果敢なき勝利4
アーサーは負傷者の中でも特に傷の度合いが激しかった。足は骨にまで銃弾が達し、わき腹は臓器を避け、銃弾は貫通してはいたものの、出血が著しかった。ドクは全霊をあげて出来る限りの治療を施したが、船内の設備と備品では限界があった。彼は口にこそしなかったものの、その顔には諦めの表情が浮かんでいた。次の日に昏睡状態に陥りながらも息をしていたアーサーを見て驚きはしたが、ドクはおそらくは当初の感想を変えはしなかっただろう。
そのアーサーが目覚めたのである。その報せは暗い訃報が続き、精神が極限にまですり減らされたウェリオンの心を幾分かは明るくしてくれるものであった。アーサーとは作戦を通じて奇妙な友情のようなものが芽生えたとウェリオン自身は思っていた。作戦中に彼の行動や言動から根はいい男なのだとも分かった。しかもアーサーはエリザを助けてくれたのである。彼とはこれから友情をはぐくみたかった。色々な話もしてみたい。死んでほしくなかった。
後ろからついてきているエリザは相変わらず表情の変化に乏しいが、それでも不安と期待と嬉しさとを混合させているのが見て取れる。彼女としては自分をかばって負傷したアーサーに対して負い目を感じているのは明らかだったから、彼の無事に関して喜ぶのは当然だろうとウェリオンには思うのだが、彼女の心情はいささか異なっていた。
アーサーの「病室」の前に辿りつくと、ウェリオンは逸る気持ちを抑えて、けが人に対する礼節を守る形でノックと開門を行った。それでもその顔は笑顔を抑えることが出来ないでいたが、扉を開いて半秒でその笑みは自然にひいてしまった。ウェリオンが想像していたのは、ベッドに半身を起したアーサーの姿だったが、実際には想像とはかけ離れた朱色の包帯に包まれて、色の悪い顔に汗を流したアーサーの姿だったからである。
口は半分開きながらも、何も言えないウェリオンにアーサーは無理に作った笑いで返した。
「すまないな、忙しいのに呼びだして。」
そう言うとアーサーは二人にイスをすすめた。
「具合はどうなんだ?」
聞いてから、ウェリオンは自分を叱りつけた。今聞くべきではないことだと気付いたからである。
アーサーは気にする様子でもなく、今までに見たこともない穏やかな微笑をすると別のことを口にした。
「お前に謝っておきたくてな。」
ウェリオンは今度も何も言えなかったが、これはアーサーの意図するところが理解出来なかったからである。そのことを無言の中から察したアーサーは優しげに言った。
「お前達にずいぶん辛くあたっていたと思ってな。」
ウェリオンはいきなりの謝罪に戸惑ったが、ごく無難に芸のない返事をした。
「気にするな。俺もやりすぎたと思う。」
「…俺は他人を信用しないようにしていた。自分一人だけで何でもやってやると決めていたんだ。俺は士官学校では一番優秀だった。なのに周りの奴らはムンタギューの口のうまさに乗せられていた。それでも成績だけなら絶対俺の方が上だと思っていた…。だが首席になったのは奴だった…。」
アーサーは独白する。それは半分はウェリオンに話しかけており、もう半分は過去に話しかけていた。
「今思えば俺が間違っていたのかもしれないな。俺は他人を見下していた。馬鹿にしていた。そして…心を開いていなかったんだ。これはその報いかもしれない…。」
「いや、それは違うぞ、アーサー。お前は間違っていない。お前は俺達を助けてくれたじゃないか。ムンタギューとは違う。お前が報いを受ける道理なんてないじゃないか。」
ウェリオンは本心からアーサー自身を弁護した。エリザやウェリオンを助けたのは紛れもなくアーサーだったのだ。そしてそれは過去のアーサーが作り上げたものでもあった。
「そうか…。ありがとう。…俺が軍人を目指したのは誰かを助けたかったからなんだ。それが叶ったとあらば本望だな…。」
ウェリオンは突如として不安と、釈然としない思いが腹の内に溜まるのを感じた。
「なんで今そんなことを言うんだ。」
「…俺はもう長くない。」
「アーサー!」
「いや、何も言うな。どうやら死というやつは近づくと自然と分かってしまうものらしいな。」
ウェリオンは思わず絶句した。何か言おうとして、何も言えなかった。
「すまないな、本当に。気を遣わせたようで。」
「まったくだ。だからさっさと良くなって俺に心配をかけるな。」
アーサーは思わず苦笑の様を示した。口元を僅かにゆがめただけだったが。その目は以前の彼とは違い険しさが抜けきり、ウェリオンは唖然とした。
「そいつは随分な言いようだな。」
それから大きく息を吸って言った。
「俺の家族に伝えてもらいたいことがある。」
ウェリオンは一瞬息をのんだ。その言葉の意味を理解するまでに、まさに一呼吸必要だったのだ。
「何を言ってるんだ、お前は!そんなことは俺はしないぞ!したければ自分でやれ!」
ウェリオンはアーサーの言葉を聞きたくはなかったが、その願いはかなえられた。不本意な形によって。アーサーは困ったような笑みを浮かべると言の葉を紡ごうと口を開いたが、出てきたのは紅の葉であった。紅葉は白雪を思わせる純白のシーツに舞い散り、季節外れの景色を彩った。
「アーサー!」
ウェリオンの叫びが虚しく室内に響き渡る。アーサーは答えようとして新たにせき込み、血を吐きだした。ウェリオンは手を出し、もう喋らないように示すと、ドアに走り寄った。
「待ってろ、すぐにドクをつれてくるから。」
エリザにそれまでの間アーサーを看るように頼むと、ウェリオンは部屋を飛び出してドクを探した。幸いにもさほど時間を要さなかった。ドクの方も一番容体が心配されるアーサーを診ようと近くへ来ていたのである。まくりたてるウェリオンの話からドクは要点だけを拾い上げると、追いかけるウェリオンが苦心するほどの速度で病室へ向かった。
必死に布や紙で血を拭うエリザをドクは半ば乱暴に引き離すと、アーサーの触診を行い、治療を試みた。不機嫌そうな顔が段々と険しくなっていったが、ある一定のところに達するとまるで風船のようにいつもの顔へと戻った。その様子をウェリオンは瞬きせず見つめていたが、やがてドクが無意識に首を振るとつい激昂して詰め寄ってしまった。
「おい、ドク。今のはなんだ。」
ドクはやや虚をつかれたように振りかえり、怪訝な顔を向けた。彼自身は己の行動について気付いていなかったのだが、ウェリオンの方もそのような事情は知る由もなかった。
「お前、今首を振っただろ。そいつはどういう意味かって聞いてるんだよ!」
ドクはけして弁解を試みようとしなかった。ある意味でリンドバーグと似ていると思ったが、そのことがウェリオンをより苛立たせた。ドクは言い放ったのである。
「そのままの意味だ。」
「お前、本当に医者かよ。このヤブ医者が。誰一人救えないじゃないか。」
「なんだと、もう一度言ってみろ。いや、なんならお前がやればいい。」
売り言葉に買い言葉でやがて二人の争いは取っ組み合いに発展しかけた。それを止めたのはエリザのささやかな制止と、アーサーの言葉だった。
「よせ、お前達。仲間通しで争っても醜いだけだ。」
アーサーの言葉は弱弱しかったが、芯は力強く二人は争いを止めざるを得なかった。それはアーサーが指揮官としての素質を有していたからか、あるいは二人が重体の患者にたしなめられたことによる羞恥心からか。
「すまないな。俺がヘマをしたばかりに…。」
「やめろ…アーサー。謝るんじゃない。お前は何も悪くない!」
「なら、ありがとう、か。」
「違う。俺はお前に謝罪も感謝もされたくない。しなくていいから、死なないでくれ。」
ウェリオンは悲痛な叫びをあげた。それこそ喉が枯れるくらいに叫んだ。ウェリオンは既に多くの仲間を、友人を失っている。これ以上その悲しみを味わいたくなかった。それに、エリザのことも気がかりだった。自分を庇って死んだとなっては、繊細で優しい彼女は耐えられるだろうか?
アーサーが、激しくなる吐血を繰り返しながらうつろな目で天井を見つめる。乾ききった唇を血によって湿らすと、たどたどしい口調で呟く。
「死にたくないな…。」
ウェリオンが絶句して、ベッドに身を乗り出すと、アーサーは少し顔を横にして言った。
「俺の両親に伝えてくれ…。」
ウェリオンはこの際既に彼の邪魔をしようとは考えなかった。耳を口元に寄せて聞き届けようとしたが、一向に言葉は紡がれない。慌ててアーサーの方を見返すと彼は瞬きも、息もしていなかった。
「おい、アーサー。つまらないジョークはやめろ!ふざけるな!目を覚ませ、息をしろ。死ぬんじゃない!」
ウェリオンはアーサーの体をつかもうとした。しかし後ろからドクに羽交い締めにされる。ドクの体は貧相なものであったが、ウェリオンを制限するのには十分だった。
「よせ。もう、眠らせてやれ…。」
ドクがため息とともに吐き出した。ウェリオンはもはや激昂したりはしなかった。ドクの言葉によって、童話の主人公のように急に老いてしまったように疲れ果てて力を失い、その場に座りかけた。なんとか持ちこたえると、何か言おうと、あるいは何かしようとしたが何も出来なかった。不思議と涙は出なかったが、その胸は強く締めつけられたようだった。後は任せろと言うドクを置いて、エリザを連れて部屋を出ようとした。
「エリザ?」
彼女はアーサーをじっと見つめていた。目は潤んでおり、その心中は察することは出来なかったが、気の毒やら、可哀そうだという感情がウェリオンにわき起こった。エリザのせいじゃない、そう言いたかったが、言えば逆に傷つけるような気がして言いだせなかった。ウェリオンはエリザの手を引いてさりげなく一緒に退出しようとした。ところがどういうわけか視線と同じく彼女の細く軽い体は動かなかった。
「エリザ?」
今度はより強く引こうとしたが無意味だった。どころか、彼女はウェリオンの手を振りほどいた。ウェリオンは驚きと不審とをエリザに向けたが、体は杭を打たれたように動けなかった。エリザはアーサーに近づくと、その手を彼の体に触れた。
「なにを…。」
その時、エリザの手からまばゆい白い光が発せられ、部屋中に広がった。その輝きはウェリオン達が目を開けることすら困難だったが、かろうじて開いたその隙間から光がアーサーを包み込むのを見た。どれほど経ったか、ひどく長く感じたがおそらく十数秒程度の時間であったに違いない。光が消えうせ部屋はいつもの明かりを取り戻した。
「一体何が…。」
未だ回復しない視力を取り戻そうとウェリオンは目をこすったが無益に終わった。結局は時が治療してくれた。それでもなお白と黒が反転する世界でウェリオンが見たものはベッドにうつ伏したエリザの姿だった。ただならぬ様子を直感し、駆け寄って体を起こす。
「おい。エリザ?エリザ?」
呼びかけても返事はなく、先ほどの光が何か不吉に思えて思わず血の気が引き、顔を青ざめさせた。体を揺さぶり呼びかけるが返事はない。ドクが近づいてエリザの手や首を診た。しばらくして彼はやや呆れ気味に言った。
「気を失っているだけのようだ。」
それを聞いて思わず安堵のため息をついたが、ウェリオンは自分の唇や肌がやけに乾いていることに気付いた。思わず自分の体を触ったが、その時エリザの頭から美しい白い髪の毛が地面へ舞い落ちるのを見た。それも数本単位ではなかった。
だが、それらの出来事も次の出来事に打ち消されてしまった。うめき声とともに、しゃがみ込んでいたウェリオンの頭上から驚きの声が漏れた。一瞬ウェリオンはある事情から幻聴ではないかと疑ったほどだ。もう一度声が漏れてそちらへ顔を向けた時、今度は幻覚だと思い、自分の精神を疑った。だが、まぎれもない現実だったのだ。
「こんなことが…。」
ドクが振り絞ったような声をあげる。ウェリオンは声を出すことが出来なかった。ただただ茫然と…彼―アーサーを見つめていた。
「これは…俺はいったい…。」
そう呟くアーサーの疑問に答えられるものは部屋の中にはいなかった。死者が生き返るという奇跡…。一体何故?すべてが分からないことだらけだったが、ただ一つ確かなことはアーサーが確かに生き返ったということだけである。ドクとウェリオンは互いを茫然と見合い、ついでエリザを見つめた。
6月10日、ウェリオン=ルーファスらジュウェリビリー作戦に参加して生き残った者達は再びオスタニアの地を踏みしめた。出立した時50名近くを数えた兵士達はもはや一個小隊をも満たさない。人を無傷の状態で一名と換算するならば更にその数を減らすだろう―肉体と精神を問わず―
夢を見て、旅立ち、そして何も得ずに帰ってきた…そしてかけがえのない、そして代えようのないものを少年兵達は失った。
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