雨
「傘を買ってくれませんか」
人通りもまばらな駅前。
背の低い、人型というには少し違和感のある無骨な形をしたロボットが、さらさらと降る小雨の中で傘を売っている。
「一本の針金にもこだわって丁寧に作りました、とても頑丈な傘です。けっして損はさせませんから」
しかし、私が時間を潰すために入ったカフェから見ている限り、ただの一本も売れていない。
それもそのはず。
この時代には雨は頭に小さな装置を乗せるだけで済む、"遮雨フィールド装置"が主流で、傘はただ
もし、これで売れているのであれば、買い手がただ興味本位で買っているだけでしかない。そのほとんどは道具として需要があるわけではないだろう。かく言う私もどこかのネットで見たくらいで、現物を、ましてや販売しているところは初めて見ていた。
しかし、そのロボットは、今目の前で傘を売っているそのロボットは、そんな事を知らないのか、それとも全く気にしていないか、変わらず傘を売り続けている。
私の住まいの最寄の駅前、時折そんな姿を半年ほど見かけていたが、ある夜、私は会社の付き合いで飲んだアルコールが抜けきらないまま、軽く酔いつつゆっくりと駅から出た時に、少し悪い気まぐれが出てしまった。
そんな日の天気は曇り空。これから雨の降るのは30分後となっている。昔と違い、今の天気予報は細かくシュミレーションされており、ほぼ外れない。
そしてまたあのロボットが、駅前のまばらな人通りの中で傘を売っていた。
「傘はいりませんか?とても頑丈な傘です」
いつの日からからずっと気にしていた疑問を、どうしても聞かずにはいられない衝動に駆られ、私はそのロボットに近づいていった。
そのロボットの体を支える足は無骨な棒状、可動を司る各関節は丸くボールが挟まっている感じだ。今の時代、人らしい顔つきのロボットが多いのだが、そのロボットの顔はただ四角い箱に丸くて光る半円のボールが二個付いているだけ。
一言でいえばレトロ。
つまり・・・見た目はロボットが普及し始めた時代の旧式タイプそのもの。
近づく私の姿を認めると、私の方にまっすぐ立ち、首を傾げながら話しかけてきた。
「傘はいりませんか?もうすぐ雨が降ります。きっと役に立ちます」
このロボット・・・この
「どうして、こんな傘を売るんだい?」
「雨に濡れるのは冷たいですし、風邪を引いてしまいます」
「そうじゃなくて。傘なんて古くて不便なもの、もう誰も買わないんじゃないかな。何故こんな無駄なことをしているんだい?」
「無駄ではありません。傘がなければ雨の日に困ります。それに!」
ロボットの頭がピョコピョコと上下に動き、会話の抑揚を助けている。
「つい4日前にも白髪の紳士の方が一本買ってくださいました」
「それは傘を使うことが目的じゃないと思うよ。物珍しいから買ったんじゃないかな」
「それでも私の傘が役に立つ時もあるかもしれません。どうですか。丈夫な傘なんです」
私はこのロボットの話す言葉に妙な説得力を感じていた。
「そんなにこの・・・傘、がいいのかい?」
「最近の皆様は傘をささずに濡れない方法で歩いてらっしゃいます。しかし私は、片手が塞がっても、古来より風情のある傘の魅力もお伝えしたいのです」
「そんなもんなの?」
「はい、それはもう。ですので、是非ご購入を」
ぼんやりと光る2つのセンサーアイがパチパチと瞬くように点滅する瞳に、どことなく感じる不憫さに、胸を打たれた。
「わかったよ、じゃ買おうかな。幾らだい?」
「1000円です。この品質では決して手に入らない一品です。またご家族やご友人にも是非、お勧め下さい」
「ははっ、これは商魂たくましいな。それじゃ、しばらく使ってみることにしよう」
「ありがとうございます」
彼女は深々とお辞儀をして私をかなり遠くになるまで見送った。
それからずっと、私はこの傘を使い続けている。
今の時代からは3世代は古いこの雨具は、雨の日に差せば、すれ違うひとたちから好奇の目で見られる。たまに私と同じ街に住む人たちに会うと、あの例の?と笑顔で声をかけてくれたものだ。
それに私はこの傘を気に入ってもいた。
ある日はパラパラ、そしてある日はポツポツと雨粒の当たる音が、なにか雨を会話をしているようで心地よい。片手がふさがってしまうが、意外と悪くないものだ。
だから私は余所で、この傘について声をかけてきてくれた人には、悪くないものですよ、と笑顔で返すようにしていた。
そしてまた雨の日、たまにあのロボットとすれ違うと、声をかけてくる。
「283日前に私の傘を買われたお客様。そしてまだ壊れない頑丈な傘、電池も充電も不要な傘をご購入頂きありがとうございました」
とても大きな声で言うロボットと視線が集まる人通りの中、私は足早にその場から逃げる。
もう少し遠慮してもらいたいんだけどな。
苦笑交じりにつぶやきながらも、私は何故かその後も傘を手放さなかった。
私はその後に家族ができ、住み慣れていたその街からも出ていた。そしてあのロボットとも会うことがなくなった後も、この傘を手放すことはなかった。
そんなある日、傘をさしてふと上を見上げると、小指ほどの大きさの穴が空いていた。
思わず声に出た。まるで気が付かなかったのだ。
「あれ」
どうしようか。
私にとって、雨の日にこの傘を使わないことはとても不便に感じるほど、生活の一部となっている。捨てるのは忍びない。かといって私には直せそうもない。
あれから10年ほど経っているが、あの街に行ってみよう。またあのロボットがいて、買い直せるかもしれない。
私はそう思うと、以前住んでいたあの街の駅前に向かった。
その日も、ちょうど雨が降りそうな曇り空。
ちょうど下りた出口の前で、あの時と何も変わらない姿で、あのロボットが傘を売っていた。
「丈夫な傘をいかがでしょうか。とてもしっかりとした傘なんです」
"あの時と何も変わらない"
あのロボットが中心に映るこの光景は、私には少し心苦しかった。
あの傘を売る姿。ここで初めて話して、そしてこの傘を買った、当時の私とその時代。
今、こうして少し年を取り、10年前と同じ風景を見つめている。
少し寂しく思っていると、ロボットが私の姿を見つけ、大きな声で話しかけてきた。
「11年と25日前にご購入頂きましたお客様、ご無沙汰しております。あの時は傘を買って 頂きまして、ありがとうございます。また1本いかがでしょうか。今日は新色を持って来ております」
私はそんなロボットに今度は自分から近づいて話しかけた。
「よく私がわかったね。実はあの傘はまだ使っているんだ」
「それはそれは、売ったかいがあります」
相変わらずの姿をしたこのロボットが、センサーアイの光を点滅させた。
「そして、こんなに長く使って頂けたお客様は久しぶりです。役に立ってよかったです」
「いや、そう言われると申し訳ないんだが、実は・・・傘に穴が空いてさ」
そう言って傘を差し出す。
「ああ、そういうことでしたら、500円で修繕いたします。ですが・・・」
彼女は私の傘を受け取ると、顔を俯き、センサーアイが少しだけ暗くなる。
「ですが?何かあるのかい?」
「お客様の傘の修繕する箇所は、使用すればよく穴が空く場所でございます。あ、いえいえ、5年くらいは全く問題がない品質なのですが」
「うん、それで?」
「もう500円追加していただくと、補強して提供いたしますが、いかがなさいますか」
私はぷっと吹き出した。
「そうか・・・そうか。相変わらずだな。なら修繕してもらおう、そして補強もお願いしようかな」
きっと彼女は2年後でも、20年後でも、同じことを言うのだろう。
「わかりました。ここでは修繕できませんので、工房でやらせていただきます。お客様、お時間はありますか?一旦お預かりして、後日お渡しすることも可能ですが」
私は工房、と言う響きに興味を持った。
「いや、是非行かせてもらうよ。どんな風に傘が修繕されるか、見て見たい」
ロボットの頭がピョコピョコと動いた。
「そうですか、それなら狭いところですが、是非お越しください。すぐに終わりますので」
彼女の工房は、少し入り組んだ飲み屋街の先にある、小さな工房だった。
そして本当に小さな、3人も入れば一杯になるようなそんな部屋に案内される。
実際はもっと広い部屋なのかもしれないが、傘の部材が所狭しと積まれていて、そもそも人を招き入れるだけの場所は初めから最低限しかない。
そしてその部屋の真ん中て部屋のほとんどを占める、組み立てるための大きなテーブル。あまり使われていないが、年季の入った一脚の椅子。
「どうぞ。その椅子にお座りになってお待ちください」
私の傘を預かると、ロボットはそう言ってテーブルの前に立ち、私の傘をおいた。
彼女はじっと私の傘を観察するかのように、静止している。
「相当、使われたのですね。少し消耗部品も交換します。あ、これはサービスです」
「サービスでも実費でも構わないよ」
私は軽く応えたが、その間もロボットはとても手際よく、私の傘を分解し始め、あっという間に穴の空いた傘の布を外し始めた。
「みんなバラバラにするんだね」
「はい。色々なやり方があるのですが、私が作ったものなので、構造は熟知しています。それに、また新品のように使っていただけるのは、とても嬉しい事なのです」
「嬉しい、ねえ」
「ご存知でしょうか。この傘の先端は、石づき、と言いまして硬い地面を突くからそう呼ぶようですよ。普通、石なんて呼ばれると、どんなものでも刺さる武器のように思えますよね?あ、中世では、ここが武器になってるものもあるようですよ」
「へえ、博識だねえ」
「傘のことですから!色々と教えられました」
ここまで話して気がついた。
このロボットの中身は旧式ではないのではないか。彼女の表現は豊かだ。
外見と同じくらいレトロなら、中身のスペックもそれなりにレトロなはず。
「君は、もしかして・・・外見通りではないのかい?」
「・・・私にはわかりかねます。ただ、はじめてのオーナーに買っていただいた時から既に型式通りのオリジナルではない事は分かっています」
「そうなんだ。とてもうまく話すし、手際よく傘を扱うから、ちょっと違和感があってね」
「そうなんでしょうか・・・でも私には他のことはできません。傘を作って、売ることくらいしか」
「もう、長いのかい?」
「そうですね・・・私が最初にお売りした傘は、現存すれば88年と214日経過しています」
思わず驚いた。長くても20年も経っているかどうかだと思っていたが、聞いてみればその4倍は傘を売り続けていた。
「そんなに・・・」
その後、私は言葉を続けることができなかったが、彼女はそれほど気にしているわけでもなく、その後も淡々と修繕を続けた。そしてあまり時間かからず、作業は終わったようだった。
「お待たせしました。どうぞ、お確かめください」
そう言って、バンッと傘を開いた。
「・・・こうやってみると私の傘は随分とくたびれていたようだね。本当に買ったばかりのようだ」
そういうとまた首をピョコピョコと動かしてロボットが答えた。
「それはもう、元が頑丈ですから」
私は笑う。
「君はまだ・・・その、これからも傘を売り続けるのかい?」
ふいに出た言葉を、私はそのまま続けた。
彼女の頭がまた、ピョコピョコと動く。
「もちろんです。私はここにある針金を全部使うまで、売り続けるのです」
そう言って彼女は大量に積まれている傘の部材に顔を向けた。
「そうか。応援しているよ。また、顔を出しても、いいかなあ」
傘の部材しかない、こんな小さな部屋なのに、私にはとても居心地の良い場所に感じた。
「もちろんです。また、お越しください」
しかし私があの工房に再び出向くことはなかった。そして数年、数十年すぎ、私にも孫ができる年齢になっていた。
その間、修繕した傘はしっかりと私を雨から守り、いつの間にか傘は私のトレードマークとなっている。
"傘のおじさん"、そして"傘のおじいちゃん"へ。
いつしか私は、誰かからそう呼ばれるたびに、雨が降るたびに私はあのロボットを思い出すようになっていた。
彼女は、今でも私のことを覚えていてくれるのだろうか。
昔と違い病気はかなりのものが完治可能になっていたが、老いに治療法は存在しない。病院から私が
そうだな、会いに行こうか。
もう先もあまりない私にとって、やりたいと思った事は、やっておこう。
私は周りの家族に一言ちょっと出かける、と言うと、ゆっくりと歩きながら、しばらく乗ることもなかった電車に乗り、あの駅前に、あの工房に向かった。
この傘を、あの時直してもらった傘を、ステッキがわりに使って。
そして駅前に着いた頃、いつかと同じように空は雨が降りそうな気配。建物がいくつか変わったが、街の雰囲気はあまり変わっていない。
色々な思い出が駆け巡る。
彼女は、まだ傘を売っているだろうか。
私は、ここに来て、彼女を見つけて、どう思うだろう。
そして彼女は私を見て、なんて言うだろう。どう思うのだろう。
いや、彼女はただのロボットだ。私を見つけてもなにか特別なことを思うわけではない。
そんなことを思っていると、ふいに後ろから声がかけられた。
「38年と112日ぶりですね、お客様。あの傘はまだお役に立っているようですね。大切な方へのプレゼントに、丈夫な傘はいかがでしょうか」
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