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「菊さん、この桜乃宮家には立派な後継者が三人もいるではありませんか。今更俺の出る幕はありませんよ。それに……貧乏が染みついた俺には、贅沢な暮らしは似合わない」


 百合子がバンッとテーブルを叩いた。


「……まったく、何が似合わないよ。かっこつけちゃって。貧乏人のくせに痩せ我慢して、喉から手が出るほどお金が欲しいくせに。突然大富豪になり、怖じ気づいただけじゃないの?桜乃宮財閥のトップに立つのが怖いんでしょう。男のくせに意気地無しだよね」


 相変わらず、挑発的だよな。

 みんなの前で俺を怒らせて、奮起させるつもりだろうが、その手には乗らないよ。


 百合子の本心は……

 俺には手に取るようにわかる。


「百合子さん。それは違うよ。桜乃宮財閥のトップに立つ事より、俺は金に心を左右される事が怖いんだ。俺は狡くて打算的な男だから。金の魔力に自分が潰されちまう気がしてさ」


「金の魔力……」


「そうだよ。金の魔力。善人も悪魔にしてしまう金の魔力。俺が大金を手にしたら、何をしでかすかわかんないからね。この屋敷に美女を集めハーレムにしてしまうかも」


「フン。くだらない。何がハーレムよ。そんなことしたら私がぶち壊してやる」


「怖い怖い。だから、俺はここには住めないんだよ。酒乱に閻魔大王、泣き虫なお嬢様の子守りはもううんざりだ」


「……ちょ、ちょっと、酒乱と泣き虫はわかるけど、閻魔大王って何よ。それ、誰のこと?ま、まさか!?」


 俺と百合子のバトルに、菊さんは『ヤレヤレ』と言わんばかりに両手を広げる。


「はいはい。もうその辺でお止めなさい。子供の喧嘩じゃあるまいし。太陽さんも百合子さんも大人げない。

 太陽さんのお考えはよーくわかりました。ですが、もう暫く時間を掛けてゆっくり考えて下さい。そもそもこんな大事なことを、一晩で結論なんて出せないわよね」


 菊さんの話を黙って聞いていた蘭子が、珈琲を口にしながら俺に視線を向ける。テーブルにドンッとコーヒーカップを置き、冷たい眼差しを俺に向けた。


「ひとつだけ忘れないで。あなたはお父様の息子なの。それは紛れもない事実です。この事実を曲げることは出来なくてよ。それに、私は酒乱ではありません」


「……はい。ですが、蘭子さんも俺と同じ立場でしょう。創士さんのことは、育ての親ではなく父親だと思っているはず。俺も木村月人を父親だと思っています。違いますか……?」


 威圧的な蘭子に、思わず口答えする。

 俺に事実を認めろと言うのなら、いい加減自分が酒乱だと認めろよな。


「はいはい。もうおしまい。兄弟喧嘩はお止めなさい」


「「兄弟喧嘩ではありません!」」


 俺と蘭子の声が仲良くハモる。

 その場を鎮めるためにパンパンと菊さんが手を叩き、蘭子も百合子も不満げに口を尖らせた。


「実は、皆さんにもうひとつご報告があるのよ。私、今日限りで桜乃宮家を出ることにしたの」


「……えっ?」


 菊さんが突然退職を表明し、俺も三姉妹も驚きを隠せない。


「菊さん……出て行くって何処へ?行くとこあるんですか?」


 思わず口を挟んだ俺に、菊さんがニンマリと笑う。


「太陽さん。心配御無用、私は元の場所に戻るだけよ。長い間、人に仕事を任せていたから、いい加減戻るようにと周りが煩くてね」


「菊さん、他の仕事もしてたんですか?どこのお屋敷ですか?菊さんって、スーパー家政婦なんですね」


「スーパー家政婦?クスクス、そうね」


 菊さんは顔をクシャクシャにし笑い転げた。三姉妹は呆れたように俺を見ている。


 俺、そんなに変なこと言ったかな。


「はい。私はスーパー家政婦です。太陽さん、今年のクリスマスには是非家に遊びに来て下さいね。毎年、お庭をイルミネーションで飾るのよ。それはそれは綺麗なの。昨年はこのお屋敷にいたから、お庭を飾りつけることは出来なかったけれど、今年はドドンッと派手に飾りますからね」


「はぁ……。菊さんまだ一月だよ。クリスマスだなんて、まだまだ先の話だ」


「一年もあれば、太陽さんの気持ちも変わるかも知れないでしょう。今度お目に掛かる時には、桜乃宮家の後継者として私に逢いに来てちょうだい」


 菊さんは俺に無茶振りをし、スッと席を立った。その場で白いエプロンを外し傍にいたメイドの南に渡し、最後の指示をする。


「これからは私ではなく松平さんの指示を仰ぎなさい。しっかり仕事に励むように、いいですね」


「……はい。菊様お世話になりました。ありがとうございました」


 南と礼花は菊さんに抱き着き涙を溢す。三姉妹が席を立ち上がり、菊さんに近づく。その瞳はすでに潤んでいる。


「菊さん、今までありがとうございました。滝口に自宅まで送らせます」


「蘭子さん、ありがとう。もうあなた達も大丈夫ね。これからはご自分の好きな人と一緒に人生を歩みなさい。それが創士さんの願いなのですよ」


「……菊さん」


「そんな不安な顔しないの。蘭子さんが松平さんと結婚したとしても、この桜乃宮財閥は揺るぎませんよ。煩い親族が結婚に猛反対したら、私が一喝しますから。ご安心なさい」


 桜乃宮家の親族に一喝する!?

 菊さんは一体何者なんだ!?


 俺達は菊さんを見送るために屋敷を出る。屋敷の外には松平さんを始め屋敷に仕えるメイドが一列に並び、菊さんと別れを惜しんだ。


 沢山の花束を小さな腕に抱え、菊さんはリムジンの後部座席に乗り込む。皆は泣きながら菊さんを見送った。家政婦の退職にしては随分派手なお見送りだが、長年勤めた家政婦だ。これくらいしても当然だよな。


 菊さんが去り、屋敷の中はぽっかりと穴が空いたような虚しさが漂う。年齢不詳、小さな体だったが、その存在感はあまりにも大きくて、あまりにも謎だらけの人物。


「蘭子さん、菊さんって一体何者なんですか?次はどこのお宅で働くのかな?」


「さぁ、太陽さんまだ解らないの?菊さんが何者なのか知りたければ、ご自分でお調べなさい」


「自分でって、教えてくれてもいいだろう」


「太陽さん、そんなことよりも、本当にこの屋敷を出て行くつもり?あなたはそれでいいの?ご自分が桜乃宮創士の息子であると、素直に認めた方が宜しくてよ。DNA鑑定で白黒はっきりしてるのに、往生際が悪過ぎるわ」


「……そうですけど」


「まぁ、いいわ。菊さんが一年待てと言うのなら、私達も一年待ちましょう。あなたの気持ちが変わることを願っているわ」


 蘭子は俺を見つめ笑みを浮かべた。

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