第21話 さよならのイベント
「う……ぐ……」
真っ赤に点灯しているコックピット内で司は目を覚ました。
どれくらい気を失っていたのだろう。スクリーンには何も映っておらず〝修復処理六十パーセント〟と出ており、その数字が時の流れを告げるように点滅している。
体が酷く痛い。見れば座席から盛大に吹っ飛んでいた。前スクリーンに背中を押しつける形で寝転んでおり、先程の衝撃がどれだけ激しかったのか司に教えていた。
「いちちち…………って!?」
すぐに司は飛び起きる。百合がすぐそばで倒れていたからだ。
おそらく叩きつけられたのだろう。百合の少し上にある左スクリーンにヒビが入りガラスが散っている。司と同じく座席から吹き飛ばされたようだが、ダメージの酷さはこちらの方が強烈だ。所々に傷や痣が見え、すぐに治療しなければ危ない様子に見えた。
「大丈夫か!? しっかりしろッ!」
司は思わず百合に触ろうとするが、その手は虚しく空を切る。
「…………くそッ!」
目の前で大好きな女の子が倒れているのに何もできない自分に悪態をつく。
頭では触れないと理解していても感情までそうはいかない。肩すら貸してやる事ができない自分への憤りがどうしても溢れてしまう。
百合を助けたいと思っているのに、傷ついている百合を見る事しかできない。
理屈では無い。心でそう思うのだ。
「司……無……事か……」
「シグか!?」
雑音混じりの声が聞こえる。この声は間違いなくシグだった。
「うむ……少しスピーカーをやられたか……だが会話には問題ない。中央司令室への通信は完全に切れてしまったが」
「ふう……まあお前が無事でよかったよ」
司はホッと息をつく。シグの反応が無ければヴァインの機能は停止したも同然だろう。シグの無事とヴァインが再起不能になっていない事に司は安堵する。
「今の状態ってどうなってるんだ?」
「ヴァイン損傷率四十パーセント。まだ動けると言いたい所だが厳しいな。左腕は吹き飛び、今の足で走る事はできない。ふらつく程度が関の山だ。ドミネートガンだけはかろうじて使えるがシンクレアは無理だな。接続箇所が潰れている。現れた十体のオルゴンデール級がこちらに向かっているのを見るに、現状打開はかなり難しい」
「そうか…………でも、まだブレイブアクセスは可能だよな?」
「不可能だ。三騎士が大破している」
その時、スクリーンに表示されている修復率が百パーセントに達した。スクリーンに大量のプログラムが一瞬表示された後、外の景色が映し出される。
そこに見えたのはヴァインの横転で破壊された新座山市の街並みと、バラバラにされてしまった三騎士の残骸だった。
セントレイ、ゼルグバーン、ティーンベルの三機が街に転がっており、それはどうみても打開不可能な現実を司に見せつけていた。
「…………なぁ、これで終わりなのか? 本当にこれで終わりなのか?」
「…………………………」
「これで人類は災厄獣に滅ぼされるのか? もう抗えないと決まったのか?」
「……………………」
司は拳を思い切りコックピット内の床にぶつけた。
「…………オレは…………諦めないぞ……」
三騎士が大破し、ヴァインも相当のダメージを負っている。
そして相手はオルゴンデール級という上位に位置する災厄獣であり、それが十一体もやってきている。ブレイブアクセスはできず、それ以外の解決策は無い。当然有効な武器も無く、もう逃げる事しかできない。
「お前達がくれた安息を……なくしてなんかたまるかよッ!」
そんな状況で吐かれた司の言葉はひたすらに無様で滑稽だった。敗北を認められない往生際の悪さと惨めさで溢れており、強い言葉はあまりに無力だった。
「絶対に……絶対に…………絶対にだッ!」
だが、その言葉は無様であれど強さの輝きに満ちていた。
どんな苦境にも屈しない信念が見え、誰もが抱く闇に心が支配されていない。
滅亡がどうしようもなく予測される現実を見ても司は“逃げず”に己の諦めと“戦って”いた。
「そう……ですよ……司さん……」
精一杯の力を奮うように百合は立ち上がった。
「人類滅亡なんてさせません……それは絶対に……絶対に……です……」
体の傷が見えるため、その姿は気を失っていた時以上に痛々しく見えた。左腕を庇うように右手で支え、動悸も激しく肩を上下させながら呼吸している。
司は駆け寄ろうとしたが、百合はやんわりと手で断った。
「手はあります……まだ全てが終わったわけではありません……」
「百合!」
怒気のこもったシグの声が響いた。
「デスディルシステムを……それを使えばあんな災厄獣……相手になりませんから」
「やめろ、馬鹿げている。そんなモノを使う必要は無い」
「必要ありますよシグ…………他に手が無いのはあなたもわかっているはずです……」
「…………………………」
「ふふふ…………バルビルシグナスはエルポノルユーリより何倍もしっかりしたAIなんですから……そんな事を言ってはダメです」
百合は笑顔で言った。
「私は必ず……みんなを守ってみせますから……」
百合は足を引きずるように自分の座席へと歩いて行く。
それを見た司はすぐに百合の前へ立ちふさがった。
「ちょっと待てよ。お前何する気だ?」
「デスディルシステムを起動させて災厄獣を殲滅します」
「そのデスディルシステムってのを使ったらお前はどうなる?」
「…………どうもなりませんよ」
「嘘をつけ」
司の前から百合は動かない。
これはおかしかった。司などすり抜けて無視できるはずなのだが、何故か百合はその場でジッと立ち尽くしていた。
「本当にどうもなりませんよ…………デスディルシステムを使っても“エルポノルユーリは消えずに残ります”から。だからどいてください」
「嫌だ」
そんな簡単な事で済むなら合体など必要ないし、そもそも司が必要とされない。
百合が何か隠しているのはシグとの言い争いで十分予想できるし、それがきっと百合に最悪の結果を引き起こす事もわかっていた。
「オレはお前の力になるためにパイロットになったんだ。一人で全部やるつもりならオレは絶対にどかない。オレ達でやれる事を考えるんだ」
「そんなのありません…………三騎士が破壊されて通常の合体は不可能なんです……司さんやシグにできる事はもうないです。どいてください」
「嫌だ」
司は動かない。
そのまま五秒程度が過ぎて、百合は大声で叫んだ。
「いい加減にしてください! 現状を打開できるのは私しかいないんです! 司さん自分が何してるのか解ってるんですか!? 早くしないと災厄獣がヴァインを完全破壊してしまいます! そうなったら人類に反撃する手立てはなくなるんですよ!? この星が滅びてしまうんです! それでいいと思ってるんですか!?」
「そんなの思うわけがない。人類が滅びるなんて絶対にあっちゃならない」
「だったら!」
「でも、百合がいなくなる事もあっちゃならない。そんなのオレが認めない」
そう言う司の顔は真剣だった。
「私なんかどうでもいいじゃないですか! 私が死んでもエルポノルユーリが死ぬワケじゃない! 初期化されて今の私が消えるだけです! ヴァインや三騎士は完全破壊されなければエルポノルユーリの修復処理能力を全開で使えばなんとかなります! 今はこの事態を何としてでも乗り越えるのが大事なんです! 乗り越えれば次に繋げる事ができる! 私の犠牲でそれができるならするべきなんです!」
「そんなふざけた事言うなッ!」
司の声にビクリと百合の体が反応した。
「お前もしかしてそれでヒーローになったつもりか? だったら言ってやる。そんなはヒーローなんかじゃない。ヒーローってのは敵をぶっ倒して助けた人に自分の無事を告げられるヤツの事を言うんだ。今、お前がなろうとしてるのはヒーローじゃなくただの自爆女だ。全然違う。そんな自己満足なんか絶対に許してなんかやらん! ヒーローになるつもりならもっとカッコイイやり方を考えてみせろ! 十二年前にオレを感動させた時みたいにな!」
「なっ――――」
酷いわがままだった。
解決策の代案があるワケでもなく、ただひたすら百合を攻めるだけの言葉だ。明らかに聞く耳の持てない内容であり罵倒でもあった。
「そ、そんな理屈が通るワケないでしょう!?」
「通らせる! でなきゃオレはお前に恩を返せない! それに、このままじゃ人間は全部お前に辛い事全部押しつけてボロボロにした弱虫クソ野郎になっちまう!」
司は膝をつき、そのまま地面に両手をつく。百合に土下座したのだ。
「人類を助けるだけで終わるなんて事はあっちゃならない! 頼む! 消えるだなんて言わないでくれ!」
「な、何を言ってるんですか司さん?」
百合は混乱した。司が何をしているのか理解できなかったのだ。
自分は人類を助けるためにこの身を犠牲にしようとしている。その行為は少なくとも止められるような事ではないはずだ。
なぜなら、そうしなければ人類は滅亡してしまうからだ。
正直に言うなら死ぬのは嫌だ。死にたくないと本当は思っている。だが、それで人類が滅んでしまうのはもっと嫌なのだ。
自分を育ててくれた唯や、兄妹のように接してきたシグ、力になりたいと言ってくれた司や、知り合いになれた紅夏や順英やロンバルディ社の人達。
そんなみんながいなくなってしまう事を考えると、身体の内にどうしようもない痛みを感じるのだ。その痛みは死よりも嫌悪するモノであり、これ以上の苦しみなど百合にはなかった。
(なのに――――――どうして私は――――)
だが、目の前で土下座している司を見ていると、この行動は間違っているのではないかと思ってしまう。これは、司をただ苦しめているだけなのではないかと。
そう思うと。
(――――胸が苦しい――――どうして――――)
災厄獣は自分が犠牲にならなければどうにもできない。
それは間違いない。間違いのない事実なのだが――――――それは本当にそうなのだろうか。
胸の苦しみがそう告げている。
「…………………………」
「ロンバルディ社の人達だって何か考えてくれてるはずだ! だからオレ達ももう少し考えよう!」
司は懸命に百合へ訴えていた。そこに打算や考えなど無い。
司にあるのは死んで欲しくないという気持ち。
ただそれだけだった。
「オレや世界のみんなを助けてくれたお前を犠牲にする事なんて…………絶対にしたくないんだ……」
「司さん…………」
おかしな図だった。
客観的に見れば、司は人類に死ねと言ってるも同義であり、そんな司を見て百合は迷っている。自身の確信に迷いが生じている。
茶番だった。何をすればいいのかなどはっきりとしているのだ。無意味極まりない光景だった。
しかし、その言葉は百合の胸を苦しませ――――――――――――心に響く。
「ありがとうございます…………」
百合は膝をつき、司の頬をなでるように手を向けるが、当然その手はすり抜ける。
「……………………私を心配してくれて」
だが、百合は体温を感じるように頬に手をピッタリとつけたまま離さなかった。
「…………百合?」
司は顔を上げた。
「でも……やっぱり私にしかできないんです。現状を打開できる力は私しか持っていない。力を持っているなら…………私はみんなのために使いたい。それがAIであるエルポノルユーリ…………篠々木百合の役目なんです」
百合は立ち上がった。
「ごめんなさい司さん。私は…………みんなを救います」
「百合!」
それきり百合の姿が見えなくなった。
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