第11話 閃光と密林

 迫り来るコウモリの気配を感じながら、俺は頭の中で経験の引き出しを、ひたすら漁っていた。

 コウモリは目が極端に悪い。故に、飛行する際は聴覚を頼りにしている。

 人間の耳には聞こえない音を出して、その音がどう跳ね返り、どう揺れるのか、それを聞いて立体を把握していると聞いた。

 弱点は突発な大きな音、そして眩しい光。

 眩しい光を当て続ければやり過ごせると思いがちだが、今俺に襲いかかってくるこのコウモリには光に対する耐性が多少あるので、一時的に行動不能はできても、それ以降は効かない。

 でも、ずっと暗闇で生きてきた奴らには一時的でも光は効く。

 できればギリギリまで使いたくなかった。

 進べき道がわかるようになってから使いたいと思ってた。

 今俺がいるこの場所にはもしかしたら下層に繋がっている道があるかもしれない。

 信じるも信じないも、選択肢はこれしか無さそうだ。

 俺は腰の横に携帯しているホルダーから親指くらいの濁った水晶玉を取り出す。

 そして魔力を流し込む、水晶玉は黄色い光を放ち始める。

 俺は頭の中で時間を数える。

 これは閃光玉という冒険者アイテムのひとつで、一定量の魔力を込めると黄色い光を発し、五秒後に眩しいばかりの光と大音量の破裂音を炸裂させることができる。

 これに殺傷能力はないが、殆どの魔物には初見だと効果がある。

 しかし閃光玉は高価だ。一つの消費に対して、それ以上の見返りがある場合じゃないと使えない。

 今がそうだ。死ぬか生きるかの瀬戸際、見返りは十分。

 三秒経過。

 発光時間は一瞬、その隙にこの空間を見極めろ。

 一つを見ずに、全てを見る。草食動物のように。

 残り一秒。俺は上に向かって閃光玉を放り投げる。

 耳を塞いで目を瞑る。

 静寂が身体を包み始める瞬間。

 瞼の向こう側で光を捉える。そして振動。

 同時に目を開ける。

 まるで、どしゃぶりの雨のようにコウモリが降っている。

 わずかな時間、俺はその光景を脳裏に焼き付ける。

 そして、再び暗闇に戻る。

 そのときには既に俺は駆け出したていた。

 バタバタとコウモリたちが地面に叩きつけられる音。

 当然、それは俺にも降りかかるが、無視して走り続ける。

 道は二つあった。

 方向を考えると、一つはおそらく自分が通ってきた道だろう。そして、もう一つ、ここから三百メートルほど距離がある反対側に小さく穴が見えた気がした。少ない時間だったのでじっくりは見られなかった。

 俺はそれを信じて走るしかない。

 床に散らばったコウモリたちを踏みつけながら全力で走る。そんな俺はポーチから新たな閃光玉を取り出し魔力を込める。

 行動不能になったコウモリはどの程度で復活するかはわからない。

 復活したとわかってからだと、悠長に五秒など待ってられない。

 俺は淡い発光を確認して、頭で秒数を刻む。

 コウモリたちはやはり五秒を待たずに復活した。バタバタと地に落ちる音から、羽音に変わる。

しかし、その頃には閃光玉が起爆するまで残り一秒。俺は一発目と同様に天井向かって投げる。

 そして、耳を塞ごうと思ったとき、右肩に何かが噛みついた。コウモリだ。

 ちくしょう、傷は浅いが痛い。

 俺は左手で掴んで、強引に剥がし、放り投げる。

 と、そのとき真っ昼間のように辺りが明るくなり、大きな破裂音が耳の奥まで抉ってくる。

 自分が使った道具に自分が巻き込まれるなんて不覚。

 気を保て。目を凝らせ。足を動かせ。

 さっき見えた小さな穴は確かに通路だった。距離もあと少し。

 しかし、残念なことに二発目の閃光玉の効果はいまいちだったようで、一部のコウモリたちは俺に向かって飛んでくる。

 俺は暗闇の有利を捨てて、ライトの呪文を唱える。壁まで照らせる光源を高い位置に召喚させる。

 通路まではあと少しだ。

 俺は飛んでくるコウモリを短剣で薙ぎ払いながら突き進む。

 百匹近いコウモリが一斉に襲いかかってくるわけだから当然、全てを対処することはできない。

 俺の身体に擦り傷や噛み傷が増えていく。

 ここで立ち止まると、確実に死ぬ。

 俺は死に物狂いで、短剣を振り、もがき、走った。

 そして、希望を込めて通路に飛び込んだ。

 通路は下に降る階段になっていて、俺はそのまま転がり落ちていく。

 階段は螺旋状になっていたため、壁にぶつかって俺は止まることができた。

 コウモリたちは、追ってこない。

 俺はとりあえず、そのままの体勢でいた。死線を潜り抜けた緊張から解放が身体を動かせない。

 少しくらい休んでもいいだろう。

 ここの階段には壁に埋め込まれるように、オレンジ色のランプが一定の間隔に設置されている。

 魔法で光っているのはわかるが、地上では見たことがないタイプだ。

 迷宮オリジナル。もしかしたら、このランプにはコウモリたちを近づかせない力があるのかもしれない。

 この通路に入ってからコウモリが追ってこないことに、何か理由があると思っていた。それがこのランプなんだろう。まあなんでもいいが。

 俺は大きく息を吐いた。

 水を飲み、少し休憩した。



 心に落ち着きを取り戻したのを感じて、俺は下に降るために立ち上がる。

 螺旋階段はそこまで長くはなかった。それでも五十メートル近くはあったと思う。

 階段がなくなり、通路が真っ直ぐ続いていて、だんだん細くなっていく。

 平らだった壁や地面が、ゴツゴツと岩のようになっていく。

 コケや、雑草がちらほらと現れる。

 俺は警戒して、ゆっくりと進む。

 草は俺の身の丈ほどの大きさとなり、壁と地面が見えなくなった。

 壁に埋め込まれていたランプもなくなり、天井が見えない。

 少し進んで、一度ライトの魔法を使った。上を見ると、天井はなくなっていた。どうやらいつのまにか次の階層にたどり着いたのだろう。

 ここは密林を思わせる草木が一面に生い茂っている。

 ここが迷宮だとわからなければ、屋外のジャングルたと信じていただろう。

 俺は当てもなく真っ直ぐ進んでいった。

 暫くして、この密林には小動物がいることがわかった。ウサギやリスが時々、雑草の間から顔を覗かせる。迷宮にはそぐわないなんとも可愛らしい生き物だ。

 だが、俺はすぐに一つ考えが思い当たる。

 この小動物を狙う狩人がこの密林いるはずだ。おそらく知能が少なからずあるだろう。

 俺は警戒を強めて、小さい音も逃すまい、と歩き続ける。

 狩人はすぐに見つかった。

 草の丈が低くなっていて、一部木が生えていない開けた場所。

 俺は小動物が出すには少し違和感を覚えた。そして、この場所にきた。

 草の影に身を潜めじっと様子を伺う。

 奴らは五匹と群れを成している。

 緑色の肌をして、豚のような顔をしている。背丈が俺の胸くらいという大きさで、葉っぱの腰巻きをしている。手には枝と石を使って作ったと見られる斧を持っていた。

 こいつらはゴブリンだ。

 どこにでも現れて、繁殖する。数を増やすことによって脅威性が生まれる。

 しかし、単体ではかなり弱いので、五匹程度であれば俺一人で倒すことができる。

 こいつらはこの階層の主ではないのか?

 コウモリがいた階層を考えれば、この階層の難易度の低さに不思議に思う。

 ということで俺は普通なら無視して進むところをゴブリンたちの後をつけることにした。

 ゴブリンたちはウサギを捕らえることができてブヒブヒという声を出して喜んでいる。そして巣に向かっているのか、木が生い茂っている方に歩いていった。

 俺はその後ろをつけていく。ゴブリン程度に見つかるわけがない。


 五分も経たずに、異変が訪れた。

 先頭を歩いていたゴブリンが突然立ち止まり、顔の周りを手で大袈裟に降り始めた。

 何をしているんだとよく目を凝らすと、どうやら雲の巣に引っ掛かったようだ。 

 俺はその滑稽の姿に心の中で笑った。

 しかし、引っ掛かった本人は必死である。

 何故そこまでという疑問が生まれる。

 他のゴブリンたちも集まり、クモの糸を剥がそうとする。

 すると、前方からゴブリンと同じくらいの大きさのクモが現れた。 

 クモは三匹いて、ゴブリンたちに襲いかかる。ゴブリンたちは抵抗するが、それも虚しくあっさりと噛まれて、戦闘不能となった。

 クモの牙には毒があるのだろう。

 クモたちは手際よくゴブリンを糸で巻き付ける。そして、やってきた方向に向かってゴブリンを運んでいった。

 当然、俺はあとをつける。 

 この密林の生態系がわかってきた。小動物を狩るゴブリン、そしてゴブリンを狩るクモ。

 さて、クモたちは俺をどこに連れていってくれる。

 進むに連れて、クモの巣の数が増えていった。そしてそのクモの巣にはよく見ると一本太めの糸が進行方向に向かっていることがわかった。

 つまり、ゴブリンたちがクモの巣に引っ掛かった際にこの糸が振動することによって、獲物を捕らえたことを知らせてくれるわけだ。

 あの糸にはどのくらいの粘着性があるかわからないが、少し厄介だな。

 あらゆる方向に伸びていた糸が集まってくる。もうすぐ本当の巣に辿り着くのだろう。

 俺は糸に触れぬよう慎重に進んでいく。

 そして、ついに糸の出発点にやって来た。

 そこは半径五十メートルほどの円上の開けたスペースで、ずっと続いていた雑草が剥げて、焦げ茶色い地面が姿を見せている。

 そして、この大地全てを覆うように巨大なクモ巣がある。

 周辺の木や、地面に糸をへばりつけて、二重三重とドーム状の巣が出来上がっていた。

 俺は木陰から観察していると、このクモの巣の中心に下層に続いていると思われる階段を見つけた。

 俺は内心喜びながら、無表情で階段まで行く算段を立てる。

 このクモの巣は大きいが、この場にいるクモはそんなに大きくはない。

 クモたちは捕らえた獲物を一ヶ所に山のように積んでいる。

 数は三十匹と多くはない。

 俺なら奴らの目を掻い潜って中心に辿り着けるだろう。

 約五十メートル、全力疾走で糸をかわす。十秒ほどで終わる簡単なことだ。

 俺は隙を見て、一歩踏み出そうとしたとき、一匹のウサギが近くの林からクモの巣に飛び出してきた。

 はぐれウサギだ。

 俺は瞬時に森の中に身を引く。

 ウサギは危機を察知して、林に戻ろうとする。しかし、そこに太い糸が飛んできてウサギの身体にまとわりつく。

 動けなくなったウサギは身体を震わせる。

 そんなウサギに大きな影が生まれる。そしてすぐに巨大な鎌に身体を貫かれる。

 鎌の持ち主は巨大なクモだった。

 俺は腰を抜かしその場に尻餅を着く。

 高さは五メートル程だが、全長は十メートルは優に越えているだろう。そして顔には無数の目が歪な形に広がっている。口には醜悪な黄ばんだ牙が見える。

 こいつがこの密林の主だ。

 さっきまでは俺には見えない高い位置で、身を隠していたのだろう。

 巨大クモは仕留めたウサギを口に放り込む。ムシャムシャと口の周りから鮮血が溢れ落ちる姿がよりいっそう恐怖を煽る。

 俺は身体を縮ませながら、見つからないように祈るばかりであった。

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