果敢なき勝利3
三日目の朝をウェリオン=ルーファスは陰鬱な気分で始めなければならなかった。前日、というより6月6日の午前2時まで彼は疲労と眠気の中で負傷者の様子を見ていた。途中でさすがに耐えきれず、クラウジックと交代して睡眠をとったのだが、いざ横になるとなかなか寝付くことが出来なかった。そして眠りに落ちれば落ちたで悪夢を見て、二、三度起きてしまったのだ。嫌な夢だった。ローベの死ぬ瞬間、死んでいった仲間の憎悪の声、殺した兵士の顔、そして自分が処刑される姿。忘れたくても、何度も見たせいで嫌でも頭に浮かんできてしまうようになってしまった。
結局寝れたのは3時間ほどだった。かのガリアンデュアの英雄レオポルド=レオナルドは毎日三時間しか寝なかったというが、これを毎日続けていて睡眠不足でよく死ななかったものだ、と意味のない感心をした。
痛みを伴う重い頭をもたげながら部屋から出たウェリオンは、眠そうな細い目をしたエリザと鉢合わせた。
「エリザ、おはよう。」
そう挨拶すると、エリザも少し口元を緩めて返した。初対面の人間ならば挨拶を返されなかったことにへそを曲げるかもしれないが、ウェリオンは特に気にしなかった。エリザは口数が少なく、これが普通の対応なのだった。
「お前も寝てたのか?」
そう聞くとエリザは軽く首を横に振った。その目の下には隈がある。白い肌のせいで余計目立って見えた。眠そうな目つき、というのも元々の自前なので、眠いのかどうかエリザの場合は目からは見分けがつきにくい。
「じゃあ何してたんだ。」
「皆で大けがした人の看護してた。…でも動かなくなっちゃった。」
ウェリオンは深いため息を禁じ得なかった。肩に何かが重くのしかかり、その場に座りかけたが、なんとか踏みとどまった。詳しいことを聞こうとは思わなかった。エリザにとっても自分にとっても、その方が良いと思った。聞いたところで、多くない気力が減るだけだ。
「ねぇ、リオン。」
エリザが遠慮がちに聞いてくる。といっても、エリザは普段からも遠慮がちなように話しかけてくることが多いが、付き合いの中でウェリオンにはその程度が分かっていた。
「なんだ?」
「ローベは…。」
その固有名詞にウェリオンは心臓が一段階跳ね上がった。沈黙が流れたが、両者ともに相手が何かを言うのを待っているようだった。無論、両者は相手が何を言うかを暗に悟っていたのだが。
ウェリオンは何も言えなかった。言わなければならないのだとしても、言いたくなかったのだ。言えば、エリザは知ることになる。ローベの死も、ウェリオンの責任も。それはウェリオンには耐えがたいことだった。
「それよりも飯でも…」
ぎこちない口調で話題を変えようとする。視線も、エリザからそらし歩み始めようとした。しかし、ウェリオンの裾をエリザが捕まえた。さほど強くない力のはずなのに、ウェリオンは杭で地面に打たれたように動けなくなってしまった。
「リオン、答えて。ローベは…。」
今度は耐えることが出来なかった。ダムが崩れて、せきとめた水があふれだした。
「死んだ。」
たった一言、そう答えた。それがウェリオンに出来る精一杯のことだった。
エリザは何も言わなかった。何かまだ言うのを待っているのか、ウェリオンにはそう見えた。
「俺が見殺しにしたのも同然だ。俺が助けにいってれば…ローベは…代わりに…。」
最後まで言いきることは出来なかった。まるでこれから叱られる子供のように、ウェリオンは恐れながらエリザを見返した。エリザに罵られると思っていたが、エリザは別のことを口にした。
「ローベは優しい人だった。」
その言葉の意図するところが分からず、唖然と見つめるウェリオンを尻目に、エリザは続ける。
「私が困っている時、いつも助けてくれた。相談に乗ってくれた。」
俺は責められているのだろうか。一瞬疑念がよぎる。だが、エリザが婉曲に、遠まわしに責め立てることはないとウェリオンは知っていた。彼女は、そういうことが出来ない性格なのだ。では、一体?
「私はいつも世話になってばかりだった。ローベを助けたいって思っても助けられてばかり…ローベは構わないって言ってくれたけど、私は一度でいいからローベの役に立ちたかった…。でも…もう叶わないんだね…。私は結局…何も出来なかった。」
ああ、そうか。エリザが責めているのはウェリオンではなく、エリザ自身だったのだ。ローベは気にしなかっただろうが、エリザはいつも助けられているばかりの自分に劣等感を、無力感を持っていたのだろう。そしてついぞ、解消される機会のないまま、ローベは逝ってしまった。彼が死ぬ前になにも出来なかった自分を、彼女は責めているのである。
ウェリオンはいたたまれない気持ちになった。いっそのこと責められたのならば対応のしようもあっただろうが、この場合はなんと声をかければいいのか分からなかった。気にするな?そんなことはない?ありふれた言葉では意味がないだろう。考えた末…というわけではなく、ウェリオンは直感で彼女に言った。
「エリザ。エリザは花が好きだったな。」
エリザは肯定も否定もしない。記憶を失っている彼女には少々難題だったかもしれないが、ウェリオンは彼女が花をみつけるとその場に立ち止まりかけるのを知っていた。
「ローベも、あいつも花が好きだったよ。何科だとか、薬に役立つとかそんなのだったけど。帰ったら、あいつのために花を集めてやろう。きっと喜ぶさ、ローベは。」
ウェリオンの記憶野にある光景が思い起こされた。ある日、ローベが植物をみつけた。クラウジックは食えるのか、と聞き、フランは綺麗な花だと喜んだ。集めるローベをウェリオンは揶揄したが、彼は苦笑しながら言ったものだ。これは薬に使えるんだ…。民間療法だけどね、よく効くんだよ―ウェリオンはこの時ハッとした。薬でもなかなか治らないしつこい風邪をひいた女生徒がいたのだった。ローベはそういう男だった、気のきく、優しい男。彼はもういない。いくら悲しんでも、戻ってはこないのだ。いつまでも引きずるわけにはいかなかった。
きっかけが必要だと思われた。かけがいのない親友の死から立ち直るために、あるいは死者との永遠の別れを告げる一種の儀式が。第三者は非難するだろうか、死者を忘れるのかと。いや、そうではない。忘れるわけではない。
「だから、皆で花を集めて贈ってやろう。」
エリザは小さく頷いた。ウェリオンはそれを見て、頬笑みを向けた。思えば、帰還以来初めて穏やかな気持ちになれたかもしれない。エリザには皆を笑顔にする不思議な力があるのだ。心の中で、この少女に感謝をいれた。
「さて、と。俺は飯でも食ってくるかな。いや、その前にクラウジックに一言いれないと怒るかな。エリザはどうする。一睡もしてないなら寝といたほうが良いぞ。俺からフランに言っとくからさ。」
エリザは迷いがちに口を開け閉めして言葉を選んでいた。やがて声が発せられたが、それはエリザが発
したものではなかった。
「ルーファス准尉。」
よく透き通るが鋭い深みのあるその声は、聞いた回数こそ少ないものの、一度聴いたら忘れられないものであった。ウェリオンが振り返ると、いたのは褐色の肌のダークエルフの麗しき女性、アタランテであった。ウェリオンと同じ目線にあるその青い目はまるで鷹のような鋭さを持ち、リンドバーグに睨まれた時とは異なる、さながら獲物としてみられるような感覚に陥るのだ。これまでは委縮してしまうこともままあった。
「アーサー少尉が呼んでいる。至急とのことだ。」
その言葉を聞いた時、ウェリオンは先ほどまで持っていたアタランテに対するありとあらゆる感情を忘れて駆けだした。アーサーは長く昏睡状態に陥っていたのである。
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