第7話 あったかいお隣さん

 ナギサ君のマネージャー補佐をし始めてから気付いたことがある。

 それは、輝君のことを悪く言う業界の人が一人もいないという事だった。


「また戻ってきてほしいわよね」

「ああ、あんな記事信じてねーよ。でもなぁ、一部の視聴者とかがうるさいんだよなぁ」

「僕はつかさとも仲良しだからよくわからないけど……一之瀬君はそんな人じゃないと思う。僕のあこがれの人だからね」


 最後の言葉はナギサ君が、撮影の休憩中に漏らした言葉だ。アイドルとしての立ち振る舞いはもちろん、共演者やスタッフへの気遣いも忘れない。常に周りに気を配る人間だったようだ。


「あ、真由ちゃんお帰り!」

「ただいま、輝君」


 今日も一仕事終えてマンションに戻ると、輝君が出迎えてくれた。もうすっかり一緒に晩御飯が約束事のようになっている。どちらかの帰りが遅い時も、何も言わなくても帰ってくるまで食べずに待っている。


「どう? マネージャー補佐は」

「大変だけど楽しいよ! まだわからないことも多いけどね」


 今日の夕飯は和食だ。昨日の夜のうちに郁美さんにレシピを教えてもらって作ったごぼうのわさび醤油和えに、輝君特製の筑前煮、そしてすまし汁。朝にタイマーをセットしておいた炊飯器を開けると、ふんわりとご飯のいいにおいがする。


「いただきます」


 手を合わせ、二人で声をそろえる。輝君曰く、太りにくい食べ順というものがあるらしく、それを私はひそかに真似して食べている。

 確かに、太りにくくなったようにも思う。

 いや、単にマネージャー補佐をするようになって運動量が増えたからかもしれないけど。


「俺さー、甘いものも好きだけど辛いものも好きなんだよね」

「好き嫌い、ないの?」

「そう言えばないかも。母さんが料理が好きでさ。いろんな物作ってくれたから」


 ふーんと感心しながら、そう言えば輝君から家族の話を聞いたことがないことに気付く。


「輝君のお母さんってどんな人?」

「……今度、会いに行く?」

「えっ」


 突然の提案に、一瞬動きが止まってしまう。どういう意味で言ったんだろう。

 もしかして私を紹介したいってこと? え? 付き合ってもないのに?

 なんて馬鹿な考えは、輝君の次の言葉ですぐに打ち消された。


「俺の母さん。今入院してるんだ」

 

 悲しさなんて微塵もないように、輝君がそう言う。私のほうが少し寂しくなってしまう。


「俺がアイドル始めたのも母さんを元気づけるためでもあるから」

「そうだったんだ……」

「あ、そんな悲しまないで。母さんはさ、心の風邪なんだ」

「心の……風邪?」

「うつのこと」


 再び輝君が箸を動かし始める。

 何となく空気が重く感じるのは気のせいだろうか。


「ご、ごめんね変なこと聞いちゃて」

「え? なんで? 別に隠すことでもないよ」


 ケロッとした表情に、私の心は少し軽くなる。

 これ以上、私は何か聞くのはやめておいた。


「うーん……」


 夕飯を食べて輝君が自分の家に戻った後、私は机に向かい、ノートを開いた。走り書きなのでお世辞にも綺麗とは言えない文字が並ぶ。マネージャー補佐は意外とやることが多い。その中でも主となるのがスケジュール管理で、ナギサ君の方に仕事量が多いとブッキングしないように調整したり、飛行機やタクシー、ホテルの予約をしたりする。

 来週北陸でのロケがあるのだけれど、次の日の早朝、都内でドラマの撮影があるのだ。

 けれど。


「北陸!? 金沢!? 僕、観光もしてみたいんだよね!」


 休みの日なんてほとんどないナギサ君は、北陸ロケの最終日が午前中で撮影終了予定だというのを聞いて無邪気にそう言った。午後に金沢を満喫したいらしい。

 本来ならば撮影が終わればすぐに東京に戻るところだけど、私としてはいつも頑張ってるナギサ君のこの願いを、なるべく次の日の撮影に響かないように配慮してかなえたいところだ。


「どうしようかな……どうすれば効率よく回れるかなあ……」


 スケジュールを確認しつつ、隣でパソコンも立ち上げて金沢の観光地も調べる。兼六園やひがし茶屋街といった定番はもちろん、ご当地グルメも。


「だめだ、一回休憩!」


 ぐぐっと背伸びをして椅子から立ち上がり、ベランダに出た。ちらっと輝君の家の方をみると、もう明りは消えていた。

 気持ちいい夜風に当たり、さぁもう一息がんばろうと、次はリビングに向かう。何か飲もうと冷蔵を開けると、目の前にピンクの袋が目に入った。


「こんなの買ったっけ」


 不思議に思って手に取ると、何やら文字が書いていた。


『頑張り屋の真由ちゃんに、俺からの差し入れです。  輝』


 無意識のうちに顔がにやける自分がいた。中から出てきたのは、動物の形をしたクッキーだった。輝君の、手作りのようだ。

 カッコいい男の子が、こんなかわいいクッキーを焼いている姿を想像すると何だか微笑ましい。

 そして、同時に心が晴れていく。

 決めた。私は、何があっても輝君を信じよう。あんなゴシップ記事より、輝君を信じなきゃ。つかさちゃんにも、何か聞いてみよう。

 きっと、真実は別のところにあるはずだから。

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