第4話
それからずっと、聖人は、何かいたずらをするたびに、その男の声に悩まされることになった。
だが聖人は大して気にしない。
誰の耳にも多かれ少なかれ「声」が届いているのだろうと思った。
思春期に入った頃には学校はずる休みするは、先生の言うことはきかない。
弱い者いじめをしはじめた時には、その声に、おいこらといった言葉がまじった。
(まわりに誰もいないし、きっとうそ声なんだ)
聖人はそう思うが、あまりに声量が大きい。小首をすくめてしまうほどだった。
さすがの聖人もひょっとして、自分は病気じゃないかと思い、
「ねえねえ、おかあさん」
台所でトントンと包丁を振るっているまり子の背中にそっと声をかけた。
めったに話しかけない息子が何かを話しかけようとしている。
これは何かあると思ったまり子は、すぐに動きをとめ前を向いたまま、
「なによ、きよと。めずらしいわね。お母さんに声をかけてくれるなんて」
と問いかけた。
「ええああ、べつになんでもないんだけどね。ちょっとね」
照れくさそうに笑う。
「うれしいわとっても。きよとがしゃべってくれるなんて。このままでいるから何でも言ってね」
聖人は少しの間もじもじしていたが、
「なんだか耳もとで男の人の声が聞けるんだ」
と小声でいった。
「耳もとで?よく見てごらん。きっと誰かそばにいるわ。あんた、いたずら者だし?」
「それもそうだけど。あのね、見るんだけどね・・・・・・」
「誰もいないんだ?それはおかしいわね」
「うん、おかしいでしょ」
「ひょっとしたらそれって、自分がそう思っているから聞こえるようなものじゃないかしら。きっとそうよ」
「ちょっとわかんない」
「こんな話は聖人にはまだ無理よね。あんまりしょっちゅう聞こえたら、お母さんと一緒にお医者さまのところへ行こうね」
「いやだ。注射するし」
「まあ、聖人ったら、あんまり気にかけないでいて。お母さんだって、あなたの年ごろには何やかやと、耳の奥で人の声がしていたように思うわ。小さいなりにずいぶん悩んだわ。まあ落ち着いてそこにすわんなさい。あったかいミルクでもいれてあげるから」
「やったあ」
久しぶりに食卓をはさんで向かい合った母と子。湯気の立ったインスタントコーヒーを、聖人の母はふうふういいながら一口すすった。
聖人のミルクはほどよい熱さで、一気にカップを傾けてしまった。
聖人は涙のにじんだ眼で、じっとまり子の顔を見つめた。
「ほんと頭がいたいよ、ぼく」
ぽつりと言った。
驚いたまり子はすぐに、聖人を街の名のある医者のところに連れて行った。
重い病でなければいいがと彼女は心配したが、診察の結果は大したことはなさそうで、
「どうしても夜ぐずったりして眠らないときは、これをのませるといいでしょう」
と、薬を処方された。
聖人の症状はつづいた。
不登校にもなった。
昼と夜が反対の生活を送り、外出するのは決まって夕方だった。
医者に診察してもらったのが良かったのか、「声」はしだいに遠びいていき、しまいには何も聞こえなくなった。
気分が良くなった聖人はある日の夕方最寄りの公園にでかけた。
秋は陽が落ちるのが早い。五時を過ぎるとたちまち暗くなった。
月は出ていない。
ブランコをゆっくりこぎながら、そっと目をつむると、まぶたの裏に誰かのシルエットが浮かんだ。
(この人って、どこかど出逢ったような・・・・・・)
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