第3話 リハーサル

 集合時間は夕方四時。

 ホテル一階隣接の会場に、スタッフたちがぞろぞろと集まり始めた。普段、会場は結婚式場やショーイベントなどにも使用されるらしく、正面には段差のある舞台が用意されている。全体的には、白を基調にした女性が喜ぶ甘めの雰囲気となっていた。

 ガーデンウエディングも行われる広さの庭園や、小型の噴水、可愛らしいガゼボなどが、壁一面のガラス窓から見える。冬の間は庭に、野外用ストーブも設置されていた。

 明日の本番はガラス窓も開放し、ホテル側の壁を使いプロジェクション・マッピングのサプライズもあるとか。

 天井の高い室内はいくつもの白い円形テーブルがセッティングされており、中央にキャンドルが灯される予定だ。ロマンティックこの上ない会場で観る、琥珀ユウのミステリアスなショー。想像だけで私はめまいがした。


「大丈夫ですか?」

 私ったら、妄想のめまいを誰かに気付かれてしまったらしい。顔を上げると先程の、香奈と呼ばれていたスーツ姿のスタッフがいる。

「あ、全然大丈夫です。なんかぁ、ちょっとふらっとしちゃってぇ。……あっ、私より、夏絵さんはいかがですか?」

 香奈はまだ二十二、三歳だと思うが、年齢の割に落ち着いた表情を見せる。

「夏絵ちゃんも大丈夫です。今はまだ、お部屋で安静にしてます。ご心配をお掛けしました。ひとりだと時々不安になるんでしょうね。今回、お母様がご一緒ではないですし」

「ユウさんのご両親はいらっしゃらないんですね?」

「はい。地方でどうしても抜けられないご用事があるそうで。なので、今回は夏絵ちゃんをこちらで預かることになりました。それで、ユウさんもちょっとピリピリしちゃってるんです」

 私はなんて言っていいかわからず、相槌だけ打った。


「皆さん、お集まり下さい! ミーティングを始めます」

 先程、スイートルームにいたオギトと呼ばれていた男性が、みんなに声を掛ける。四十代半ばくらいか。フルネームは、おぎとおる

 彼がユウのマネージャーらしい。お洒落で見た目は若々しいが、よく見ると白髪が全体的に目立ってきている。白いシャツはノーネクタイ。長身の筋肉質で、どちらかというと真綿タイプのボディだと想像出来た。……やだ、私ったら。

 はい。そして、香奈がアシスタントマネージャーを勤めてるとのことだ。

「ダンサー二名、前に出て来て。……えっと、タケオとハルヤ。それからコーラスも二名、リュウタとレイカ。バンドメンバーが……」

 演者の紹介が始まった。音響さんやスタイリスト、ヘアメイクさんなどの紹介も続いていく。いつも通り気を抜いて私と礼美がぼんやり突っ立ってると、オギトよりまさかの紹介を受けてしまった。


「最後にユウの知り合いで、女性二名がパーティー準備の手伝いをしてくれます。えっと……、礼美さんとふみさん……。はい、よろしくお願いします」

 私たちは突然のことに固まり、ふたりしてロボットみたいにぺこりと頭を下げる。パチパチ……パチと、まばらな拍手を頂いた。まあ、下手に自己紹介して、失敗するよりましだ。

 そこにグッドタイミングで、会場入り口より颯爽とユウが入ってきた。黒のシャツに細身の黒いパンツ。全身黒ずくめに着替えてリハーサルを迎えるユウは、さすがの貫禄でオーラが半端ない。

 リハーサルだからか、今夜はめずらしく黒縁のメガネも掛けている。それがまたインテリ風味の味付けを加え、隣にいる礼美の黄色い絶叫が聞こえそうになった。

 そして、ユウは妹の夏絵も一緒に連れて来ていた。

 髪を下ろして、白いえりがついたチャコールグレーのワンピースに着替えている。膝下の清楚なワンピースが十代の清廉さを感じさせた。暗い色の額縁に収まった、みずみずしい美少女の絵画のようだ。美しい兄妹がいるもんだと、改めて感心してしまった。


 そんなことを思っていると、ユウが私たちに近づいて来た。思わず、身構える。礼美の動悸が移りそう。目線を私たちに下ろすと、小声でユウは私たちに言った。

「礼美さん、ふみさん。……申し訳ないですが、リハーサル後の夕食まで夏絵のこと、お願いしてもいいでしょうか。おとなしくするように言ってあるので」

「はいっ!」

 思わず優等生のお返事をしてしまう礼美。とりあえず、落ち着こう?

「あの、全然大丈夫です。……私たちも、夏絵さんと仲良くなりたいですし」

 礼美の緊張が止まらない感じなので、私が返事をする。ユウが軽く会釈をすると、後ろで夏絵が嬉しそうにはにかんだ。

「夏絵、おふたりに迷惑をかけるな」

 ユウは夏絵に釘を刺した。そして、オギトのいる舞台前へと移動して行く。妹にもう少し優しく接してあげてもいいのにと、私は心の中でちょっと思った。


「夏絵ちゃん。こっちが礼美で、私がふみです。あの……、気を遣わないで下さいね。よろしくお願いします」

 私と礼美がにこやかに笑うと、夏絵も心から嬉しそうな笑顔を覗かせた。それが本当に可愛くて、いつも笑っていればいいのにと言いたくなる。おどおどした、頼りない表情しか記憶にない。兄の視線を気にしているのは今もそうだが、どうも過剰すぎるユウへの従順が不思議だった。

 私たちは中央後ろのテーブルをあてがわれ、春から始まる全国コンサートのチラシの折り込み作業を開始する。

「夏絵ちゃん、茶色のトイプー可愛いですね。今はお部屋で待ってるんですか?」

 私が聞く。距離を縮めるには、夏絵の喜ぶ話題がいいだろうと思った。


「はい、お部屋で眠ってます。……ソフィアっていいます。男の子で、今七歳なんです」

「女の子だと思ってた! だって、名前が女の子みたい。しかも、もう七歳なんですね。小さいから、まだ子犬かなって」

「ソフィアは、兄が名付けてくれました。ギリシャ語で、叡智えいち智慧ちえという意味があるそうです。……自分のチカラで、ちゃんと生きていけるようにって」

 夏絵が微笑む。小さな子供のように注目を意識してか、少し恥ずかしそうに話し始めた。

「ソフィアは保護犬なんです。一年前、保護団体の施設から貰い受けました。……そこには、大人のトイプードルがいっぱいいました。その中で、動かなくて一番小さな子だったんです。たぶん、ずっと愛情や満足な食事を貰えてなくて、……大きくなれなかったみたい。ずっと怯えてて、すごく怖がりだった。今でも、まだ満足に吠えたりは出来ないんですけど。でも……一年経って、私たち家族にやっと慣れてきました。私の食事が終わると、ちゃんとわかって私の側に来るんですよ。それがすごく可愛くて。テーブルの上は見えないのに、なぜ、わかるんだろうって思うんですけど……」


 ここ数年、ペットショップで特に人気のあるトイプードルやチワワ。人間の都合で大量に繁殖され、生まれて間もなく売られていく生体せいたいたち。

 可愛い子犬の時期に、親切な人間とご縁があれば幸せだが、全部が全部そうとは限らない。

 一度飼われても不幸な運命に合い、虐待にあったり捨てられてしまう子もいる。そんな行き場を失った犬や猫たちは最悪の場合、無惨にもガス室でナチスのホロコーストのように虐殺されていくのだ。

 私たち人間は、他の生き物の魂になぜ無関心なのだろう。野に咲くタンポポでさえ、自分を摘んだ人間の手はわかるというのに。


「……夏絵ちゃんって、優しいね。それなのにユウくんってさ、夏絵ちゃんにちょっと厳しくない? 心配性なのかな」

 礼美がチラシを折りながら、考えなしに無邪気に聞いてしまった。でも、それ本人に言ったらまずいことなんじゃない? ちょっとぉ。

 夏絵が動揺の表情をする。そうだよね、私は慌ててフォローした。

「ごめんね、夏絵ちゃん。悪気はないの。礼美ったら、そんなこと言ったらだめじゃん」

「え、だめだった? ごめん……」

 礼美がしゅんとした顔になった。


「……礼美さん、大丈夫です。こちらこそ、気を遣わせてしまってごめんなさい。……実は私、心臓の病気のせいで、家族やまわりの方に心配や苦労をいっぱい掛けてきたんです。三年前、心臓移植の手術が成功した後、人に迷惑をかけることはなるべくしないようにって家族と約束しました。……特に兄は、誰よりも私のこと思ってくれていて、高額な医療費も全部負担してくれているんです。私、兄の言いつけには背けません。……兄がいなかったら生きていけなかったから。それで、たぶん、普通の兄妹よりは過保護に見えちゃうんだと思います」

 夏絵は言葉の重みを噛みしめるように、つっかえながらもハッキリと言った。

「そうだったんだ。……夏絵ちゃん、変なこと聞いちゃってごめんね」

「礼美さん、大丈夫です。兄は、本当は優しい人なんです。……これからもどうかよろしくお願いします」

「ふみちゃん、私、お願いされちゃった~。やば~い」

 礼美がデレデレになり、私に顔を向けた。大丈夫だよ、礼美ちゃん。全然やばくないから!


 今、舞台上ではバンドメンバーとコーラスのふたりが、セットリスト通りに音合わせを行っていた。大型のコンサート会場とはまた違い、アットホームで親密な内容が嬉しい。隣りでは、ダンサーたちがゆるい動きで振り付けを確認している。

 オギトと打ち合わせをしていたユウが舞台へ上がった。手には例のクリスタルボールを持って。

「ね、あれ、コンタクトジャグリングじゃない?」

「ホントだ! じゃあ、これから『ホワイトタイガー』のリハーサルやるんだよ。すごい……、こんな間近で観られるなんて」

 私と礼美の興奮が、夏絵にも伝わった。瞳を輝かせる。

「コンタクトジャグリングは『ホワイトタイガー』の曲のイメージに合わせて、振り付けの先生が提案したんだそうです。ちゃんと大道芸人の先生に習って、お兄ちゃんやタケオさん、ハルヤさんもみんな頑張って練習したんです」

 オギトがDVDデッキのようなプロジェクターとパソコンを操作する。そして、合図で室内の照明が薄暗くなった。私たちは皆、舞台に釘付けとなっていた。


 ――魂を揺さぶる 野生の遠吠えに気づく

   太古の星座が 遠くでまたたいた

   

   WHITE TIGER 約束の地で

   冬の月をにら

   WHITE TIGER 闇夜に潜む

   孤高の白い虎


 間奏。

 ホテル側の奥の壁にプロジェクション・マッピングの映像が現れた。

 真っ赤な炎が幾重にもなりたぎる。音と映像、ユウの存在感、全てが一体化した。

 ユウはセンターのポジションで、クリスタルボールを華麗に操り出す。それは計算し尽くされた幾つかの照明と重なり、幻想的で見るものを圧倒させる魅力があった。

 煌めき回転を続け、ユウの指にまとわりつく透明のボールを私たちは目で追いかける。自信に満ち、落ち着き払ったユウに乱れは一切ない。

 そこには妥協を許さない、彼の神髄が見えた気がした。


 演奏が終わると、大きな拍手でユウとダンサーふたりは身内の称賛にあった。

 少し照れたように笑い合うと、ユウが軽く頭を下げる。スタッフたちはそれを合図に、また各自仕事に戻った。

「ねー、やっぱり最高だよね。『ホワイトタイガー』はユウくんの代表曲だよ」

「はい。作詞家の先生が、琥珀っていう名前からインスピレーションを受けて作られたそうです」

 なるほど。琥珀とは、玉偏に白い虎と書く。琥とは昔中国で、虎が死後に石になったものだと信じられていたらしい。

「夏絵ちゃん、本名も琥珀さんなの?」

 礼美が不思議そうな顔で聞いた。

「いえ。兄は本名を公表していないんですが、……実は、上原うえはらって言います。上原夏絵。兄の本名は、上原悠斗うえはらゆうとです」


 芸名やペンネーム、ビジネスネームなど、本名とは別に使い分ける人たちがいる。

 姓名判断的にはそれぞれに意味があり、運勢も異なる。基本的には戸籍の名前が一番重要視されるが、三年以上使用し芸名などが馴染んだ場合、こちらの影響も本名を上回るほど強くなっていく。


 ――琥珀ユウ。

 子供時代から二十代後半~三十代頃まで、強い運で守られる。行動すればするほど、幸福で思い通りに人生が動く運命。華やかな世界を好み、サービス精神旺盛。お洒落や見た目の良さでも注目される。心根は優しいが、精神的な弱さもつきまとう暗示。デリケートな面と、プライドが高く頑固な面が見え隠れする。

 権力のある人や目上の人に恵まれる。精神力の強さを維持出来れば、名声や成功を得ることが出来るだろう。

 晩年は波瀾万丈。自我を抑えることが最も大切。

 

 彼はすでに芸名が、世間や本人に浸透している。字画のパワーが、血となり肉となりしているのだ。

 


「皆さん、お疲れ様でした! それではこれから、夕食に移ります。場所はこの会場を出て、突きあたりのレストランです。明日の朝食もそちらですので、各自よろしくお願いします。ではレストランへの移動をお願いします~」

 オギトが大声で指示を出した。私たちはまた、のろのろと動き出す。


「礼美さん、ふみさん。今日は、ありがとうございました」

 突然、ユウが私たち三人の元へやって来た。私たちは彼を見上げる。少し汗ばんで血色のよいユウも、異常に格好良かった。

「夏絵のこと、お世話になりました。今夜はもう結構です。僕らはルームサービスを取ることにしますので。おふたりはレストランで夕食を楽しんで下さい」

「えっ、そんな。お兄ちゃん……私、一緒にレストランに行っちゃダメなの?」

 慌てて、夏絵が切実な顔で言った。いつもユウの顔色を伺っている。

「だめだ、すぐに戻ってシャワーを浴びたいんだ。明日の調整もしたい。夏絵、早くしなさい。おふたりにお礼を言って、一緒に来るんだ」

「……私、ふみさんたちと一緒にお食事したい。お願い、行っちゃだめ?」

 ユウの腕を、夏絵は小さくつかむ。ほんの少しの抵抗。しかし、長身のユウは興味なさそうにそれを振りほどいた。

「ひとりで行っていいわけないだろう? 迷惑になるだけだ。……どうして言うことが聞けないんだ。お前は分別もないのか」

 夏絵はうつむいた。

「……はい。……ふみさん、礼美さん。今日は、楽しかったです。ありがとう、ございました。おやすみなさい」

 寂しそうな声だった。私たちにはどうすることも出来ない。夏絵はかわいそうな子猫のようだ。ひとりでは生きていけない、鳴くだけの子猫。

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