第31話 希望のイベント

シグの声に力はなかった。ウィルスの進行を遅らせられても止める事はできないのだ。しかもそれはシグと百合が力を合わせての話である。


 つまり、シグだけでは百合を破壊しようとしているウィルスをどうにかする事はできないのだ。


 「そんな! どうにかできないのかよ!? シグッ! 本当にどうにもならないのかッ!」


 それは解りきっている答えだった。シグがどうにかできるならどうにかしているに決まっている。


 だが、そうだとわかっていても司はシグに聞かずにはいられなかった。


 「……………………」


 シグは何も喋らない。


 自己嫌悪がすぐにやってくる。


 「くそッ!」


 絶体絶命の危機は乗り越えたはずなのに。一人立ち向かう百合を止めて、十一体の災厄獣を倒して、それで全ては問題無く終わったはずだったのに。


 どうして――――――こんな事態に。


 「司……さん……」


 百合の身体がブレ始め、足下から分解するように文字の羅列が現れ霧散していく。


 それが百合を構築するプログラムである事は無意識に解った。


 ついにウィルスの浸食が百合の身体を蝕み、エルポノルユーリというAIそのものを破壊しかけている事も。


 「残念……で……す……」


 だというのに――――――百合はニコリと笑っていた。


 何もできない自分を非難している司を安心させるような笑顔で。


 「……私は……ここまでみたい……です…………だから……お願いします…………」

 「百合ッ!」

 「…………ブレイブヴァインで……守って……私の大好きな……人達のいる……この…………星を………………」


 そこで百合の身体は消失した。テレビの電源が落ちたようにプツリと姿が消え、文字の羅列が空気に溶けていく。


 司は消えゆく構成プログラムに手を伸ばす。


 だが、当然プログラムを掴む事はできず、その手は空を切るのみだった。


 「うわあああああああああああああああッ!」


 司の悲鳴がコックピットに響き渡った。


 ここまで己が無力である事に苛立ったのは始めての経験だった。何もできない事を痛感し、その痛みは悲鳴として司の口から零れ出ていた。


 「百合ッ! 百合ッ! 百合ッ!」


 何度名を叫ぼうと百合が消失(デリート)された事実は変わらない。


 だが、そうだと解っていても――――――そうだと解っていても司は叫び続けた。


 「百合ッ! 百合ッ!」


 司にとって百合は大切な“人物”だった。


 災厄獣の脅威を払ってくれた恩人で、自分が強く変わるきっかけをくれた英雄だった。


 そして、その恩はこれから返していくはずだった。


 「百合ッ! 百合ッ!」


 そう、全てはこれからだった。これからだったはずなのに。やっと力になる事ができたのに。


 ブレイブヴァインのパイロットに選ばれ、百合と一緒に戦う事をこの上なく光栄に思っていたのに。


 どうして――――どうして――――どうして――――


 いくら後悔しようと百合はもう帰って来ない。百合の死が実感を増していく。

 百合は死んだ。


 そう、司が認めかけた時だった。


 「騒ぐな。ユリはまだ“死にかけている”だけだ。ユリを助ける方法はある」


 闇の底から引き上げるようなシグの力強い声が聞こえた。


 「ほ、本当か!?」

 「これからお前の生体波や脳波といった“体の流れ”をデータに変換させエルポノルユーリに接続する」


 シグは続けた。


 「災厄獣に通じるワクチンプログラムは今のところ存在しない。だが、人の“心”をワクチンとして撃ち込めば災厄獣ウィルスに対抗できる可能性がある。心というモノはプログラムなどとは比較にならないほど複雑で計り知れず“意思”といった力が重要視される人間の機関だからな」

 「そ、そんな事が可能なのか!?」

 「ココロシステムのバックアップがあれば可能だ」


 突如、司の前の床が僅かに開きそこから鉄砲型注射器(ハイジェッター)が現れた。


 だが、通常の鉄砲型注射器(ハイジェッター)と違いグリップの部分に長いケーブルがついてあり、それが床下へ続いている。


 それの意味する所はシグに言われなくても司には察しがついた。


 「コレを使えば百合を助けに行けるんだな?」

 「そうだ」


 シグの返事は何処か歯切れが悪かった。


 「そして、行ったが最後死ぬかもしれない。それも高確率で、だよな?」

 「……そうだ」

 「ま、そうだよな。簡単に済む問題なら、あの時お前は無言になんかならないだろうし、すぐにこの提案をしたはずだ」


 あの時、黙ったままだったシグを思い出しながら司は言った。


 「これはユリを助ける唯一の方法だがあまりに危険だ。ウィルスと呼称されるモノだが、その正体はあの災厄獣。そして“災厄獣に勝てるのはブレイブヴァインのみ”であり、そのブレイブヴァインでこの災厄獣と戦う事はできない。つまりお前はたった一人、“個人”でカイザー級という最高位の災厄獣と戦わなければならないんだ」


 司に「死にに行け」とでも言うようにシグは話を続ける。


 「お前もユリのように消失(デリート)する可能性は大いにある。この災厄獣に心が負けてしまえば身体はただの抜け殻となり、目覚める事は二度と無いだろう。エルポノルユーリだけでなく貴重なパイロットまで失えば、もう地球の命運は決まったも同然だ」


 超AIであるエルポノルユーリがいなくなればブレイブヴァインの機能に大きな障害が発生し、さらに司がいなくなればココロシステムを起動させられずブレイブヴァインに合体も不可能となる。


 百合がいなくなるだけでも致命的なのに、司までいなくなればさらに取り返しがつかない。


 そうなってしまったら地球は災厄獣に抵抗する術を完全に失い、じっくりと死の星へと変えられてしまうだろう。


 だが。


 「だが、私はお前を信じたい」


 その言葉には“迷い”はあっても“不安”は何処にもなかった。


 「人の心の強さというモノを。単なる思考停止でも自暴自棄でもなく、このブレイブヴァインを動かす事ができるお前を信じようと思う」

 「……シグ」

 「司、どうかこの私の“わがまま”を聞いてもらえないだろうか?」


 シグは司に願った。


 自分が何を言っているのか自覚した上で、その身を犠牲にしろと司に言った。たった一人で戦いに行けと非情な選択を迫った。


 シグは全ての責任と決着を無責任に司へ押し付けた。


 「聞くも何もオレの答えは決まってるよ、シグ」


 司は鉄砲型注射器(ハイジェッター)を掴みとった。


 「こんどはオレが百合を救ってくる。ただそれだけの話だ」


 気にするな。オレは勝手に思って、勝手に助けに行くんだと。


 シグを責める事はなく、任せろとばかりに司は笑った。


 「わんわんわんわん!」


 ダイスケが尻尾を振りながら近寄ってくる。司はダイスケの頭をさすると首筋に鉄砲型注射器(ハイジェッター)の先端を当てた。


 その動きに躊躇いはなかった。


 「じゃあ行ってくる」


 司は百合を助けるべくその引き金を引いた。

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