72
「向日葵さん、落ち着いてください」
大樹さんは目の前に置かれたお茶を私に差し出す。その気配りに頭が下がる。
「もしも……私が桜乃宮創士の娘でなければどうなさいますか?」
真剣な眼差しで私の話を聞いていた大樹さんが、ふっと表情を和らげた。
「向日葵さんが、桜乃宮創士様の娘ではなかったら……ですか?」
「はい。突然こんなお話をし驚かれると思いますが、私の実父は……桜乃宮創士の弟、怜士叔父様だったのです」
大樹さんは笑みを浮かべたまま一呼吸おき、私の目を真っ直ぐ見つめゆっくりと語り始めた。
「はい、存じ上げています。桜乃宮創士様から全て伺っていましたから。向日葵さんから包み隠さず打ち明けて下さるなんて、僕を信頼している証拠。嬉しいです」
「えっ……?お父様から聞いていたのですか!?」
「はい。桜乃宮創士様は全てを語り僕の心を試された。向日葵さんが創士様の娘でも怜士様の娘でも、どちらのお子様であろうと、桜乃宮家の血を引いていることに変わりはありません。あなたは桜乃宮財閥の後継者なのですよ」
「大樹さん……それは違うの。実は……お父様のご子息が見つかりました。だから……私は桜乃宮財閥の後継者ではありません」
「桜乃宮創士様のご子息ですか」
「はい、DNA鑑定を行いお父様との親子関係も立証されました。……私は……いずれ桜乃宮家を出るつもりです。私は……桜乃宮財閥の後継者にはならない。だって私にはそんな重責は担えない。私には出来ません」
私の声は過度の緊張から震えている。
感情が昂ぶり自分の思いを上手く伝えられず、不甲斐なさに涙が滲む。
襖が開き、中居さんがテーブルにオレンジジュースと温かい料理を運ぶ。
「向日葵さん、これを……」
大樹さんはテーブルの下から、そっと白いハンカチを渡してくれた。さり気無い気遣いに大樹さんの優しさが心に沁みる。
私はハンカチを受け取り仲居さんに気付かれないように涙を拭き、気持ちを落ち着かせるために、目の前に置かれたグラスを両手で掴み、オレンジジュースを一気に飲み干した。
仲居さんが驚いたように配膳の手を止め、私を見つめた。
こんな振る舞い、はしたないよね。
蘭子姉さんが同席していたら、きっと叱られていた。
カラカラとグラスで氷が揺れる。
空っぽのなった私の心みたい。
大樹さんは私を真似てグラスを掴み、同じようにオレンジジュースを一気飲みした。御曹司らしからぬ振る舞いに、仲居さんが目を丸くする。
「仲居さん、僕達にオレンジジュースを追加して下さい。緊張して喉がカラカラなんですよ」
大樹さんはグラスをカラカラ鳴らしジョークを飛ばす。私一人に恥をかかせまいとの気遣いに胸が熱くなる。
「向日葵さん、お腹空きましたね。さぁ、お料理が冷めない内に頂きましょう」
大樹さんは何事もなかったかのように、「いただきます」と手を合わせ私に食事を勧める。
「大樹さん……?あのう……。私の話を聞いて驚かないのですか?」
「僕は石南花財閥の後継者です。いずれ財閥のトップに立つ者ともなると側近が煩くてね。僕が頼みもしないことまで率先して行うのですよ。ほら、車に同席していた敏腕秘書のことですけど」
大樹さんは場を和ませるように笑い、箸を置いた。
「申し訳ございません。大変失礼とは思いましたが、向日葵さんとの交際を進めるにあたり、側近が桜乃宮家の内情を全て調べ、事前に報告を受けておりました。正直、木村太陽様の件は想定外でしたが、桜乃宮創士様の主治医にDNA鑑定を依頼したことも報告を受けておりました。木村様との親子関係がDNA鑑定で立証されたのなら、それは紛れもない事実なのでしょう」
「全部……知っていたのですか?真実を知っていて、まだ私と……?」
大樹さんは私から目を逸らすことなく微笑んだ。
「あなたは僕の大切な人だからです。二年前にあなたとロスで初めてお逢いした時、僕はあなたに一目で恋をしました」
「二年……前……」
「はい。桜乃宮創士様に『向日葵さんと交際させて欲しい』と願い出ましたが、創士様は『向日葵は怜士の娘だから、石南花家に相応しくないのでは』と、真実を僕にお話になりやんわりとお断りされました。けれど、あなたへの想いを止めることが出来なかった」
「ロスで……全てを聞いていたのに、私に交際を申し込まれたのですか?」
「はい。桜乃宮創士様は僕にこうも仰有いました。『大樹さんが大学を卒業し、今と変わらぬ気持ちならば、その時は向日葵を宜しく頼む。向日葵は謙虚で大人しい娘だ。石南花財閥の後継者である君に相応しいかと問われたら返答は出来ないが、向日葵は心根の優しい娘。きっと君の善きパートナーとなることだろう。ただし、向日葵がイエスと言えばの話だがね』と、あくまでも向日葵さんのお気持ちを重視すると仰られました」
大樹さんは私を見つめながら優しく微笑む。
お父様が……
私の気持ちを一番に考えて下さっていた……。
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