第3話 今日は来ないよお隣さん
輝君とご飯を食べるようになって早一か月。
「俺も真由ちゃんって呼んでるんだから輝って呼んでよ」
「遠慮します」
「こんなに仲良しなのに?」
「仲良くない!」
「仕方ない……マユ~!」
「ヒカル~!……しまった! 乗ってしまった!」
こんな感じで唐突に始まったベルばらごっこにつられて、見事下の名前を呼ぶというところまで発展してしまった。さすがに呼び捨ては気が引けるので君付けにしているけれど。だって輝君だって私のことをちゃん付けで呼んでいるし。片方だけが呼び捨てなんて違和感がありまくるし。
一緒にご飯を食べるようになって、輝君のことを色々分かった気がする。くるくると表情が変わって見ていて飽きない。料理が上手くて、普段はアイドルらしさ何てみじんも感じないほどフレンドリー。本当に、あんな不祥事を起こすような人なのかと思うほど優しい。
「いや、でもあれが奴の作戦……」
「誰の作戦?」
「わ、関谷君!」
「さっきからぶつぶつ独り言言ってどうしたの?」
「どうもしないよ? 気のせい!」
ついに独り言を言うほどまでに私の心は毒されてきているのか……。
はぁ、このままでは先が思いやられる。ため息をつきながら机に突っ伏していると、前から声がかかった。
「真由ちゃん、今日の放課後空いてるかしら?」
「今日? うん、大丈夫だけど……」
「ちょっと英語で分からないところがあるから教えてくれない?」
「英語? いいよー。代わりに生物教えてほしいな」
「ええ、いいわよ。お互い教えあいましょ」
「うん!」
菅野さんは将来医者を目指しているらしく、理系科目が得意だ。私はどちらかというと文系なので、すらすらと数式を書いたり、生物の授業中に当てられて、周りから驚かれるほどの知識を話したりするのを見ているとかっこいいなあって思う。
放課後、私と菅野さんは机をくっつけて勉強会を開催していた。気付けば来週にはもう中間テストが控えている。赤点を取ることはないと思う、たぶん。
「真由ちゃんさ、関谷のことどう思う?」
「え? 関谷君? うーん、面白いと思うけど」
「やっぱり? あいつ面白いわよね」
なんだろう。おなじ面白いではない気がする。
「じゃあ沢松のことは?」
「沢松君かぁ……不思議な人だけど、なんだかんだ優しいよね」
「ふふ、そうよね、私も沢松のこと優しいと思うわ」
あ、次はちゃんと同じ意味での優しいだ。
「まだ残ってんの~?」
「あ、関谷君」
「テスト対策よ。赤点取ったら部活動停止になっちゃう」
「え!? うっそマジで!?やべえ俺も勉強しよう!」
「だめよここは女子の楽園よ!」
「女装するから入れてくれよ! マジで英語とか生物とか国語とか数学とか日本史とかやばいんだって!」
「関谷それ、ほぼ全部じゃないのっ!?」
本気で慌てている関谷君を見て、本気で驚く菅野さん。
うーん、いつ見ても息ぴったりだ。
「ねえ、二人っていつから仲良しなの?」
「別に仲良くないよ(わよ)!」
いや、ハモってる時点で仲良しの証拠だと思うんだけどな。
めげずに質問を続けてみる。
「中学から一緒なんでしょ? 同じ部活で、付き合うとかなかったの?」
「ないない! 菅野と!? それはないわー。確かに良い奴だし気配りできて部内でも人望があっていつも元気な奴だけどさ」
「私だってこんな関谷なんてナシね。ムード―メーカーだし、バレー強いし、面白いから見てて結構励まされる時もあるけどね」
「ナシってなんだ!」
「そっちが先に言ったのよ!」
両者とも立ち上がって、お互いを睨みあっている。目と目の間にバチバチと火花が散っているのが見えそうだ。
ないないって言いながらも最後はすごく相手のこと褒めあってた気がするけどな。
「そう言う真由ちゃんはどうなの? 好きな人は?」
「え!? いないいない!」
「ほんとかー? 実際、沢松とかどうなの?」
「沢松君は確かに見た目カッコいいし優しいけど……」
「俺がどうしたって?」
「ぎゃー! 沢松君!」
噂をすれば影が立つ。その言葉を身をもって体験した。気付けば不思議そうな顔をした沢松君が近くにたっていた。
「聞いてよ沢松ぅ、真由ちゃんったら私たちに付き合うとかないの? とか言ってくるのよ」
「え? 付き合ってないの?」
「お前もかよっ!」
「違うのか?」
ガタっと椅子を引いて、机の引き出しをがさごそしながら沢松君は二人にそう問いかけた。
「違うわよ! ……もう。あ、じゃあ沢松は? 好きな人いないのかしら?」
「いるよ」
「「「え!?」」」
あまりにもさらっと好きな人がいると答えたため、今度は私たち三人でハモってしまった。
「いるよ。すごく可愛い」
「だ、誰よ? まさか」
「まさかまさかの~?」
「幸田さんだけど?」
「きゃー! やっぱりぃ~!」
「そうか、やっぱそうだったか!」
クイズに正解しましたと言わんばかりに手を取り合って喜ぶ二人。私はと言うと突然の告白に開いた口が塞がらなかった。
「いつ? いつから好きなの? てか真由ちゃん可愛いけどどこらへんが好きなの?」
「幸田さんは? 沢松どう?」
さっきの仕返しかと思うほどに二人は私と沢松君を質問攻めする。なんかもう、沢松君本当にごめんって感じだった。
「一緒にご飯食べに行った帰り。気を付けてって言ったらありがとうって言われたんだ。それが何か可愛いなって」
「うんうん」
「それでそれで?」
もう恥ずかしくて死にそうだ。
「思わず頭を撫でたんだ。そしたら……あ、これが憧れの妹的存在なんだなって」
「え? いもう……と?」
「ああ。俺、いつも兄貴と姉貴に意地悪されてたからな。妹か弟が欲しくて仕方なかったんだ」
話している沢松君の表情は、これまで見た中で一番優しい顔をしていた。
「てことで幸田さんは好きだよ。なんだか妹みたいで。家族的な愛だな。じゃあ帰る」
「え、あ、ハイ。気を付けて」
「あ、もちろん関谷たちのことも好きだぞ!」
……うん? 妹? 家族的な?
「あれね……」
「あれだな」
颯爽と帰る沢松君の後姿を見送りながら、二人は何か分かったように頷く。
「あれって?」
恐る恐る聞いてみる。
「あいつは」
「ああ」
「「バーチャルシスコン系不思議ちゃんだ(わ)」
この日、沢松君のあだ名が長ったらしく改名された。どうやら恋愛対象に見られていたわけではなく、年下の(同じ年だけど)妹的な感じに沢松君には見えているらしい。菅野さんと関谷君は心底ガッカリした様子でこれまた息ぴったりという感じでため息をついた。
私は私でちょっと残念のような、どこか安心したような複雑な気持ちになった。
菅野さんと、途中で混ざった関谷君とは、その後二時間ほど勉強会をしたあと、駅まで一緒に行って別れた。
「また明日ね、真由ちゃん」
「うん、またねー」
姿が見えなくなるまで二人の背中を見ている。関谷君が菅野さんに話しかけて、言い合いになったかと思ったら噴き出して笑う。
うん、やっぱりお似合いだと思う。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、真由さん」
「お帰りなさい、真由さん」
「郁美さん、梓さん!」
今日は掃除のために梓さんも来てくれている日だ。最近は少しずつ、私も家事を覚えるようになってきた。郁美さんの料理を手伝ったり、梓さんに掃除のコツを教えてもらったりしている。
自立をするための一人暮らしだという父の言葉を、実践している最中なのだ。
「今日は豚肉のしょうが焼きと、お味噌汁と、サラダを作りましょう」
「はーい!」
「真由さん、先週あの後お風呂掃除は……」
「うん! 毎日やってるよ!」
「良かったです。これからもがんばりましょう!」
正直、料理も掃除もやるまでちょっと面倒だなと思っていた。手間がかかるし、掃除は汚れるし。
けれど、実際やってみると運動にもなるし、楽しい。私が作った料理を、郁美さんが食べてくれる。輝君が食べてくれる。もちろんまだまだ上手! とは言い切れないところもあるけれど、二人とも美味しいって言ってくれるし、ここはもう少しコショウを少なくとか、味を薄くとかアドバイスをくれる。……そう、どうも私は濃い味付けが好きなようだ。
これからも家事を頑張って、いつか大人になった時、郁美さんや梓さんに交じって父にご飯を作ってあげたい。綺麗な部屋で、仕事の疲れを癒してもらいたい。そのためにも料理が濃くならないようにする修業が必要だし、場所ごとの掃除の仕方を徹底的に覚えるようにしなくては。あまり濃すぎると体に悪そうだし、掃除が出来ないと家であまり休めなさそうだし。
「そういえば先ほど、輝さんがお見えになりましたよ」
「え!? 来てたの!?」
どうやら入れ違いだったようで少し残念……って残念がるな!
「真由さんは来週からテストだと言うと邪魔しちゃ悪いからって帰られましたよ」
「そうだったのかぁ。遠慮せずご飯食べていけばよかったのに」
ああやっぱり。どうしても残念がっている自分がいる。
「代わりにこれを置いていかれましたよ」
「何これ……手紙?」
「さあ? ペンと紙を貸してほしいと言われたので渡したら書かれて行かれました。あ、中身は見ておりませんのでご安心を」
梓さんから二つ折りにされた紙きれを渡された。
『テスト頑張って。気分転換したくなったらぜひここへ』
それは、走り書きのような字だった。華やかで柔らかそうな輝君の雰囲気とは正反対の、少しカクカクした字をしていて、ちょっと意外。
「真由さん、塩! 塩!」
「え!? わー! ごめん!」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
にっこり笑って郁美さんがフォローしてくれる。高校生にもなって味噌汁すら満足に作ったことがないという現実に、今更ながら恥ずかしさを覚える。だしを取る、の意味も最初は分からなかった私に教えるのはさぞ骨が折れる作業だろう。
それでも、郁美さんは根気強く教えてくれる。
「出来ましたね! 早速ご飯にしましょう」
「うん!」
あの日以来、郁美さん、そして時々来てくれる梓さんも一緒にご飯を食べるようになって、食卓が賑やかになった。ここに輝君がいると更に賑やかになる。
「私、ちゃんと完ぺきに家事をこなせるようになるかな?」
「どうしたんですか急に」
「いや、今まで……というより今も本当にお父さんに甘やかされてるなあって」
そう。生まれてこの方、私は生活が嫌だとか、苦しいとか悲しいとか、感じたことがない。小学校、中学校、そして今通っている高校とずっと私立校に通っている。よくテレビで放課後の掃除がだるいとか言う同世代の子たちがいるけれど、私はそれすら経験したことがない。学校には専属の掃除のおばさんたちがいて、いつも校内を綺麗にしてくれている。だから、生徒が掃除をする必要なんてないのだ。
料理も同じ。調理実習はあったけれど、私が社長の娘だと知ると先生たちは包丁を持たせないようにと何かと変な気を遣ってくる。それを見て周りの子たちも、私には怪我をさせちゃいけない、火傷させちゃいけないと思って接する。
「真由ちゃんは試食係! 座って待っててね!」
毎回、試食係の私。最初の頃はそれがラッキーだと思っていた。
でも、段々気付いていた。試食係なんて本当はあってはならないということを。
みんな、私に気を遣いすぎてしまっていたんだという事を。
「真由さんは今頑張っているではありませんか。大丈夫ですよ」
「でも……もう高校生なのに、基本的なこともまだまともに出来ないんだよ?」
「焦らず、少しずつ覚えていきましょう。恥ずかしながら、私が料理を始めたのは大学進学のために上京して、一人暮らしを始めてからなんですよ」
「え!? そうだったの!?」
「はい。ですから真由さんもきっと大丈夫です」
「真由さんはお掃除の才能もあると思いますよ」
私が作った生姜焼きを頬張りながら、梓さんも郁美さんに続くようにして言う。
「掃除は、まず楽しいと思うことからなんです。真由さん、楽しいと言ってくれたじゃありませんか」
「うん、楽しいよ! 部屋がきれいになるとそれだけで心も軽くなった気がするもの」
「でしょう? 掃除も、料理も同じです。楽しみながら上達するんです」
梓さんの言葉に、郁美さんが何度もうなずく。
「ご主人様も言っていましたよ。真由さんは頑張り屋さんで、本当にいい子だって」
「本当に? お父さんが?」
「ええ。甘やかして育ててしまったけれど、曲がった子にならなくてよかったと」
「そっか……そんなことを……」
一瞬、甘やかしてしまったという自覚はあったのかとも思ってしまったけれど、父に褒められて嬉しいという気持ちのほうが遥かに強かった。
「二人ともありがとう! 元気出たよ! これからもよろしくね!」
「はい! お掃除マイスターになる勢いで頑張りましょう!」
「ご主人様に美味しいご飯を作ってびっくりさせましょう!」
「うん!」
私は決意を新たにした。
そう言えば……今日の味付けは成功……だったかな。
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