ジュウェリビリー作戦5
「国際法に違反してまで行う作戦ってことはよほど意味のある作戦なのかな?」
過去への旅を終えて最初に発言したのはフランだった。その顔にはやや不安の影がつきまとう。
「意味がなきゃこまるぜ。」
ウェリオンはそれ自体に意味がなさそうな発言をしたが、ローベは客観的に分析をしてくれた。
「国際法に違反するというのはよほどのことだよ。」
国際法で軍用に用いる船舶を商船や客船などの民間船として偽造することは禁止されている。違反した場合は拿捕ないし攻撃で撃破されることもあり、また捕縛された船員は捕虜として扱われない恐れすらある。前大戦においてはドゥーマール側がその恐れのあったというオスタニア客船を攻撃した「センチュリー号事件」がある。こちらはその詳細は今もって不明で、本当に軍用に使用されたのかは議論の的となっているが、センチュリー号と同じように真相は深い海の底に眠っている。
「捕まれば終わりってわけだな。やべぇな。」
全然危機感を抱いていないクラウジックがそうのたまう。
「そもそも国際戦争法に違反するってことの方がどうかしてる!こいつを各国が守っているからかろうじて凄惨さを留めているんじゃないか。こいつを守らなくなったら後は無秩序で残虐な戦争犯罪が跋扈するだけだ。そいつをあいつらは分かってないのか?」
ローベは怒りを込めてそう言った。彼は秩序や法を重んじる男だからその怒りはもっともだ。フランも同意をして頷く。クラウジックはというと、ただ相槌を打っている、というわけではなく、ムンタギューらへの反感から同意したのだった。
重く、堅苦しい雰囲気となった場を変えるように、ウェリオンは話題を変えた。
「ところでお前らのメンバーはどうなんだ。」
「どうって?」
「いや、性格とか、分隊の雰囲気とか。」
「能力的にはまだまだだけど、潜在的には優れたところがある。」
ローベは能力の面から述べ、特定の個人には言及しない。
「皆いい子よ。たとえば…」
個人一人一人の個性を述べるのがフランである。いずれも悪口を述べたりはせず、自然体で相手を褒めることが出来た。
「俺のところは…。」
クラウジックが面倒そうに頭を掻いた。
「双子のちびっこドワーフがやかましくてよ…。それにマルソーのやつ、やけに偉ぶりやがるんだ。昨日なんてデザートのぶどうを隊長命令でよこせって言いやがった。」
「それでどうしたんだ?」
「あいつのぶどうを食ってやったぜ。種まで残さずにな。」
「…。」
低レベルの争いである。
「それとマルソーが隊長なのも面倒なんだが、実質とりしきってるのがおっさんでよ…。」
「おっさん?そんな年齢のやつなんかいたか?」
「26とか28とか言ってたな。いや、俺らからしたら十分おっさんよ。それでそのおっさんなんだが、なんでもスデートラント出身の義勇兵らしくて張り切ってしごいてくるんだ、これがよ…。」
クラウジックは小国の名を出した。スデートラント…ドゥーマールとガリアンデュアの間に挟まれた小国の中立国である。ドゥーマールが中立国を侵略しない理由はないのはアルメシア侵攻が証明している。にも関わらず、この小国は未だ現在独立を保っており、ユートシア大陸で唯一戦乱に巻き込まれていないと言ってもよい。その理由は地理的問題にある。スデートラントは「竜の山脈」と呼ばれる、ドゥーマール―ガリアンデュア間の中部に長く連なる険しい山脈の上に存在する。この山脈は大国間の通路の多くを塞ぐ天然の要塞であり、ガリアンデュア、ドゥーマール共に相手国へ陸路で通るには北のアルメシアやギルレイト、また南のタリマーロを通過するしかない。故にガリアンデュアはドゥーマールの侵攻を防ぐために要塞を作ったが、中立国を宣言していたアルメシア方面に要塞は作れずに、アルメシアの天然の森とギルレイト方面のエヴァン要塞に頼ったが、アルメシアの森を抜けて突破するという妙技にしてやられ、南は南で、フェムズ要塞線をガリアンデュア連邦の一国家のはずのタリマーロの裏切りで失った。だが、山頂にあり、戦略、資源的価値もなく、攻めるのにも一苦労するスデートラントは放置されたというわけである。
過ぎたことだとは思いつつも、ウェリオンは悔しく、そして怨まずにはいられない。ドゥーマールにではない。ガリアンデュアにである。ガリアンデュア政府や軍部が適切な行動をしていれば防げた、というのは侵攻当時から言われていることだった。未来のことは魔法を以てしても不明なのは分かっているし、ウェリオンにどうすることも出来なかったには分かってはいるが、予測可能な時代だったことが彼を忸怩たる思いにさせた。そして今回の作戦は積年の恨みを晴らす可能性があるのだ。
「しかし何故中立国の兵士がいるんだ?」
「一応義勇兵って扱いだからね。問題はない。実際はどうか分からないけど…。」
その言葉の真意はフランのみ理解できた。資源も食物生産能力もないスデートラントの主要産業は古代から傭兵派遣や武器製造であった。ガリアンデュアの英雄、「レオ戦争」の主役、レオポルド=レオナルドもスデートラントの傭兵の精強さにはてこずったという。ローベはかの者が傭兵として雇われた一人ではないかと疑っているのだ。
「お前のところはどうなんだ、ウェリオン。」
クラウジックの振りにウェリオンは肩をすくめた。
「相変わらずさ。」
「さっきイーシャを見たわ。」
「どうだった?」
「睨まれた。」
「それだけならまだマシさ。」
あのドワーフの少女を思いだすたびに、ウェリオンは胃を雑巾のように絞られる気持ちがするのだ。もちろん、青の瞳の女と黒き巨人もそれに劣らないのだが。
「しかしあいつらは本当に一体なにを考えているのやら…。ここまで情報を秘匿するなんて、なにをしでかそうというんだ?」
これはウェリオン分隊のトリオではなく、ムンタギューらを指す。この時、未だに作戦の全貌…というより一端半までしか明らかになっていない。ムンタギューらが意図的に隠しているのである。ローベらは複数回に渡り、詰め寄ったが、彼らの権力と言葉を盾にした戦法に戦果をあげられずにいた。中にはリンドバーグ大尉、ないしムンタギューとの間に不仲が噂されるアーサー少尉の両名に話を聞こうとした者もいたが、前者は自分より階級も年齢も低い指揮官の命令を、後者は機密という理由で門前払いにされた。リンドバーグはある意味軍人の鑑と言えなくもないのだが、その経緯は隊員に対して不信感を抱かせるのだった。
アーサーにはややいら立ち気味に返された。そしてどうやら彼も作戦をほとんど聞いていないらしいということが推察され、どうやら不仲説というのが真実だということが判明してきたが、だからといって同盟が組まれることはなかった。彼は理由は不明ながら、一般隊員達の方も嫌っているようなのである。すれ違いなどでも彼は平然と無視をするし、必要に迫られ、話をする時にも苛立ちが見え隠れしていた。彼に舌打ちされたという者もいるという。ムンタギュー、リンドバーグ、アーサー。この三者は三者とも三様の理由で隊員達の反感を買っていた。
「一体なにをする気なんだ?勝機は?意味は?さっぱりだ…。」
この船上で想像に脳細胞をもっとも稼働させたという称号はトリスタン=ローベが与えられる。彼は聡明な青年であったから、その想像もまともなものであったが、さすがに材料が少ない以上、納得のいくレシピを作りかねていた。
「考えたってわかんねーよ。」
ウェリオンはそう言ってやった。彼も船出から数日は悪くはないはずの脳で考えたものだが、やがて無意味さを理解して考えることを放棄した。無駄なことに気力を使わないウェリオンなのである。
その時、新たな疲労の種が部屋に転がり込んできた。ムンタギューらが下品な笑い声と笑顔で部屋に入室してきたのである。ウェリオンらは不快さを視線に宿して彼らを一瞥したが、彼らがこちらに近づいてくるのを見ると、顔全体へと不快の色が広がるのを止めることは出来なかった。
なんの用だ、と聞きたくなる衝動を抑えて、非歓迎的な味を含めた無言でムンタギューらを迎えた。にもかかわらず、彼らは遠慮なくこの会談に土足で踏み込んできて、相変わらずの横柄な口調で言い放った。
「お前達。」
クラウジックが一瞬立ち上がりかけて、ウェリオンは熱を感じずにはいられなかった。彼はなんとか踏みとどまったようだが、次になにか不躾なことをすればその高慢を抽象画とした顔を台無しにしてやるだろう。それは無論、ウェリオンも同じで、最初に会ってから今の今までの態度は隊員達全員が腹が煮えくりかえる思いをしてきたのだ。しかし、ムンタギューらはむしろウェリオンらの溜飲を下げる発言をしたのだ。
「小隊員たちを集めろ。作戦を説明する。」
ウェリオンらは目配せをした。それが本当ならやむを得ない。先に進むために、いち早くこの不快な奴らから離れるために、ウェリオンらは部屋を出た。
「やみくもに探しても仕方ない。範囲を分担して手分けして探そう。」
ローベの提案に全員が了解したが、その担当にはウェリオンは反対だった。よりにもよって彼は西へ向かい、船外に出る役を担ってしまったのだ。彼は考えうる理屈を総動員して説得したが
「つべこべ言わないの。」
フランの鶴の一声で彼の作品は灰燼に帰した。彼はなるべくゆっくりとした足取りで船内を回り、仲間に集まるように指示した。商船及び客船に偽造されたものながら、大して大きい船ではないのでそのような努力もすぐに終わった。彼は諦めて温かい船内の西端を出て、船外に上がった。
船外は冷たい空気が彼の肌を突き刺した。長袖であるが、厚着ではないため、その刃全てを防ぐことは出来なかったのだ。さすがに寒いな…。彼はそう思った。船内には温室効果のある魔法が掛かっているため、外がいくら極寒の地でも問題はない。船自体にもコーティングがなされているから、一定の効果はあるはずなのだが、それでも船内には及ばない。
それも北方の冷気漂う海域を進んでいるのだからたまらない。オスタニアからガリアンデュアへの最短距離はカリバー海峡を越えて渡海するコースがもっとも近く、その距離はかつての古代ガリアンデュアの戦士「リオナード」が甲冑と武器をまとい渡ったという伝説や文献が現代まで伝わっている。もっともこれは伝説であり、泳いで渡ることは現在は不可能である。なぜならカリバー海峡は獰猛な海獣たちの住みかとなっているのだから…。
渡る方法はゼロではない。特別な魔法や魔石を船底にちりばめることで海獣を避けることが出来る。ただ、この技術は現在ドゥーマールやガリアンデュアにはなく、全てオスタニアの船舶工場で行われており、生産も委託しなければならなかった。オスタニアはこの技術を重要な軍事情報だと理解しているのだ。これが守られている限り、ドゥーマールは船舶を用いて大規模にオスタニアを攻めることが出来ない。このことは現在オスタニアの国民達を安心させていた。あるいは慢心すらも…。
だが、この船はカリバー海峡を通らず、大きく回って北へ向かい、北海を経てガリアンデュアへ向かおうとしている。これは海獣を避けたためではなく、単純にドゥーマール軍の哨戒網を避けるためである。さすがにカリバー海峡を直進してガリアンデュアに向かうのは偽装しているとはいえ都合が良すぎで、その間ないし到着時に必ず臨検に会い、捕まるのがオチだ。その点はムンタギューでも考えがついたらしい。今のところは成功しているが、その代わり、極寒の海を渡るハメになるのを恨まないことにはならないが。
温暖な室内よりも極寒の船外を好む輩がいるとはウェリオンにはとても思えなかった。オスタニア北部に住むと言うエスキット族でさえ寒いのは嫌いなはずだろう。そう決めつつも、彼は自分の任務を果たした。そして意外なことに彼の努力は報われた。
「エリザ」
船首に佇む、馴染みの少女に、ウェリオンは問いかけた。エリザと呼ばれた少女はゆっくりと見返り、ウェリオンを見据えた。ウェリオンはこの少女を見るたびにいつもため息をつきそうな感覚を禁じ得ない。
月のように白く美しい長い髪、雪のような白い肌と儚げなやや幼く可愛らしい顔立ち。すぐにも消えてなくなりそうな危うさを感じるが、しかしそれらの要素も、ある一点により霞んでしまう。彼女の右側頭部から生えた禍々しい黒い角である。
もう一つの、彼女に似つかわしくない、業火を思わせるような赤い瞳を、ウェリオンは吸い寄せられるように見つめていた。エリザも、その瞳でウェリオンを見つめていた。凍てつく風が吹いているのに、悠久の時も過ごせるような錯覚を覚える。しかしウェリオンの理性がなんとかそれを踏みとどまらせた。
「なにをしてたんだ?」
そう聞かれて、エリザは無言で船の外を指さした。受け手の解釈で何を見ていたか、海か、空か判断が分かれるところだろう。あるいは鳥や魚とするものもいるかもしれないが、ウェリオンのこの質問はいわば儀礼的なものだったので、彼はそのような解釈に一切無関心だったが。
「行こう。皆が待ってる。」
ウェリオンの言葉にエリザはやはり無言で頷くと、ウェリオンの方へ歩みより、二人は並んで船内へ入った。
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