第4話 魂の闇夜
「ああ、食べ過ぎたぁ。もう、ほんと無理」
礼美がお腹をおさえ、ベッドに寝転んでいる。私たちはレストランで、ビュッフェ形式の夕食を頂いたばかりだ。
和洋中華の絶品料理が所狭しと並び、海の幸、山の幸など盛り沢山だったのである。デモンストレーションカウンターではシェフが調理を行い、サイコロステーキやスフレオムレツを振る舞ってくれた。礼美はお寿司やローストビーフに通いつめていたようだ。もちろん、目にも楽しいプチデザートや旬のフルーツまでしっかり堪能させて頂いた。
「ふみちゃん、私、着替えてもいい~?」
礼美が、顔だけこちらへ向けて言う。
「えっ!? まさかアレ、持ってきたの?」
「うん。もちろん」
えー、箱根までいつものグレーのスウェットを持参してきたなんて!
「ふみちゃん、ついでにお風呂行こうよ」
「あ、ごめん。私、今日、シャワーにする」
「なんでー。せっかく箱根に来たのに。温泉入らないの? あ、まさか……」
はい~。残念ですけど、今日アレなんです。
「マジで? わかった。じゃあ、お風呂行ってくるね」
礼美が部屋から出て行った。今頃、こちらに向かい移動中と思われる真綿に、『イフ(痛み止めの薬)を買ってきて』とメールする。薬はいつも飲んでいるものがよかった。今は痛くないが、とりあえず念のために。
私もシャワーをさっと済ますとバスタオルで身体を拭き、部屋に備え付けの白いバスローブを羽織る。バスローブは濡れたまま着るのが本来の使い方のようだが、それは出来ない私。携帯を確認する。真綿からの返信はまだなかった。
髪を乾かし、お肌のお手入れを念入りにしていると扉越しに話し声が聞こえ、礼美が真綿を連れて入った来た。去年私が買ってあげた、オレンジのダウンジャケットを着ている。
「真綿、思ったより早かったね。車、渋滞してなかった?」
「全然。しかも、もう俺ら、途中で銭湯寄ってきたから」
え、なんで。
「来る途中、伊織とラーメン屋に寄ったら、隣りに銭湯があってさ。ついでに入ってきた」
ダウンジャケットを脱ぎながら、真綿が一石二鳥みたいな言い方をする。
「あれ? 伊織くんは?」
「ん? 一階のフロントで、イフ貰ってくるはずだけど。この辺、薬局とかねぇし」
「ちょ、ちょっと。なんで、伊織くんが貰ってんのーー!!」
生理痛のお薬を男のお友達(恋人ならいいけどね)に頼んではいけません!と、私から子供のように怒られ、真綿はちょっと拗ねている。
そこへ伊織が到着した。
「伊織くん、ごめんね~。真綿が変なこと頼んじゃって。ちょっと、頭痛が……」
バレバレなのは重々承知だが、乙女心がそうさせる。
「イフ、ですよね。……ありました。どうぞ」
伊織が両手で手渡してくれた。はい、どうもすみませんです……。
「伊織くん、真綿の運転どうだった?」
「あー、意外とうるさいんだよ、伊織は」
真綿が速攻で口を挟む。もう、伊織くんに喋らせてあげてよ。
「だってさぁ。わかってんのに、赤に変わっただの、緑になっただの……」
「緑じゃなくて、青です」
伊織がどうでもいいところに言及した。
「みんな、紅茶淹れたよ~」
礼美がテーブルへ呼ぶ。そして、私を見て言った。
「ちょっと気になることがあるんだよね……」
「さっきね、お風呂から戻って来てたら、東側(私たちの部屋側)の通路を真綿くんがこっちに歩いて来てて。私も部屋に向かって、南側(スイートルーム側)を歩いてた。外が暗かったから内窓からは見えなかったんだけど、角を曲がったら、真綿くんがいて気付いたの。で、その時! 真綿くんの横を、真っ赤なナイトガウンを着た細身の女性が通り過ぎて行ったわけ。私は後ろ姿しか見えてなくて、真綿くんは前から見てる状態。シルク素材のかなりセクシーなガウンだった。他にはアクセサリーポーチみたいな、こんな小っちゃなバッグしか持ってないの。鍵とリップくらいしか入らないやつ。……ね、ふみちゃん。一体、誰だと思う?」
……誰って??
「ん? ごめん、礼美ちゃん。ちょっと意味がわからなかった。……誰って、うーん。女性のお客さんか、ホテルの従業員しかいないよね? ここは普通のホテルとは違うから、不特定多数のお客さんが出入りするとは思えない。例えば、風俗の女性とかもこのホテルではありえない。そういうことにはとても厳しいホテルだもの。あとは……、そうね。お客さんが頼んだ整体師が特別に出入りしてるかもしれないけど、真っ赤なガウン着てウロウロはしないね」
「でしょう? だから、やっぱり私たちの知ってる誰かなんだよね……」
礼美がつぶやく。
「真綿は顔を見たんでしょ。どんな人だったの?」
「え、そりゃあ……。すげぇ、美人だったぜ」
真綿が観念したように言った。ちょっと何に観念したの?
「美人って、どんな風に? 何歳くらい?」
「んー。俺的にはもうちょっとボリュームがあるほうが好みだけど……。あ、いや、すれ違ったとき、その女、上目遣いで俺に笑いかけてきたんだ。目がビー玉みたいにキラキラしてさ、やべぇだろ? 若そうだったけど、大人っぽく化粧してたから年齢はよくわからん」
具体的には結局何も思い出せないらしい。ただただセクシーだったそうだ。
間を開けて、考え込んでいた礼美が言い添えた。
「あのね。後ろ姿のシルエットが、よく似てたの。……夏絵ちゃんに」
「え、夏絵ちゃん!? でも、セクシーとか赤いナイトガウンってイメージないけど」
「そうなのよ。それに……、あ、私の長所、ふみちゃん知ってるよね?」
礼美ちゃんの長所? なんだっけ。痩せてるけど、ご飯いっぱい食べるとこ? それか、電車内でときどき痴漢捕まえちゃうとこ?
「ほらぁ。私って、視力が2.0以上じゃない?」
ああ、そっちか。そう言われれば、そうだった。うちの視力検査では2.0までしか計れませんって、昔から眼科で謝られてたよね。
「後ろ姿しか見てないけど、赤いナイトガウンね、
真綿が思わず、紅茶を噴き出した。
「どういうこと!?」
裸にシルクのナイトガウン? セクシーすぎるでしょ。
「だって、下着のラインが全く出てないんだもん。間違いないって。身体つきはスリムなんだけど、いやに妖艶な雰囲気だったのよ」
礼美がはっきりと断言する。別に疑う理由も意味もない。
「とにかく今ここで喋ってても仕方ないよ。明日になれば、夏絵ちゃんにも会えるんだし。直接、聞いてみればいいじゃん」
「そうだ……ね」
まだ納得はいってないようだったが、話は本日のリハーサルのことへと移った。明日のショーやビュッフェの夕食、ユウや夏絵、スタッフのことなど事細かに笑いを交えて、私たちはいつものように過ごした。
真綿が大きな欠伸をした。時計を見ると、もう十二時前。ほとんど発言していない伊織も眠そうな顔をしている。
私たちは明日の朝食の約束をして、この日は別れた。
*
ドン、ドン……。
「ん……今、何時? ね、礼美?」
ドン、ドン。――夢? ドン、ドン、ドン。――太鼓の夢?
「起きて! 起きて下さーい!」
ドン、ドン、ドン。――扉を叩く音だ。
「えっ、何!? 礼美ちゃん、ちょっと起きて!!」
誰かが扉を叩いて、私たちを起こしている。
「待って下さい、すぐ起きます……」
「ふみちゃん、……何なの!?」
礼美が目をこすりながら私に聞く。時計を見るとまだ明け方の四時前だ。私はパジャマのまま髪を手で押さえ、扉を開けた。そこには沢田という従業員がいた。
「すみません! 花野さん、すぐ裏山の
火事!?
「礼美ちゃん、火事だって!」
「嘘! どこで!?」
礼美も飛び起きる。
「東南側にある、すぐ裏の廃屋です。たぶん、こちらからだと少し見えると思うんですが……」
沢田が東側にある出窓のカーテンを半分開けた。
斜めに見上げた先の裏山にある古ぼけた民家から、確かに揺らめいた赤い火が見える。
「急いでご移動をお願いします」
沢田がすぐにカーテンを閉め、そう言った。私と礼美は慌てて上着だけ羽織り、部屋を出た。
「これから私は隣の夏絵さん、それから琥珀様と
私たちは頷き、レストランへ行くため東側通路を進んだ。そして、野口は反対方向の夏絵の部屋へ向かって行った。
レストランでは数名のホテル従業員(夜間のため、従業員はこれで全員)と、リハーサルで会ったユウの関係者たちがザワザワと待機している。真綿や伊織も寝ぼけ顔で、若い女性ふたりとテーブルに相席していた。
従業員の男性ひとりが私たちを見つける。適当なイスへどうぞと身振りで示した。
「お客様が全員お揃いになるまで、こちらでお待ち下さい」と、何度となく繰り返しているようだ。すでに疲弊した顔もちらほらと見えた。
「ふみちゃーん、こっち」
真綿が私たちを見つけ、手招きをした。となりのテーブルへ座る。真綿たちと相席の女性は、コーラスのレイカとヘアメイクの
「……ていうかさぁ、ヤバくない? 火事とか」
「うん。超ヤバい」
沈黙に割り込んできたのは、レイカだった。昼間見た濃いメイクの派手さに比べると、素顔のふたりはいやに素朴でまるで双子のリスみたい。
「ここでショーをすると不吉なんだよねぇ」
「そうそう、超不吉」
ふたりはコソコソとドングリを食べるようなしぐさで話していた。
「ねぇ、不吉ってどういう意味?」
興味を持った真綿がふたりに尋ねる。リスたちは顔を見合わせた。
「えー、だって、一昨年のショーのあとも殺人があったんだもん」
「殺人って!? 詳しく教えてもらってもいいかな?」
「これ、言っちゃっていいのかなぁ。……でも、ま、いっか?」
退屈そうなレイカが美希の顔を伺い、美希が話し始めた。
「一昨年、夏のショーもここでやったんです。その当時、後援会役員としてお世話をしてくれてた泰子さんっていう、ユウさんのファンクラブの方がいたんですが……」
まさか。
自宅で恋人の死とともに、三角関係の殺人事件に巻き込まれたあの宮田泰子さんのことだ。夏の終わりの暑い日、伊織が推理し、私たちが死体を見つけた。あの悲しい事件が、突然フラッシュバックした。
「……ああ、その殺人事件ね。当時、世間を賑やかしたよな」
真綿は第三者が語るように、顔色を変えずに言う。
「はい、かなり話題になったんです。その時はユウさん随分落ち込んで、あの……いろいろと大変でした。でもテレビの影響で……というか、ユウさんの知名度と実力が世間に認められて人気がうなぎ登りになったんです」
うなぎ登りという時、美希は少し声のトーンを下げた。
「でも、こう言っちゃ失礼だけど、あのトープおじさんが死んで、私たち嬉しいの。悲しくなんて全然ない」
「ちょ、ちょっと、レイカったら。そんなこと言うの、やめて」
レイカの発言に美希が慌てた。豆腐おじさんって??
「いいじゃん、本当のことだもん。あいつ、ホント嫌い! 大の女好きだったの。もう病気よ。泰子さんもどこが良くて、あんな変態とずっと付き合ってたんだろう」
すでに亡くなっている宮田泰子の恋人のことを、レイカは散々な言葉で言い表す。
「ん? それって、どういうこと?」
真綿がレイカに向き合った。伊織もずっと聞き耳を立てている。私と礼美も、隣のテーブルからじっと話を聞いていた。
「泰子さんの恋人のこと? ……まあ、もうふたりとも死んじゃったけど。トープおじさんっていうのは、私と美希がつけたあいつのあだ名なの。トープって知ってますか?」
レイカが真綿に聞く。
「さあ? 豆腐のハーフか?」
真綿よ、意味わかんないから。
「違うし。泰子さんの恋人って、実業家だったの。飲食店とかアパレルショップとか、いくつも手広くやってて。ファッションにも詳しくて、格好つけて威張ってんの。いつも白いシャツの襟を立ててたよね。……あ、トープって、色の名前なんです。ベージュとグレーが混じった色のこと」
ああ、そのトープか。バッグの色味でもよく使われている。フランス語でトープとはモグラという意味。そこから、茶色味がかったグレーになったらしい。
「その夏一度だけ、泰子さんの恋人がユウさんのショーを見に来たの。しかもこのホテルの正会員だったから、前日からこっちに泊ってた。来るなり、忙しい泰子さんをほっといて、私たちにちょっかい出して来てさぁ。ほんと、気持ち悪い人。一人一回、三万円でどうかとか……。二人一緒なら、もっと上乗せするとか。バッカじゃない? あの歳で、セックス依存症だと思うよ。最悪でしょ?」
手厳しいレイカのあと、美希も言い出した。
「お金を出せば、私たちが寝るとでも思ってんのかな? 私たちが冷たくあしらうと、今度はスタイリストの
ふたりはまたリスみたいに、くっついて笑い出した。
その時突然、まわりの空気が変わり、人々が入り口を見た。私も入り口に目をやる。そこには夏絵をつれたユウ、そして沢田が立っていた。
ソフィアは沢田が抱き、夏絵は熱でもあるのか少しぐったりしてるように見える。クリーム色のハーフコートの下からは、水色のパジャマが覗いていた。あどけない素顔だ。赤いセクシーなナイトガウンの夏絵なんて、やっぱり想像出来なかった。
「皆様! お待たせ致しまして、申し訳ございません。裏山の火事は今、消防が来て、消火活動をしております。小規模な火災ですので、問題はありません。お騒がせしました。どうぞ、お部屋へお戻り頂いて結構です!」
沢田が責任者らしく指揮をとる。さらに言葉を続けた。
「明日の朝食は、ゆっくり時間を
言い終わると、沢田は後ずさりした。
次に、すでに外出着に着替えており、疲れは見えるがそれでも
「お騒がせしました、火事は問題ないようです。半日後にはスペシャル・サンクスパーティー本番ですので、今はゆっくり部屋で休んで下さい。最終準備があるので、集合は昼の三時。では、皆さんよろしくお願いします。……それから、今、オギトの居場所を知ってるものがいたら、ここまで来てくれ! 探したが、部屋にはいなかった」
みんなザワザワと顔を見合わせたが、オギトのことは誰も知らないようだった。
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