第8話 慈悲浅き邪法
逆恨みで襲ってきた不良達と同様、触れられただけで――大量の『気』を痛覚に流し込まれて、体の内側からミキサーで引き裂かれたような激痛を味わい、揃って気絶したゲグル達を、ファムは慣れた手付きで縛り上げていった。
「お前達の悪事もこれまでだっ!」
奴隷として売られそうになった恨みだと、細い足で背中を蹴ると、ゲグルは呻き声を上げて目を覚ました。
「ぐぅ……畜生、放しやがれ!」
「さて、どうしますか?」
まるで反省した様子のないゲグルを見下ろし、九郎は借りていたショートソードの柄をファムに向ける。
すると、彼女は剣を受け取ったが、膨れっ面で鞘に収めるのだった。
「殺してやりたいくらいムカつくけど、犯罪者はギルドに連行するのが決まりだから」
「そうですか、なら丁度良かった」
九郎は微笑して頷くと、急に街道を挟む森に向かって声を上げた。
「そろそろ出てきては頂けないですか」
「えっ、誰か居るのっ!?」
驚き身構えるファムの前で、森の中から草木の摩れる音さえ立てず、まるで幽霊のように人影が現れる。
それは冒険者ギルドでいつも見かける、親切な笑顔を浮かべた――
「レジ―さんっ!?」
「こんばんは、ファムさん」
驚愕の叫びを上げるファムに、受付嬢ことレジ―は自然に挨拶を告げたあと、九郎の方を向いて問いかけた。
「私のレアスキル『隠形』が見抜かれたのは初めてです。参考までに、どうして気付いたのかお聞かせ願えませんか?」
レジ―の『隠形』は姿形が見えなくなるだけでなく、臭いや音さえも完璧に消し去り、真昼の草原で真後ろに立っていても、首を掻き切られるその瞬間まで気付かないほど、強力かつ恐ろしいスキルであるというのに。
絶対無敵のスキルを破られ、戸惑いと警戒を覚えながらも、それを全く表に出さない受付嬢に、九郎は事もなく答えた。
「貴方の立っていた場所だけ、完璧に『無』でありすぎました」
草木が風に揺れる音、雨に濡れた土の臭い、虫や蛙の気配。
一見静かに見える森の中も、感覚を研ぎ澄ませれば騒がしいほどの音や気配で満ちている。
そんな中にただ一点、何も無い空間がポツンとあれば、逆に「何かが有る」と喧伝しているも同じであった。
「自分を『無』にするだけではなく、天然自然と一体化するのが真の『隠形』ではないでしょうか」
「なるほど、ご助言恐れ入ります」
「いえ、師匠の受け売りを述べたまでです。偉そうに申し訳ない」
頭を下げ合う九郎とレジ―に、ファムがまだ驚愕の消えぬ顔で割り込む。
「それより、何でレジ―さんがここに? しかも、『隠形』なんて何で使えるの!?」
ファムは目を凝らしてレジ―のステータスを確認する。
暗殺者レジ― LV:4
HP:34
MP:21
筋力:12
耐久:10
敏捷:17
器用さ:20
魔力:8
【スキル】
秘書:LV1
成人男性の平均レベルは5であり、レジ―は女性のためレベル4というはごく普通である。
能力値はむしろ低めであり、秘書以外は何のスキルも持っていない。
隠密なんて影も形もない。なのに、おそらく街からずっとファムに気付かれる事なく、歩くのも難しい森の中を通って追いかけ続けてきた。
ステータス的にありえないと、九郎との遭遇時と同じくらい混乱するファムに、レジ―は微笑して種を明かした。
「申し訳ありません、『隠形』にはステータスを隠す力もあるのです」
そう言って、九郎にも見えるように能力値を空中に投影した。
暗殺者レジ― LV:45
HP:757
MP:562
筋力:230
耐久:298
敏捷:409
器用さ:414
魔力:274
【スキル】
短剣:LV5、投擲:LV5、風魔術:LV4、隠形:LV6、真偽看破:LV3、秘書:LV2
「ぶふぅーっ!」
現れた桁違いのステータスと無数のスキルに、ファムは思わず吹き出してしまう。
「汚いですね、女の子がはしたないですよ」
「そんな事を言ってる場合じゃないよ! レベル40台でスキルレベルが5を超えてるんだよ!? 達人級だよっ!?」
普段から何気なく話していた受付嬢が、冒険者の中でも一握りの上級者だったのだ。
しかも、姿どころかステータスさえ隠してしまえる、『隠形』なんてレアスキルまで保持していた。
「これで驚くななんて無理だよ! 何で九郎は平然としてるの!?」
変だと逆に問い詰められて、九郎は眼鏡を弄りながら平然と答えた。
「この方とギルドの支部長は、僕を見てもステータスが無い事にさほど驚いた様子を見せませんでした」
ステータスが見えず、レベルや能力値が足りないなら冒険者として登録できないと言っただけで、少し戸惑っては見せたものの、ゲグル達のように嘲る事も、ファムほど好奇心から食いついてくる事もなかった。
「ならば、ステータスが無い者、または隠せる者を見た経験があるのだろうと推測したまでです」
そう言ってレジ―の顔を窺うと、彼女はそこまで見透かされていたのかと、少し恥じ入りながらも頷いた。
「お察しの通り、私達は九郎さんが『隠形』のようなスキルでステータスを隠している人物――それだけ高度なスキルを持った、危険人物だと見ておりました」
「えぇっ!?」
ファムはまたしても驚くが、レジ―達の対応はむしろ当然であろう。
達人級と呼ばれる自分と同等か、それ以上の力量を持った、正体不明の存在がいきなり現れたのだ。
街の治安を守る自警団の役割も担う冒険者ギルドとしては、見過ごせるはずもない。
「ですから、失礼ながら後を付けさせて頂いたのですが、まさか逃げた魚が釣れるとは思いませんでした」
縛られて地面に転がりながらも、しっかりと耳を立てていたゲグルを、レジ―は極寒の眼差しで睨んだ。
「ひっ……!」
自分の倍もレベルが高かった受付嬢に睨まれ、つい悲鳴を上げる男の情けない姿に、九郎はやれやれと溜息を吐いた。
「てっきり、魚釣りの方が主眼だと思っていました」
「まぁ、この可能性を想定していた事も否定はしませんよ」
そして、ゲグル達を九郎にぶつけて、実力の一端を探ろうともしていたのだろう。
「腹黒い人ですね」
九郎が苦笑すると、レジ―は彼の耳元に口を寄せて、他の者達に聞こえないよう小さく囁いた。
「そうでもなければ、ギルドの支部長など任されませんよ」
「――っ!?」
初めて驚いた顔を見せる九郎に、レジ―は悪戯っ子のようにあどけなく笑った。
(なるほど、昼間に会った男性は影武者か)
そして、受付嬢だと思って口が軽くなった冒険者達を、真の支部長は笑顔で対応しながら、犯罪者や不適格な者が混じっていないか、己の目で観察していたのだろう。
「本当に腹が黒いですね」
「えっ、今何を言ったの?」
「さて、本部に連絡を入れて、連行するための人員を呼びましょう」
訳が分からず困惑するファムを余所に、レジ―は声を遠くに届ける風魔法を使い、スタレットの冒険者ギルドに連絡を入れる。
「彼らはどうなりますか?」
訊ねる九郎に、レジーは口元だけで笑みを作って答えた。
「ギルドに加入した冒険者にとって、仲間と依頼主への不当な裏切りは最も許されない罪です。死罪は免れないでしょう」
ファムを奴隷として売ろうとした件や、今回の九郎達を殺そうとした件が初めての犯罪ではあるまい。
掘り返せばいくつも余罪が見付かって、普通に裁いても死刑は確定に違いない。
「このようなギルドの膿を今まで見逃していたとは、まことに恥ずかしい限りです……」
レジ―はそう言って猛省するが、ゲグル達がスタレットの街に流れてきたのはほんの一週間前であり、ここで犯罪を犯したのはこれが初めてのため、気付けという方が無理であった。
そもそも、髪の毛一本からでも犯人が確定できる二十一世紀の日本と違い、ほぼ現行犯でもなければ罪を暴けない異世界で、犯罪者を捕まえるのは難しい事なのだ。
もちろん、この世界でしかできない犯罪捜査の方法――魔法や拷問があるため、一概には言えないが。
「ふんっ、いい気味だよ!」
男達が死罪になると聞いたファムは、当然の報いだと鼻を鳴らした。
だがその時、地面に転がったゲグルの口が小さな笑みを作るのを、九郎の目は見逃さなかった。
「レジ―さん、貴方は相手の嘘を見抜けるのですね?」
「はい、相手に『真偽看破』を誤魔化せる何らかのスキルが無い限りは」
「なら、この男に聞いて頂けませんか。『お前は死刑を逃れる手があるのか?』と」
「「なっ!?」」
言われたレジ―だけでなくファムまでも、驚いてゲグルの顔を見る。
すると、彼はギクッと背を震わせたが、直ぐに不敵な笑みで吐き捨てた。
「へっ、何を馬鹿な事を言ってやがる」
「答えなさい、貴方は死刑を逃れる算段があるのですか?」
「いいからサッサと牢屋に連れていけよ」
レジ―が襟首を掴み上げても、ゲグルは惚けるだけで質問に答えようとしない。
「悪知恵だけは働きますね」
レジ―は思わず舌打ちしてしまう。
彼女の『真偽看破』はあくまで『相手の言葉が嘘か本当かを見抜く』レベルでしかない。
心の中までは見抜けず、黙秘などして答えなければ、嘘か本当か判断がつかないのだ。
また、相手が『本当だと信じ込んでいる』場合も嘘だと分からないため、決して万能のスキルではない。
とはいえ、レジ―はスキルの弱点を熟知しているため、こんな時の対処法も心得ている。
「早々に喋った方がよろしいですよ」
そう言って、どこからともなく取り出したナイフを、ゲグルの鼻先に押し当てる。
「生きながら鼻や耳を削がれるのは、気分の良いものではないでしょう?」
受付嬢の瞳は刃よりも冷え切っており、それがただの脅しではなく、今まで何度も行ってきた作業にすぎないという、経験に裏打ちされた凄味に満ちていた。
しかし、ゲグルとて挫折したとはいえ、何度も修羅場を潜ってきた中堅の冒険者なのである。
強者はこちらの方だと、牙を剥いてせせら笑う。
「やってみろ。だが、俺の身に何かあったら、ギルドもタダでは済まねえぜ?」
「…………」
得意満面のゲグルを見て、レジ―は思わず沈黙してしまう。
何故なら、この男が『真偽看破』に反応しない、つまり本気でギルドに打撃を与えられると信じているからだ。
「どういう事なの……?」
「おそらく、背後に権力者でも居るのでしょう」
困惑するファムに九郎はそう言って、襲撃者達の乗ってきた馬を指さす。
「こちらの事情は詳しくないですが、馬は高価な代物でしょう? それに、ミスリルの矢も一本で金貨十枚と、かなり高価な物という口振りでした」
後で分かる事だが、金貨一枚は日本円にして約一万円ほどであり、ミスリルの矢は一本十万円で、全部で百本近くもあったから、合計で一千万円という事になる。
さらに訓練された騎馬は一頭あたり金貨千枚以上が相場で、八頭いたため日本円で八千万円であった。
日本とは物価が違う事を考慮しても、冒険者なんて根無しが用意できる装備ではない。
「あと、最初に会った三人以外の射手達は、いったいどこから連れてきたのですか?」
「そう言えば、この人達は誰なの?」
ファムは改めて疑問に思い、まだ気絶している八人の顔を見るが、どれも冒険者ギルドでは見かけない面だった。
ステータスを見て名前も確認するが、どこかで聞いた覚えもない。
だが、名前を見たレジ―が不快そうに顔を歪めた。
「……伯爵の私兵です、見覚えがあります」
「伯爵って、まさかベンゲル伯爵っ!?」
思わぬ大物の名前が上がり、ファムの顔が真っ青になる。
「そのベンゲル伯爵とは、近隣の貴族ですか?」
「はい、スタレットから少し離れた所に広大な荘園を有している、帝国内でも有数の実力者です」
鋭い洞察力を見せた九郎が、どうしてそんな常識を知らないのかと、レジ―は訝しみつつも説明した。
帝国の貴族階級は皇帝を筆頭に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と分けられており、伯爵は真ん中と決して高い階級ではない。
「しかし、ベンゲル伯爵は広大な荘園から巨額の富を得ており、それを他の貴族や聖職者に貸し与えているため、宮廷内では爵位以上の発言力を得ているのです」
「なるほど、どこの世界でもお金は強いですね」
「本当に伯爵が背後に居るのなら、ギルド本部に圧力をかけて、支部長の首を挿げ替える程度は可能でしょう」
そして、己に逆らわない忠実な部下を据えて、今まで通り好き放題を働く。
例えば、美しい冒険者の少女を死んだ事にして誘拐し、城に監禁して悪徳の限りを尽くすなんて事を。
「まさか、私も捕まったら伯爵に……っ!?」
思わず想像してしまい、ファムは真っ青になって震え上がる。
そんな彼女の前で、レジ―は口惜しさに唇を噛みしめていた。
「伯爵が背後に居るとなれば、こちらも迂闊な真似はできません」
彼女一人の首で済むなら構わないが、スタレットの冒険者ギルドだけでなく、本部にまで飛び火しかねない案件だ。
ゲグル達はこのまま連行し、そしてベンゲル伯爵の手回しで釈放されるのを、指を咥えて見守るしかない。
「そんな、何とかならないのっ!?」
「伯爵に弱みを握られている者の中には、情けない事にギルド本部の職員も含まれています。彼らの妨害を退けながら、犯罪の動かぬ証拠を掴めればあるいは……」
ただ、その調査には長い時間が必要となる。
その間に、釈放されたゲグル達は姿を消してしまうだろう。
「へっ、分かったらせいぜい丁重に連行するんだな」
立場逆転と、ゲグルは縛られたまま高笑いを上げた。
ただ、事ここに至って、権力の犬は一つ大きな間違いを犯していた。
この世界の権力にも金にも、そしてステータスやスキルなんて法則にすら縛られない存在を、自分達は敵に回していたのだと。
「僕の目的は魔王に会う事であり、正直に言ってこの世界の権力闘争や政治問題には興味がありません」
「えっ、急に何を――」
黒眼鏡を弄りながら語り出した九郎に、ファムは声をかけようとして、そのまま氷のように固まった。
暗い夜の闇の中、彼の全身から淡い紫色の光が溢れ出ていたのだ。
それが何か分からずとも、一つだけ確かな事がある。
九郎が、常に冷静だった彼が、初めて怒りを露わにしているのだと。
「伯爵も気に入りませんが、それはこちらの人々に任せましょう……ただ、暴力に驕った犯罪者が、野放しになるのは胸糞が悪い」
乱暴な口調で吐き捨てながら、九郎は伊達眼鏡を外して胸ポケットにかける。
「痛みを知らぬ強者は、平然と弱者を傷つける」
しかし、この男達は肉体的な痛みをいくら与えても、反省も改心もしないだろう。
ならば、どうすればいいのか。
命を絶つ、それが一番手っ取り早く確実であろう。
しかし、九郎は人殺しを好まなかった。
犯罪者に対する慈悲などではない。彼の真面目な性格上、誰かを殺せばその事を一生忘れられなくなるから、覚えていたくもない、殺す価値もないという、あくまで自分の都合である。
だが同時に、犯罪者を許す気もなければ、悪人がそう容易く改心などしない現実も理解している。だから――
「弱者の痛みを知れ」
禍々しい紫色の光を放つ掌を、ゲグルの顔に近づけていった。
その手に触れられればどうなるか、ステータスの数値でしか人を計れない男に分かる筈もない。
それでも、生物としての本能が、全身から悲鳴を上げて訴えていた。
あれに触れられたその時、自分は今までの全てを失って、二度と立ち上がれなくなると。
「やめろ……やめてくれぇぇぇ―――っ!」
必死の懇願も虚しく、九郎の手がゲグルの頭を掴む。
そして、夜の街道に長い長い悲鳴が響き渡った。
「ご協力、ありがとうございました。時はかかるでしょうが、ベンゲル伯爵の罪も必ず明かしてみせます」
そう言って深く頭を下げたレジ―に、お礼として金貨をいくばくか貰った後、九郎とファムは再び夜の街道を北へと歩いていた。
しかし、二人の間に会話はなく、ファムは暗い顔で俯いていた。
「僕が怖いですか?」
「――っ!?」
九郎から急に声をかけられて、ファムは思わず背を震わせる。
だが、彼はそれを咎めたりせず、むしろ優しい声で語り掛けた。
「助けたお礼はもう十分して頂きました。それに、これ以上危険に巻き込むのも忍びない。今までありがとうございました」
そう別れを告げて、歩く速度を上げた。
だが直ぐに、背後から全力疾走する足音が響いてきて、まるで体当たりするように背中を掴まれてしまう。
「ファムさん?」
「誰がいつ、お別れするなんて言ったの!」
戸惑う九郎に叫び返す彼女の手は、まだ少し震えていた。
「あんな力があったなんて、凄く怖いよ……」
ファムは素直に恐怖を認める。
その上で、強い光の宿った瞳で、彼の目を真っ直ぐ見上げた。
「けど、すっごく興味ある!」
ゲグル達を殺す事なく、だが二度と悪事が働けないように罰した、残酷であり慈悲深い力。
異世界人の新たな神秘を目撃して、ファムの好奇心は恐怖など吹き飛ぶほどに膨れ上がっていたのだ。
「あれ、どうやったら使えるの? 私も覚えられるかな!」
尻尾を振る子犬のように、目を輝かせて迫るファムに、九郎は面食らったように仰け反ってから、いつものように眼鏡を押し上げた。
「まずは十分間、息を吸い続けてください」
「なにそれ、死ぬよっ!?」
普段の様子に戻って騒ぐファムを見て、九郎は小さな微笑を浮かべる。
彼女のような人を救えただけでも、異世界に無理やり送り込まれた価値はあったと思って。
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