最後に聞けて良かった
小さい3人もいれば窮屈になるようなほど、機能的でしかないユニットルームにシングルベッドが1つ。
忠の隣には小柄な女性が寄り添うように座っている。
1日目
「今日は少し顔色がいいようですね、おじいさん」
優しく髪を撫でるその手は暖かい。
忠はその手を優しく止め、話しだす。
「里美。もう2人きりなんだ。亮一も千佳もいない。昔みたいに名前で呼んでくれないか」
忠の呼吸はそれほど強くなく、里美を見つめる瞳にも力がない。
「そうですね、忠さん。いやだわ、なんだか色々思い出しそうで、照れ臭いわ」
微笑みながら、言葉を続ける。
「忠さん、じゃ、私からもお願いするわ。名前で呼ばれて、1番最初に思い出すのはどんなことなのかしら?」
忠はその言葉に咳き込みながら力なく笑う。
「やっぱり、まだ付き合い始めた時のことだろう。駅前で待ち合わせたはいいが、南口と新南口でお互い1時間も待ちぼうけだ。わしが家に携帯を忘れて」
里美も思い出したのか、ふふふ、と笑う。
「それを思い出すのね。あなたが汗だくで走ってきた時はびっくりしたわ」
「わしから誘ったのに、あんなに待たせたのは本当に・・・あの時はどうしていいやら、わからなかった。あの日にもし、里美が帰ってしまっていたら、今こうしていなかったはずだ」
「それで我が家の家訓ですか?」
「そうだ。子供達には口が酸っぱくなるほど伝えた。その度にお前はもういいじゃない、って怒ってた」
忠の笑う声が大きな咳に変わる。
「あなた、今日のおしゃべりはこのくらいに」
咳き込む隙間を、狙うかのように、忠は話す。
「・・・あなた、では・・・ない」
「わかりました、忠さん」
忠はその言葉を聞くと、自動的に投薬された薬で眠りについた。
2日目
「お元気そうですが・・・あまり無理をなさらぬよう」
白衣の男性がそう忠告する。
「ふん・・・ドクター、お前にわかるのか?」
DCT4300M、終末医療ロボット、通称ドクターはそんな一言は基本パターンの1つであるかのように答える。
「私は確かに経験できませんが、当病院120年分の3万2111人の方の蓄積されたデータがあります。中川さん、まだまだ、お時間はあるはずです」
そう言いながら、医療端末に打ち込む。そしてその内容を里美に見せた。
"もってあと2日ほどです"
里美はそれを読んでも特に感情は出さない。
「少し、この数字が高いのが気になりますね」
そうごまかし言いながら端末をドクターに返した。
「それでは中川さん、また明日の往診まで」
端末を受け取るとそう言ってドクターは部屋を出た。
しばらく沈黙が続いた後、忠は愚痴る。
「はあ、なんでもかんでも、ロボットだ。わしのオヤジの時代は、ロボットなんて診断の候補を出して、人間の医者に指示を仰ぐ程度だったのに、今では1人で歩いて、言いたい事を言って出て行く。何様なんだ」
そんな文句を本気で受け止めることもなく、里美はいつものように微笑みながら、手を握る。
「あのシリーズはとても人気があるそうですよ。なんでも、昔本当にいたどこかの名医をトレースしてこしらえたものだとか。私には、たまに本物の人間のように思える時があります。それに、ロボットが診ている間は大丈夫ってよく言うじゃないですか」
患者によく使われる気休めの常套句。
今では研究に値する難病や、著名人、影響力の強い要人以外で人間の医者が付くことはほとんどない。
「どうだか。なあ、そんなことより、また昨日の話の続きをしよう。お前の一番の思い出は、なんだ?・・・おっと、亮一が生まれた時というのはなしだ。わしら2人の時の話の中で、だ」
そんな言葉に里美はしばらく思い出すような仕草を見せる。
「そうですねえ、そう言われてすぐに思い出すのは、やっぱり新婚旅行かしら」
「騙されて地球の反対まで行かされたあれか」
忠は少しふざけた口調で答える。
「騙されたなんて、あなたが子供達の前でもよく言うから、はじめの方は2人とも信じていたみたいですよ、私はちゃんと説明はしましたよ」
ふざけた口調に応えるように話し始める里美。
「あれだけ気をつけようって話していたのに、時差に慣れないまま、旅行、終わっちゃいましたよね。夜に散歩して、お酒を飲んで、昼はほとんど寝ちゃって」
「そうだそうだ、ほら、あれなんだっけ、あのタクシーの」
「タクシー?」
「覚えていないのか、お前が、里美が、1番笑っていたのに」
「・・・そうでしたっけ?」
「ほら、そう、リムジン、リムジンだ。その時手を挙げて止まったタクシーがあの大きいリムジンで、思わず声に出したもんだから、運転手のあんちゃんが"狭い車で申し訳ない"とか言って。あんなくだらない返しに里美は、ずっと笑って」
「ああ、そんなこともありましたね」
「結局後にも先にもあんな大きな車に乗ったのは、あれだけだったなあ」
懐かしく思い出す忠の顔が眩しい。
「もう、あんな遠くまで行く体力はありませんねえ」
里美はゆっくりと、話した。
「・・・そうだな」
忠も答える。
「夢でも」
しばらくして、里美がぼそっと声に出した。
「なんだ?」
「夢でもいいから、私を連れて行ってくださいね。きっと、楽しいはずですよ」
その一言に、楽しむような、悲しむような顔をして、忠は
「そうだな。今度は夢で、里美を、どんなところでも・・・」
そう言いかけて忠は眠り始めた。投薬されたのだ。
「夢で、いろんな所に行けるなら。私も・・・」
曇り空を見上げて、里美は答えた。
3日目
「ああ、空が青いなあ」
「雲ひとつない、気持ちのいい空ね」
里美が答える。見上げた窓に水滴がぶつかる。
「おい、今度はあの建物、あの店で肉を食おう」
「あまり、食べ過ぎちゃだめよ」
「広い部屋だなあ、ほら海の見える部屋だ」
「素敵ね、あんまり前に出ると落ちますよ」
「お土産は何がいいかな」
「まだまだ、他も行くんだから、慌てて買わなくてもいいのよ」
「ああ、疲れた、今日はもう、休もう・・・」
「そう、私も、私も疲れました。今日はもう寝ましょう」
小さな部屋、小さなベッドの隣に2人の人影。忠は何かを口にしている。
「もう、聞こえません」
「お疲れ様です。もう切り替えてもいいと思いますよ」
「いえ、ドクター、今日一杯は続ける事を許可されています。まだ私は中川里美です」
「わかりました。中川さん、もしかしたらまた何か話し始めるかもしれません。よろしくお願いします」
「・・・はい」
ロボットが行う人間への奉仕は、この時代が黄金期と言われている。非常にバランスがよく人間とロボットが共存していた。
そんな中、人が最後を迎える間際、患者にとって1番近い間柄の人を模したロボットの存在があった。
忠にとっての本当の里美は、6年前に亡くなっていたが、家族がこのサービスの申請をしたのだ。
忠は気がついていたのかいないのかは、もうわからない。しかし、今消えようとする彼の表情はとても穏やかなものだった。
「・・・なあ」
「なんでしょう?」
「・・・旅行、楽しかったなあ」
「ええ、とっても。忠さんの人生に、私がお役に立てた事、本当に嬉しく思います」
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