果敢なき勝利2
次の日になると、クラウジックは何事もなかったように部屋から出てきて、ウェリオンに昨日の件を謝る精力的に負傷者の手当てを手伝い始めた。ウェリオンとしては親友だった彼ならばもう少しローベの喪に服してもよいと思うのだが、クラウジックの切り替えの早さは長所であり、美点であった。心の底ではともかく、彼は彼のなすべきことをすべきだと考えているのだろう。
フランも同様で、その赤い瞳の下はやや腫れていたものの、その瞳をけして濡らすまいという強い意志が、赤の中に表れていた。
だが、彼らのように強くいられるのは少数である。ほとんどの者は未だに自身と死者の身の上を嘆いている。
戦場では珍しくもないが、五感の全てを刺激し、五感を封じたくなるようなこの病院船の光景は、新兵にとっては阿鼻叫喚、地獄絵図と形容しても誇張ではない。その中をせわしなく動き回るマルソー分隊はウェリオンにとってはせめてもの慰めに思えた。マルソー分隊だけは分隊員全員が生き延びることが出来たのである。もっとも、マルソーは足を撃たれて、看病をされる側だったし、ドワーフの双子の一方は頭を打ったらしく、大事をとって横にさせられて、もう一方に看護されている。
ただ、それはあくまで精神の、ささやかな慰めに過ぎなかった。ウェリオンら「看護師」は焦燥感ともよべる胸の鼓動を感じていた。彼らには看護は出来るが、治療は出来ない。治療が出来るのは小隊ただ一人の治癒術師であるドクのみだけなのである。ドクがただ一人で治療するには人数も、魔力も足りないのであり、何故もっと衛生兵を増やさなかったのか、ムンタギューを恨む思いが強かった。また、治癒魔法自身にも副作用があり、治癒は身体の回復に、患者自身の生命力や魔力を使うのである。軽度ならばささやかなものだが、傷の度合いしだいでは今後の寿命分から間借りすることもありえる。調整が難しく、肉体や精神が度を越して生命力や魔力を行使することもあるし、傷が大きければ治癒魔法を使用したせいでエネルギーを枯渇するという本末転倒なこともありうる。無論、生命力や、精神の生命力とも言うべき魔力が枯渇すれば患者は死亡する。魔法が万能ではない好例であり、悪例だった。
14時、実証例が発生した。ウェリオンが介護していた青年の容態が急変したのである。ウェリオンは慌ててドクを呼んだ。
ドクは数分、青年を診てから首を軽く振ると、別の負傷兵のもとへ歩みだそうとした。ウェリオンは肩に手をかけそれを止める。
「待てよ。何処にいくんだ。」
ドクは、隈の多くついた目を、わずらわしそうにウェリオンに向けた。ため息をついて更にその意を示すと、棒読みのような口調で述べた。
「この男はもう助からない。」
「なに言ってんだ。お前、医者だろ。何とかしろよ。」
「医者も、魔法も万能ではない。万能ならばこの世から病人やけが人など消えているぞ。」
「そいつは詭弁だ。医者ならば最期まで力を尽くすべきじゃないのか。」
「医者の仕事は助かるものを助けることだ。助からざるものを助けることじゃあない。この男では治癒魔法の負荷に耐えられない。余計苦しむことになる。」
「だからって見捨てる気か?」
「…この男に割くものはない。助かるものも助からなくなる。」
ウェリオンが、なにか言動を用いて、意志を強要した時、耳をくすぐる、震えた、弱弱しい声が聞こえた。そのような声が聞こえたのは、あるいは逆に生命力に満ちた、心に届く力強い声だったからかもしれない。同時に、脳裏に最期に一際輝くろうそくの灯を思い起こさせたが。
その声の主は今まさに死という海にしずみつつも、必死にもがく青年の声だった。
「なんだ?なにか欲しいのか?」
そう問うが、青年の目はうつろで、声はいまだに意味不明な囁きにすぎなかった。ウェリオンはそっと耳を青年に近づけた。荒い息とともに、言葉が意味を伴って耳に入ってきた。
「母さん…父さん…。」
次第に弱くなっていく声が、ウェリオンの可聴可能域を下回った時、ウェリオンは青年に呼びかけ、体をさすった。返事は、帰ってこなかった。
船からの帰還後、初めての死者であった。このことは隊員達に衝撃を与えた。船に帰れば生き残れる、という淡い幻想は打ち消されたのである。生者は震えた。ある者はもちろん、これからも死者が増えるということに対しての恐怖からだったが、ある者には新たな死者が自分であるかもしれないという恐怖からだった。
この出来事はウェリオンにとっても特に衝撃的なことだった。死んだ青年は彼が作戦中に助けた兵士だったである。作戦中の様々な失態、ないし罪に対する重すぎる責任感を一人だけでも助けたと、自分を鼓舞し、励まして誤魔化していたが、もはや出来なくなったのだった。
次の日、またしても死者が一人出た。女性兵で、誰にも看取られることなくひっそりと息を引き取った。そのため彼女が死の間際に何を思ったのかは永遠の謎となった。唯一判明したものと言えば昨日の件が、けして他に例がない偶然ではなかったということである。疲労と不安とが重く隊員達にのしかかった。
ウェリオンとクラウジックは昼食を摂るために食堂へと向かった。このような状況でも腹が空くと言うのはなんとも情けないことであり、恥ずべきことでもあると感じたのだが、空腹の者より腹を満たした者の方が役に立つとフランに諭されて、二人は消極的ながらも決めたのである。
途中、船員たちとすれ違った。彼らは一度は見捨てた後ろめたさと、報復への恐怖から、二人と鉢合わせた時、慌てて別の部屋に入ったり、引き返したりしたのだが、ウェリオン達は気にも留めなかった。もはや、船員の存在など忘れてしまっていたのだ。
食堂に入ると、ウェリオン達は一旦息をのみ、足をとめた。リンドバーグが食事を摂っていたのである。
「まったくいいご身分だな。けが人の手当てもせず、自分は優雅にランチかよ。」
クラウジックが吐き捨てるように言った。ウェリオンは窘めもせず、それに乗った。リンドバーグに対する感情は、クラウジックのそれと比較して勝らずとも劣らずなのである。
「その通りだな。後方支援ってのは負傷者の手当てをすることじゃなく、コーヒーをすすることらしい。奴がもっと衛生兵を用意してくれてればあの二人も…。」
最後までウェリオンは言いきることが出来なかった。にも関わらず、発した時と同じになったであろう暗く重い沈黙が二人の間に流れた。
「やめようぜ。せっかくの飯だ。今だけは忘れよう。」
「そうだな。あの野郎なんて無視しとこうや。」
二人は笑いとも呼べぬ息をつくと、食事を取りにいくため、カウンターへと向かった。その時、彼らと向かい合う形で食堂に入ってきたグループがあったのだが、そのグループとはリンドバーグよりもはるかな憎悪と、そして軽蔑をかっているムンタギュー、ストーカー、ラッドだったのである。彼らは相も変わらず薄気味悪い笑顔と品のない笑い声をあげていた。
ウェリオン達は胸が苦しくなるのを感じた。息も、荒くなる。果てしない憎悪によるものだと思われた。一方でムンタギューらは内心はともかく、表面上は涼しげに振舞い、ごく自然にウェリオンらを無視していた。
ウェリオンらがムンタギューに制裁を加えなかったのはここ二日間忙しく、小物一人を求めて追いまわすことに時間を割くことより、負傷者の手当てをした方がよほど有意義だからであった。だが、虫の方から火の下へやってきたのでは話は別である。
先に動いたのはクラウジックだった。ムンタギューらの前に躍り出て。威圧する。ストーカーやラッドは慄いたが、ムンタギューは面の皮が厚いのか、表情を崩さなかった。
「なにかね、クラウジック准尉」
やや小馬鹿にした声でムンタギューは言い放つ。ムンタギューからしてみれば、ローベやフランはともかく、この無学者の伍長のような男は脅威に値しないとみなしていた。彼は自分を基準として成績にすべての価値をおいているのだ。
「なんだとは随分だな。お前、どの面さげてきたんだ?」
「何を言ってるか分からぬな。」
「じゃあ教えてやるよ。テメーらは俺らを見捨てて逃げた上に、けが人も手当てしないでなにしてんだって言ってるんだよ!」
クラウジックのドスのきいた怒号は部屋中の人間を畏怖させるのに十分だった。船員たちも驚いて振り返り、ラッドはあからさまにおののき、ストーカーは表面上は強気だが、汗がしたたりでているのが見えた。ムンタギューも内心の焦りは隠せないでいただろう。ただ、リンドバーグのみが気にする様子もなくカップの液体をすすっていた。
「誹謗はやめたまえ、准尉。私は逃げたりなどしていない。」
「誹謗だと?ならなんで逃げたんだ。」
「答える必要を認めない。けが人の手当ては君達の仕事だ。私もこれでなかなか忙しいのだ。本国への報告書を書くのにね…。」
クラウジックの血管が切れたのをウェリオンは心の中で聞いた。ウェリオンはさりげなくクラウジックの前に進み出て、彼の動きを封じた。ウェリオンもクラウジックと同じく強烈な殺意を感じたのだが、あまりにも明確な殺意だったため、かえって抑えきれたのだった。また、ウェリオンもこの男に言いたいことが山ほどあったのだ。殺すのはその後にしたかった。
「なに?報告書だと?なら俺が書いてやる。お前が独断専行をしたこと、味方を見捨てて逃亡したことと、それで多くが死んだことをな。お前を処刑台に送ってやるぞ。」
「私の作戦指揮は精確だったぞ。悪いのは貴官らの方だ。」
「ふざけるな!何人死んだと思ってやがる!お前が最初に逃げなければローベやユッダだって助かったかもしれないのだ。」
「なに?」
ムンタギューはしばらく考え込んだ。自責の念にとらわれるのかと思ったが、違った。
「ローベ…ああ。あの反抗的だった男か。死んだのか、あいつは。それは残念だったな。」
「テメェ!」
叫んだのはクラウジックである。彼はウェリオンをふっとばして、ムンタギューに飛びかかり、彼を押し倒した。その胸倉をつかみ上げ、顔を近づける。
「や、止めろ。上官に暴力をふるう気か?ただではすまないぞ…。」
「ただではすまないのはお前の方だ。ぶっ殺してやる。」
「は、離せ。父上に言いつけるぞ。」
「これから死ぬっていうのにどうやって言いつけるって言うんだ?あぁ?」
クラウジックの瞳に炎は宿る。鬼気迫るとはこの事だろう。後ろのラッドとストーカーは完全に気圧され、まるで動けずにいる。助けをえれないと分かったムンタギューはやはり高圧的ながらも震えの帯びた口調で言った。
「な、なにが欲しいんだ?」
「あ?」
「い、いや、十分な恩賞ならば与えてやる。金も階級もだ。勲章だってあるぞ。上と交渉してやってもいい。だが、ここで俺を殺したらすべて泡になるぞ。」
クラウジックは一瞬たじろいた。恩賞に目がくらんだのではなく、呆れて、哀れに思えて、怒りががやや冷めたからである。だが、次の一言が油を注いでしまった。
「もちろんローベ准尉は昇進だ。中尉だ。これで満足だろ?」
ウェリオンですら頭にきたのだから、クラウジックの怒りは如何様か、推測も出来ない。ローベはそんなものが欲しいために死んだのではない。
「俺がしてほしいことは一つだ。」
「ん?な、なんだ、なんでも言え」
「あの世でローベに詫びをいれてこい。」
魔力のこもった拳が振りおろされる。コンクリートですら割るほどの威力だ。人間の頭ならば文字通り粉々になるだろう。ムンタギューは奇怪な叫び声をあげて目をつぶった。しかし予期していた痛みはなかった。痛みを感じる暇もないまま死んだのか、違った。目をあけると、リンドバーグが振りおろされるクラウジックの腕を後ろからつかんだのだ。
「お前…。」
クラウジックは力をこめて無理やり振りおろそうとしたが、まるで万力で固定されたかのように動かない。それどころか力を加えれば加えるほど痛みが帰ってくるのだ。リンドバーグはつづけて腕をねじりあげた。クラウジックは痛みを和らげ、そして逃げるために体をねじり、ムンタギューから離れねばならなかった。
「よ、よくやったぞ、リンドバーグ。」
ムンタギューがせき込みながら黄色い声をあげる。さて、クラウジックをどうしてやろうか、と言いたげな彼をリンドバーグは冷たい非友好的な目で見返した。ムンタギューはリンドバーグがけして味方ではないということを暗に悟ったのだろう。荒れた服を直して、早々と逃げ去った。その後を慌ててストーカーとラッドが追う。
それを見届けたリンドバーグはクラウジックの腕を離した。無論、それでクラウジックの怒りが収まるわけもなく、矛先は、リンドバーグに向けられた。
「なにしやがる!お前には関係ないことだろう。」
クラウジックの熱気とは裏腹にリンドバーグの声は冷たい。
「食堂で騒がれては迷惑だ。せっかくの紅茶がまずくなる。」
飲んでいたのはコーヒーではなく紅茶だったらしい、とウェリオンはどうでもよいことを修正した。だが、それとは別に真面目なことを口にした。
「それだけじゃないだろう。お前がムンタギューを助けたのには理由があるんだろう。」
「なんだ?」
「奴が言ってたじゃないか。恩賞だろ。困るものな、奴が死ねばお前は骨折り損どころかお前の飼い主のあいつの父親にどんな罰を与えられるか分からない。違うか?」
「想像するのは勝手だ。ただ面倒なのは確かだな。」
「面倒?」
「そうだ。お前達がムンタギューを殺すにしろ、生かすにしろ暴行を加えたのでは後方指揮官として報告書や後処理をしなければならなくなる。しかもそれを目の前でやられて止めなかったことを咎められてはたまったものではない。俺も忙しいからな。」
「知ったことか。そいつはお前の問題だ。」
「その通りだが、お前達も後先を考えて行動することだ。恩賞はともかく、罰に見合うかどうかをな。」
そう言うとリンドバーグは、一旦席に戻り、書類と、食器を両の手で持ち、食器の方はカウンターに返すと、きっかりと同じ歩調で出て行った。その後ろ姿を憎々しげにクラウジックが睨みつけた。
「相変わらずむかつく野郎だ。」
「ああ。その通りだな…が…。」
あの男の真意が何であれ、頭が冷えたことは事実だった。レンヤー=ムンタギューという人の姿をしたネズミを一匹殺して死刑になるのは馬鹿馬鹿しいことだった。ウェリオン=ルーファスはこの日、殺すに値しない者という言葉の意味を理解した。
「飯食おうぜ。」
ウェリオンはクラウジックにそう言った。食事を摂って忘れよう。嫌なことは。
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