想い人を模す

 ロボット工学が進む前から、このような話はよく出ていた。そして物語も。


 それなりにロボット工学が発展するにつれ、そのビジネスはひっそりと、そして確実に伸びていった。


 "想い人に似せたロボットの製作"


 死別した伴侶や、子供、といった心のケアも多分に含まれた依頼もあれば、ただ、僕のように想いの届かない人の代わりに依頼する人もいる。

 そして製作依頼にあたり、パラメータシートに記入しなければならない。


 相手の容姿が分かる写真などの資料。

 性格などが分かるエピソードや、傾向。

 仕草や癖など、その人の大きな特徴となるもの。


 それらの記入をすることになっている。

 僕はそういう彼女の細かいところはわからない。ただ遠くから見つめ、眺め、愛でていただけだから。気持ち悪い?そういう相手すらいなんだ。


 色々考えたってパラメータを埋めなければ製作は始まらない。僕は彼女ならこうするだろう、こうならいい、という"理想"の物語を書いて送った。身体のデザインはちょっと好みの女優のプロフィールからそのまま写した。


 オーダーメイドのロボットはかなり高価なもので、僕がこれまで貯めてきた貯金のほぼ全てが飛ぶ。

 だけど構わない。だって僕のお金は僕以外の誰にも使われることなんてこれまでも、これからもないからだ。

 正式オーダーして3ヶ月後、彼女は直接訪問する形で届けられる。

 セールス以外に鳴ることのないチャイムが鳴り、僕は玄関の扉を開けて、放心してしまった。

 あの人が、目の前にいる。


「本日、13時41分。ご契約者様宅に到着しました。お邪魔してもよろしいでしょうか?」

「え、は、はい!ど、どどうぞ!」


 僕は慌てて大きく扉を開き、彼女を迎え入れた。


「ほ、本当に良く、で、出来ています、ね」

「すべてお客様のパラメータシートに記載された仕様に沿っているかどうか、最終確認をお願いいたします。終わりましたらこちらにサインを。それまでは所有権がお客様に移ることはありません。猶予はクーリングオフが可能な2週間後が期限となります」


 そういって彼女は深々と頭を下げた。


「は、はい、よ、よろしくお願いします」


 僕も深々と頭を下げる。


「もう、いいんじゃない?そのくらいで」


 急に口調が変わる。僕が指定した言動に沿って動作を開始したためだ。


「う、うん、そ、そうだね。き、今日からよろしく。ぼ、僕は、僕は」

佐野山直志さのやまただしくん、だよね」


 遠くから聞こえていたあの声が、僕のすぐそばで、手を伸ばせば触れられる所から聞こえてくる。


「直志くん、私が行動する前に確認しなくちゃいけないことがいくつかあるの。正直に答えてくれない?」

「え、あ、う、うん」

「これは製作前には必須じゃない確認事項なので、影響がなかったんだけど、ここで過ごすとなると、そういうわけにもいかない場合もあるはずなの。それで確認が必要」

「わ、わかったよ、な、なんだい?」

「私のモデルとなった女性はご存命かしら?」

「・・・はい」

「その方は、私がいることをご存知ないかしら?」

「・・・は、はい」


 僕は恥ずかしくて泣きそうになる。


「ごめんなさい。モデルの生死にかかわらず、周囲の環境を考慮する必要があるの。例えば殺したと思った人間が、街を歩いている。そうすると、ロボットを壊すだけならいいけど、錯乱して他の人にも影響を与えると・・・わかるよね?」

「う、うん」

「直志くん、このあたりの記載がなかったから、私が直接聞いて、判断することになるの。だから教えて。ね?」


 そういいながら、彼女は足を前に出し、体育座りのような格好をとった。


「じゃ次。モデルとなった人は、ここからどのくらいの距離にいるかしら。大体でいいの」

「じ、10キロ以内だと、お、思う」

「想定より近いのね・・・モデルの方と、あなたは面識があるのかしら?」

「た、多分ないと、思う」

「会話は?」

「は、半年前ほどに、に、2回くらい」

「直志くんはその方をどのくらい前から知ってるの?」

「2年ほど、前・・・から」

「その方、ご結婚は?」

「学生だから、していない、と思う」

「最後にあったのはいつ?」

「せ、先週の合同講義で」

「直志くんと同じ学校なのね」

「う、うん」

「共通の友人は?」

「い、いない」

「ここに訪問してくる友人は?」

「いない」

「学校で話す友人は?」

「・・・い、いない」

「そう・・・ご両親は私のことを?」

「し、知らない。親もここには来ない。僕が一方的に会うだけで、電話番号は知ってるけど、住所は教えていない」

「なるほどね」


 彼女はそこまで聞くと、しばらく考え込むような仕草をした。この仕草も、先週講義の机に向かってやっていた仕草だ。


「わかったわ。私はこの部屋から一歩も出ない。その方がいいわよね?」

「う、うん」


 かなり後ろめたさがあるけど、彼女の言うことは僕の都合を一番に考えた結果だ。


「そして、もし私をどこかへ連れて行きたいと思うなら、私の顔を隠すような衣服を用意してもらえるかしら?」

「わ、わかった。そう思ったら、用意する」

「そう」


 この言い方は僕が初めて話した時の口癖を真似たものだ。


『ごめんなさい、6号館ってここ?』

『あ、え、違う。6号館は隣、こ、ここは8号館』

『そう、近道ってあるの?』

『こ、この横を通れば、し、社員通用口から伸びる、ほ、細い道があるから、そ、そこからなら』

『そう、ありがとう』


 この短いイントネーションがとても印象に残った。目の前の彼女はそれを忠実に再現している。


「あと、私が不要になった時の話だけど」

「え、あ、そんな」

「メーカーのそういう連絡先は私が覚えているから、気にしないで聞いてね。どこかに連れていったり、私を稼働不能な状態にするのは、警察機関や、直志くんの周りの人に良くない影響を与えるわ。ほとんど繋がりがないとしても、よ」


ここで彼女はじっと僕を見つめる。


「正直に言えば、なるべく早めにその連絡先が使われる方がいいと思うの。あ、この言い方は本来なら抵触しかねない発言なんだけど、このあたりは製作時の契約で両者間の合意が取れている前提だから」

「う、うん、そ、そこはかなり強く書いてあったから、わ、わかるよ。だ、第1条が希薄に思える解釈になっている、ってことだよね」

「そう。私のような存在がある事が、対象者を助けている、という見地からのものなの。当然、ギリギリのところだから限界はあるわ」


 彼女はそう言いながら、シーソーのように身体を動かし始める。


「大体、話終わったわ。これから私、どうすればいいの?」

「・・・そ、側にいてほしい」

「・・・わかったわ。もあるけど、どうする?」

「あ、え、それは、ま、まだ・・・」

「そう、ならそのほうがいいわ。私は代用品であって、絶対に本物ではないから」


 彼女との生活は、僕にとって世界が変わるものだった。

 部屋に帰れば、彼女がいる。

 朝起きれば、おはよう、と言ってくれる。

 一緒に勉強をして、一緒にテレビを観て、一緒に寝てくれる。


 そして・・・僕を抱きしめてくれる。


 半年ほど経った頃、学校で彼女が知らない男と手を繋いで歩いているのを見た。とても楽しそうに。そして幸せそうに。


 僕は帰って聞いてみた。


「今日、だ、誰と歩いてたの?」

「私はずっと部屋にいるわ・・・モデルの方の側に男性がいたのね・・・直志くん、いらっしゃい」


 そう言って彼女は、僕を抱きしめる。


「ごめん、知ってる。違うって。で、でも直接見ると、それで家に帰ってもいると、な、何がなんだかわからなくなって」

「そうでしょうね・・・辛い?」

「辛い・・・けど、ぼ、僕には君がいるから」

「そう・・・ね」


 あとは適当に過ごして大学を卒業した。

 卒業した日に、彼女は僕に聞いてきた。


「ねえ、どうする?」

「え、何を?」

「社会人になれば、今までのようにはいかないわ。ここも引っ越すんでしょう?私は直志くんにとって、扱いにくい存在になるわ」

「そんな事」


そういう僕の言葉を遮る。


「いいえ。これまで通り、という事にはなりにくいはずなの。それが当たり前だから。私の行動は私が制御できているから、ある程度は大丈夫。だけど直志くんを取り巻く環境はそんなに今まで通りに事は運ばない」

「そんな」

「メーカーの統計では、恋人として購入した62%が、就職、転勤、転職、引っ越しする事で、現在の環境を維持できなくなっているわ」

「僕は君がいれば、それでいいんだ」

「そう」


 もう、その口癖は何万回も聞いていて、僕の中では心地よいリズムを踏んでいて、生活の一部になっていた。


「でも、直志くん、自信を持って。貴方は私が初めて出会った時より、ずっとカッコ良くなってるわよ」

「お世辞でも、ありがとう。でも結局、何も変わってないんだ」

「今はそうでも、変わるわ。大丈夫よ」


 確かに引っ越しは大変だった。

 少し離れた場所のホテルを取り、彼女を深夜に一旦そこに移し、引っ越しが終わるまで、ホテルに滞在してもらった。

 人が行き交う事の多いところでは、本物に影響を与えるリスクがかなり上がってしまう。

 ひどい花粉症のようにマスクをしてもらい、こそこそと移動してもらう事は、僕の良心がとても痛んだ。

 次の部屋は学生の時よりも広く、長く生活する事を想定した間取りだった。


「いい部屋ね」

「うん、頑張って探したんだ。"彼女"は地元に帰ったみたいなんだ」

「そう、でも私は外に出ない方がいいわ。直志くんと学校、モデルとなった人がそれぞれ500キロ以上離れないと、トラブルにならない可能性は、あまり低くならないの」

「そう、なんだ」

「そうなの。ここは学校にも近いし、その地元は隣県だから、リスクは高いままだわ」

「でも、また暮らしてくれるかい?」

「私は直志くんの所有者よ。望まれるまで、ずっといるわ」


 働いて3年、仕事にも慣れ、彼女が言った通り、環境が変わり始めた。

 僕は学校でも勉強ばかりしていたのだが、その成績が功を奏し、開発部門に回されることになった。これまでは保守、修理部門に席を置いていたのに、一気に花形部門に転属となる。

 でも僕は人間関係もそこそこに、相変わらず彼女との生活を優先させていた。


「転属、おめでとう」

「ありがとう。君が支えてくれるおかげだよ」


 まだ若いままの彼女が、にっこりと微笑む。


「ううん、これは貴方が成し得た成果なの。私が何かをしたわけじゃないわ」

「そんな事はない。これからもよろしく頼むよ」

「そう。それでも」


 彼女は間を開けて言う。


「・・・いらなくなったら、教えてね」


 開発部門で半年ほど過ごした後。


「ねえ、佐野山くん、だよね?」

「あ、はい。どなたですか?」

「やっぱり覚えてないかあ。同じ研究室だったんだけどな。私、須藤。たまに話してたと思うんだけどなあ」

「ごめん・・・須藤さん。人を覚えるのが苦手でさ。結構孤立してたし」

「そうだよね、あ、ごめんなさい。そういう意味じゃなくて。でも、今の佐野山くん、全然そんな雰囲気じゃなくて」

「そうかな。なにも変わってないんだけどな」

「嘘。雰囲気全然違うよ。私隣の部署なんだ。これからもよろしくね」

「うん、よろしく」


 帰ったその日、彼女が聞いてきた。


「何か、あった?」

「え、なにもないけど」

「そう?少し興奮気味な傾向があるから、なにか会社であったのかなって」


 会社で。ああ、と思いだす。


「同じ研究室だった子に話しかけられたよ。全然覚えてなくてさ。悪いことした」

「女性なのね?」

「そうだね、でも、同僚だよ。確認しにきた、って感じだった」

「でも、興奮してるのね」

「・・・ごめん、そんなつもりじゃ」

「ごめんなさい。違うの。嬉しいの。私から離れられるなら、その方がいいのよ」

「またそんな事を」

「ううん、覚えておいて。死別以外で購入した人は、そのロボットを返却する事も、1つのゴールなの。直志くんはそのゴールも見えてきてるの」

「・・・いつか、そんな日が来たとしても」

「来るわ、必ず」

「じゃ・・・その日まで、側にいてくれるかい?」

「もちろん」


 その日から僕は、彼女を裏切り始めていたんだと思う。

 須藤春香すどうはるかの笑顔は毎日違って眩しかった。

 笑顔だけじゃない。話し方も、不満も、愚痴も、辛そうな顔も、疲れた顔も、毎日、違った。

 家に帰ると彼女が迎えてくれたが、彼女の行動は、逆に違和感を感じ始めている。


 そんなある日、須藤さんのほうから、僕に好意がある事を伝えられた。僕は笑顔で答えようとして、週明けまで待ってほしい、と伝えた。

 家に帰り、彼女に今日の事を伝えた。

 その時の「そう」はいつも知ってた「そう」なのに、もうなにも意味のないものに見えた。


「直志くん、私を返した方がいいわ」

「・・・もうちょっと待って」

「いいえ。もう、私は貴方のためにならない。私の中では、私の存在が害であると判定している」

「そんな」

「返却する時なの・・・言い方を変えましょう。別れましょう。私と貴方ではもう、今まで通り続かないわ。わかってるでしょう?」

「・・・」

「きっと直志くんは、"何も変わらない"私に違和感を覚えているはずなの。でもそれが普通で正常なの。死別された方は、その瞬間で時間が止まっている方も少なくない。その場合は長くこの関係が成立するわ。でも、そうでない場合、これが自然で当たり前なの。これでいいの」

「・・・ごめん」

「謝らないで。貴方の意思を認識し、今、センターに報告したわ。20%が返金されます。私は明日の朝、出て行きます」

「今度は私からお願いがあるの」

「・・・なんだい?」


「側にいて・・・くれるかしら」


 朝起きると、彼女はもういなかった。

 僕の隙間を埋めるだけ埋めて、いなくなった彼女は、ロボットではなく、僕にとってはかけがえのない、彼女だった。


「なんか振られたみたいだけど」


 そう言いながら、僕は携帯を持って、昨日入れたばかりの番号に連絡し始めた。


「おかえり。ご苦労様」

「ただいま戻りました」


 センターでは、彼女の帰りを出迎えるメーカーの人が数人いた。


「振られて来たな」

「振られて来ちゃいました」


 そう言って笑う彼女の顔は、直志が見た事もない、悲痛な表情だった。


「・・・よほど大切にされてたんだね。そんな顔ができる子は、久しぶりに見たよ」

「もっと一緒にいたかった・・・です」

「頑張ったな」

「・・・はい」


 職員が彼女を奥に促す。


「どのくらい、必要だい?」

「6日ほどいただけませんか」

「長いね・・・いいだろう。ゆっくり浸るといい。君の新しいボディは、その時までに用意しておくから」

「はい。それまでに整理しておきますので」

「うん、それじゃ、頑張って」


 彼女は奥にある個室に入り、椅子に座って目を閉じた。

 直志と過ごした6年。これから彼女が行うことは、その思い出を作業だ。

 そしてそれを1週間分まで、まとめてしまうのだ。


 彼女は直志との思い出を捨てていこうとする。

 ただ部屋にこもって、ただ待つだけの日々。それなのに、その日一緒にいた直志といた時間を簡単に消すことができない。


 それでも優先順位を決め、歯を食いしばり、1つずつ消していく。


 この時だけ、彼女は本気で泣くのだ。

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