第5話 心を揺らしてくるお隣さん
「真由ちゃん、先週のテストどうだった?」
すっかり幸田家(というよりこのマンションでの私の部屋)の食卓でご飯を食べるのが普通になってきた輝君に聞かれ、一瞬考える。
「まぁまぁだと思います。赤点にはならないかと」
「どれが一番自信ある?」
「……古典ですかね」
そりゃあそうだ。輝源氏……じゃなかった光源氏の物語をあそこまで忠実に妄想できたというのだから。
「真由ちゃんは文系なんだね」
「そうですね、数学はあまり得意じゃないです」
テストに関しては、菅野さんが毎日理系科目対策をしてくれたおかげで何とかなった。貴重な時間を、私にも割いてくれて菅野さんには本当に頭が上がらない。今度、郁美さんと輝君にケーキの作り方を教えてもらって作ろう。そして菅野さんにプレゼントしよう。
「輝君は、ライブどうでしたか?」
「え? もうばっちり! やっぱり俺本番の強いのかもね」
にひひ、と笑って輝君がピースして見せる。成功したんだ、良かった。
「応援してくれる人が一人でもいる限り、俺はアイドルするよ」
「かっこいい……」
本当に、無意識だった。呟いて五秒後くらいに、自分が今呟いたことがとんでもなく恥ずかしいという事に気付く。
「でしょ? 俺はカッコいいアイドルを貫くつもりだからね」
ああ、そうか。相手は輝君だった。かっこいいなんて聞き慣れているよね。変に意識して余計恥ずかしい。
「お! 今日のハンバーグすごい美味しい!」
「ほんと!? やったあ! 郁美さん、大成功だよ!」
「良かったですね! これでご主人様も……」
「わあああ! ダメダメ!」
「何々? どうしたの?」
「いい! 聞かなくていいです!」
「いいじゃないですか、私たちと輝さんの仲ですし」
「だあーっめ!」
「ダメって言われると余計に気になるなぁ」
「実は真由さん……」
「うわああ梓さんまでー!」
耳を塞いでる間に、梓さんが輝に楽しそうに話してしまった。なんなの今日は。恥を曝け出す日なの? どうしてそんなに郁美さん楽しそうなの……。
「というわけなんです」
「へぇ、それで料理を……」
絶対にファザコンだと思われた。いや、否定はしないけど。父のこと大好きだけど。
ちらっと輝君の顔色うかがう。
「真由ちゃん、頑張ってね!」
目が合って、すごいアイドルスマイルで応援されてしまった。
「はは、もう究極のファザコン、ですよね……」
「いいじゃん。俺は将来、娘出来たらファザコンになってほしいって思うもん」
「アイドルがそんな妄想するんですか?」
「まぁ妄想は自由だしね」
ハンバーグをつつきながら輝君はなおも続ける。
「家族が好きだって思えるの、大切だと思う。真由ちゃんのお父さんは幸せだと思うよ? こんなに優しくて素敵な娘がいてさ」
「え?」
突然褒められて、私の箸は止まる。むず痒いような、くすぐったいような気持ちが胸いっぱいに広がる。素敵だなんて。
「うらやましいよ、真由ちゃん親子が」
そう言った輝君の表情は、少し寂しそうな気がした。
「今更だけどさ、真由ちゃんのお父さんって社長なんでしょ? 何の会社なの?」
「それは……あー、芸能事務所、かなあ」
「そうだったのか。なるほど、だから初対面の時俺を見ても驚かなかったわけだ」
いや、驚くとかじゃなくて単に顔が見えなかっただけなんです。
「あれ? でも二回目のとき驚いてたような……」
「そそそそそれはいきなり部屋に現れてたから!」
「あ、なるほど!」
な、納得したー!!
「事務所ってどこ?」
「プルメリアリズム……」
「まじで? 超大手じゃん! 俺も受けたんだよなー」
「そうだったんですか?」
「うん、社長との面接で落ちちゃったけどね~」
信じられない。輝君みたいな人を、父が落としたなんて。
父は事務所を始めてからずっと、身内からも同業者からも千里眼を持っていると言われるほどに新人発掘、アイドル発掘に長けているはずなのに。
「君はちょっとオーラがないって言われちゃって。悔しかったなー。でも悔しい思いがあったから、今の事務所に受かって必死になったよ」
今はもう、笑い話だとでもいうように明るく話す輝君。
オーラがない輝君なんて想像できない。今じゃこんなにキラキラしているのに。
「てことで真由ちゃん、頑張ってね。味見係なら任せてよ」
「は、はい!」
「じゃ、俺この後打ち合わせあるから。またねー」
「頑張ってくださいね!」
「うん、ありがとう」
また頭を撫でられる。一緒にご飯を食べるようになってから、ことあるごとに頭を撫でられている気がする。普通なら慣れてくるはずなのに、一向に慣れない。むしろ頭を優しく撫でられれば撫でられるほど、心臓が破裂するんじゃないかってくらいドキドキする。
「恋、ですね」
「恋!? てか梓さんいつの間に背後に!?」
さっきまで輝君がいた場所の隣、つまり私からすると斜め前にいたはずなのに。
「真由さん、その反応は恋です」
「ひひひ人の心を読んでる!? 梓さん何者!? 能力者!?」
「いえいえ。ね、郁美さん」
「ねー、見てて丸わかりだよねー」
ねー、と笑顔で顔を向けてハモりだす二人。ほんと仲良しだなぁ。ちなみに郁美さんのほうが梓さんより二歳年上だ。
それにしても。
「恋って……私が? 輝君に?」
「他に誰がいるんですか?」
「いや、いないけど……」
「でしょう? 真由さんの初恋がまさか、お隣に住む輝さんだなんて」
「なんて夢がある展開なんでしょう!」
最近、郁美さんと梓さんを見ているとこの二人、実は私と同じ年くらいじゃないかと思うときがある。だって! 思考がすごく乙女チックなんだもの! たまにいるよクラスにすごく乙女チックで女子力高い子! まさにそれだよ!
「頑張ってください! 真由さん!」
「応援していますよ!」
「えええええ!?」
ぐっと親指を立て、ウインクされる。二人とも落ち着こう、本当に。
「恋ねぇ」
夕食の片づけをし、お風呂に入ってベッドに寝転ぶ。
鯉。違う、濃い。いやいや、恋。気付かないフリをして、心が落ち着くのを待とうとしていたのに、郁美さんと梓さんに指摘されてはっきりと気付かされてしまった。
そもそも、頭を撫でられるたびにドキドキが増える時点で認めるべきだったんだろう。同じように頭を撫でてくる沢松君に対しては、安心感はあるけど、こんなドキドキして胸が締め付けられることはないもの。
もう高校生だし、恋自体はおかしくないと思う。でも、相手が相手だ。
今は人気に翳りがあるとはいえ、輝君はアイドル。芸能人。住むマンションは同じでも、一端の高校生である私とでは格が違う。
アイドルに対して本気で恋しようとしてるのか、現実見ろよと思う自分と、いやいや同じマンションで、一緒に夕飯食べてたりしたらそりゃあ恋するよ、輝君だってアイドルである前に普通の男の子じゃないのと思う自分が葛藤する。
私が普段見ているのは、アイドルじゃない輝君で、アイドルらしい輝君を生で見たのは、一度テスト期間中にマンション地下のスタジオに行った時くらいだ。歌って踊る輝君は迫力もオーラも、普段とは比べ物にならないほどにすごかった。拍手するのも忘れていたくらいだったし。
けど、輝君のいいところを挙げろと言われるとどうだろう。優しいところ、努力家のところ、いつも楽しそうなところ……歌が上手い、ダンスが上手い、オーラがあるといった、アイドルとしての要素よりも先に、普段家でご飯を食べていたりするような、普段の部分が思いつくのも事実。
「そして何よりあれがなぁ」
あれ。そう、週刊誌の件。輝君と関わるようになって一か月半ほど経つけれど、どうも未だに引っかかる。輝君を見ているとそんなこと起こしたようには到底思えないし、私は輝君を信用したいと思ってる。
けど、やっぱり父もつかさちゃんも信じたい。
そう思うのは、欲張りだとは思うけれど。
うだうだ考えていると、突然電話が鳴った。慌てて画面を見る。父だ。
「もしもし」
「あ、真由。今大丈夫かい?」
「お疲れ様。大丈夫だよ。どうしたの?」
「いや……真由の声が聞きたくなってね。元気にしてるか?」
「大丈夫だよ。元気元気。お父さんは? 無理してない?」
「お父さんは大丈夫だよ。 なんといっても体力が取り柄だからね!」
「なら良かった」
「あのな、真由。ちょっと頼みがあるんだが……」
「なあに?」
「実は、ナギサのマネージャーが産休に入ることになってね。急きょ代理を立てたんだが、まだ一人じゃ不安だと言うんだ。でも他に手が空いている人もいないし……真由、休日だけでもいいから少し手伝ってくれないか?」
ん? 誰の? 誰のマネージャーさんのお手伝いって?
しばらく脳の動きが止まった。そして次に活動再開したと思うと、電話口で大声を出してしまった。
「私が!? ナギサ君の!?」
「嫌かい?」
「い、嫌じゃないけど……私でいいの?」
「真由がいいんだ。真由は小さいころから何度か局やスタジオ出入りしてるし、お父さんの仕事見てるから」
「そりゃそうだけど……ううん、分かった。任せて! 頑張るよ!」
「ありがとう、助かるよ。ちゃんとバイト代も出すからね」
「いや、それは要らない……かな」
今の仕送りも十分すぎるからむしろ減らしてほしいくらいだ。
「詳しいことは今週土曜日に話すから。朝九時頃に事務所来てくれ」
「わかった」
「じゃ、また」
「じゃ……ああ待って! お父さん!」
「なんだい? 寂しくなったかい?」
「それもあるけど……お父さんさ、オーディションで人を選ぶときってどうやって選んでるの?」
「そりゃあその人と徹底的に向き合うことさ。あとは……そうだね、その人について研究するよ」
「研究?」
「学生ならこっそり学校へ行って校内での評価を聞いたり、履歴書を見て、その人の趣味や特技について調べたり……まぁ色々だ」
「そっか……ありがとう」
「? どうしたんだい?」
「え、いやちょっと……」
「まさか真由……お前……」
まずい。バレた?
「もしかして将来事務所のスカウトマン目指してるのか?」
良かったー!バレてなかった!
「そうだね、確かに興味はあるかも」
「安心しなさい。将来、お父さんの事務所で働くこになったら、正社員になったら、最初はみんなスカウトマンから始まるから」
「うん、期待してる」
「ああ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、お父さん」
静かに電話を切る。テストという壁を突破したかと思うと、次は人気アイドル・空野ナギサ君のマネージャー補佐。高校生になってから色々なことが起こりすぎている気がする。
みんな、そんなもんなのかな。
翌週、テストが全て返却された。宣言通り赤点はなかったので一安心。順位も上から数えたほうがまだ早い。ちなみに、学年一位は菅野さんだった。すべて満点をたたき出した彼女の脳内はどうなっているんだろう? 勉強も出来て、スポーツも出来る。おまけに美人ときた。きっと、輝君と釣り合うのは、菅野さんのような人だろうなと思う。
「なあに真由ちゃん。落ち込んだ顔して。赤点はないんでしょ?」
「うん……ねぇ、菅野さんはどうしてそんなに完ぺきなの?」
「ええ!? いきなりどうしたのよ?」
「頭良くて、スポーツ出来て、美人って完ぺきだなぁって」
もちろん、優しくて面倒見がいい、姉御肌的な性格も魅力的。
「やあねえ、そんなに褒められたら照れるじゃない」
「私って、全部普通じゃん? なんだかなぁ」
やだな、なんか愚痴になってしまっている。
「真由ちゃんって普通かしら? ねえ、関谷」
「うんうん、普通じゃないと思うよ?」
「何で?」
「だってねぇ?」
「社長令嬢だし?」
「なのに偉そうじゃなくて親しみやすいしぃ?」
「お嬢様育ちのはずなのに、何も出来なーい、だれかやってよーみたいな他力本願なところもないし?」
「いつも一生懸命だしぃ?」
「ツッコミするどいし?」
「妹みたいで可愛いし」
「こら、シスコンは引っ込んでなさい!」
突然話に入ってきた沢松君の頭に、軽くチョップをかます関谷君。あう、と意外と乙女チックな悲鳴を軽く漏らして沢松君が頭を抑える。
「ほんと、どうしちゃったのよ真由ちゃん」
「あのね」
「なあに?」
「す、好きな人が出来たみたいで……」
「「「ええええええええええ!?」」」
この日、最も大きな悲鳴が、教室中に響いた。
「うっそ!? 先週まではいないって言ってたのに!? 誰!?」
「だれだれ!?」
「お兄ちゃんに話すんだ!」
「だからあんたは!」
今度は菅野さんのチョップが華麗に決まる。
「学校の人じゃないんだけど……」
「うんうん」
「すごくかっこよくて、優しくて、努力家で……」
少し、言葉を濁しながら説明をする。というよりなんで私、こんな話を三人にしてしまってるんだろう。恥ずかしいのに、この三人にはなぜか聞いてもらいたいと思ってしまっている。
「やーん、何その人素敵すぎー!」
「なんだそれ……」
「まるでアイドルだな」
最後の沢松君の言葉に、一瞬叫びそうになるのをぐっとこらえる。
沢松君もなかなか鋭い。やはりだてに不思議系ではない。本当に不思議な能力でも持っているんじゃないかな
「写真は!? 写真ないの!?」
「ご、ごめんなくて……」
「じゃあ芸能人に例えると?」
「えーっと……」
まずい。非常にまずい。でも、ええい!
「い、一之瀬輝……」
「きゃー!」
「げえ!?」
「?」
黄色い声を上げたのは菅野さん、困ったような顔をしたのは関谷君、そしていまいちピンと来ていないのはもちろん沢松君。
「一之瀬輝に似てるの!? それはカッコいいわ、間違いなく!」
「菅野何言ってんだよ、一之瀬だぞ? あの問題の!」
「あら、アタシ一之瀬輝も結構いいと思うわよ? あんな記事どうせ嘘だと思うし」
「なんだ、一之瀬輝ってこの前言ってた奴か? 未だに顔が分からんのだが」
「ほら、この子よ!」
菅野さんがスマホを取り出し、素早く一之瀬輝で検索する。一番上に出てきた画像を拡大して沢松君の目の前に突き出した。
「こいつか。なるほど、綺麗な顔をしてるな」
「でしょ!? 沢松もそう思う?」
「ああ! こういう妹がいるといいな!」
「「「一之瀬輝は男!」」」
私と、菅野さんと、関谷君が同時に沢松君にツッコミを入れる。
なかなかツッコミもマスターしてきたのではないかと我ながら思う。
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