が付いたときには大人に叱られるようなことをしてしまうからです。どうしよう、やっちゃったと思った時には無邪気な自分はどこかにいってしまって、しょぼくれた僕が説教を食らいます。そんな彼が、自分が、僕は嫌いです。

でも、楽しく色んなものを見たり聞いたりできるのは、彼を通してでないとできない。自分しかいなくなってしまった今、僕は彼と付き合うしかなかった。

でも、もう嫌です。僕は自分が嫌いです。

嫌いな僕なんかより素敵なみんなに、早く会いたいです。カップラーメンじゃなくて、おいしいご飯を作ってくれるお母さん。もっと良い探検の仕方を知っているお父さん、僕より喧嘩が強いゆう君、テストの点では僕に絶対負けないヨシ、遠くのものでもすぐに見つけられる近藤さん、担任の古池先生、うさぎのユキ……。

そうでなくても、声をかけたら返事をしてくれたらだれでもいい。少なくとも、僕よりはいい人です。

一人は、もう嫌です。返事をしてください。

ねえ



「……これだけ?」

 原稿から顔を上げた亜紀は、そのまま目に入った幸樹を訝しげに眺めながら言った。

「?」

 特に何をするわけでもなく、亜紀が原稿を読み終わるのをただただ待っていた幸樹は、一点の曇りもなく素直にクエスチョンマークだけを返した。

「いや、だから……書いてきた原稿、ここで終わりなの?」

「そうだけど?」

 何も心当たりがないのか首を傾げるばかりの幸樹に、亜紀は思いっきり頭を抱えた。

「全っ然、駄目!ボツに決まってるでしょ!」

「なんで!」

「当り前じゃない!設定もガバガバだし話にボリュームが無い!これを一大イベントの文化祭の部誌に載せようっていうの?勘弁してよ……」

「何を書いてもいいって言ったのは、君じゃないか」

「確かにそうだけど!」

 辛うじて割り当てられた極小の部室が、亜紀の悲痛な嘆きで満たされる。

 どこの学校でも、文芸部において最も頭を悩ませるのは〆切でも部費の少なさでもない。部員と、集まる定期発行部誌の原稿の少なさだ。

「でも、書いてもらう以上はある程度赤入れはする。そしてこの原稿の場合、文の殆どに大きくバッテンを付けることになる。そういう話よ」

 活動に最低必要とされる部員数は5人。それすらクリアできずにいた今年、「日記なら書ける」という返答だけで幸樹を引っ張り出してきて、辛うじて穴を埋めたのは部長の亜紀だ。

「でも、これ以上設定を詰めることは出来ないよ」

「出来るわよ。……それ、新聞だけでも資料がわんさかある話でしょ」

「君は当時のことを、詳しく覚えているのかい?」

「それは……」

「ほら、言ってみてよ」

「……」

 別に怒るわけでもなく煽るわけでもなく、幸樹は自分の疑問を解消するがだけのために亜紀に答えをせびる。そんな彼の様子をため息交じりに一瞥すると、亜紀も抵抗する気がなくなってしまうのはいつものことだ。

「彼此8年前ね。私たちは小学生。確かに、どっかの研究所で何かのウイルスが漏れ出て、その被害が付近の地域に出たため、感染者が町ごと隔離されたって話しか覚えてない」

「じゃあ、これでいいじゃないか」

「……」

 反射的な異論はもう返さない。だが、目にはまだ明らかに抗議の色が見えていた。

「でも、その先の話だってあるでしょ?救助に来た人たちが見たのは死体が殆どで、ようやく整えた完全隔離ができる病院に運べた人は、ほんの少しだったってことか。見える症状は精神疾患が殆どだから、自傷行為がエスカレートして自殺しちゃった人の多さが異様だったとか、夫婦で家の中で亡くなってた方もいたよね……生存者も生存者で治療が大変だったと思うし、でも今は一般社会に普通に溶け込んでるらしいって聞くよ。元は何ともない人たちだったんだから。そういうこと、いくらでも書け――」

「そこまで書いたとしたら、この作品は趣味で書いたフィクションだと平気で載せることができるだろうか」

「……じゃあ、そもそもなんでこの話を書いたの?」

「……」

 今度は幸樹が黙る番だった。

 彼が飲み込んだ言葉が見えない亜紀は、それを降参のサインと見なしたのか席を立つ。

「とにかく、今のままのこの原稿を部誌に載せることは出来ないから。第一これ、オチが弱いもの」

「あ、」

 亜紀がやれやれと、幸樹に背を向け部室を出ようとする。遅れて幸樹も、慌てて机から離れた。

 やっぱり言わなきゃ。僕にはこういうものしか書けないって。

 床に置きっぱなしのコピー用紙の束や段ボールにいちいち蹴躓きながら、幸樹は亜紀の肩に手を伸ばす。

「――ねえ」

 その手首に光る黒い革製の腕時計は、針も日付もすっかり止まっていた。

 

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