円満倒産

台上ありん

円満倒産

 最期の仕事は予定してたよりも2時間ほど早く終わった。靴やスソに付着した泥を掃って軽トラに乗ってエンジンをかけると、ハンドルの向こうでデジタル時計がパッと点灯した。

 午後3時21分。

「いろいろ説明することがあるから、社長が会社に寄ってくれって言ってたな」助手席に乗った吉本隆志さんが確認するように言った。

「ええ。何かあるんですか?」と僕は短く応えた。

「さあ。俺も知らないんだ。社長は何も教えてくれなかった」

 有限会社よしもと総業は、今日倒産する。吉本不二雄社長からそう聞かされたのは、1か月ほど前だった。

「オヤジが創業してから、84年。まあ、がんばったほうだなあ」と社長がいつになく感慨深そうに言っていたのが印象的だった。

 ちなみに助手席に乗っている隆志さんは、現社長の次男。

 僕は高校卒業後によしもと総業に就職して、ちょうど10年になる。建設業の下請けで、バリバリの肉体労働。夏は暑くて冬は寒い。給料は少々良かったが、費やす労力と比較して高いか安いかと言えば、なかなか答えるのが難しい。野外での作業なので、雨が降ったら休業になる。僕はこの10年で雨がけっこう好きになった。


 二台のトラックが会社に到着した。乱暴にトラックのドアが開いた後、やはり乱暴に閉まる音がした。

 事務所の横開きのドアを開ける前に、誰かが、

「仕事、終わったなあ」と小さくつぶやいた。おそらく、いちばん年長者の新井さん。

 会社の事務所は社長宅の一階。10畳ほどの広さに、古びた事務机がふたつと、明らかに手作りであることがわかる古びた木製の書棚、社長の机のすぐ後ろには小型の金庫が置いてあるが、この金庫がおそらくこの事務所内でいちばん高級なものだろう。

 事務所の中に入ると、社長が作業着を着て立っていた。ふたつの事務机は移動されていて、向かい合うようにくっつけられていた。その上には、10人前ほどの寿司が入った桶と、2リットルのコーラとお茶、そして紙コップがあった。

 僕たちの姿を見ると、社長は笑顔になって、

「おう。お疲れさん。ケガせんかったか?」と言った。

 この「ケガせんかったか?」というのは仕事が終わった後に必ず社長が発する言葉。今日もそれに変わりはない。

「だいじょうぶです」と隆志さんが言った。

 事務所の中は、社長と社長の奥さん、隆志さん、僕の先輩は新井さん歳川さん宇田さん、僕の後輩の田丸、合計で8人。かなりぎゅうぎゅう詰めだ。落とし切れていなかった靴底の泥や砂が、事務所の灰色のコンクリ床に、茶色と黄色のまばらなモザイクを作った。

 僕は社長の顔をちらりと見た。意外にも、普通の表情をしていた。むしろどこかすっきりしたような印象すら受ける。僕が入社し時に社長は59歳だったから、今はおそらく69か70だろう。この10年でずいぶんと白髪は増えたが、それ以外はあまり老けたという感じはしなかった。一方で僕はしっかり歳をとって、そろそろ中年に片足を突っ込んでいる。

「うまそお」と田丸が、まだラップしてある寿司桶を覗き込んで言った。

「まだだぞ。ちょっと先にやることがあるから」と社長。

「やることって、何ですか」と宇田さん。

 社長は、いつものように、ううんと喉の通りを良くするように唸ってから、

「弁護士の先生が来るんだ。ちょっと、いろいろ説明してもらうことがある。本当は5時に来てもらう予定だったんだが、さっき電話したら、今から来てくれるらしい。もうじき来るだろう」

「弁護士?」と数人が同時に口にした。

「そう。あした、裁判所に倒産の手続きを弁護士さんに頼んであるんだ」

 僕は初めて、倒産の手続きは裁判所に申請するということを知った。弁護士だの裁判所だのは、犯罪者だけが関わるものだと思っていた。会社の最期に当たって、裁判所の審判を受けなければならないのは、何か滑稽だ。

 新井さんと歳川さんは、昨日行ったパチンコ店の新台のことをしゃべっている。社長の奥さんはいつものように物静かで微笑んでいる。田丸は物欲しそうにじっと寿司を眺めている。

 明日から失業者の身となる僕たちがこんなに平和にしていられるのは、隆志さんと新井さん以外の従業員は、再就職先が決まっているからだ。僕は来月から、「山本建設」という会社で働くことになっている。

 倒産することが決定してから、社長は僕たち従業員に履歴書を持って来させ、それを何十枚もコピーを取って、同業他社に再就職できるよう頭を下げて周った。番頭格の新井さんはもう62歳で、このまま引退するから再就職先はいらないということだった。隆志さんだけが身の振り方が決まっていないのが何とも心苦しいのだが、本人は「何とかなるさ。何とかなるように、この世はできてるんだよ」と根拠のない楽観論の上に胡坐をかいている。

 事務所の外で、原付の軽いエンジン音が近づいてきたかと思うと、近くで停止した。そして、原付のシートがバタンと閉まる音が聞こえてきた。

 ガラガラと事務所の扉が開く。扉のすぐそばに立っていた歳川さんが一歩横にずれると、50代くらいの白髪頭の男が現れた。茶色のスーツを着ていて、手には薄い革製のバッグを持っている。

 その男は、事務所のなかの様子、特に寿司やペットボトルなどを一瞥したが、それほど気にも留めず、

「やあやあ。遅くなりました」と社長のほうに歩み寄った。

「いえ、きゅうにお呼び建てして申し訳ない」

 スーツの襟元に金色のバッジ。

「みなさん、どうもこんにちは。おじゃまします。弁護士の佐藤です」

 佐藤弁護士は一同に軽く頭を下げた。弁護士というと、頭がえらいだけでなく態度もえらそうという先入観を僕は持っていたが、この人は会って数秒だけの印象だけだが、気の良さそうなおっさんという感じ。

「先生」と社長は佐藤弁護士を呼称した。

 せんせいと呼ばれる職業は、学校の先生を除けば医者。弁護士もこれに含まれるらしい。

「何から何までお世話になりっぱなしで。本当にありがとうございます」社長は丁寧に頭を下げた。

「いやいや、これも仕事ですから」

 佐藤弁護士はバッグを開いて、書類を二枚取り出した。

「従業員のみなさんにご説明する前に、ちょっとこれだけ先にすませといてもらえますかね。あ、代表取締役の実印をお願いします」

 社長は机の上の寿司桶を少し横にずらして、抽斗から黒くて大きな丸い印鑑を取り出した。

 僕はその紙を覗いた。「委任状」と書いてあって、いちばん下の部分には「佐藤光男」という署名があった。

「あ、ここです。ここに名前と……、そしてここに印鑑をお願いします」

「はいはい」

 社長は言われる通りにした。そして、もう一枚の紙にも同じよう署名捺印した。

「一枚は、社長がお持ちください。こっちは私がいただいていきます。明日、必要なので」

 佐藤弁護士は書類をバッグに入れると、僕たちのほうに向きなおった。少しだけ緊張しているような面持ちになっている。

「えー。みなさん、ご存じのとおり、よしもと総業さんは倒産します。正確には明日、破産申請をするということになるのですが、同じ意味だと思ってください。法人であるよしもと総業に関する手続きは私がすべて代行しますが、今後のみなさんが個人として必要になる手続きのことを、簡単に説明させていただきます」

 何か少し、カタい話になりそうだ。僕は少しだけ肩をすくめた。

「まずは、前月の給与締め日から今日までみなさんが勤務したぶんのお給料ですが、未払いの給与というのは最優先で先取特権が保証されてます。まあ要するに、何の心配もなく全額支払われますので安心してください。しかし、よしもと総業さんはこれまで給与は直接手渡しで行われていたそうですが、最後の給与は銀行振り込みになると思われます。これはまた後日、裁判所か管財人から連絡が行くことになると思います」

 佐藤弁護士は一度話を止めて、深呼吸した。

「ほかの役所の手続きに関してなんですが、みなさん、政府管掌、じゃなかった。協会けんぽの保険証を……あの病院に行くときに持っていくやつですね。あの保険証をお持ちだと思いますが、あれは明日、効果を失うことになります。みなさんは次の職場の勤務が開始するまでは、市が運営する国民健康保険に加入することになり、そこから新しい保険証が発行されます。あと、厚生年金も脱退することになって国民年金になります。具体的な手続きはというと、おそらく、2、3日うちに、みなさんのご自宅に離職票と退職証明書というのを郵送することになりますので、それを持って市役所の年金課というところに行ってください。別に、たいした手続きじゃありません。ちょいちょいと名前書いて、それで終わり。まあ、5分くらいで終わるでしょう」

 僕は今まで、そんなことはしたことがなかった。そもそも、市役所など3回くらいしか行ったことがない。市役所での申請を想像すると、なぜか少しだけ緊張した。

 佐藤弁護士は話を続ける。

「あと、離職票ですが、これは職業安定所、いわゆるハローワークですね。中央郵便局のとなりのとなりにある建物ですが、そこにこの紙を持って求職者登録というのをすると、失業手当が支給されることになりますが、よしもと総業のみなさんは、ほとんど再就職先が決まってるということなので、おそらく受給者に該当しないかと思われます。もし支給される場合でも、雇用保険は保険期間が長ければ長いほど、次に失業した場合に支給期間が長くなったり、有利なことがありますので、おそらく今回は受給しないほうが得策かと思います。それでも受給したいという方は、離職票を持ってハローワークで申請手続きをしてください。ここまでで、何かわからないことや質問はございますか?」

 誰も挙手をしなかった。正直に言うと僕にはわからないことだらけで、一生懸命説明してくれている佐藤弁護士には申し訳ないが、まるで念仏のように退屈な話だった。

「それでは、次に退職金に関してです。ずいぶんと長くお勤めになった方もいらっしゃるようなので、これは特に重要でしょう。よしもと総業さんの退職金は、中小企業退職金共済という公的な機関に掛け金を支払ってきましたので、これも問題なく全額支給されます。退職金の請求は、みなさんが自身で手続きをする必要があります。これもまた、近いうちに共済に提出する請求書を郵送します。詳しいことはその書類に書いてありますので、それをご覧ください」

 佐藤弁護士は社長のほうをちらりと見て、軽く一度うなずいた。

「だいたい、こんなところですかね。何かご質問あれば、ご遠慮せずに」

 10秒くらいそのまま待って、誰も質問がないのを確認してから、社長が、

「もし後になってからわからないこと出てきたら、うちの従業員から先生のほうへご質問させていただいてもよろしいですか?」と言った。

「あ、そうですね。みなさんに私の名刺をお渡ししておきましょう。もし私が留守にしてたら、電話を取った者に聞いてもらってもかまいませんので」

 佐藤弁護士は懐から革の名刺入れを取り出すと、それを一枚一枚頭を下げながら配っていった。もちろん僕ももらった。薄い紙に、「○○弁護士会所属 佐藤法律事務所 佐藤光男」という文字と、住所電話番号が記してあった。

 配り終えると、佐藤弁護士はバッグを手に持って、

「それでは、私はこれで失礼させてもらいます」と社長に言った。

「いえ、そんな。先生、この後、ご用事がないのでしたら、食事なさって行ってください。先生には本当に、お世話になったのに」

「いやいや。報酬はしっかりいただいておりますし……。これ以上、ごちそうになったりしたら、バチが当たります。お気持ちだけいただいて帰ります」

 僕は聞き耳を立てていたわけではないのだが、「報酬」という言葉が何か引っかかった。カネがないから倒産するはずなのに、その倒産するのにも、カネがいるらしい。ずいぶんと、世知辛い。

「よしもと総業さんは正直に言って、非常に楽な案件でしたから、こっちとしても助かったんですよ。法人の破産処理というと、取締役や連帯保証人が夜逃げをしたり、後になってから隠れ借金や税金保険料の滞納がわかったり、ひどいところになると整理屋といいますか、要するに裏社会の人間が関わってたりと、だいたいろくなことにならないんですが、社長のところはそんなことが一切なかった。私も弁護士やってそこそこ長いこと経ちますが、こんなに綺麗な死に際を見たのは初めてですよ。銀行ともほぼ話が付いてるし、カネのことで問題が生じることもなさそうですし。従業員のみなさんの今後のことまでお世話したそうで、社長ご立派です」

「いやあ」と言って社長は後頭部に手を当てた。

「それじゃ、失礼します」

 佐藤弁護士が事務所から退出すると、社長は柏手を打つように2回手を鳴らした。

「みんな、今日までご苦労さん。私からは何にもしてあげられないが、寿司を用意したから、せめて食べて行ってくれ」

「社長、ありがとうございます」と宇田さんが言い、みんながそれに続いた。

 寿司桶のラップが取り外されると、紙コップにお茶が注がれて、場が少しにぎやかになった。魚の形をした醤油の入れ物から、紙皿に醤油を絞り出して、寿司を食う。まるで何かの祝賀会のようだ。

 歳川さんは、最近生まれたという孫の話を、新井さんに熱心に話し始めた。初孫だそうで、僕も何度か写真を見せてもらった。真っ赤な顔に深いシワが寄っていて、まるでスターウォーズのヨーダみたいだと思ったのだが、もちろん口にはださなかった。

「そういえば、酒がないな。隆志、ちょっとビールを買ってきてくれないか」

 社長はポケットの中から、シワシワになった千円札を2枚取り出して隆志さんに突き出した。

「ビールって、みんな運転して帰るのに、飲むわけにはいかないだろう」

「そうか? ビールいる人!」と社長が大きな声で問いかける。

「あ、ください!」と田丸が寿司を口に頬張ったまま言った。

「くださいって、お前、帰りどうするんだよ」と僕は田丸のヒジを突いた。

「大丈夫ですよ。今日は原付で来てますから、手で押して帰ります」

「そうか? まあ、お前の家、近いもんな。2キロくらいか。でも、原付押しながらじゃけっこうそれでもしんどいんじゃ」

「平気ですよ」

「それじゃ、ちょっと行ってくるよ。田丸、スーパードライでいいか?」と隆志さん。

「あ、僕が行ってきますよ」

「いいから、いいから。そこで寿司食っとけって」

 宇田さんは、社長の奥さんと話をしている。社長の奥さんは、よしもと総業で実質的に経理を担当している責任者なので、細かい数字のことは誰よりも詳しい。

「ここの、土地とか建物はどうなるんですか?」と宇田さんは遠慮なしに奥さんに尋ねた。

「もうしばらくはここに住み続けることできるけど、担保に入ってるから、任意売却ってことになるそうよ。たぶんそれでほとんど買い掛けの残りと銀行からの借金は返済できそうだから、まあ立つ鳥後を濁さずってことにはなりそう」

「ということは、追い出されるんですか……。社長と奥さんは、その後どこにお住まいになるんですか?」

「市のはずれに、市営住宅の団地があるでしょ? あそこに入れてもらえることになってるのよ。私も主人も、あまり給与を取ってなかったから、いつの間にか低所得者って扱いになってたらしいのよ。あんまり自慢できることじゃないけど」奥さんは朗らかに笑った。

 市営住宅はどの自治体も、地価の安くあまり景観のよろしくないところにあるものだが、この市はその中でも群を抜いてまずい場所にある。何せ、団地のすぐ裏が大規模な墓地になっている。団地にはお化けが出るぞという噂が絶えたことはなかったが、お化けを見たという証言は久しく聞いていない。

「もう私たちも歳だし、住めればどこでもいいのよ。会社も始末して、いちおう私と主人の年金さえあれば、食べていくくらいはできそうだから」

 僕はふたりの会話に割って入った。

「あの、奥さん。隆志さんは、どうなさるんですか? なんか僕たちだけ、次の勤め先決めてもらって、何か申し訳なくて……」

「そんなこと、気にしなくてもいいのよ。あの子もずっとここに入ってから働き詰めだったから、少しくらいは休ませてあげないとね。大型の免許でも取って、運転手でもやろうかなんて言ってるけど、器用な子だから、何とでもなるわ」

 僕よりだいぶ年上の隆志さんでも、奥さんにとっては未だに子供のようだった。僕が入社したばかりのころ、僕に仕事を教えてくれたのは隆志さんだった。重いセメント袋を担ぐときのコツなどから始まって、一般車とはずいぶん勝手が違う軽トラの運転、マキタやボッシュというメーカーの電動工具の使い方、お昼にご飯を食べにいくとき現場近くのおいしい店など、僕は常に隆志さんの背中を追いかけてきた。

 明日からはその目指すべき背中がなくなってしまう。僕は急に寂しくなった。

 社長が僕の眼の前にやってきた。社長は笑顔で僕の肩を軽く叩いた。

「本当に、お疲れさん。今までどうもありがとう。君はもう、何年くらいになるかな?」

「10年です」

「そうか。ということは、君ももう28になるのか」

「はい」

 10年前、この事務所で面接を受けたことを思い出す。ここは、あのころと何にも変わっていない。建設業者の社長さんというと、ちょっと恐いというイメージがあったが、よしもと総業の社長はぜんぜんそんなことはなかった。日に焼けた顔が少し印象を暗くはしているものの、基本的にいつも笑顔で僕みたいな若造にも冗談を交えながら優しく話しかけてくれた。

「そろそろ、嫁さんもらわないといけないなあ。私が世話をしてあげたいが、会社を潰した失敗経営者が仲人だと、いろいろ不都合だろう。わっはっは」

 隆志さんが帰ってきた。手には近所のコンビニの袋を提げている。

 新井さんと田丸が、寿司をつまみながら喋っている。ふたりは親子以上に歳が離れているはずだが、それが返って良いのか、けっこう仲が良い。

「新井さん、これだけ長く会社に居たなら、いろいろと面白いこともあったんじゃないですか?」

「そうだなあ。ワシも一回、角材を落として足を怪我したことがあったかなあ。骨にヒビが入って、1か月ほど仕事できなかった」

「新井さんのようなベテランでも、そんなことがあるんですね」

「ワシだって最初からベテランだったわけじゃないよ。若いころは、若かったんだから。先代の社長さんにはずいぶん世話になったもんだ」

「先代の社長って、今の社長の親父さんですよね」

「ああ、そう。めちゃくちゃ厳しい人だったけど、人情に厚い所は今の社長にそっくりかな。月に1回、酒飲みに連れていってくれて、盆の時期はみんなで泥酔するまで飲んで道端で寝るなんてこともやったもんだ」


 開始から1時間ほど経過したところで社長が、

「みんな、ちょっと聞いてくれ。少し照れくさいが、スピーチみたいなものをさせてもらいたい。食べながら飲みながらでいいので、聞いてください」と言った。

 そして社長は、まるでスタンドマイクでもあるかのように、直立して姿勢を正した。

「みなさん、今日まで本当にありがとうございました。よしもと総業は、本日、その84年の歴史に幕を下ろします。

 よしもとの誕生は、昭和5年2月18日でございました。よしもとの生涯は、波乱に満ちた激動の昭和の、最初期からその歩みを始めました。私の父が19歳のときに創業したのですが、最初は建設業というよりも、力仕事なら何でも請け負うという、いわゆる何でも屋みたいな様子でした。ですので、『総業』と命名されました。

 土木工事や、建設現場の下請け、ときには近所の工場で人手が足りないなんてことがあると呼び出されて行ったり、とにかく見境なく仕事と聞けば飛んで行く無鉄砲な会社でした。

 その後、昭和の大東亜戦争が始まり、父も兵隊に行くことになりました。土木作業の得意だった父は、南方の島に派遣され、塹壕掘りに従事することが多かったようです。

 戦後になって、よしもとは業務を再開。戦争に負けて、市街地が焼け野原になったことが、返ってよしもとには、こう言ってはあれですが、僥倖でございました。このころから、私は父に就いて作業を手伝うようになったのですが、戦後復興に当たって、土木建設は毎日仕事が絶えず、朝から晩までふたりで泥まみれになって働いておりました。

 昭和25年、よしもとは創業して20年を機に、それまで個人事業だったものを有限会社へ転換いたしました。父はこれを、よしもとの成人式と呼んでおりました。父は『親方』から『社長』へと呼び名が変わりました。

 高度成長期には、列島改造論が大ブームになりまして、このあたりでも道路や橋などの公共事業が増えてまいりました。よしもとは、もっとも得意だった架橋工事の下請けをメインに担うことが多くなって参りました。

 このころから、よしもとは徐々に従業員を増やすようになり、決して楽な仕事ではないにもかかわらず、皆様長く勤務していただきました。

 80年代、90年代になりますと、世の中は好景気ということになっておりましたが、列島改造ブームの一巡した土木建設業は決して環境が良かったとは言えないものになりました。架橋工事の数はぐんと減って、営業に回ってやっともらった仕事も、利益が出ないような水準で仕事を請け負うような状況でした。

 私は父と相談して、『このままじゃ尻すぼみだ。土木工事だけでなくて、ほかのものもやっていかなければいけない』ということで、不慣れな住宅の外構工事を請け負うようになりました。いわば、よしもとの転職です。その翌年、父は亡くなりました。

 それ以降、土木のほうは徐々に縮小して、外構工事の請け負いが主業務となりまして、大手のハウスメーカーさんから仕事をいただくようになりました。

 決して多くの利益を出せるような仕事ではありませんでしたが、何とか無借金経営で手堅くやっていくことができました。

 しかし、平成20年代に入ると、住宅着工は一進一退というところで、特に2000年代の世界的な金融危機はよしもとも決して無傷でいられることはできず、銀行さんから多くのお金を借り入れるということになりました。

 それ以降、銀行さんと相談しながら、なんとかかんとか資金繰りと格闘しておりましたが、不況に入ってから受注の単価が著しく下がって、下がったままになってしまったため、経営が非常に難しくなりました。銀行さんからは、『このままじゃ、余命は2年』という宣告をされましたが、よしもとは驚くべき生命力を発揮して、5年も生き延びることができました。

 私ももう引退する年齢です。これ以上続けても業績の回復は難しいし、銀行さんにも追加融資には応じられないと言われました。今なら土地家屋の担保を処分すれば、債務の大部分は返済できるということです。私にとりまして、辛い決断ではございましたが、これからは残りの時間を、女房孝行に使わせていただきたいと思います。

 さいわい、従業員の皆さまには次の就職先も決まっておりますし、私に憂うことはありません。父もきっと草葉の陰から、よくやったと誉めてくださってると思います。

 本日まで、よしもとに対しましてご厚情を賜り、本当にありがとうございました」

 社長がスピーチをしているうちに、新井さんと歳川さんは感極まったらしく、涙を流し始めた。勤務年数の長いお二人は、きっと僕の知らないよしもと総業の姿を、たくさん知っているのだろう。

 ほかの人も、しんみりした雰囲気になって、寿司を食べる手を止めて社長の話に聞き入っていた。

 僕は今さらながら、よしもと総業のことをもっと知っておきたかったと思った。


 翌日、社長は事務所で首を吊った。


(了)

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円満倒産 台上ありん @daijoarin

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