lesson 13

百合子side

81

 あの日、互いの気持ちを確認し合った私達は、蘭子姉さんや向日葵に言えないまま、静かに交際を始めた。


 『桜乃宮財閥の後継者は辞退する』という太陽の意志は固く、桜乃宮家に戻ることなく小さなマンションで暮らし、現在もひだまり印刷会社に勤務している。


 私は『友人の所に泊まる』と、蘭子姉さんに嘘をつき、時々太陽のマンションに泊まった。勿論、リムジンでの送迎は断りこっそり電車で通った。


 自分が桜乃宮財閥の令嬢であることを忘れ、普通の女の子に戻れたような安堵感を、太陽は私に与えてくれる。


 不器用な男と虚勢を張って生きてきた女が、真実の愛が何なのか、模索しながら寄り添っている。


 ◇


「百合子、また外泊?恋人でもできたの?あなたは桜乃宮財閥の令嬢なのよ。桜乃宮家に相応しいお相手でないと、交際は認められないわ」


「桜乃宮家に相応しいお相手かどうか私にはわからないわ。でも、彼は私にとって大切な人なの。いつか蘭子姉さんにも向日葵にも紹介するから、それまでそっとしておいて」


「もし質の悪いお相手だったらどうするの。あなたはまだ学生なのよ」


「わかってる。私を信じて……」


「あなたがそこまで言うのなら、仕方がないわね。私も偉そうなことが言える立場ではないもの。人を好きになると言うことは、何かを犠牲にしなければいけない時もある。百合子には何も犠牲にすることなく幸せになって欲しいの」


 蘭子姉さんの想いに胸が熱くなる。

 何かを犠牲にしなければこの恋が成就しないのならば、もう心はとっくに決まっている。


 ◇


 ーー太陽との交際は順調に進み、季節は温かな春を迎え恋の蕾も膨らみ、情熱的な夏を過ぎ花開く。


 木の葉が色づく秋となり私達の不器用な恋は愛へと色を変えていった。


 爽やかな秋の風が、冷たい冬の風に変わり、太陽は時折想いにふけるようになった。


 それが何なのか、話さなくても私にはわかる。


 ーー交際から十カ月が経過し、季節はまた雪のちらつく冬になった。


 太陽はその間、鈴蘭の事を一切語らなかった。私も太陽の過去はこれ以上聞かないと決めた。


 もしも、鈴蘭が蘭子姉さんや向日葵であったとしても、私は太陽を信じ共に生きる。


 その頃の私は……もう太陽に夢中だった。

 大学の講義を終えると真っ直ぐ太陽のマンションに向かう。家事をする必要のない環境に育った私が、スーパーで買い物をしては太陽の部屋で夕食を作った。最近では隣接するスーパーの特売日がわかるほどだ。


 今日は太陽が好きな唐揚げとオムレツ。

 でも揚げ過ぎて唐揚げは焦げ、オムレツを作ったはずなのにスクランブルエッグになった。


 千切りキャベツは不揃いで、ポテトサラダはしょっぱい。料理上手の太陽とは正反対、私と料理の相性は最悪。


 けれど太陽は、不出来な料理を目の前にしても、豪快に食べてくれる。


「うん、若干日焼けしすぎた唐揚げだけど旨いよ。スクランブルエッグも甘いけどイケる。昨日作ったエビフライよりは上手く出来てるよ」


 ていうか、それオムレツだし。

 日焼けしすぎた唐揚げって何よ。


「本当に、イジワルな言い方だよね」


「俺は誉めてんだよ。包丁も持ったことがない百合子がキッチンで料理するなんて、人間は日々成長すんだなあって」


「ひどーい!完全にバカにしてるでしょう」


「あはは、バカになんてしてないよ。可愛いなって思っただけ」


「……ば……か」


 いきなり『可愛い』なんて反則だよ。

 どんな顔していいのかわかんない。


 ポッと火照る頬、恥ずかしくて俯いた私の額を太陽がコツンと叩く。


「なに照れてんの」


「……照れてないし」


 チュッと触れた唇。


 太陽はこんな私を愛してくれる。

 この部屋には温かなぬくもりと太陽の笑顔がある。


 私が求めていたものは桜乃宮家で贅沢な暮らしをすることじゃない。愛する人と寄り添い穏やかに暮らすこと。


「蘭子姉さんね、来年の一月に松平さんと結婚する事になったのよ。財閥関係者も親族も役員会で猛反対したけれど、菊さんが役員会に乗り込んで『桜乃宮財閥の会長が執事と駆け落ちしてもいいのですか』って一喝し、周囲を説得してくれたの」


「そっか、蘭子さんと松平さん、ついに決心したんだな。ていうか、役員会に乗り込んだのか?菊さんすげーな」


「うん。蘭子姉さんは結婚に躊躇していたけれど松平さんが決断したのよ。だから、挙式披露宴には太陽も是非出席して欲しいって」


「わかった。喜んで出席させていただくよ」


「それとね。向日葵も大樹さんと正式に婚約が決まったんだ」


「向日葵さんが石南花さんと婚約するのか?」


「うん、来年の三月盛大な婚約パーティーが開かれるの。向日葵は大学に進学せず五月に挙式するのよ」


「驚いたな。あの大人しい向日葵さんが結婚するなんて……。自分の意思で決断したならこんな嬉しいことはない。菊さんも呼んで盛大にお祝いしないとな。俺さ、あれから菊さんに逢ってないけど元気にしてる?」


「ええ、菊さんはいつだって元気よ。ますますパワーアップしてる。菊さんがね、クリスマスイブにみんなで遊びにいらっしゃいって」


「クリスマスイブに?菊さんの家へ?」


「うん、だから一緒に行きましょう。私達のことも菊さんに報告しないと……。私と太陽のことはまだみんなに話してないの。そろそろ話した方がいいかなって……」


「そうだよな。俺達が付き合ってることを知ったら、菊さん腰抜かすかも」


「腰抜かすのは、太陽かもよ」


「何だよそれ?」


「ふふっ、まだ秘密だよ」


「俺に秘密を持つなんて、生意気だな。サプライズで何かプレゼントしてくれるのなら気遣い無用だよ。俺には百合子のキスが一番のプレゼントだからな」


「……ば……か」


 太陽は私をギュっと抱き締め、優しいキスを落とした。


 私達は蘭子姉さんや向日葵みたいに、将来の約束は何もしていない。太陽がお父様の実子であることや、私がお父様の養子であることは変わらない事実。


 太陽がどの選択をしても、たとえ太陽と結婚出来なくても構わない。


 ーーただ……


 傍にいて……


 互いの温もりを感じていられたら……。


 嘘偽りのない……


 真っ直ぐな心でいられたら……


 それだけでいい。


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