第15話 痛みの理由のイベント

「副司令になっての最初の仕事は百合を研究所から連れ出す事だった」


 車の中、司は運転する唯が話す事をジッと聞いていた。


 「司令と一緒に研究所に行ってな。浴槽の中でありとあらゆる実験を繰り返されている百合がいた。アレは今でも覚えている。AIでありながら姿形を持つ百合は絶好の研究対象だったらしい。あそこの研究者にとって世界を救った英雄はそこらのモルモットと変わらない存在だった。最悪すぎて未だ鮮明な記憶で脳に残っている」


 実験についての具体的な説明はなかった。


 だが、唯の口調からそれがロクでもない行為だったのは簡単に予想でき、司は特に何も聞かなかった。


 「百合を無理矢理連れ帰ると、私は百合の面倒を見させて欲しいと司令に頼んでいた。別に私以外の人材がいなかったワケではない。まあ、これは私の我儘だな。研究所での一件が絡んでいる事も否定しない。しかし、それ以上に私は百合に心を教えたかった」

 「心?」

 「百合にあるのは、ひたすら他者のためになりたいという犠牲心だった。相手の望む事であれば何であろうと行動する。それが自身の命を削るモノであろうと関係無くだ。クソッタレな主人に傅く奴隷のように百合は…………プログラムされているようだった」


 そう言う唯の声は何処か悲痛に聞こえた。


 「百合は人間じゃない。ブレイブヴァインを構成する機械の一部であり、ヴァインに積まれているエリポノルユーリと呼ばれるAIだ。それはわかっている。機械なら主人のためにその身を酷使し従順に尽くすのが義務だろう。そうプログラムされているのは当たり前なのかもしれない。だが、どうしても私は百合を部品(パーツ)として見る事ができなかった」


 そこにどんな葛藤が唯にあったのか司にはわからない。


 だが、唯にとってそれは当たり前の選択だったのだろう。語る言葉に迷いは感じられなかった。


 「知っていたか? 私達は百合に触れる事ができない。触ろうとしてもその身を通り抜けてしまう。人間としか思えない姿形をしているのに、決定的に私達と違う所を持っているんだ」

 「それは知ってる。二回ほど百合に触れる事があったから」


 一回目はガレキから百合を助けようとした時で、二回目は百合の前で倒れてしまった時だ。一回目はただ混乱しただけだったが、二回目は百合という存在がどういうモノであるのか司に確信させた。


 「では“痛みを感じる”という事については知っていたか?」

 「……痛み?」


 そこで初めて司は気がついた。


 百合には触れる事ができないと勝手に思い込んでいたが、それは正確ではない。

 初めて会ったあの時、自分は百合に触れる事ができなかったが、ガレキは百合に“当たって”いた。


 だから百合はあの時苦しんでいたし、司は助けに向かったのだ。


 これは何かおかしかった。


 「百合は人間や動物や植物といった“生命”に触れる事はできないが、生命の無いモノには触れる事ができる。だから百合は躓いて転ぶ事もあるし、柱に足をぶつけてしまう事もあって…………そこに痛みを感じる。百合はAIなのに、こんな“不必要な部分”を何故か持っているんだ」

 「そう……だったのか」


 それはあまりに中途半端な存在だと司は思った。


 生命に触れる事ができず、生命でないモノには触れる事ができ―――――――痛みを感じる。


 なぜ、百合を造った者はそんな余計な機能を持たせたのだろう。完全な機械として扱うなら、そんな機能は最初から消しておくのが普通なはずだ。


 明らかに必要の無い部分なのに。


 (なんか“痛みという機能を活かすためについている”みたい…………だよな)


 それは機械にあるまじき余計な機能(デットウェィト)だ。


 だが、そう考えると触れる機能を半端に残した理由が解るのだ。


 痛みとはあらゆる接触から生まれるモノだ。


 触れる事ができなければ絶対に痛みというモノを感じる事はできない。逆に言えば、触れる事ができれば痛みを感じる事ができるのだ。


 この、触れるという機能をワザと半端に残したとしか思えない処置は――――――まるで、百合に痛みを解らせる必要があるかのようだった。


 「ブレイブヴァインとは対災厄獣究極最強人型決戦兵器だ。それは調べれば調べる程にわかった。だからこそ私は百合の事を疑問に思っていた。ただの兵器に“あんな機能”が何の役に立つ? 痛みなど機械にとっては非効率なショック信号に過ぎないのに何故? ブレイブヴァインを造った人物はどうしてAIにこんな機能をつけた? 制作者達の考えなど知るよしもないが、その“人間らしすぎる”機能を知って私は思った」


 唯は言葉を続ける。


「製作者が造ろうとしていたエルポノルユーリはまだ未完成なのではないかと。だから、あんな半端な機能があるのではないかと。ならば、私がするべきはこの少女には心を教えるべきではないのではないかと思ったんだ」


 それは別に突拍子も無い発想ではない。


 唯が百合を“人として未完成”だと思ったなら、当然の処置と思うべきだろう。


 「ブレイブヴァインは災厄獣に襲われた星を渡り行き、機能を次第に完璧にしていったという事が解っている。その過程が百合のような存在を生んだというのなら、心を教える事は義務だと私は思ったんだ」


 ブレイブヴァインにある、たった一つの不完全。


 それを唯は心だと言った。


 「痛みが解るのならば自分や誰かを大切にする事ができる。そして、そこに意志や感情が生まれるのは必然だ。私は百合という名前を与え、エルポノルユーリを個人として扱った。優しさや思いやり、自分や他者を大事にする事を百合に教えながらな。百合は教える私を姉のように慕いそれらを学んでくれたよ。私が言うのも何だが、そのおかげで百合はとても良い子に育ったと思う。誰よりも“優しい心”を持った者に」


 それはきっと理想的な関係となったのだろう。


 唯の言葉の何処にも迷いはなく、ほんの僅かだが百合と唯の関係を司は見ている。


 二人を見る限り、そこにあるのは家族と変わらない愛だった。


 「百合はずっとロンバルディ社内で過ごしていてな。お前は百合が初めて外の世界でまともに接した人間だ。お前と関係を築く事は百合の確かな成長となるはず。心を豊かにする事は百合の幸せにも繋がる事だろう」


 百合の幸せ。唯はその行いを“ブレイブヴァインのため”とは言わなかった。


 おそらく、これは発言としておかしい。


 「別に、言われなくてもそうするよ」


 百合は地球にある唯一の災厄獣兵器だ。


 未知のテクノロジーに対してできる事など少ないはずで、そんな兵器に改良が施されるなら絶対に逃せないチャンスだろう。


 百合の心の問題は“そういう事であり”決して無視していい内容ではない。


 だから唯はもっと司にプレッシャーをかけるべきであり脅すべきだった。


 「お前が百合と仲良くしなければ地球の未来は無い」くらい言い放ち、司に操縦者としての自覚を持たせるべきだった。ブレイブヴァインに関わった事の責任感を諭すべきだった。


 だが、唯はそんな事を司に言おうとはしなかった。


 いや、そもそも唯は百合が兵器である前提で話をしていても“兵器として”百合の事を話していなかった。


 「以前オレを目の前で救ってくれた百合をオレが嫌いになるワケないし。むしろ、もっと仲良くなりたいと思ってる」


 あるのは百合に対する思いだけだった。妹を心配する姉の気持ちを司に言っただけに過ぎない。


 そう、それはまるで家族のように。


 「だからえっと…………百合と会えるチャンスをこれからは作って欲しいというか……その何と言うべきか……」

 「…………お前、百合の事好きなのか?」


 ストレートに聞いてくる。


 「な、何言ってんのよ!? 初対面の女子にそんな事思うなんてそんなワケねぇし! ただ、ちょっと可愛いなーって思っただけだし!」

 「…………そうか」


 裏返った司の声を笑おうともせずに、唯は納得するように目を緩ませた。


 「百合は可愛くて良い子だからな。お前とは大違いなのだから惚れるのは無理もない」

 「だ、だから違うっての!」

 「故に、お前と唯の価値は至高な芸術品とジャンクフード程の差がある。何かあればその身が千切れるモノと覚悟しておけ」

 「…………その大事さを弟にも持って欲しいよな」

 「何か聞こえた事にしてやろうか?」

 「心にも無い事を発してしまい申し訳ございません」


 ロンバルディ社の地下道路は長い。久々に長話をする姉弟の会話は、地上に出る一時間もの間ずっと行われた。


 終始、司が唯にからかわれる結果を残して。


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