第7話 射線封殺

 無数の星々と月だけが照らす、森に挟まれた薄暗い街道を、九郎とファムの二人はゆっくりと進んでいた。


「やっぱり、今日はスタレットで泊まった方が良かったんじゃない?」


 歩き疲れて眠いと、ファムは大きな欠伸をする。

 そもそも、スタレットの街を出た時点で既に日が傾いており、普通なら宿をとって明日の早朝から出発するべきであった。

 しかし、九郎は首を横に振る。


「お金が無いですから」

「宿代くらい私が出したのに……」

「お金の貸し借りは好きではないので。それに、面倒ごとは早めに済ませないと落ち着かない質なんですよ」

「えっ?」


 何の事かと首を捻るファムを余所に、九郎は急に立ち止まって来た道を振り返る。

 すると、静まり返った道の先から、大地を蹴りつける蹄の音が鳴り響いてきた。


「こんな暗くて危ない時間に馬を走らせるなんて、誰だろ?」

「……六、七、八頭か。速度からして、二人乗りしているのもいますね」


 耳を澄ませて立ち止まっていた二人の前に、数分ほどして馬の集団が姿を現す。

 いななきを上げた先頭の馬に乗っていたのは、数時間前に逃がした剣士の男。


「ゲグルっ!?」

「探したぜ、お嬢ちゃん」


 今や犯罪者となったゲグルはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、驚くファムと平然とした九郎の顔を睨み付けた。


「テメエらのせいで冒険者家業が廃業になっちまった。落とし前をつけねえと俺の気が済まねえ」

「勝手な事を、悪事を企んだそっちが悪いんだろ!」


 ファムが反論しても、ゲグルは自分の事を棚に上げ、厚顔無恥に怒鳴るだけだった。


「うるせえっ! 世間知らずのひよっ子やステータスも無い雑魚に、この俺が負けるなんてあるわけねえんだよっ!」


 ゲグルは馬から飛び降りながら、剣を抜き放って叫ぶ。

 レベル22――幾つもの依頼をこなし、何十体もの魔物を倒し、冒険者として油が乗ってきた中堅のレベル帯。

 そして、超えられない才能の壁を感じて、挫折する者が現れる領域。

 冒険者は魔物を倒せばレベルが上がり、それに伴ってば能力値も上がる。

 しかし、その上昇率は個人の才能によって大きく異なっていた。


 ゲグルがレベル22で魔力26しかないのに、ファムはレベル12で魔力72もあるように、上昇率という才能の差が、英雄となって喝采を浴びる者と、一生日陰で終わる者を分けるのだ。

 ゲグルもその挫折した一人であったが、だからこそレベルが低い小娘や、ましてレベル自体が無い小僧に負けるなど、ささやかなプライドが許さなかったのだ。

 もちろん、九郎はゲグルのそんな事情を知らないし、仮に知ったところで敗者の戯言と歯牙にもかけなかっただろう。


「俺をコケにしやがった報いだ、ここで無様に死にやがれっ!」


 ゲグルの声を合図に、馬に乗っていた十名の男達が次々と地面に降り立って、巨大な弓矢を手に取った。


「ザーク!」

「あぁ、『拡大腕力強化』!」


 あの時も居た魔術師が、九名の射手達全員に強化魔法をかける。


「一本で金貨十枚もする強力なミスリル製の矢だ。魔法の鎧だろうと防げねえぞ」


 そう言って笑ったのは、九郎に投げ飛ばされて気絶したあの戦士であった。


「剣で負けたから飛び道具ですか……浅はかな」


 深い溜息を吐く九郎を見て、ゲグルは額に青筋を浮かべながらも不敵に笑い返す。


「へっ、何とでも好きに言いやがれ。どうせお前はここでお終いだ」

「避けてもいいぜ? だが、その時は後ろのお嬢ちゃんが穴だらけになっちまうがな」

「うっ……」


 戦士にミスリルの矢を向けられて、ファムは思わず九郎の背中に隠れてしまう。

 彼はそれを払いのけたりはせず、目をゲグル達に向けたまま、右手を後ろに差し出した。


「何か長い棒を貸して貰えませんか」

「えっ?」

「ボールペンでは少々短いので」


 向けられている九本の矢にも全く動じていない彼に、ファムは慌てて腰に差していたショートソードを手渡した。


「これでいい?」

「助かります」


 剣は刃渡り60㎝ほどと、短いショートと呼ぶには長い片手剣。

 それを手に馴染ませるため、軽く素振りをする九郎を見て、ゲグルは己の長剣を振り上げた。


「いまさら何をしたって無駄だ、死にやがれっ!」


 その雄叫びを合図に、九名の射手はミスリルの矢を撃ち放った。

 誰もがレベル10以上で、弓術スキル:LV1以上を所持しており、魔術師の腕力強化を最大限まで受けている。

 そして放たれたのが、人狼ワーウルフさえ貫くミスリル製の矢。それが九本も。

 レベル40に達した達人級の冒険者であろうと、無傷では済まされない飛び道具の雨。

 それを前に、九郎は借り受けたショートソードを真っ直ぐ前に突き出して――


 第八秘剣・封箭式ふうせんしき


 一薙ぎで一本残らず叩き落した。


「なっ……!?」

「そんな馬鹿な……っ!?」


 唖然と固まる九人の射手に、同じくポカンと口を開けていたゲグルが慌てて叫ぶ。


「何をしている、撃て、撃てっ!」


 悲鳴のような号令に応じて、射手達は揃って矢筒から新たな矢を抜いた。

 そして、弓術スキルの技『ダブル・ショット』や『トリプル・ショット』を使って、雨のように矢を降らせる。

 しかし、九郎はやはり動じる事なく、剣の一振りで全ての矢を叩き落すのであった。


「……これ、どうやってるの?」


 その光景を間近で見ながらも、原理が全く分からず驚きと好奇心で目を見張るファムに、九郎は矢を払い続けながら説明する。


「単純な仕組みです。弓矢は弦を引いて構えた時点で、どこに飛んでくるかは大方決まっています。ならば撃つ瞬間を見極めて、矢が当たる軌道に剣を置いておけばいいのです」


 これが出来れば投石だろうと銃弾だろうと、あらゆる飛び道具を封じる事が出来る。

 それが第八秘剣・封箭式であった。

 もちろん、相手の構えや風の流れから正確な弾道を予測する計算力、指のこわばりや呼吸から射撃の機を読む眼力など、超人の能力がなければ不可能な絶技であったが。


「畜生っ、なんで当たらねえんだっ!」


 恐怖に震えながらも矢筒に伸ばした戦士の手が、虚しく空を切る。

 見れば高価なミスリル製の矢は、全て撃ち尽くして無くなっていた。


「そんな、馬鹿な……っ!」


 レベル40を超える達人ですら、確実に倒せる準備をしてきたはずなのに。


「あいつ、何レベルあるんだよ……っ!?」


 誰かの漏らした疑問に、答える者は一人もいなかった。

 何故なら、百本近い矢の残骸に囲まれた黒服の青年には、レベルもステータスも全く無いのだから。


「しかし、ミスリルですか……」


 九郎は払い落した矢の一本を拾い上げ、僅かに青みを帯びた銀色の鏃を眺めて、眼鏡の奥の目を細めた。


「ファムさん、J・R・R・トールキン先生をご存じですか?」

「えっ、誰それ?」


 問われたファムは九郎の予想通り、不思議そうに首を傾げる。


「失礼、大した意味はありません」


 九郎はそう言ってミスリルの矢を投げ捨て、呆然と立ち尽くしていたゲグル達に向かって足を踏み出した。


「婦女暴行未遂に殺人未遂、これだけ罪状が重なれば十分でしょう」


 そして、異世界の事情をある程度掴んだ今、遠慮して見逃す理由もない。

 だから、九郎は右手にショートソードを握ったまま、左手をゆっくりと掲げ――


「犯した罪の、痛みを知れ」

「ひっ、ひぃーっ!」


 慌てて逃げ出そうと背を向けたゲグル達に、疾風のごとく襲い掛かった。

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