六 イースター・エッグ
マンションのエントランスホールの扉に横付けでポルシェ・カレラが止まった。
片側三車線のメインストリートと片側一車線の道路が交わる角地にそのマンションは位置する。
マンション内部に至る石畳の道を抜けるとエントランスホールの扉手前のロータリーに至る。
ロータリーの上はマンションの二階部分だ。
絶妙な植樹によって、公道からはエントランスホールから出てくる住民を見ることはできない。
過剰ともいえる監視カメラに死角はなく、待ち伏せ行為は専属の警備員が排除する。
右ハンドルの911カレラGTSの助手席から降りたのは三枝(さえぐさ)万里。運転席は長崎眞(まこと)。カレラGTSは彼の愛車である。
「お疲れ。そしておめでとう」「ありがとう」
いつもの挨拶におめでとうを加えた万里は扉の奥へ、長崎はロータリーを旋回して来た道を戻っていった。
これが万里と長崎の日常である。
万里はこのマンションに住む。
長崎はここで愛車から降りたことはない。
高級外車はこのマンションの駐車場でよく見かける。
だから万里がカレラで送られても目立つことはない。
地下駐車場。
長崎は愛車を止め、エレベータに乗り、1階で降りた。
コンシェルジュ・デスクから、榊様、と呼ぶ声がした。
「お取り寄せの食事でございます」
ここは彼が住むマンションだ。
コンシェルジュから壱寿司の紋が入った風呂敷包みを受け取った。
車中からコンシェルジュに依頼した夕食だ。
日付が変わる少し前、チャイムが鳴ってドアが開いた。
深夜に来るのは瞳(ひとみ)だ。
居酒屋のアルバイトを終えるとこの時間になる。
パソコンの電源を切って、自室から出てきた。
「詠(えい)ちゃん、偉い!
ちゃんと寿司桶を洗っている!
私の躾の賜ね」
「躾だなんて、瞳の自画自賛か。許す」
「許すだなんて、いつからご主人様ことばをいうようになったのかしら!」
そういって後から抱きついてきた瞳は詠(えい)人(と)の背中を膝突きした。
「詠ちゃんが私のご主人様になれるのは、来世よ」
そういいながら抱きついてきた腕で首を軽く絞めた。
「はいはい、現世では瞳が女王様だよ」
瞳は来世、現世という言葉をよく使うが宗教じみてはない。
善性やダークサイドも引き合いにするが、それだけのことだ。
居酒屋の賄い料理で夕食を済ませた瞳は、冷蔵庫から取り出した凍る直前の缶チューハイを開けて、飲み干す。
一気に飲めば、いい一日だったが、一口ずつ飲む今日は生憎なことを示す。
今日は、一口飲んで、アルバイトでのショッキングなことを喋り出した。
「私って、闇社会と紙一重のところにいるんだって知って、怖くなっちゃった」
「怖いこと?」
「私がそう言う目に遭ったのでもなく、それを見たのでもないけど、男子が見たって言うの」
「何を?」
「女の子が言いにくいことってたくさんあるじゃない。
察してよ」
「ヒントが欲しいねぇ」
間の抜けたトーンの質問に瞳はきつい口調で切り捨てた。
「女性の尊厳を貶める卑劣な行為よ」
詠人=眞の目は真剣になった。
「レイプ?」
「私はそう受け止めたわ」
「ということは、そこまでは行かない?」
「見てないから、そうとしか言えないけど……。
ホールの男の子がそんな風に言っていたから」
「そんな風ってどんな内容?」
「AVの撮影じゃないかって」
「AVって言って欲しくないね。
僕にとってはオーディオ・ビジュアルなんだから」
瞳はお構いなしに話を続ける。
「たまたま私が給仕していなかったけど、もうあの部屋に行くのが嫌になったわ。
犯罪の現場よ」
犯罪は、と言いかけて詠人は止めた。
犯罪は言い過ぎじゃないかな、と言おうものなら、瞳が怒るのが目に見えている。
瞳が怒ると、黙って風呂に入って、さっさと詠人のベッドに入ってしまう。
ご丁寧にもベッドルームの入り口にバリケード代わりの椅子を積み重ねるのだ。
仕方なくソファの上で寝ると、夜明け前にすり寄ってくるのが毎度のパターンだが。
瞳から学んだ最大の教訓は、男は女の愚痴を真剣に聞くことができない種であるということだ。
傾聴は意識しなければ身につかないとは、講義の一節だが、その真意が最近になって分かってきた。
女の愚痴に男の正論は不要なのだ。
「出演料といってお金を握らせれば、それはビジネスであって、犯罪じゃないなんて理屈、私には通用しないわ!」
瞳の目は殺気立っている。
「そう。瞳の言うとおりだ」
いいタイミングで相づちを打ったはずだ。
しばしの沈黙。
「お風呂、借りるね」
この一言は詠人の傾聴スキルが合格点をとった証しだ。
瞳がバスルームに行って、一人になった詠人は、今日の成果に満足した。
加納家の秘密の品をとうとう見つけた。
おめでとう、と万里がいったのはこのことだ。
目印となる地蔵菩薩は、観音菩薩から斜面を百メートル登ったところにあった。
今日が三度目の探索。
加納姉妹と一緒に行ったのは山歩きが心地よい春だった。
二度目は初夏。
トレッキングには絶好の季節だが、道なき山林を、下草をかき分けながら探し回るのは予想していたよりも大変な作業だった。
手足を雑草や小枝で引っ掻いたりしないよう、長袖の作業服を着ていると、肌着に汗が染み込むのが分かる。
万里は山歩きが苦手なせいか、時々、斜面に足を滑らせて尻餅をつく。
それもあって、万里の作業服は一日が終わる頃、泥だらけになる。
レンタカーのシートを汚すわけにはいかないので、万里は車に乗る前に着替える。
車の外で着替えた。
ドアを開けて衝立代わりにして目隠しする。
林業の作業が休みの日曜日を狙っていくので、林道で人に出くわすことは滅多になく、幸い万里の着替え中は誰も来なかった。
そして、今日が三度目だ。
梅雨前は気温も上がり、湿度も高い。発汗量も半端じゃなく、万里は紫外線と虫、熱中症にも気を遣っていた。
下草刈りをした人達に悪意はないのだが、刈った草を積み上げたところが地蔵のありかだった。
ひょっとして、と干し草をかき分けたら、現れたのだ。
道端で通行人を見守る地蔵像より小ぶりだ。
これでは加納姉妹と一緒だったときに見つけられなかったはずだ。
その後の作業のため、地蔵を掘り起こすのだが、台座は杭状となって地中深くに突き刺さっている。
シャベルで掘り出すのにも悪戦苦闘した。
漸く掘り出した地蔵を横に倒し、地蔵菩薩の蓮台らしき石の塊とその下の台座とを慎重に離す。
蓮台と台座とは凹凸のはめ込みをしてあるだけで、接着してないはずだが、長年の風化によって、一体の物と思われるほどにくっついていた。
両者を分かつ境界らしき箇所にノミを当て、慎重に槌で打った。
少し回して隣の凹凸にもノミを当て槌で打つ。
台座を何周回しただろうか。
やっと1ミリほどの隙間が空いた。
2ミリ、3ミリ、5ミリ。
隙間がノミの厚みほどに空いたあたりで、蓮台と台座を離すことができた。
バスローブを纏(まと)った瞳は、詠人の躁(そう)な雰囲気を察知した。
「今日、何があったの?正直にいいなさい」
「いや、探しものが見つかってね」
「あの女と一緒という訳ね」
瞳の口調がきつくなった。
「でも、今は瞳と二人っきりだ」
詠人は言葉を慎重に選んだ。
一緒という言葉を使うと万里と同列に扱っていることになる。
瞳だけでない。女性は言葉尻を捉える巧者だ。
「そうね。大切な時間を台無しにするところだったわ」
助かった、と詠人は安堵した。
昼間のハードな肉体作業でクタクタだ。
普段なら瞳との痴話喧嘩は楽しいが、今日だけは勘弁して欲しかった。
「で、戦利品は何なの?」
「よくぞ聞いてくれました、ってところかな。
今日のお宝の興奮がまだ続いているんだ」
「いいわよ。何でも聞いてあげる」
「今日のお宝はね、石に刻まれた文字なんだ」
「石?文字?」
「例えば、財宝の隠し場所を紙に書いて残したりするだろ?
その紙を手に入れれば、誰でも財宝の場所を知ることができる」
「あっ、そのお宝が石に刻まれた文字ってこと」
「流石は瞳」
「じゃぁ、またお小遣いが増えるわね」
瞳にはトレジャーハンターの仕事を矮小化して話している。
瞳がいうお小遣いとは、お宝探しの報酬という意味だ。
彼女には依頼人のお宝探しを代行することで謝金をもらっているといっている。
もちろん、関係者の名前も仮名だ。
「今回は、お金絡みのお宝じゃなく、情報なんだ」
「情報?お金じゃないとすれば、あっ、ひょっとしてご落(らく)胤(いん)?」
「当たらずといえども遠からず、だね」
「生まれてきた子供の父親が誰かって、昔も今も問題よねぇ」
「昔は母親が違う、いわゆる腹違いが問題になるんだ。
母親が正室か、そうでないか。
生んでくれた母親の出自で人生が決まるからね。
身分の高い父親の子にとっては」
「今は血縁よりも親権が問題よねぇ」
瞳は常識的な娘だ。
時事といっても庶民的な話題だが、それは詠人が気づかないような視点を教えてくれる。
「大名じゃないからご落胤とはいわないけど、でも大名の重臣、家老職の家柄で嫡子か庶子かって、大きな問題じゃないのかな」
「すごい!ご家老様の謎を解いたんだ」
「ああ。まだ本人には伝えてないけど、ショックだと思う」
「それって、知らされてきたことと違うってこと?」
「ああ。家系図を書き換えることになる。
ずっと昔のことだ。
お爺さんやひいお爺さんよりも遥かに前のことだ」
「そんな昔話を蒸し返されても、ね」
「本人が望んだことだ。
ひょっとして期待した結果とは違うかも知れないけど」
「つまり、本人は家系図の正しさを証明するつもりだったのに、逆の結果になってしまうってこと?」
「残念ながらね」
瞳が泊まると朝食が豪勢になる。
炊きたてのご飯に、できたての味噌汁、焼きたての魚、目玉焼き、漬け物。
旅館に泊まったときの朝食のようだ。
そして、朝食の時間も長くなる。
品数が多いので完食するのに時間がかかるし、完食するまで瞳の監視があるからだ。
今朝はいつもの豪華な朝食がテーブルに並べてあったが、瞳の姿はなかった。
朝の仕事があるから、とショートメールに伝言があった。
そして、完食すること、とも。
瞳がいなくても食事の時間が長くなる。だらだらと食べるからだ。
瞳との濃密なひとときを過ごすと、朝は頭が冴える。
その冴えた頭でも考え出すと箸が止まる。
「どう切り出そうか」
独り言が出るのは、出自をどう伝えるか思案に暮れてのことだ。
メールの着信音が鳴った。
弟、拓斗から学費の請求だ。
後期の引き落とし予定額で九十万円を口座に入れておいてくれという。
自分で弁護士に頼め、と返信した。
父も祖父母も亡くなって、詠人兄弟の財産は信託銀行に預けられている。
それなりの相続税を払って、母と詠人、拓斗のものになったのだが、母は榊家の顧問弁護士を財産の管理人に指定した。
既に成人の詠人と拓斗だが、自分が相続した預金は弁護士を通さなければ引き出すことができない。
契約の自由であるが、自分の資産を弁護士に断らなければ使うことができないルールなど法的に無効にできるのだが、そう決めた母とわざわざ波風を立てるまでもない。
弁護士に電話一本入れれば、即座に自分の決済口座に入金されるからだ。
だが、拓斗は電話を面倒がる。
詠人にメールする時間があれば弁護士の携帯へ電話すればいいと思うのだが、それを嫌がるのだ。
弁護士に頼んだら、詠人のカレラの車とバイク(自転車)のお金はポンと出してくれた。
多少、子供じみた駄々をこねたが。
母の気持ちも分かる。
世知辛い世の中、世間知らず(と思っている親心)の息子達が欺(だま)されて財産を失うようなことは、あってはならないのだ。
父親がいない兄弟には大人の庇護が必要で、母親は顧問弁護士に後見役を託したのだ。
詠人にいわせれば、この弁護士は使える。
特にスタッフと意気投合している。
その若いスタッフはカレラを買うとき、価格も納期も粘り強く交渉してくれた。
まるで自分が買うかのように。
夜、都内のフランスレストラン。
「お連れ様はお待ちでございます」
名乗らなくても、そう声をかけられるくらい通っている店だ。
ホールの奥にある個室の扉を開けた途端、叱られた。
「遅いじゃない。
女性を待たせるなんて、何様のつもりかしら」
怒っているその真顔が美しい。
怒った顔が綺麗というのも美人の条件の一つだと、彼女に会う度、詠人は思う。
「麗(れい)さん、ごめんなさい。
でも仕事はしっかりやりましたよ」
「よろしい」
急に笑顔になる。
これで何人の男を掌で転がしてきたのだろか、と思う。
麗がベルをならした。
ほどなくして、馴染みのソムリエが麗にワインの試飲を勧める。
「三崎さんが選んだなら間違いないわ。
すぐ注いで。
この子の指導で喉がからからだから」
三崎は苦笑して、ワインを注いだ。
「榊様、富貴(ふき)様のご教授を仰げるって、男冥利に尽きるってものですよ」
端から聞けば、失礼な口の利き方をするソムリエだと思うが、詠人も三崎とは馴染みである。
そして、詠人は三崎に叱られることも嬉しい。
ワインで乾杯すると話の続きだ。
「このネタがあれば、二、三日はあの女を黙らせることができるわ」
「僕なりに考えたんですよ。手段を。ネットを使ったらどうですか」
「足、つかない?」
「サーバーを幾つも介せば、痕跡を辿ることは極めて困難です」
「ニュース解説で聞いたことがあるわ。
でもホワイトハッカーに破られるとも聞いたけど」
「ホワイトハッカーに待ち伏せされたら、例えば、トラップを仕掛けられていたら、トレースされて、僕に辿り着くかも知れない。
でも都合良くホワイトハッカーが待ち伏せしている可能性は限りなくゼロです」
「本当に大丈夫?」
「拓斗の腕なら大丈夫ですよ」
「えっ、拓ちゃんを巻き込むの?それはダメよ」
麗が拓斗を関わらせたくない理由は詠人に想像できる。
このような企みごとに麗が関わっていると、拓斗には知られたくないのだ。
「今回だけですから」
「ダメよ。
今回、拓ちゃんを巻き込めば、同じようなことが起きたとき、また拓ちゃんを頼ることになるわ。
結果、あの子をこちら側に引きずり込むことになる」
「秘密を守ってくれると信頼できるのは、拓斗だけです」
「ダメよ。他の手段を考えて」
詠人は決めた。
自分でやろうと。
やり方だけ拓斗から教わればいい。
「ネットで炎上とまでいかなくても、拡散するのが一番手堅いんですよ。
他の手段は事前に手を回されてしまいます」
「そうね、それだけのコネがあるからね」
富貴麗があの女と呼ぶのは、喜(き)多(た)川(がわ)珠(たま)代(よ)、衆議院議員だ。
日本の最難関大学を卒業して米国の大学院に留学。
国際政治学の修士号を取得した。
在学中から親日派上院議員の下でインターンシップに従事した。
民放に入社して三年後に看板報道番組のキャスターに抜擢された才媛だ。
少し童顔の入った、やや癒やし系の顔立ちは、強い闘争本能と男勝りの性格を包み隠して女性らしさを醸しだし、多くの男性ファンがいる。
そこに目をつけた与党が政界にスカウトした。
出馬したのは実家のある長野県の選挙区。
前回までの総選挙で野党第一党の現職が連続して選挙区で当選する指定席だった。
与党現職も比例代表で当選するのだが、得票率の低下で次回の総選挙では比例も危ないとされていた。
そこに現職に代わって新人を投入したのは与党選挙対策委員長の英断である。
彼女は選対委員長の期待以上の大差で初当選した。
野党現職は比例代表でも落選するというおまけ付きで。
実家は、元二万三千石の科田丸(しなたまる)家で、元四万八千石の田丸家の分家になる。
喜多川は婚姻しての姓だ。
世が世なら科田丸藩のお姫様だ。
そんな昔話は選挙の公式プロフィールに掲載していないが、彼女が地元で出馬したとき、その血筋があっという間に伝わった。
大都会なら、大名家、そして華族のお姫様に対して熱烈に支持する者と反発する者が拮抗するが、先祖代々から地元に住む有権者の支持はもちろん、地縁、血縁のない無党派層有権者からも圧倒的な支持を集めた。
地元では報道番組のアンカーとしても知名度よりも、お姫様としての親しみの方が得票数に貢献したと分析される。
与党が彼女をスカウトした理由は知名度だけでない。
長野県の選挙区は彼女の実家があることと、米国留学時代のインターンシップで築いた人的ネットワークは、政府の懸案事項である日米交渉を円滑に進めるための政治的パイプにもなり得るからだ。
彼女のマニフェストは最初に、庶民目線で働く女性の支援を掲げる。
彼女自身がワーキング・マザーだからだ。
だが、彼女自身は働く女性の支援にそれほど熱心ではないとされ、それでもマニフェストの先頭に持ってきたのは党の指示によるものだ。
マニフェストの二番目は、対外交渉力を高めるため、日本の国際的な地位向上に取り組む。
三番目は、外国からの投資を促して更なる経済成長をするための財政の健全化である。
彼女の本音は三番目が最優先課題であり、二番目、一番目の順になる。
喜多川珠代の話をするとき、麗はマニフェスト批判から始める。
近くに行く用があればついでに投票する程度の政治への関心が低い無党派層の詠人には、選挙区の違う喜多川珠代に全く興味がなかった。
麗だって似たようなものだ。
投票するのは夫君が支持する候補者であって、自分で考えることはしない。
だが、喜多川珠代には敵意を露わにする。
「彼女の三番目のマニフェストは福祉の切り捨てだからよ。
世間知らずのお姫様らしい短絡的な発想よ」
詠人は反論しない。
麗に畳み掛けられることが目に見えているからだ。
「財政重視の彼女は、マニフェストに書かないけど、いろんな場で発言しているわ。
簡単にいうと、社会保障の縮小、高齢者福祉の縮小、医療の自己負担増よ」
病院経営者である彼女にとって、患者の自己負担を増やさざるを得ないと発言する喜多川珠代は敵なのだ。
それは病院長で医師の夫君の考えであり、医師会の総意でもある。
「しっかりしてよ!詠人君の敵でもあるんだから」
この一喝で喜多川珠代の話は締めくくられる。
今日も食事の終わりに活を入れるのだろう。詠人はそれを期待している。
「ところで瞳ちゃんとはどうなの?」
「どうなの?って、よく泊まりに来ますよ。気になりますか?」
「朝ご飯は今でも作ってくれるの?
感謝しなさいよ彼女に」
嫉妬してくれたら嬉しいなぁと期待するが、大人の女性は一筋縄ではいかない。
「してますよ。お陰で朝から全力疾走できますから」
「あり合わせの食材で、てきぱき作ってしまうんでしょ。
今どきいないわよ、そんなお嬢さん」
「はぁ」
「返事は、はい、でしょ!」
「でも、同居はダメよ。それが同棲でなくても」
「同棲なんて、いつの時代の言葉ですか?」
「そういえば、私もそんなこと考えていた時代もあったなぁって」
麗にそういわれて、じっと見つめられると、詠人は思春期の記憶をかき回されているようで、そのことに赤面する自分がますます恥ずかしくなった。
「いいのよ、私の前では素でいてくれて。
お姉様の前で取り繕う必要ないから」
もう、完全に麗のペースだ。
「で、愛ちゃんとはどうなの?」
「麗さんには及ばないけど、いい相棒ですよ。
この前は泥だらけになってくれたし」
「週、何回?」
刹那、質問の意味が理解できなかった詠人だが、理解するとまた赤面した。
「それ、セクハラです!」
「私と詠人君の間にセクハラなんて言葉は存在しないの!」
麗の前では隠し立てできない。
「(瞳とは)週間に二、三回くらいです」
「あなた大丈夫?環(たまき)ちゃんとも続いているんでしょ?」
誰かに監視させてるのか?麗さんは。
詠人は舌を巻いた。
自分のことをしっかり把握している。
ある意味、恐ろしい。
「はい。でも環にとって僕は、とりあえず、の存在ですから」
「環さん、でしょ。
年上なんだから。
詠人君が(一時的に交際する相手と)分かっているなら安心だわ」
いいタイミングで、ヴィアンドゥ、肉料理が運ばれてきた。
「麗さん、もうこの話題は止めましょ。肉だけは美味しく食べたいので」
名前のとおり綺麗な顔でも、中身はおばさんだ、と詠人は思うことがある。
どこにでもいるおばさんに根掘り葉掘り尋ねられると腹立たしいが、麗なら許せる、いや、麗にそこまで気をかけてもらえるのが嬉しくもある。
ある種の快感。
「勘弁してあげる。じゃあ、美味しくなる話題よ」
「是非、聞かせて下さい」
「キャナリー・ファンドの赤間さんからお礼が届いたの」
さっきまでの、息子を躾ける母親のような、険のある顔とは全く違う、宝飾品を手にした至福感が漂う、こちらまで幸せになるような笑顔だ。
「麗さんのその嬉しそうな顔、相当いいものですね」
「インペリアル・イースター・エッグよ」
「卵?」
「帝政ロシアのロマノフ王朝の芸術品よ」
「お宝、ですか」
「もう少し品のあるいい方、できないかしら」
「では、至高の、芸術品。そんなすごいもの、もらったんですか」
「まさか。でも極めて精緻な複製品よ」
「なんだ、コピー商品ですか。そんなものが嬉しいんですか」
「あのね、製作費だけで数百万円はするのよ」
「えっ、麗さんにそんな高価なプレゼントするなんて、僕、赤間さんに嫉妬しちゃうな」
「まぁ、まぁ、心にもないことを」
「あら、ばれてました?」
「お姉様は、何でもお見通しなの」
麗はスマートフォンに撮った卵の画像を見せながら、技巧の数々を説明した。
「本当に赤間さんに嫉妬しちゃうな」
「バカねぇ、彼のポケットマネーのはずないじゃない」
「えっ」
「前田商事よ」
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