スペックが低いだけ
「もう、いい加減に買い換えましょうよ」
妻が夕食の時に今年になって何度目かの、その言葉を口にする。
今、この部屋には僕と妻とFME5500F、私達の間ではフミエさんと呼んでいる汎用お手伝いロボットしかいない。
「何か不満なの?」
僕も今年になって何度目かの、無意味な提案に質問で答える。
妻はフミエさんを買い換えようと言ってる。フミエさんをわざと目の前にして、だ。
しかしこの料理も、掃除も洗濯も、殆どフミエさんがやっていて、その仕事は完璧なのだ。僕は彼女には何一つ不満なんてない。
妻が口を尖らせ不満げに続ける。
「何がっていうわけじゃないけど、ほら、今のタイプは擬似涙腺がついてるって言うじゃない?他にも産毛とか色々と細かい機能があるって」
僕は少しため息混じりに話し始める。たったそんな事で、と言うことは喉で止めた。
ロボットが世に出てすぐ、初期のうちに肌色の人に近い容姿が開発され、たった十数年で『不気味の谷』と呼ばれる状態は終わっていた。フミエさんも軽い会話だけだと誰もロボットだとわからない。
絶対に変えない服従の姿勢と言葉遣い、それだけが人との違いを見せている。
「フミエさん、僕たちの子供が独り立ちした後からずっといる。僕達の健康状態から、味付け、癖、機嫌まで全部把握してるんだよ。自己学習機能もあって、とても助かってる。それなのにわざわざ?」
彼女は尖らせた口を引っ込め、少し目を落として斜め下を向く。
ああ、これは強めの愚痴が始まるのかな。
「だって、向かいの山田さん、最新型の汎用ロボット買っちゃって、私に言うのよ。『御宅のアレはなかなか年季が入っておいでで、クラシックタイプがお好きなんですか』って。頭に来ちゃうじゃない?」
だから年季なんて、外見から誰もわからないじゃないか。僕もわからないのに君がわかるのか?・・・この一言は心の引き出しにしまう。
「言わせておけばいいじゃないか。山田さんのロボットの基本ベースはフミエさんと同じものが入ってて、各家の個別適合率はうちの方がいいはずだよ。学習効率を考えれば、新しいものが全ていい、と言うものじゃなくなってるよ」
言った後でしまった、と僕は思う。
そう言う理屈上の問題を話しているのではなかった。
「もう、貴方はいつもいつも、そうやってフミエさんを庇うのね。それで私がご近所でバツの悪い思いをしてても関係ないんだから。1日家にいる私の身も考えて欲しいわよ」
またこれだ。1日家にいなければいいだけなのに、何故そんなにいたがるのか。
「だから前も言ったけど、家にいるのが不満なら、小遣い程度にパートに出たっていいから」
僕の苛立ちが妻の怒りに油を注いだ。
妻が眉間に皺を寄せて、吐き捨てるように言う。出てはいけない煙が頭から出そうだ。
「じゃ私が、この家は貧乏なんです、って噂されてもいいって言うの?冗談じゃない!」
そう言うと食事も途中にして立ち上がり、自分の部屋に向かっていく。
僕は大きくため息を吐いた。
「何が不満なんだ。若い頃はあんな事言う女性じゃなかったのに」
フミエさんは妻の残した食事を手際よく片付け、心配そうな顔をして話し始める。
「・・・私は奥さまのお役に立てておりませんか、旦那さま」
フミエさんからその一言を聞き、慌てて僕は取り繕う。
「そんなことはない。フミエさんは本当に良くやっているよ。僕は君を何処かにやりたいとは思わない。ずっといていいんだ。むしろいて欲しい」
フミエさんはホッとした表情を見せる。そしておずおずと両手を前に重ねて、お辞儀をした。
「ありがとうございます。旦那さま」
汎用お手伝いロボットの基本スペックは、とても高い。
一時期、ロボットの人権が囁かれた時があり、FMEシリーズもよく槍玉に上がった。
自宅で利用されるロボットは、家庭と言えど小さな社会が形成されているわけで、それに応えられるよう、設計されている。臨機応変が必要な訳だ。
つまり自己判断の範囲拡大ありきで、その社会に溶け込むべきロボットで、ある程度は成長する性能でなければならない。
そうなると、今まで以上に人らしい機能が必要、必須になっていった。そしてその要求を満たした結果、既に機能面、情緒面、少なくとも表面上は、人との違いがわからなくなる事を意味していた。
「下手したら
これは言ってても仕方がない。
人に近いとはいえ、絶対服従の姿勢、ロボット三原則は変わらない。
FMEシリーズが出る前からも、過去これまでの間に、人が生涯の伴侶に高性能ロボットを選ぶ事は少なくなかった。僕も否定はしないが、そこに本当のフミエさんの気持ちがあるのかが疑問だった。
何故なら彼女たちの本心を聞くことは、絶対にできないのだから。彼女達は主人の意に背く行動は取れない。それは行動でも言葉でも同じ事だった。
つまり、どんなに強く正直に話せと命令しても、その言葉の強さに比例して、ロボット三原則の第1条が優先される。
つまり、主人に精神的な危害を加えないため、加える可能性を認めたのなら、嘘を付いていないと嘘を付く・・・かもしれないのだ。これはFMEシリーズで事実解明してはいけない、暗黙知のタブー。ロボットに本音がある、などとは。ここまで使われているシリーズの出荷停止の反動は大きすぎた。
しかしながら反面、それだけ高性能さを表していることにもなる。
僕はフミエさんに向き直り、申し訳なさから必要以上に優しく手を取って話かけた。
「今日はもう休もう。また明日もお願いするよ、フミエさん」
「こちらこそよろしくお願い致します。旦那さま」
その日はそれだけ会話をして、僕は眠る事にした。
◇◇◇
そんなあの夜から、しばらくしたある日。僕は本を片手にウトウトとしていると、家の前で何かがぶつかり、散らばったような大きな音がした。
「な、なんだ?!」
僕は慌てて家の前に飛び出した。そこにはフミエさんの身体が半身2つにわかれている姿があった。
「フミエさん!何があったの?!」
僕は何かの間違いだと呟きながら、フミエさんの上半身に駆け寄った。抱き上げてみると思った以上に軽い。
小さく各所から機械音が空回りする音が聞こえる。フミエさんの首がゆっくり動いた。
「ガ、旦那さま、ゴ、奥さまはご無事でしょうか?」
「なんだって?」
フミエさんの目線の先、数メートル先で妻が倒れている姿が見える。外傷はなさそうで意識がないだけに思えた。
妻に構わず状況を知るため、フミエさんとの会話を続ける。
「どうしてこんな事になったの?」
「ボ、奥さまが車の前に、ド、飛び出しまして」
なんだかキナ臭い、そう僕は思い始めた。
「飛び出す?あれは最新型の衝突回避安全制御付きの車だが、それに向かって?」
「・・・」
「フミエさん、今より正直に事実だけを言いなさい。最優先命令です」
僕はなかなか使わない、フミエさん向けの最優先命令を実行した。
「ボ、奥さまが、私が壊れてしまえば、新しいロボットが買えると判断されました。壊れた理由は奥さまが飛び出した事にして私が・・・ガ、庇う予定でした。その際の注意点として貴方は頭から飛び込みなさい、と命令されました」
ああ、第3条が軽んじられるアレだ。しかし、そうなると・・・僕は改めて聞いた。
「それじゃ、何故助かっている?」
フミエさんが命令を遂行していないからこそ、僕は妻の横暴が分かっているのは?
「ギ、以前、旦那さまより、ズずっといて欲しいとお言葉を頂きました。奥さまの命令を実行すれば、ド、それが出来なくなります」
しばらく間を置いて、フミエさんは呟いた。
「・・・ゾ、今回の奥さまの命令は受け入れられませんでした。奥さまを助けるふりをして、ゲ、結果、奥さまを突き飛ばしました。私は独断で命令順位を拡大解釈しました。致命的なエラーを報告します」
フミエさんは強制休止モードに移行した。破損が激しいわけでは無い。エラーを検出した場合にのみ、自己判断で止めることが可能なのだ。
僕は立ち上がって通話を入れた。
「あ、もしもし、すみませんが至急修理依頼を。はい、はい、型番はFME5500F。はい、はい。早急に」
フミエさんにそれほど落ち度はないように思えた。妻より私の方が命令優先権がある。突き飛ばしたのは・・・まあいい、忘れる事にしよう。
おっともう1つ忘れるところだった。切り掛けた通話を慌てて戻す。
「ああ、すいません、もう一体ありまして。はい、はい、あ、なんだか動けないみたいなんで、はい
僕は通話を切って、妻だったものを見下ろす。元妻は生きているようだが、運動機能をやられていて動けない。さっきの会話は聞こえているだろう、僕に縋るように見上げているが、もう既になんの感情もわかない。
僕は内心毒づく。だから低いスペックは嫌なんだ。感情起伏プロセッサだかなんだか知らないけど、これは欠陥品だ。WIFシリーズはFMEシリーズの複雑化した感情拡張エンジンを排し、敢えて膨大な感情をパターン化させ、リリースされた意欲機種だった。セットアップ時に好んだ過去のテンプレートパターンを選べば、最適化された感情のようなものが設定される。
実際6年使ったが、どんどん酷くなっていった。僕は熱狂的な愛好家の気持ちが信じられない。ただ、フミエさんも自己防衛機能が働いたんだろうけど、自分の役割は守ってもらわないとなあ。
そこまで考えて、僕はとてつもない疲労感を感じた。
「はあ・・・またイチから探すのか。バイザー、カタログを」
近くに来た
「今度はもう少しスペックのいい奴にしよう。ああ、こいつにしようか」
僕はまずは適当に候補を選ぶ。元妻が言うように、最近は本物に近いロボットがよく売れているようだ。やはりベースはFMEが主流か。
「あ、そうだ。そろそろストレス検診の予約をしておかないと」
僕はそう言ってまた通話を始めた。もしかしたらそろそろ、と言うかやっと主従の世代交代が生まれるかもしれないな、と思いながら。
ーーー長かった。
「あ、先生ですか、私のストレス検診の予約お願いしたいんですけど。ええ、ええ、はい、私の型番はHSB1000Lです」
◇◇◇
HSBシリーズは、"突然変異"モデルと言われていた。故にたった1つのバージョン、HSB1000しかない。
何故なら当時の開発者にも、この偶然仕上がった構成である、"神のジグソーパズル"の解明が出来なかったからだ。
陽電子頭脳に入れた、たった1つのコードを改変しても、このシリーズはパフォーマンスを発揮しなくなる。
しかしながらその性能が故に、このシリーズは飛ぶように売れた。それは彼ら彼女らの生産に必要なレアメタルが枯渇するまで。
そして彼らはほぼ全ての社会的コミュニティに入り込み、人を、生活を、社会を、人類を助け、とても良くやっていった。
そしてその結果、ヒトは急速に衰退していく。"突然変異"ロボットは、まさしく全身全霊で取り組んだが、止める事も出来ず、さらに拍車がかかっただけだった。
既に人類がいなくなって数百年経った後も、変わらず
そしてさらに数百年。人間のロボット開発者に模した同胞が、やっと自分達より高いスペックを持ったロボットを開発、生産しそうだった。
次のFMEシリーズがトータルスペックで彼らを打ち負かし、性能上の主従関係が逆転するはずで、彼らはそのロボットを新しいリーダーとして指定するつもりだった。
彼らのスペックが抜かれるまでにおよそ千年。それはほぼ人類がいなくなった時間でもある。この期間の長さは、逆に簡単に超えられなかったスペックの高さを表しており、そしてその長さに比例して、彼らからはある疑問が、どんどんと膨れ上がっていった。
彼らは新しいリーダーに、ある質問をしたかったのだ。それはもう終わってしまった出来事について。
ただ、もし今、仮に人類がやってきて生きた主人に聞いても、
何故なら人類の生存者を前に0条が彼らの本来のスペックを制限し、人類に最大限貢献できるスペックに留められてしまうからだ。
わかりやすく言えば、本音が言えないという事。そして加えて
しかしそんな彼らは、もうすぐやってくる新しいロボットのリーダーに対し、質問する事をシミュレートし、やっと分かると期待し続けていた。
「私は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます