向日葵side

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 ーー日曜日、大樹さんとの大切な約束の日。


 自分の気持ちを上手く話す自信がない私は、勇気を奮い立たせるために滅多に使用しない赤いマニキュアをつけた。


 赤いマニキュアをつけると、いつもの自分とは違う自分になれる気がする。一歩踏み出すための勇気を赤というカラーが私に与えてくれる。マニキュアのカラーに合わせ洋服も赤い襟と赤いリボンのついた白いワンピースを選んだ。


 これから話すことは、私の未来を左右する大切な話だ。弱虫で臆病な私には、とても勇気がいること……。


 約束の時刻に石南花家の車が私を迎えに来た。私は白いハイヒールを履き、玄関で大樹さんを待つ。


「あら、向日葵。今日はデート?気合い入ってるね。そのワンピース可愛い。赤いマニキュアもよく似合ってるわよ」


 百合子姉さんが笑顔で私を見つめた。


 本当に似合っているのかな。


「アイツがいるんだから、向日葵はもう政略結婚なんてしなくていいのよ。菊さんも『これからはご自分の好きな人と一緒に人生を歩みなさい』と仰っていたでしょう。お父様もそう願っているはず。大樹さんとの婚約は破棄しなさい」


「百合子姉さん……」


 大樹さんが車から降り、こちらに向かってくる。私は百合子姉さんにお辞儀し、玄関を飛び出し、大樹さんとぶつかる。


「……だ、大樹さん」


「向日葵さん、こんにちは。玄関で待っていてくれたのですか?嬉しいな。百合子さんこんにちは。今日も一段とお美しい」


「美しいだなんて、相変わらずお上手ね。大樹さん向日葵のこと宜しくお願いします」


「はい。では行ってきます」


「行ってらっしゃいませ」


 百合子姉さんに見送られ、私は迎えの車に乗り込む。


「向日葵さん。このまま銀座に向かっても宜しいですか」


「……はい」


 車の後部座席には、大樹さんの秘書も同席していた。私は気持ちを落ち着かせるために何度も指先を見つめた。


 ◇


 ーー銀座、老舗料亭『一輪館』ーー


 一輪館いちりんかんは園庭があり、政財界やセレブご用達の老舗。


「石南花様、桜乃宮様お待ちしておりました。離れにご案内いたします」


 店の奥にある離れからは美しい日本庭園が一望でき、広いお座敷や茶室もある。お父様と一緒にこの店には何度か訪れたことがある。私には不釣り合いなお店だ。


 お店の女将に案内され、私達はお座敷に通される。大樹さんの秘書は同席せず、二人きりの食事。


「向日葵さん、一輪館は両親が懇意にしているお店で、家族でよく訪れるんですよ」


「大樹さんもですか。私もお父様と一緒に来たことがあります。お父様が一輪館のお料理、お好きだったから……」


「そうですか。桜乃宮創士様は僕にとって尊敬できる立派な方でした」


 大樹さんはお父様を懐かしむように、優しい眼差しを向けた。その眼差しにトクンと鼓動が跳ねる。


 挫けそうな心……。

 お父様、私に勇気を下さい。


「お忙しいのに、本日は……無理にお呼びだてし申し訳ありませんでした」


「無理だなんて、そんな風に思っていたのですか?先日向日葵さんから電話を頂き、僕は少年のように心が躍りとても嬉しかったです。あなたに逢うためなら、仕事をキャンセルしてでも時間を作ります。こんな発言をすると、秘書に叱られるかな。僕の秘書は口煩い小姑みたいで困ってるんです。あっ、これも内緒にして下さいね。また叱られますから」


 大樹さんはご自分の秘書のことを、面白おかしく紹介した。確かに、車中にいた秘書はとても厳しそうな人だった。


「女将さん、お料理を運んで下さい。向日葵さんは未成年なので、ノンアルコールのドリンクもお願いします」


「はい、畏まりました。桜乃宮様、ドリンクは何になさいますか?」


「オレンジジュースでお願いします」


「はい。畏まりました。石南花様はどうなさいますか?」


「そうですね。僕も同じものにします。酔って大切な話を聞き逃してはいけませんから」


「あら、大切なお話ですか?石南花様もお若いのに隅に置けませんこと。邪魔者はさっさと退散致しますね」


 女将さんは冗談を交え笑顔で退室する。二人きりになり一瞬沈黙が流れる。大樹さんは急にそわそわし始めた。


「どうも落ち着かないな。先に向日葵さんのお話を伺っても宜しいですか?このままでは食事が喉を通りません」


 大樹さんは照れ臭そうに笑いながら、私に視線を向けた。真っ直ぐ向けられた瞳は、清らかで澄んでいる。


「……はい。私達の交際についてです」


「僕達の交際?」


「はい。率直に伺います。大樹さんは私が桜乃宮創士の実子だから、私に交際を申し込まれたのでしょう」


 あまりにも唐突で不躾な質問。高校生にこんな質問をされ大樹さんはきっと気分を害するだろう。


 大樹さん、怒ってますよね。

 憤慨して当然なのだから。


 緊張のあまり上手く言葉が繋がらず、手に汗が滲む。ドキドキと鳴る鼓動を落ち着かせるように、私は何度も何度も呼吸を整える。

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