第8話 もやもやするよお隣さん

「つかさちゃん!」


 輝君を信じようと決意をして三日後。

 事務所に手伝いに来ていたつかさちゃんを発見して声を掛ける。


「真由ちゃん。おはよう」

「おはよう。あの、あのね私」


 ようやく元気になってきたつかさちゃんを見て、少しだけ心が揺らいだ。過去を思い出させたらまたつかさちゃんは傷つくかもしれない。


「う、ううん。何でもない。今日もがんばろうね」

「うん」


 つかさちゃんは頭にはてなマークを浮かべていたようにも見えたので、私はもう一度何でもないと伝えた。

 ……だめだ、聞けない。大事なことなのに。


「あ、真由ちゃん、つかさおはよう!」

「おはようナギサ君」

「おはよ」


 ぶんぶんと手を振って私たちのほうへ歩いてくる。ナギサ君は今日も元気いっぱいだ。


「真由ちゃん、昨日はありがとう! 金沢超楽しかった!」

「良かったです。喜んでもらえて」

「今日のドラマの撮影もがんばるね!」

「はい!」


 たくさん悩んで、時々クッキーをかじりながら完成させた金沢観光計画は、無事にナギサ君を満足させられたようで一安心した。

 本当は計画だけで、ナギサ君とマネージャーさんの二人を見送るつもりが、ナギサ君が誘ってくれて結局私も回ることになった。

 途中で何度かバレそうになるものの、ナギサ君はそのたびに「似てるってよく言われますー」と誤魔化していたのは、今思い出しても面白い。


「あ、つかさ! これあげる」


 がさごそと何かを取り出したかと思うと、ナギサ君はそれをつかさちゃんに手渡した。


「金沢のお土産―」

「あ、ありがとう」

「いえいえ」


 ……なんだろうこの雰囲気。二人からはにじみ出るほのぼのオーラ。照れてるつかさちゃんがとてもかわいい。


「さ、ドラマの現場行こう真由ちゃん!」

「はい!」


 返事をしてすぐにカバンを持って出口へと向かう。ナギサ君が途中で私の腕をつかんで歩き出す。

 その姿を、つかさちゃんがどんな顔して見ていたかも知らずに。


「はーいカット! これにて撮影は終了です!」

「おつかれさまでしたー!」


 朝早く始まった撮影は、結局夜八時まで続いた。素人から見たら何がNGなのか全く分からないけれど、演者さん一人一人が納得いくまで撮影が続いた。

 最高のものを作り上げたいという現場の一体感はすさまじく、誰一人として撮影が長引くことに対して不満を漏らすことはなかった。

 

「この後打ち上げ行きません?」

「いいねぇ!」


 誰かがそういうと、次々にみんなが賛同する。

 もちろん、ナギサ君もうんうんと頷いて行きましょう行きましょうと乗っていた。


「真由ちゃん! 僕この後打ち上げ行きたいんだけど……」

「はい、大丈夫ですよ」


 この後予定は入っていないことを伝えると、ナギサ君が嬉しそうに笑った。


「真由ちゃんは? 行く?」

「すいません、私は明日学校なので……」

「そっかぁ。残念。じゃあマネージャーさん誘っていこうっと」

「楽しんできてくださいね」


 ぺこりとお辞儀をして私は現場を後にした。

 そうだ、私も輝君にお土産渡さなくっちゃ。


「……おかえりー」

「ただいま」


 いつものように言葉を交わし、いつものように食卓に着く。


「はい、輝君」

「ん? 何これ?」

「この間、金沢に行ったからお土産買ってきたの」

「おお! サンキュ! 優しいねぇ真由ちゃんは」

「ちょちょちょ、ちょっと!」

「ああ、ごめん髪の毛乱れちゃうね」

「そ、そうじゃなくて……」

「?」


 優しく頭を撫でられたら恥ずかしくて死にそうだなんてことはとても言えない。輝君はそんな私の心の中を知ってか知らずか、撫でた後は優しく髪の毛を整えてくれた。

 本当に心臓が止まってしまいそうだ。


「楽しかった? 金沢は」

「うん! ナギサ君も喜んでくれたし」

「そっか。良かったな」


 今一瞬、輝君の表情に影が見えたのは気のせいだろうか。


「今日は特製ビーフシチューだってさ! 郁美さんの」

「ほんと!? すごい美味しいんだよね! 私大好き!」


 うん、やっぱり思い過ごしみたいだ。輝君はいつもの笑顔だった。

 お鍋のふたを開けると、

 美味しそうな顔位の湯気が立ち込めてきて、思わずよだれが出そうになる。お皿によそって席に持っていくと、輝君はポケットからスマホを取り出そうとしていて、一緒に鍵も飛び出してきた。

 輝君は慌てて鍵を拾い、またポケットに戻す。


「そういえば」

「どした?」

「そのカギについてる星形のチャーム、可愛いよね」

「ああ、これ? 可愛いよな。宝物の一つなんだ」

「そうなんだ」

「大事な奴のものだから。これが俺のモチベーションになってる」


 そう言って、輝君がポケットにそっと手を持っていく。その表情は、とても穏やかで、星形チャームをどれだけ大事に思っているかよくわかった。 


「食べようか」

「うん」


 何でだろう。

 美味しいビーフシチューのはずなのに、心がもやもやする。カチャン……とスプーンの音が静かに響く。

――大事な奴。それが何を指すのか想像すると胸が痛くなった。

輝君の大事な奴って、誰なんだろう。

今の私は、輝君にとってどういう存在なのかな。

やっぱり、ただの、お隣さんなのかな。


「おお! すごい! お見せできるほどおいしいね!」

「え? あ、うん、美味しいでしょ?」

 

  その日以来、輝君の大事な人のことを考えてしまってすぐに上の空になってしまう。

 仕事に支障をきたさないようには気を付けているものの、気分は沈んだまま。

 意味もなくため息をついてしまう。


「……ちゃん、真由ちゃん!」

「うわあ!」

「もう、さっきからずっと呼んでるのにぃ」

「ご、ごめんなさい」

「大丈夫? もしかして疲れがたまってる?」

「ううん、そんなことないですよ」

「ならいいけど……」


 馬鹿。ナギサ君に心配かけてどうするんだ。気持ちよく仕事をが出来るようにしなきゃいけない立場なのに。

 こんなにも、落ち込むなんて仕方ない。


「真由ちゃん、次の僕の休みは?」

「え?」

「一日でも、半日でもどっちでもいい。時間が空く日ってある?」

「え、えと」


 戸惑いながらスケジュール帳を開いて確認して伝える。

 少し腕組みをして考えるポーズをとると、ナギサ君はぱっと目を開き、そして満面の笑みを浮かべた。


「じゃあその日、一緒に遊びに行こう!」

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