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「菊さんには敵わないな」


「私に敵うと思っていたの?百年早いわ」


 菊さんの言葉に百合子がクスクスと笑う。


「私ね、蘭子姉さんと向日葵が結婚したら、桜乃宮家を出るつもりだったの。もう桜乃宮財閥は私を必要としていないと思ったから……。一人暮らしなんてしたことがないから、どうすればいいのかわからなかった。だから……菊さんのお話はとても嬉しかった……。まだ私を必要としてくれる人がいるんだって、嬉しかった」


 俺はまだ百合子にプロポーズはしていない。百合子の本音を聞き、俺に頼れない百合子の心情を垣間見る。


 俺は不甲斐ない男だな。

 結婚という二文字に、いまだに踏み切れないでいる。


 こんな俺が、百合子を一生愛せるのか……。


 百合子は俺と一緒にいて、本当に幸せになれるのか……。


 交際を始めてこの数カ月、ずっと不安だった。


 百合子は将来柿麿財閥の後継者となる。即ち柿麿財閥の会長だ。その百合子に、この俺がプロポーズするなんて馬鹿げている。


 だが、菊さんは血の繋がった祖母だ。

 これから先、年齢を重ね老いていく祖母を、この広い屋敷で一人にすることは出来ない。


 それは、俺が……

 孤独という寂しさを嫌というほど、味わってきたから……。


「婆ちゃん、俺、ここで暮らすよ。一緒に暮らそうな」


「婆ちゃん!?太陽さん!婆ちゃんって呼ぶのは却下と言ったでしょう。婆ちゃんなんて呼ばれたら、一気に年老いた気になるわ。私のことは『菊さん』と呼びなさい、『菊さん』と!いいですね!」


「はいはい、婆ちゃん。このケーキ美味いな。今度作り方教えてよ。百合子は料理が苦手だから、婆ちゃんの味は俺が全部マスターして、完璧に作れるようにするさ」


「太陽!酷いな。菊さんの前で料理が苦手だなんて言わないで。私だってチョコレートケーキくらい作れるわよ!湯煎したチョコレートをスポンジにぶっかければいいんでしょう。こんなの簡単よ」


「ククッ…。卵掛けご飯じゃないんだから。百合子にはムリムリ。だってホットケーキも焼けないだろ」


「太陽ーっ!!」


 百合子は俺に掴みかかり、ポコポコと頭を叩いた。


 モグラ叩きじゃないんだから。


 ソファーに座ったままジャレあってる俺達を、菊さんはシャンパンを傾けながら目を細め笑って見ている。


 どこにいても、幸せな時間は自分達で作り出すことが出来る。肩ひじ張らず、思ったことを何でも言い合え、素直な自分でいられること。長い人生をともにするには、そんな相手が最適だ。


 俺は……そんな相手をやっと見つけた。


 ◇


 ーー柿麿家での会話は弾み、古いアルバムや動画を観て楽しい時間を過ごす。そこには幼少期の蘭子や百合子、今は亡き創士さんや桃花さん、数年前に家族になった向日葵が映っていた。

 初めて見る桃花さんはとても美しく清楚な女性。桃花さんの昔の源氏名は鈴蘭……。


「どうしたの?太陽」


「桃花さん、綺麗だな……って、思ってさ」


「私と似てないって言いたいんでしょう。母は本当に美しい女性だった。私の自慢の母よ」


 百合子は母を懐かしむように、映像に視線を向けた。


 菊さんのお屋敷で豪華なディナーもご馳走になり、俺達はイブの夜を過ごす。


「菊さん、俺達そろそろ帰ります」


「あら、もう帰るの?泊まればいいのに。太陽さんのマンションまで滝口に送らせますよ」


「いいですよ。俺達はもう少し素敵な庭を散策し駅まで歩きます。ていうか……どうして滝口さんがこのお屋敷に?」


「滝口は桜乃宮家の運転手ではなく、本当は私の執事なの」


「えー?まじで?」


 滝口さんは桜乃宮家専属運転手で元SPだと思っていた。本人もそう話していたから、信じて疑わなかったのに……。


「孫娘達が心配で桜乃宮家に預けてるのよ。いわばボディーガード代わりにね」


 なるほど……。そう言う事か……。


 ということは、滝口さんも当初から菊さんが柿麿財閥の会長であることは全て知っていた。


 なんてことだ。

 俺はみんなに騙されていたなんて。


 菊さんの御好意を断り、俺達は柿麿家の庭に出る。雑誌に掲載されているような趣のある洋風ガーデン。庭の中央に聳え立つ大きなもみの木に電飾が灯る。


 赤や黄色、オレンジやブルー。色とりどりのイルミネーションに彩られた庭一面の木々。

 夜の庭園でそれは眩い光を放ち、夜空の星と輝きを競い合う。


「……きれい」


 百合子はあまりの美しさに溜息を漏らす。

 次の瞬間、お屋敷に光の文字が浮かび上がる。


『Merry Xmas』


「凄いな……」


 俺達はその幻想的な美しさに目を見張る。



 ーー空から……


 ふわふわと白い雪が降り始め……


 俺達の頭上に舞う。


 俺は黒いマフラーを外し、百合子の首に巻いた。


「あったかい……」


 百合子がマフラーを両手で握りしめ、俺を見上げた。


 俺に向けられた百合子の眼差しに、トクンと鼓動が跳ねる。


 その瞳は、俺を優しく包み込む。


「百合子……。俺は君のいいパートナーになれるかな」


「えっ?太陽、それって……」


「俺、自分に自信がないんだ。でも……百合子とずっと一緒にいたい。君となら、どんな時も笑っていられる気がするから」


「……太陽。私はあなたのいいパートナーになれるかな?」


「なれるさ。俺のパートナーは百合子しかいないよ」


「……うん」


 俺は百合子の肩を抱き、キスを落とした。



 ーー白い雪の舞うモミの木……


 美しいイルミネーションに見守られながら……


 俺達は……永遠の愛を誓った。


 ーー生涯……


 百合子を愛し続けると……。



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