太陽side
69
ーー翌日ーー
いつもと変わらない朝。
それなのに、屋敷に仕えるメイド達の態度が一変した。
「太陽様、おはようございます。朝食のお支度が整いました。皆様がダイニングルームでお待ちです。お着替えのお手伝いを致します」
一人のメイドがクローゼットからスーツやシャツを取り出し、もう一人が俺のパジャマに手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待って。着替えなら手伝わなくていいよ。それに俺に敬語なんて使わなくていい。昨日まで普通に話してただろう。慣れない敬語使うと舌噛んじゃうよ。今まで通りでいいからさ。それより、君、昨日この部屋に案内してくれたメイドさんだよね?」
「……は、はい。
彼女はペコリと頭を下げた。どこか、雰囲気が向日葵と似ている。あがり性なのか、昨日同様ガチガチに緊張している。
愛らしい目……。
美しい唇……。
メイドにしておくには、勿体ないくらいの美人だ。
「南ちゃん、以前……俺と何処かで逢わなかった?」
「め、滅相もございません。太陽様が創士様のご子息とは存ぜず、昨日までのご無礼をお許し下さい」
昨日まで同僚だと思っていたメイド達が、俺に深々と頭を下げる。その態度に一抹の寂しさを感じる。
人の身分や財力が、人を変えてしまう。
俺は……俺なのに。
「南ちゃんも
そう、俺は木村太陽。
桜乃宮太陽じゃない。
両親にどんな事情があったにせよ、俺を我が子として慈しみ育ててくれたのは木村月人。俺の親父は一人しかいない。
俺は……今まで信じられる物は、金だけだと思っていた。
父は事業に失敗し負債を抱え、俺達は貧乏な暮らしを強いられた。優しい父、笑顔が絶えなかった母から、優しさや笑顔を奪ったのは『金』だ。
金がないとどんなに愛情があっても、気持ちは荒んでいく。
金さえあれば……
金さえあれば……
俺は幼いながらに、いつもそう感じていた。
両親が事故で死亡し借金は死亡保険金で完済した。僅かに残った現金を相続したが、信頼していた親戚に預け全て使い込まれた。挙げ句、邪魔者扱いだ。多額の遺産があれば、俺は親戚中をたらい回しにされる事もなかっただろう。
ずっと手にしたかった大金が、何もしなくても手に入る。学歴もない俺に、地位や名誉も与えられる。
こんな幸運、みすみす手放すヤツはいないよな。
だけど俺は……
桜乃宮財閥の三姉妹と同居し、『金イコール幸せ』ではないと思い始めていた。どんなに財力があったとしても、金で心は満たされないと悟ったのだ。
ーーボストンバッグから私服を取り出し着替えを済ませ、俺はみんなが待つダイニングルームへと向かった。
俺が廊下を歩くだけで、メイド達が仕事の手を止め廊下の端に一列に並び、深々と頭を下げた。
憧れていた夢のような生活。
でもこれは夢じゃない、現実だ。
今更ながら、向日葵が屋敷を掃除していた気持ちが理解出来る。この桜乃宮家で、自分を見失わないために、向日葵は毎日掃除をしていたんだな。
メイドがダイニングルームのドアを開く。
俺は気持ちを落ち着かせるために、深く息を吸い込みダイニングルームに入る。
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます。太陽さん、ぐっすり寝れましたか?傷はもう痛まない?」
菊さんが笑顔で俺に声を掛けた。
「はい。もう大丈夫です」
蘭子も百合子も向日葵も、その表情はいつもと同じだ。ただ異なるのは、俺の席がダイニングテーブルの上座となり、生前創士さんが座っていたと思われる一回り大きな椅子へと案内されたこと。
「俺がここに……?」
「ええそうよ。太陽さんがこの桜乃宮家の
「菊さん、そのことですが……。一晩考えましたが、やはりこの俺には桜乃宮家は相応しくない。俺が桜乃宮財閥を担うなんて不可能です。俺……怪我が治ったら元の会社に戻ります」
「元の会社に戻る?正気なの?頭大丈夫?事件で、頭も打ったんじゃない?」
百合子が小馬鹿にしたように口を挟む。
「すぐにアパートも探しますから」
菊さんは想定外のことに慌てている。
「太陽さん、もっと冷静に考えなさい。あなたは創士さんのご子息なのよ?誰に遠慮することもないの。堂々とこの屋敷にいればいいのよ。桜乃宮家の親族には私が話をするわ。桜乃宮財閥関係者には蘭子さんが……」
俺は菊さんの言葉を遮る。
「菊さん、俺は木村月人と木村椿の息子です。桜乃宮姓にはなりません。なので桜乃宮財閥の後継者にもなるつもりはありません。桜乃宮財閥の会長は蘭子さんです」
「太陽さん……」
菊さんは「フーッ」深い溜め息を吐いた。
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