百合子side
79
アイツが屋敷を去った日、アイツは私達に意味深な言葉を残した。
ーー『……鈴蘭、二月二十三日。神戸のバーで待ってるよ。必ず来てくれ』
突然口にした名『鈴蘭』……。
その名を聞き、私は動揺を隠せない。
何故なら『鈴蘭』は母のホステス時代の源氏名。
アイツがどうして母の源氏名を知っているのか、あのメッセージは私に対するメッセージなのか、心の中に疑惑が渦巻く。
アイツが指定した二月二十三日は平日だった。蘭子姉さんは仕事だし、私も向日葵も学校がある。勿論神戸のバーなんて、誰も知らない。だから私達がわざわざ神戸に出向く事もなかった。
「何のつもりかしら?さっぱり意味がわからないわね。二十三日に何か意味があるのかしら?忙しいのに神戸に行けるわけないじゃない」
蘭子姉さんは少し不機嫌になり、向日葵は隣で首を傾げた。
アイツのセリフが腑に落ちない私は、翌二十四日、勇気を出してアイツのマンションに行く。アイツは堂々と朝帰りし、その背後に女性の影がちらつき私の心を掻き乱す。
アイツが屋敷を去り、ずっとアイツのことばかり考えていた。
病室でキスをし、それ以来アイツのことが頭から離れない。その気持ちを悟られまいと、アイツに暴言ばかり吐いてきたけれど、久しぶりにアイツの顔を見て、今にも泣き出しそうな自分に気付く。
アイツの部屋は、母と二人で住んでいたアパートの間取りによく似ていた。リビングから見える小さな庭には、母が好きだった色とりどりの花が風に揺れていた。
辛かった過去を思い出し、胸がギュッと締め付けられる。
鈴蘭の事……。
会社の女性の事……。
アイツに聞きたいことは沢山あるのに、素直になれない私は憎まれ口ばかり。
私、こんなに口下手だったかな。アイツに見つめられると、緊張して上手く喋れないよ。
ーー「妬いてんの」
アイツの言葉に全身が熱くなる。
部屋の中は肌寒いのに、体は熱を帯びる。
「……妬いて……るよ」
今日の私は……どうかしてる。
感情が上手くコントロール出来ない。
ーー「妬いてるよ!あなたの彼女が誰なのか、あなたに好きな人がいるのか、今まで嫉妬なんてしたこともなかったのに、この私があなたに嫉妬するなんてどうかしてるわ」
鈴蘭なんてどうでもいいじゃない。
目の前にいる私を見て……。
私だけを……見て……。
思わず感情が昂り、涙が滲んだ。
ーー「あなたなんか好きじゃないのに、あなたなんか大っ嫌いなのに、ずっと……あなたのことばかり考えてる。あなたのことを考えると苛々して胸が苦しくなるの……」
私……バカみたい、なに言ってるの。
もっと冷静になりなさい。
アイツはいずれ桜乃宮財閥の後継者となり、蘭子姉さんの後を継ぎ会長に就任する。蘭子姉さんもそのつもりで動き出している。
私との血の繋がりはなくても、アイツが桜乃宮姓となればアイツは私の兄となる。
だから……
こんな気持ちを抱いてはいけない相手なんだよ。
「……ごめんなさい。私どうかしてる。今話したことは全部……忘れて……」
「百合子さん、また忘れろと?俺……一度聞いたことは忘れないタイプなんだよ」
「……そんな」
「ていうか、今のは嘘。本当はすぐ忘れてしまう。でも、百合子さんが話した事は……忘れないよ」
「どうして……」
「俺も……君と同じだから。入院中の俺に、百合子さんはキスをした。あのキスが君の気まぐれだとしても、俺は真剣に受け止めた。あの日から……君は俺の特別な存在になった」
「……あ、あれは……その……」
アイツがソファーから立ち上がる。
目の前にスーと手が伸び、トクンと鼓動が跳ねる。
「な、なに」
「コーヒーおかわりいる?」
「……いらない。ご馳走さまでした……」
アイツは私が手にしていたマグカップを受け取り、テーブルの上に置いた。こんな話をしているのに、どうして冷静でいられるの。
アイツはエアコンのリモコンを手に取り、温度調整をした。アイツの行動にいちいち反応するなんて、私どうかしてる。
「鈴蘭は三姉妹の誰かだと疑念を抱いてた。でも三人ともあの日都内にいて神戸には行ってない。俺の勘違いだったんだ。有らぬ詮索をし申し訳ない」
アイツは私に頭を下げた。
確かに二十三日はみんな都内にいた。
でもそれが真実かどうか、わからない。
何故なら、私もアイツに小さな嘘をついた。本当は……友人宅でクリスマスパーティーなんてしていない。
前日『親しい財閥関係者とホテルでクリスマスパーティーをするから同席するように』と、蘭子姉さんに言われ、断る口実に嘘をついた。二十五日には桜乃宮財閥主催のクリスマスパーティーが盛大に行われることが決まっていて、二十三日も財閥関係者とのクリスマスパーティーだなんて懲り懲りだったから。
きっと……向日葵も同じ。
友人とクリスマスパーティーなんて嘘に決まってる。
あの日、屋敷に戻ることが出来ず、私は都内のカラオケ店で時間を潰しネットカフェで一夜を過ごした。向日葵はどこで一夜を過ごしたのだろう。
それに……蘭子姉さんが神戸に行かなかったという確証もない。もしかしたら、財閥関係者とのクリスマスパーティーはキャンセルしたのかも……。
「石南花様を招いたホームパーティーの日から、あの香水の匂いに俺は惑わされていた。けれど、心のどこかで……君達であって欲しくないと願っていた」
「……当たり前でしょう。私達であるはずがないわ」
そう断言しながらも、鈴蘭に心を奪われているアイツに不安が過ぎった。
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