第5話 行方不明

 結局、私と礼美が目を覚ましたのは、午前十時半を過ぎていた。東向きに窓があるため、カーテンの隙間から朝日が眩しい。


 まだ暗い早朝、小火ぼや騒ぎがあった後、私たちは全員すぐに各自の部屋へと戻った。真綿と伊織の目が冴えたようなのでこちらの部屋に誘い、備え付けのハーブティーを四人で飲む。ジャーマン・カモミールティーは、ほのかに林檎の香りがした。

 外を見る。出窓から見える廃屋は多少黒く焼け焦げていたが、確かに大したことはないようだ。

 ホテルに来てからのことを、私と礼美はまたいつものようにペチャクチャと喋った。話題は尽きない。伊織は話をおとなしく聞き、真綿は一人掛けソファにがらの悪い王様みたいにして座っていた。

 東の空が明るくなった六時頃、ふたりは隣の部屋へ戻っていった。

 遅めの朝食は、一階のレストラン前に十時半で約束した。



「ヤバいーー!! うそっ、礼美ちゃん! 大変! 起きて。もう十時半過ぎてるじゃん。レストラン行かなきゃ! 寝坊しちゃったー」

「ふぇ……、え……!? マジで」

 礼美がベッドから飛び起きヨダレを拭い、最速でグレーのスウェットの人となる。私もぼさぼさの髪をひとつに結い、とりあえず目の前にあるものを着た。

 ふたりして大きな姿見でざっと全身をチェックした後、顔を洗うのは諦めた。急がねば、お腹をすかせた真綿がブーブー言うだろう。

 携帯を確認したが、着信もメールも着ていなかった。こういう緊急事態の時に限って、あいつらめ不携帯に違いない。


 一階レストラン前に到着すると、そこには誰もいなかった。いぶかしげに私が店内を覗く。ダンサーのタケオやハルヤ、他のスタッフたちの賑やかな笑い声がしている。奥には香奈と同じテーブルで食事をする、楽しそうな真綿たちが見えた。

「……お待たせしましたぁ。ごめんなさい、寝坊しちゃって!」

 すぐさま私と礼美が、テーブルの横に愛想笑いで立つ。ここは笑顔で乗り切るしかない。

 すでにビジネスモードになり、きちんと黒のパンツスーツを着用している香奈と並ぶのは気が引けた。しかも香奈はいつもの爽やかな笑顔で、私たちに席を譲ろうとする。

「おはようございます。私はこれからオギトさんを捜しますので、もう行きますね。こちらのお席どうぞ」

「……すみません。何だか急かしちゃったみたいで」

「いえ。もう食事は済みましたので、ちょうど良かったです。では、西宮さん、加納さん。失礼します」

 好感度抜群の香奈は、あくまでも礼儀正しく笑顔で去って行った。


「お前ら、おっせー」

「ごめんね。……寝坊しちゃって」

 真綿が私と礼美を改めて見直すと、またひと言「ふたりとも寝ぼけてんなー、家かよっ」とツッコんだ。はい、確かにそうです。……正真正銘、寝起きです。

 店内を見渡すと、朝食もビュッフェだった。

昨日のディナーと違い、少しスペースを狭くしてあったが、サラダバーやフルーツ、多種類の焼きたてパン、オムレツや焼きトマト、ソーセージ、ベーコンなど、標準的な朝食が並んでいる。

 和食も焼き魚やお味噌汁、お漬け物バイキングなどのコーナーがあり、真綿のような何でも食べてみたい派やヘルシー志向に人気があるようだ。


「香奈さんと何話してたの?」

 お皿に一通り盛って席に着き、私は聞いた。真綿がひと言、「いろいろー」と言う。

「……オギトさんがまだ見つかっていないようです。香奈さんが今朝、ホテルの合鍵で客室に入ったそうですが、財布と携帯、部屋の鍵もないとか。車がまだここにあって、車のキーはキャリーバッグの中に入ってたそうです」

 伊織が最後のフルーツを食べながら、話してくれる。

「へぇ、車はあるんだ。でも、夜からいないんだよね? ……不思議。どこにいったんだろ、ここは歩いてウロウロするような場所じゃないし。道路はあるとしても、山の中腹ちゅうふくなんだから外を歩くかな、普通?」

「確かにそうだよな。こんな真冬にもし、外で迷子にでもなったとしたら凍死しかねないぜ」

 真綿が物騒なことを言い出したが、本当にそうだ。何かあってからでは遅い。私たちは、朝食を終えるとユウの部屋へ行くことにした。

 最初に箸を置いたのは、伊織だった。思い立ったように携帯を取り出す。何度かタップし、熱心に見入っている。そして不意に、心ここにあらずの表情になった。


「……でも、まさか……? 本当にそんなことが? ……考えろ……」

 伊織が小さく独り言を言った。そして。

「あの、すみません。琥珀さんの部屋へ行く前に、いくつか聞いておきたいことがあるんですが」

 思案顔に時折、好奇心のような小さな光が覗く。それはゆっくり、しかし確実に伊織に灯っていった。幾つかの思考の通り道を駆け抜けた光は最後、彼の瞳孔に鮮明に宿っていく。私たちは顔を見合わせた。

「なあに? 伊織くん」

「はい、少し不明な点がありまして。……あの、オギトさんや琥珀さんは、別々の車でいらしてるんでしょうか?」


小火ぼや騒ぎのあった廃屋というのは、このホテルから歩いて行けますか?」


「昨日、ホテルの廊下で真綿さんがすれ違った赤いガウンの女性は一階へ降りられましたか?」


「一昨年、泰子さんが亡くなられたのパーティで、夏絵さんは体調を崩して長期の療養をされたのでしょうか?」


 伊織が矢継ぎ早に、いくつも質問を投げかけてきた。

 私と礼美はまだ食事を始めたばかりなのに。だが、そんな空気を読むつもりは毛頭ないようだ。……朝から、ほんとにもう!

「ちょ、ちょっと、待って。伊織くん、ひとつずつ質問に答えさせて」

 私は口をモグモグさせながら、答えを考える。

 先程から険しい顔の伊織が出産寸前の妊婦のような勢いで、今にも謎解きモードに突入しそう。どうしたんだろう、一体。


「……えーっと、まず、車だけど。ユウくんやマネージャーのオギトさんは、自分の車で来てるらしいわ。夏絵ちゃんはユウくんとだし。あとのスタッフは、ワゴン車でみんな一緒に来てると思う」


「それから火事のあった廃屋は、二階の東南の角部屋から見上げたところよ。裏山なんだけど、東側に面してる私たちの部屋からも少し見えたの。廃屋にはみたいな細い道が、裏から真っ直ぐに通じてた。歩けば、ここから五分ぐらいで行けるんじゃないかな。逆に車の方が、時間がかかる」


「次は、……えっと、赤いナイトガウンの女性ね」

 私は見ていないので、礼美に視線を向ける。

「その女はね、確か、北側通路へ曲がって行ったよ。階段は絶対に降りてない。間違いないからね。ほら、私、2.0以上だから」

 礼美が自分の目を指差し、得意そうに微笑んだ。


「じゃあ、最後の質問ね。夏絵ちゃんが体調を崩したのは、そう、泰子さんが亡くなるすぐ前、ユウくんの夏のパーティの後だった。その後、長期の療養をしてたって聞いたわ。それは、沢田さんが言ってたの。コーラスのレイカさんやヘアメイクの美希さんも、似たようなこと話してたよね」


「やっぱりそうでしたか……」

 伊織が言い淀む。だが、まだ見えない何かに束縛されているようだ。瞳の光は、闇の奥に消えていった。

「じゃあ、そろそろ琥珀ユウの部屋へ行くぞ。もし、マネージャーに身の危険が迫ってたら大事おおごとだからな」

 仕方なく私と礼美は、お皿の上の可愛らしいデザートたちを尻目に席を立つ。伊織がなぜか、箸を一膳ジーンズの後ろポケットに刺すと出口へ進んだ。

 レストランは一階西側の一番奥に位置していた。そのすぐ先に、別館の佇まいでイベント会場があるのだ。

 私たちはぞろぞろと二階へ上がり、西側の客室の前を通る。清掃係のホテル従業員が客室の扉を開き、業務用掃除機を運び入れていた。

「ここよね? オギトさんのお部屋」

「そうそう。沢田さん、言ってたよね」

 私たちはオギトの部屋の前を通り過ぎる。廊下の突き当たりが、ユウの泊まっているスイートルームだった。が、しかし、……ひとりついて来てないじゃん!


「――お客様、こちらに入られては困ります」

 もう、世話が焼ける。私は伊織を連れ戻すため、慌ててオギトの部屋へと入った。

「すみません! ちょ、ちょっと、伊織くん。何してんの、ここはお掃除中なんだから。勝手に入っちゃダメだよ」

 西側のオギトの部屋は、私たち東側の客室と対称の造りになっていた。一見、自分の部屋へ入ったような錯覚におちいる。

 深紅のカーペットに、戸口手前には私たちの部屋と同じクリスタルガラスのうつわもあった。何も入ってないけれど。もしや、ただのオブジェだったのだろうか。

 ざっと部屋の中を見渡す。オギトはツインルームにひとりで泊まっていたはずだった。でも、ベッドは左右とも乱れている。テーブルには仕事の資料と思われるものが無造作に重ねられ、ノートパソコンと飲みかけの汚れたティーカップがひとつある。

 そして、私たちの部屋と同じ高級フルーツの盛り合わせが、手つかずのまま置かれていた。


 私はなぜだかわからないが、その時胸騒ぎを覚えた。それが何なのか、伊織に聞きたかった。だがたぶん、今の伊織は誰の声も耳に入っていないのだろう。ゾーンと呼ばれる、集中の頂点へひとり向かっているのだ。

 一時いっときの間、伊織はぼんやりと飾り物と見紛う上品なフルーツを眺めた後、私に向き直った。

「……もう結構です。すみません。琥珀さんの部屋へ行きましょう」

「伊織くん、大丈夫? すでに疲れてる顔してるよ」

 私は笑いながら言った。

「――あら、シーツが一枚ないわね……」

 清掃の女性の声が、背中越しに聞こえる。客室を出て、四人はユウのスイートルームへと着く。

 確信のある静かな低音の言葉が、ぽつりぽつりと伊織の口からこぼれた。

 この時、私は自分の耳を疑ったのだ。夏の終わりのあの日のように、私たちを取り巻く状況を疑った。

「魂の闇夜はとても深い。……ショーは始まったばかりです。きっと、長期戦になる。――今、謎は全て解明されました」

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