ジュウェリビリー作戦6
―エリザことエリザベートとウェリオンらは知人であり、友人と呼べる間柄で、この作戦部隊が結成される以前からの知り合いであり、さらに言えばウェリオンらが亡命する以前の、そしてともに亡命した仲であった。しかし彼女はウェリオンとフランのような「同郷」の仲ではなかったし、続くローベやクラウジックとのような「同級生」の間柄でもなかった。
エリザとは一年前、リーレギオンの街で出会った。その時彼女は別に花屋の町娘というわけでもなく、昼下がりの午後に出会ったわけでもない。彼女は真夜中、空から降ってきたのである。
世のロマンシストやオカルト好きが聞けば、さぞや想像力や創作力を掻きたてられることだろうが、正確なことを言えば、彼女はウェリオンの「友人」が何処からか連れてきたのだった。そしてその時ウェリオンとローベとクラウジックは門限を破り、ひそかに帰宅する途中だったので、迷惑そのものだった。更に極まるは彼女が名前以外は何も覚えていない、記憶喪失だと分かった時である。奇しくも時は大戦の渦中であり、彼女の素性を確かめる暇がなかった。見捨てるのも後味が悪く、お人よしのフランにもばれたこともあり、彼女はウェリオンらの逃避行に付き合うことになってしまった。
エリザはその後、ある女生徒の戸籍を借りることになった。名はエリザベート=バルトリ。意図して借りたものではなく、エリザの素性を聞かれた時、相手の係員が「エリザベート」の部分だけで、バルトリと判断してしまったのである。その後、この名で問題の起こったことはない。それはつまり本物の「エリザベート=バルトリ」や、彼女を知るものがオスタニアに到達出来なかったことを意味していた。生と死の判別も分からないことも。
ともかくも、問題は一つ片付いたが、たったひとつであり、山が消え去ったわけではなかった。彼女の素性は今もって不明である。そして今回新たなる塵というには大きすぎる問題が降り積もってきたのである。言うまでもなく、エリザのジュウェリベリー作戦への参加であった。彼女は訓練や試験である部分においては驚異的な成績を残したが、別の部分では壊滅的な成績を残したのである。これは不安と呼ぶのに十分な要因であった。―
エリザとウェリオンが集合場所である大広間に向かう間、会話はなかった。しかし気まずさよりも心なしか心地よさを感じさせる雰囲気がエリザには存在していた。エリザは記憶がないというのもあるだろうが、あまり多くを話さない性格であるが、彼女の生来のものがそうさせているのだろう。彼女は一体何者なのか、その疑問は常にウェリオンに付きまとっている。フランやローベは熱心に彼女の記憶を取り戻そうとしているが、ウェリオンはあまり積極的ではなかった。クラウジックでさえ、役に立つ、立たないは別として協力を惜しまなかったので、ウェリオンの動向はフランには少し不自然に思われた。彼の不真面目さが為すものなのか、それとも…。
それは別として、エリザは自身の境遇を果たしてどう思っているのだろうか、という疑念も時たまウェリオンの頭にはついてまわる。そのことを彼は聞こうとは思わなかった。
部屋の近くに到着すると、ドアを開こうとしていたリンドバーグと鉢合わせになった。彼は「健常」な方の右目でウェリオンを一瞥したが、すぐに興味を失ったかのように視線を戻し、さっさと部屋へ入ってしまった。ウェリオンの方は一瞬たじろいでしまい、すぐに気恥かしさと、彼も気付きえぬおびえを振り払うためにリンドバーグを内心罵った。まったくいつ見ても陰気な野郎だぜ。訓練で一か月程度過ごしたことにより、初対面時よりはリンドバーグには多少慣れたが、それでも彼にはやや苦手な感情を抱いているウェリオンであった。
エリザは小さく震えていた。彼女はどうもリンドバーグに恐怖心を持っているらしく、彼と接するたびにこのようになるのだ。その理由は今もって分からない。リンドバーグに罪はないとはいえ、エリザを恐怖させるということもウェリオンがリンドバーグをどうも好きになれない理由だった。
「大丈夫だ、エリザ、行こう。」
ウェリオンは半ば自分に言い聞かせた。エリザが小さく頷くのを見ると、二人は扉を開けて中に入った。
中では既にウェリオンとエリザ以外の全員がそろい踏みしていた。文句を連ねるムンタギューを尻目に、二人は分隊毎に分かれた机へ着席した。
「それではいよいよ作戦概要を発表する。」
相変わらずの、甲高いムンタギューの声が皮切りだった。傍らに控えるストーカーとラッドはその瞳に熱い波しぶきをたたえていたが、それに反比例するかのようにアーサーの瞳は冷ややかにほそまっていた。何度目になるか分からない、自画自賛の美辞麗句であるムンタギューの演説が終わると、ようやく彼は、ウェリオン達が望む情報を開示しはじめた。
「本作戦、コード:ジュウェリビリー。その作戦は全体主義国家により不当に占拠された我らが同盟国ガリアンデュア連邦の解放の先陣たる光栄を担うものである。種類は奇襲上陸とする。そしてその場所であるが…。ガリアンデュア、ミニュート地区、ピュデス!」
ムンタギューは声高に叫ぶと、舐めまわすように右から左へと隊員達を見渡した。彼が期待していたのは、隊員達の驚愕の顔だったが、実際に目にしたのは驚きよりも、むしろ困惑の表情だった。
「どこだ、そりゃ…。」
クラウジックが漏らしたその一言が隊員達の心情を示していた。ガリアンデュア以外の国籍の兵士はもちろんのことだが、当のガリアンデュア兵たるウェリオン達にもその地名と場所には心当たりがなかった。フランも考え込むような顔をしており、かろうじてローベが、あそこかな、などと呟いていた。
期待はずれだったが、自身の虚栄心を大いに満たしたムンタギューは口端を片方だけゆがめると、尊大に、階級が上のはずのリンドバーグに目と顎の仕草で、何かを促した。リンドバーグは、一向に気にする様子なく、その腕とわき腹に挟んでいた巻物を二つ、広げると、ホワイトボードに張り付けた。一方はガリアンデュアの地図で、もう一方は何処か、街か村の地図だった。前者の方にはオスタニアから赤い線が伸び、ある陸地の端っこの丸まで続いていた。
「ここがピュデスである。」
隊員達は再び困惑を露にせずにはいられなかった。上陸と言う単語の意味上、その地はもちろん海岸に面してなければならない。更に言えば奇襲という作戦上、その地は軍事行動を取るに値する場所であるはずだが、これは…。
「海なのか、山なのかはっきりしねーな。」
またもやクラウジックの発言が的を射た。ピュデルという地は前面を海に面し、側面と後背を山に覆われた場所であった。ガリアンデュアあるいは地理に詳しくないものでもこの地がいわゆる僻地であることは明らかで、更に言えば首都たるガリスパレス、港町として有名なライス、モーガンといった場所からもだいぶ離れていた。
「なぜこの地を…?」
ローベが質問した。その質問には色々な意味が込められていたが、ムンタギューがその全てを理解したとは言い難い。
「我ら正義の国家にかの悪逆非道たるルシドル=ファーラーの軍隊が侵略を始めたのは今月でちょうど一年であろう。奴らもそれを十分に分かっているはずで、主要な港はおそらく厳重な警備に守られている。しかし、そうすることで人材は割かれ、警備しきれないいわば盲点なり死角なりが出てくるのだ。それを分析の末、発見したのがこの小官である。」
彼の発言にしだいに熱が帯びてきた。彼の目はこちらを向いているが、おそらく声と頭は半分自分へと向けられているだろう。自己陶酔の音色が、ムンタギューにはあった。
「それはいいとして…。ここを攻めることになんの意味があるのか?」
呆れ気味にローベが続けた。彼の冷静な声に、ムンタギューは無理やり現実に引き戻されたようで、それが不快なように眉をひそめた。
「口に気をつけたまえ、准尉。」
ウェリオンらが今作戦にあたって与えられた地位が准尉であり、ムンタギューら少尉とは格下の地位にされていた。表面上は士官学校卒業生ではなく、未だ士官候補生ゆえ、と説明されたが、ムンタギューらが肩を並べられるのを嫌った、というのがもっぱらの見解だった。
「この地は戦術上、極めて有意義な場所である、と小官は唱える。ピュデルは三面を山に囲まれており、陸地からの侵攻は不可能で、唯一海上からの上陸のみ有効である。将来的な面からしても、今作戦の目的地には極めて効果的である。また、一度占領してしまえば、敵軍からの侵攻を防ぐのも容易で、ここを拠点とすることも出来るのだ。」
「しかし戦略的には少し無理があると思いますが…?この地を奪取されたところでドゥーマールになにか損失があるのですか?」
「この地は古来より温泉がわいており、慰安地として有名である。ドゥーマールの連中もここをそのような意図で用いているであろうことは想像にかたくない。ここを奪うことで奴らへの精神的ダメージをも期待できる。また、そのような土地事情、高官が訪れていることもあり、捕虜にすれば今後なにかと有利だろう。」
「誰か要人訪れているという情報があるのですか?誰です?」
「今のところは情報が入っていない。しかし極めて高いことを留意願いたい。」
「…そのような場所ならむしろ防衛隊の数が多いと推測しますが、そこのところは指揮官に情報が入ってないのですか?」
「それは入っている。およそ一個中隊規模が駐屯している。」
「…。」
再び吐息や困惑が漏れた。一個中隊という規模は無論、彼らの数倍に匹敵する規模で、それに対する脅威の意も少なからずはあっただろうが、それよりもむしろ圧倒的多数だったのはムンタギューらや今作戦に対する不審の再確認であった。一個師団はまだしも、一個大隊規模の敵と戦うのでもなく、戦略上重要な場所を攻めるのでもなく、たかが辺境を攻めるという作戦を誇大に吹聴していたが、事実はなんと小さな作戦であるか!
「それで、この作戦は一体なにを目的としているのですか。」
「先に説明したとおりだが…。」
「そうではありません!土地を占領するにせよ、それが一時的なものなのか、恒久的なものなのか、後者ならば、誰がその任を帯びるのか、また補給はどうするのか、問題は多く積っているでしょう…。」
「それは…。」
一旦ムンタギューは狼狽したが、すぐにどこからくるのか、自信に溢れた輝きを取り戻した。
「それは作戦の推移次第ということになろう。経過に伴い、小官が判断する。さしあたっては柔軟さを伴いつつ、臨機応変に行動するということになろうか。」
「たいした作戦だな。」
耐えかねて思わずウェリオンは口走った。ローベほどでないにしても、ウェリオンも士官学校で教育を受けたわけであるから、その説明の粗末さは理解できるわけである。ウェリオンの言葉に部屋は沈黙したが、彼に対する敵意よりは好意や同感が空気に混じっていた。ムンタギューは意外にも不快さを見せなかった。彼の目には知識人が無学者を、あるいは文明人が、未開人を揶揄するような感情がこもっていたが、主観に過ぎるのは当然で、客観的に見ればどちらが愚かかは明白だっただろう。
「説明は以上だ。これより六時間の休憩に入る。その後、最後のミーティングに入り、明日未明には作戦行動に入る。」
ムンタギューはそう言うと、さっさと取り巻きを伴って出て行ってしまった。
「やれやれ、どうやら噂は本当らしいな。」
そのように呟いたのはマルソー、クラウジックの分隊のメンバーで、情報通を気取るミックだった。オスタニア兵の一人で、長い縮れた金髪を肩まで伸ばしている。彼は自分を頭文字でМIと呼んでくれという、軽い性格の男で、クラウジックとは異なり軽薄さすら感じさせる。小隊の女性全員にナンパをかましたらしいが、イーシャとエリザにはどういうわけかしなかったらしい。
ウェリオンはこの男を好きではなかった。元々この種の人間は好きではなかったが、フランに馴れ馴れしく話しかけているのはさすがに不快だったし、ウェリオンの分隊のメンバーが酷いのは、ムンタギューがフランにセクハラをして自分の隊に入れようとしたが、ビンタの一発で返された。この件についてムンタギューはフランよりむしろ彼女と親密なウェリオンを逆恨みし、アクの強いメンバーをあてたのである、というデマをМIに流されたからでもあった。
彼の情報は真実味に欠ける、というより面白ければ真偽はどうでもよいというものばかりであった。ムンタギューとアーサーは首席を争った仲である。ムンタギューはかろうじて首席をとったが、アーサーに対する個人的感情は消せず、こき使おうと今回の同僚に選んだ、とか、リンドバーグの怪我はヒステリックになった女に刺されたものだとか、というものまであった。娯楽に飢え、不満は満腹の隊員にはこれらの低俗なネタはうけたようだが、非好意的なウェリオンは冷めた目で見てしまうのだった。もっとも、中には笑えないネタもあり、この船の船員は船長や一部機関士を除きほとんど新兵であるというシャレにならないのも提供した。
そんなМIの新たなる情報についてクラウジックが問いただした。どういうことだ、それは。МIは嬉しさを隠そうとして失敗していた。
「聞いた話だが…。」
彼の話はいつもこう始まる。彼によるとこうだ。ムンタギューの父親は軍の高官で、今回の作戦は息子に箔をつけるために父が画策したことである。これならば新兵の動員、作戦の低級さ、容易さにも画点がいく。さらにこの作戦の成功の暁にはそれを理由に彼らは昇進が約束されている。また、リンドバーグは左官への昇進を理由に今作戦の参加を了承した。彼がムンタギューの横暴さに文句ひとつ言わないのは、そこら辺が原因である…。
沈黙が支配した。ありそうな話ではある。しかしだからこそ彼らはこのネタを笑う気にはなれなかった。だとしたら使われる俺達はピエロではないか…。
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