第2話 スキナモノ

「あっつーい、だりぃー」

 もりもりと育ってゆく生命は青々と茂る草木として初夏を謳歌し、そのざわめきを代弁するように鳥たちがさえずっている。その隙間から、まだ慣れない強い日差しが肌に射し込む。しかしすかさず、風が火照る頬を掠めていった。

だが、そんなことは亮太には関係ない。

 学校からの帰り道はいつもそうだ。夏は暑い、冬は寒い。どう言おうと亮太はその後に「だるい」と続く。

「仕方ないでしょ。そういう日なの」

 私がそう返すのもいつものこと。

「遙香は割り切りすぎ。もうすぐ定期テストだろ? 折角部活が休みになるのに遊べないとか、何の嫌がらせだよってフツー思うじゃん」

「目的を見失わないの」

 何の変哲もない会話。しかし小中高校と一緒であれば、最早呆れることさえ諦めた。

「それに今日は池の掃除当番だったんだよ……マジ疲れた」

「そんな重労働じゃないでしょ」

「いや、だってさー」

「ああ、亀ね」

「言うなよ! 怖いもんは怖いんだからさ」

「可愛いじゃない、亀」

「何処が可愛いんだよ。なんか、こう、バーンって感じで嫌じゃん」

「何よ、そのバーンって」

 だが、いくつになっても亮太との会話は分からないことだらけだ。

「もっと具体的に言いなさいよ」

「んなもんねぇよ、ただそう思っただけだし」

「何それ」

 言葉の足りない亮太は、話を掘り下げられるとそっぽを向いてしまう。

「……しかし暑いなー」

 そして気まずくなって、また振り出しに戻るのだ。

「あ、コンビニ寄ってかね?アイス食おうぜ」

「ごめん、私今日用事」

「えー、つまんねぇ」

「文句言わないの。人と会うんだから」

「へぇ。誰?」

「内緒」

「何だよ」

「そう不貞腐れないの。元はと言えばあんたのせいなんだから」

「え? 俺、何かした?」

「何でもないよーだ。じゃあまた明日ね」

 私はそのままそそくさと走り去った。

 ――ホント、こんな奴をどうして好きなんだか。



 無神経で馬鹿で、少し顔と運動神経が良いだけが取り柄の亮太だ。モテるはずがない。だから、

「ねぇ、遙香ちゃんって亮太君と幼馴染なんだよね?」

 あんなに真剣な顔をして言ってくる人は初めてだった。しかも『亮太君』だって。

「今度、亮太君の誕生日でしょ? だから、協力してほしくて…」

「……ああ、いいけど……?」

 驚きのあまり間が出来た。一応返事はしたが、その後もしばらく首を傾げたままだった。

「良かった! もう、本当は緊張したんだからー」

 誰にでも振り撒くその笑顔を向ける宇佐見さんは、しかし私とはまともに話したことがない。

 だが、そんな間柄でも彼女の様子を見ればすぐに分かった。

 後ろめたそうな上目づかい、自信なさげに一つ一つ発せられる、しかし入念なリサーチ故に出てくる話、女子とおしゃべりしている時とは違う微笑み。間違いなく亮太への好意が窺えた。

 そこまで知れた上で、私はまだ納得がいかなかった。

 あんな奴のどこがいいの?

 そっちへの興味がなかったら、こんな面倒くさい事に付き合うわけがない。小奇麗な駅前のデパートの中で、身体を冷やしながら宇佐見さんを待つわけがないのだ。

「おまたせ!」

 器用に巻いた髪を揺らしながら駆けてくる宇佐見さん。その視線の先に、亮太を置いてみる。

「……ううん、こっちも今来たところ」

「ん? なんか言った?」

「いや、何でもないよ」

 どうせ亮太のことだ、お決まりの台詞しか言わないだろうと考えていたら、思わず声に出してしまった。

「ごめんね、テスト前に呼び出して。しかも制服のままで……」

「いいよ。休日潰されるわけじゃないし、これくらい平気」

 それに、亮太へのプレゼントなら下校がてらに買う程度で充分だ。

「そっか、じゃあ行こっ!」

 ぱぁぁっというような効果音がつきそうな明るい笑顔を浮かべ、宇佐見さんはるんるんと前を行く。

「何買おうかなー」

 目に留まった雑貨屋の中に、ためらいもせず入っていく。だが、亮太には不似合いな可愛らしい店だった。

「まぁ、あいつのことだから貰えれば何でも嬉しいと思うけど」

「そうかなー。あ、亮太君って小さいオブジェとか好きなんだよね。文房具とかもお洒落だし……でもブリキ製とかは興味ないのかな、物置とかより機能性のあるものの方が亮太君らしいよね」

「え?」

 なんじゃそりゃ。情報源はどこだ……?

 私ですら聞いたことのない言葉が次から次へと出てきた。しかし、宇佐見さんはおかまいなしだ。

「食べ物とかどうかな。あ、でも甘いものは駄目なんだっけ――」

「ちょ、ちょっと待って」

 止まらない宇佐見さんを、私はやっとのことで制した。

「それ、誰から聞いたの?」

「え?亮太君だけど?」

 あの野郎……!

 可愛い子を前に気取りよったな。確かにそう思えば、亮太らしい法螺話だ。

「……一つ確認しておきたいんだけど、そもそもなんで亮太のプレゼントを買おうと思ったわけ?」

「こないだ、委員会の仕事を手伝ってもらったの。そのお礼がしたくて」

 宇佐見さんはリンゴのキャンドルを手に取った。私と目を合わせようとはしない。

 しかし、私はそれ以上聞くことはしなかった。

「だから、遥香ちゃんにも協力してほしいの」

 ――ああ、そういうことか。

 私はてっきり、プレゼントを選ぶのを手伝って欲しいのかと思っていた。だが、宇佐見さんは少なくとも亮太のことを「知っている」つもりでいる。それなら彼の幼馴染の助けは必要ないはずだ。

 彼女の言う「協力」は、そうではないのだ。

「このキャンドル可愛い。亮太君、アロマとか好きそうだよね。こっちの目覚まし時計もいいな。いっつも朝寝坊してるから、丁度いいかも」

 宝物を一つ一つ並べて見せる子供のように、宇佐見さんは次から次へと亮太を語っては夢見心地だ。

 だが私は知っている。その宝物は、時が経てばすぐに価値がなくなるということを。

 宇佐見さんに合わせるようにして、私は微笑んだ。

「そうだね。それなら、いいものがあるよ――」



「お疲れ。どうしたの? そんな顔して」

「おう、お疲れ。あー、だりー……」

 いつもの帰り道。今日も亮太は気だるそうだ。

 眩しい日差しをものともせず、亮太は空を仰ぐようにして伸びをした。

「もう、今日に限っていつもより酷いじゃない。そんなにテストの出来は悪かった?」

「もう終わったもんは関係ねぇよ、明日もあるし。…てかお前、とぼけんなよ」

「えー? 何がー?」

「俺の! 誕生日! もう何年の付き合いだと思ってんだよ、お前が忘れるわけないだろ」

「はいはい、おめでとさん。で、そんな今日は主役な亮太がどうして嬉しそうじゃないわけ?」

「あー…ちょっとな」

「誰からもプレゼント貰えなかったとか?」

「そんなんじゃねぇよ! ただな……いや、貰ったものだから文句言えないんだけどよー」

亮太がバックを漁ると、間もなくして一つのプレゼントが出てきた。

可愛らしい包装紙に包まれ、青いリボンで括られたプレゼント。昨日私が、宇佐見さんと一緒に入った店のものだ。

だが、形は歪になっているし、リボンの結び方も汚い。一度開けて、亮太が無理に戻したのだろう。

「まぁ、誰から貰ったかは聞かないで引き取ってくれないか? 俺の家じゃそれは置けないというか……」

「えー、何でよ。折角くれたのに、勿体ない」

 私はあくまでも知らないふりをして包みを解いた。中から出てきたのは、亀の形をした鉛筆削りだ。

「可愛いじゃん、家に飾っておきなよ」

「無理だって! お前知ってて言ってるだろ」

 私は笑いながら、亀を自分のバッグに閉まった。

 その際、一つの別の包みを取り出した。

「はい、これあげる」

 赤いリボンのついた、小さなプレゼント。それを亮太に放る。

「おっ、サンキュー」

 キャッチするや否や、亮太はすぐさまラッピングを壊しにかかる。

 そして中身を確認すると、きゃあっと女子のような声を上げてプレゼントに頬ずりした。

「ありがとう遙香! いやー、もうコレ家宝にするわー」

「飾り奉らないでちゃんと使ってよ」

 にへにへしている亮太の手にあるのは、足垢用の石鹸だ。

 こんなもので喜ぶような奴なのだ。あげた本人も思わず苦笑いしてしまう。

 ――ホント、こんな奴をどうして好きなんだか。

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