第33話 篠々木司と篠々木百合

「しっかりつかまって!」


 殴り飛ばされた災厄獣が、その場から光線を発射しようとしている。


 司ならあっさり避けられるが、百合はそうはいかない。


 なので司はすぐに“百合をお姫様抱っこ”した。


 「う……」 


 司には少しの気恥ずかしさと“自然にやってしまったこの状況について”の戸惑いが顔を赤くさせたが、そんな事を気にしている余裕はなかった。少しでも行動を躊躇ったら、歩けない百合にいつ災厄獣の攻撃が命中するかわからない。


 「え……? これって私……今……」

 「い、いくぞッ!」


 司は思い切り飛び上がった。


 同時に光線が眼下を突き抜けていき、二人は放物線を描きながら跳んでいた。それは何処か映画のワンシーンを連想させ、破壊の後の暗闇にどこか幻想的な印象を与える。


 「……う……わぁ……」


 だが、百合はそんな事など全く気にしてなかった。なぜならそれ以上に大変な事が自分の身に起こっているからだ。


 触れている。


 本当の肉体ではないとはいえ、百合は司に触れる事ができていた。


 「これが……触れるという事……」


 暖かい司の体温が全身に伝わり百合をとても安心させる。


 これまで知る事のできなかった感覚は百合に大きな安堵を抱かせ、未知の感覚に酔いしれそうになってしまう。


 だが、それはすぐに気恥ずかしさとなって顔に表れた。


 「ううう…………」


 司以上に百合の顔は赤くなり、とても見せられるモノではないと、司の胸に顔を埋めてしまう。


 「ど、どうしんだ?」

 「何でもありませんッ!」


 心配する司だったが百合は答える事ができない。顔を埋めたまま返事をして「聞かないで」と主張するのが精一杯だった。


 「ちょっとここで待っててくれ。すぐに終わらせてくるから」

 「は、はい……」


 司は百合をある程度離れた適当な場所に置くと、すぐに災厄獣へと向かった。

 まるで忘れ物を取りに行くとでもいうような気軽さで、気負いも緊張も何も無い。


 だが、それも当然の事だ。さっき簡単に災厄獣を殴り飛ばしたし、今も災厄獣の光線を平然と避け続けている。命中する気配は全く無い。完全に漫画に出てくる超人達の動きだった。


 「くらえッ!」


 司は災厄獣を蹴り上げた。そして、ジャンプしてすぐに踵落としを決める。やられるがままの災厄獣は地面に激突、災厄獣は司に全く反応できないままだ。


 それからも司のラッシュは止まらない。災厄獣の反撃を許さず、何度も蹴り上げてはあらゆる方向に吹き飛ばしていった。


 人間が災厄獣を完全にザコ扱いしている。


 あまりにも凄まじい。どう考えても司の強さはおかしかった。


 そう、おかしいのだ――――――――――本来ならば。


 「でも……これがきっと……」


 百合は何故か納得していた。


 「身体の内に眠る……人が持っている素晴らしさなんですね……」


 心の強さなのかもしれない。


 司はココロシステムを起動できる人間だ。


 その心は希望、勇気、愛を兼ね備えているはずで司はそれを体現している。


 このエルポノルユーリの中では肉体の強さは関係無く、その強さは心に依存する。本当に屈強な心を持っていれば何であろうと負けはしないのだ。例えそれが災厄獣であったとしても。


 シグや百合は過小評価していた。司の心は“カイザー級災厄獣など相手にならない”くらいの強さを持っている。


 これがココロシステムを動かせる人間の強さなのだ。


 「だああああああああああッ!」


 最後の一撃、吹き飛ばされた災厄獣は盛大に爆発した。


 司が現れてからはあっさりとしたもので、災厄獣は人間の心に為す術無くやられてしまった。


 塵も残さずその姿を消し、暗闇の世界に司と百合だけが残される。


 「ごめん……少し到着が遅れた……」


 司はすぐに百合の元へと近寄ると、その姿を改めて見て悲痛な声を漏らした。


 「大丈夫ですよ。私の破損は時間をかければ勝手に修復されますから」

 「そ、そうか! ならよかった……」


 言われて司はフゥとため息をついて安堵し、何度もよかったと繰り返す。


 「よかったよ……本当に……」


 百合が助かって本当によかった。これで後は帰るだけだ。


 帰り方は聞いてないが、シグが何とかするだろう。災厄獣ウィルスが消失(デリート)した事はもう気づいているはずだ。すぐに連絡なり来るだろう。


 「今日と昨日は……色々あったなぁ……」

 「……そうですね」


 かなり濃い二日間だった。


 災厄獣が現れ、百合を助けようとしてヴァインに乗って、終わった後に唯から色々と説明を聞いて、次の日は買い物に付き合って、また災厄獣がやってきて、ブレイブヴァインで戦って、今はエルポノルユーリ内に入って百合を救った。


 「ハハハ、ホント凄い二日間だった」


 こんな日々が来るなど思いもしなかった。ただ漠然とブレイブヴァインの妄想があり、それはずっと妄想で終わるのだと思っていた。途方もない夢だと思っていた。


 この二日、何度も死ぬかもしれない思いをしたが司に後悔はない。本来、こんな気持ちはおかしいのだろうが今の司は満足感でいっぱいだった。


 災厄獣を倒して百合も助けた。だからこれからもそうし続ける。自分にそれができるのならやり続けたいのだ。


 百合と一緒に。これからも。


 「……学校に来いよ」

 「え……?」


 突然言い出した司に百合は少し驚きの視線を向けた。


 「百合が引きこもってるなんて変だ。お前は世界を救った英雄なのに、そんなヤツが世間に遠慮して縮こまってるなんて絶対におかしい」

 「………………」

 「人間達が好きなんだろ? そうじゃなきゃあんな台詞は出てこないはずだし」


 あの時こぼした台詞。遺言のように司へ呟かれた言葉はたしかな百合の本心だった。


 本心だからこそブレイブヴァインに乗れる司に言ったのだ。


 この人に自分の思いを託したい――――――そう思えた篠々木司という人間に。


 「みんな歓迎するよ。百合を非難するヤツなんかいない。学校で何か困った事があったらオレが助けにいく。紅夏や順英も同じだ。だからさ……」

 「…………そうですね。それはきっと……素晴らしい事なんだと……思います」


 シグが聞いた時と違って百合の言葉は“素直”だった。諦めにも似たような口調で賛同して百合は笑う。


 「本当は……凄く学校に行きたいと思ってたんです。あの商店街に本を買いに行くのは通学路だから…………そこを歩くくらいはしたいと思って…………活動範囲ギリギリの位置にある不便な本屋に通っていたのは……そんなつまらない理由があったからなんです」


 百合は左手でブレている右足の付け根を摩った。


 「相談すればシグやお姉ちゃんは喜んで賛成してくれる。でも、その確信を他の人達に思えるのか不安だったんです。高性能だろうと何だろうと、所詮自分はAIで人間ではない。人では無い私を……触る事のできない私を受け入れてもらえるか…………その不安をどうしても拭えなかった」


 百合は左手で何とか身体を起す。それをすぐに司は支えた。


 「だから司さんと会って話してみて驚きました。触れない自分を知られても私自身が“それほど不安に思わなかった”って事に。壁を作ってただけだったんですよね。何てことない事実を実感しました。私の…………そう、心は全然嫌がってないって。人と仲良くしたいんだって。でもやっぱり自信がないって思っちゃうから……シグに意地はっちゃいましたけど」

 「……百合?」


 司は語る百合の様子に違和感を受けた。


 ただ喋っているだけなのだが、何処か決定的に生気が欠けている。


 まるで長生きできないと宣告された患者のように。


 「自分の事を棚に上げて言うとですね。司さん、私もっと早く…………あなたと出会いたかったなぁ……」

 「――――――――――――――え?」


 司は自分の目を疑った。百合の身体に信じられない事が起こっていたからだ。


 「なんでだよ…………災厄獣はもういないんだ……百合は助かったはずだ……」


 百合の身体が分解しかけていた。


 コックピット内で見たのと同じだ。百合の身体を構成するプログラムが粒子となって闇の中に散っていく。


 百合の命が――――――――尽きようとしていた。


 「エルポノルユーリの中をこんなに破壊されて、自分の片足と片手も失って……本当はこんな状態で生きてるのがおかしいんですよ。こうやって司さんと話せるワケが無いんです……本当なら。フフフ」


 百合の微笑みが寂しく響き渡る。


 「生きていられたのは…………頭と胸が無事だったからなんですかね。ほら、心は頭か心臓にあるって言われてるじゃないですか? その心が最後のエネルギーになって私を生かしてくれたのかもしれません。多分……ですけどね」


 輝きながら散っていく身体を見ても百合は一切動揺してなかった。


 覚悟を決めて自分の運命を受け入れている。そしてその表情は優しく、死に行く者の顔には見えなかった。


 「ダメだ……死ぬな……死ぬな……」

 「もう一度言いますね……私の好きな人達を……この星をお願いします……司さん……」


 段々と百合の声が弱々しくなっていく。司は百合の手を懸命に握るが、それで事態に変化が起こるワケがない。百合の消えゆく身体は変わらず、その現実を司は拒否し続ける。


 「何でだよ…………何でお前が死ななきゃいけないんだよ……ずっと戦ってきたんだろ? この星のために……人間達のために…………オレや姉ちゃんやみんなのために……ずっとそうして来たんだろ? それなのに……ダメだろ……こんなのがお前の最後だなんて……絶対にダメだ……あっちゃいけないんだ……」

 「司さん……最後に私を抱いてくれませんか…………あの暖かさを……最後まで感じていたいんです」

 「………………くッ!」


 司は百合を抱きしめた。粒子が零れないように力強く、そして優しく百合を包み込む。


 「暖かいです……司さんの身体……」

 「生きてればいくらでも抱いてやる! こんなのいくらでもしてやるから! だから死ぬな! 死ぬんじゃない百合ッ!」

 「司さん……もし良ければ生まれ変わってた私とも…………」

 「百合ッ!」

 「また……友達になってください……」


 その言葉を最後に百合の言葉は途絶えた。


 「………………百合」


 百合の身体が全て粒子と変わり闇の中に溶けていく。さっきまで抱きしめていた百合の身体はなくなり、感じた体温だけが腕に残っていた。


 百合の暖かさだけが――――――この暗闇の中に残されていた。


 「司……司……返事をしろ……何処にいる? そっちはどうなっている……百合の反応がない……何があった…………返事をしろ…………司……司……」


 シグの声が司の耳に届く。


 だが、司はその声にしばらく返事をする気にはなれなかった。

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